ニューヨークより、弁護士の猿田佐世です。



イラン大統領が大学にやってきた!!!!
2007.12.6

  アメリカの一番の嫌われ者が大学にやってきた!
  今、間違いなく、(ビンラディンを除けば) アメリカ人に一番嫌われているのはイラン大統領アフマディネジャドである。

  私の通うコロンビア大学には、毎年9月の国連総会の時期、NYの国連本部にやってくる各国大統領が何人も来校して講演をする。 学生も慣れたもので、授業の合間に覗いては楽しんでいる。
  しかし、今回のイラン大統領の来校は、訳が違った。

  一瞬で入場券が無くなったと思ったら、招致反対派から興奮したメールの山。「そんな悪者を呼ぶな!」 「世界中からコロンビアが大統領支持だと思われてしまう!」 「反対行動に参加せよ!」 大学からは冷静な行動の呼びかけ。とともに、大学は学びの場であり反対者とも議論をすべき云々の声明が発表される。 ロースクールの学生議会も声明を出すべく緊急会議を開いたが、意見がまとまらず。 その後も多くのメールが大学中を飛び交い、講演参加希望者が殺到して、大学はアウトドア・スクリーン設置を決定。

青空スクリーンで大統領の講演を真剣に聞く学生

■イラン情勢 (アメリカ情勢というべきだと思うが)
  実は、大学は、昨年も大統領を招致したが、あまりの反対意見の多さに招致を撤回したという過去があるらしい。何でこんな騒ぎになるのか。

  要するに、イランが核開発を行っていて、アメリカはイランの核兵器保持を止めたいという図式である。 アメリカは、イランを次の攻撃ターゲットとしているから、この図式に、イランの多くの人権侵害状況がぶら下がる (イラク・フセイン政権でもそうであったように)。 反政府活動家の長期拘禁、女性の人権の蹂躙、ホモセクシャルの死刑など、様々な指摘がなされる。 加えて、イラン大統領がイスラエル批判を強めており、ナチスのユダヤ人虐殺に疑問を投げかける発言をしたため、 ユダヤ人が政財界の権力を占めるアメリカでは、批判が瞬く間にエスカレートした。

  この世論を喚起し攻撃準備を進めるアメリカ政府の姿勢に対し、「二度目のイラクを出すな!」 との反対の世論も高まる。
(ちなみに、昨年の国連来訪の際には、イラン大統領がブッシュ大統領に会談希望を伝えたが、ブッシュがそれを無視している。)

■フリースピーチ
  9月24日当日、私はデジカメを買いに走り、大学に駆けつけた。案の定、普段は静かなキャンパスが、大変な人だかりであった。

  構内に入るのを学生に限り、警察にIDを見せねば入構出来なかった。門の外では人々が抗議行動を行っていた。 「アフマディネジャドはイランの真の代表ではない!」 というバナーを掲げて抗議をする者、 ブルカを被ったイラン女性の格好をして 「女性の人権を確保せよ」 と抗議をする者、イスラエルの旗を持って抗議をする者、 それらの者に対して 「戦争は解決方法ではない、会話が必要だ」 との看板を持って対峙する者・・・。   その対峙の横を、「フリースピーチ! フリースピーチ!」 と大きな声で通りすがる者があり、その者に対してデモ隊が怒鳴り返して、一触即発状態・・・。

『アフマディネジャドは悪いが、ブッシュはもっと悪い』

  キャンパスに入ると、そこら中にチラシやポスター。イランでの死刑や拷問の被害者の無惨な写真、 「この大統領はホロコースト (ユダヤ虐殺) は神話だと言った」 とのポスターから、ブッシュ批判・戦争反対のチラシまで、その主張は見事に様々な方向からなされていた。

  さっそく学生のラリー (公開討論会) を見に行った。ユダヤ人の学生サークルが 「大統領も許し難いが、招致した学長も同罪だ!」 と大声を張り上げ、 コロンビア大学共和党 (こんな学生サークルまである) などもそれに続いた。 反対意見ばかりが過激に展開されるかと思いきや、同じく学生サークルのアムネスティ・コロンビアやACLU (人権団体American Civil Rights Union : 日本にも姉妹組織のJCLUがある。) なども登場し、「大学はフリースピーチの場である。」 「大学の勇気に感謝する。」 との意見を述べていた。

■学長の講演と大統領の講演と
  そして、いよいよ講演である。世界中のメディア (NHKも来ていた) が殺到し、警察が学校の周りを警備し、空にも警察のヘリコプターが旋回しての講演となった。 何千と学生が集まり、キャンパスは興奮に包まれていた。

  講演は、まずホストのコロンビア学長の挨拶から始まった。が、これが、すごかった。イランバッシングを大展開。 「なぜ、テロリストを支援するのか。」 「あなたはイスラエルは存続すべきでないと言ったが、コロンビア大学はイスラエル人の卒業生を多数排出し、 イスラエルと強いつながりを持っている。コロンビア大学も消え失せろと言うのか。」 しまいに、 大統領を 「つまらない冷酷な独裁者 (petty and cruel dictator)」 と言ってのけた。 一国の大統領を招いておいて、ここまで侮辱するかという内容に、学生の半数はその度に沸き拍手喝采であった。 大統領でなくても、「私は招待されてやってきたゲストだ。イランではゲストを呼んだときはゲストを尊重する。」 と言いたくなる状況であった。

  大統領の講演はこれへの反論の形となった。内容は、それまで耳にしてきた報道に比べて、きわめて丁寧であった。 ホロコーストの点も 「さらなる事実の検証を行うべきと言っているだけ。」 イスラエルについても、「言いたいのは、 パレスチナ人もユダヤ人も自由な国民投票で自分たちの将来を決められるようにすべきである、ということ。」 等と答えていた。 オブラートに包んだ物言いもあり、時に、直接の回答を避けたところもあったが、冷静な対応は少なくとも血の気の上った学長よりは心に訴えた。 先ほど拍手がまばらだった残りの半数の学生は、大統領のアメリカ・イスラエル批判に沸き、興奮の拍手を送っていた。

  その後、学生の質問が続いたが、その質問が何ともストレートで非建設的であった。「イスラエルを滅亡させるつもりですか、 YESかNOかで答えてください」 「なぜ核兵器作成が可能な開発を続けるのですか。」

イスラエルの旗、ユダヤの帽子(キッパー)があちらこちらに

■つるし上げ?
  概して、イスラエル人とアメリカ人以外の感想は、大統領の前に学長がなぜそんな侮辱的な挨拶をしたのか、ということに尽きた。 講演会は、大統領をつるし上げる会と成り下がっていた。ニューヨークタイムズによれば、イランではこの講演は 「大統領の完全勝利!」 と報道されたようだが、 全くその通りであったと私は思う。イスラエル人とイスラエル支持派のアメリカ人は、頑なに 「イランはやっぱり許せん」 と、 講演の前後でその興奮の態度に変化はなかったけれど。

  次の日の国際政治学の授業では、真っ先にこのことが話題に上がり、「なぜ学長があの態度を取ったのか。」 という質問に対し、 大統領招致担当の一人であるマイケル・ドイル教授 (前国連事務総長コフィ・アナンの顧問) は、「招致した大学への風当たりが強すぎ、 あのような導入をせざるを得なかった」 と解説をした。NYはユダヤ社会が強い。本来、コロンビアはリベラルで知られ、今の学長も比較的リベラルであると聞く。 その学長にそこまで言わせたアメリカの世論とは・・・。

翌日のNYタイムズの一面トップ

■表現の自由への尊敬の念
  私は、この講演を友人2人・・・インド人の学生 (少数民族のために戦っている弁護士) と、ジンバブエ人の学生 (腐敗政権に対して裁判を次々起こし、 故に脅迫を受けて国を逃れてきた弁護士) と聞いたが、インド人の学生が、「アメリカの好きな点はほとんど無いけど、 この表現のフリーマーケット (自由市場) については本当に尊敬する」 とぽつりと言ったのが、強烈に耳に残っている。

  それは本当にすばらしかった。大統領来訪が決まり、キャンパス中が議論をし公開討論会で様々な意見が飛び交う。 チラシを作りメールを送って他の者に働きかけようとする。当日も、一言一言に賛同の意や反論の意を体中で表す。 イランに対する意見はもちろん、自国米政府の政策にもはっきりと意見を持ち、意見を戦わせる。キャンパス中が、「フリースピーチのマーケット」 であった。

  これは、この日に限ったことではなく、常に、何か政治議論が話題にあがれば、学生はひとしきりそのことでの議論を楽しむ。

  アメリカでは、みなが表現の自由を謳歌し、法・政治的にも、「表現の自由 (合衆国憲法修正1条)」 を、 憲法上保障される権利の中でももっとも神聖なものとして取り扱っている。現政権には重大な問題があるが、 「表現の自由」 がアメリカ人のプライドとして根付いている事実に間違いはない。

■疑問
  もっとも、この感激にもかかわらず、私は、アメリカに対する苛立ちも強く感じていた。
  イラン政府に非難されるべき点があるのは事実であろう。が、学長による激烈な冒涜と、アメリカ人の異常な興奮ぶりは、いったい何なんだ。
  「あなたたち、イランの何様?」
  「何をどこまで知ってて、そこまで言ってる?」
  どうして、みんなして、他国のことに、反対意見を言う者につかみかかろうとする程までに必死になるのか。 意見を交換する姿は心の底から羨ましく思う。怒りを抑えて考えてみると、アメリカ (というよりNY) は多民族国家なので、 イスラエル人も反イスラエルの中東の人々も多く生活している。イラン人もいる。彼らはまさに当事者意識で問題に取り組む。 だから、皆、真剣になるのだろう、とは思う。世界中の問題の当事者がアメリカには存在する、のだろう。 だからアメリカではどの国際問題についても、みな当事者意識を持つ、のかも知れない。かなり遠慮がちな見方。

  いやしかし、当事者であればもう少し生産的な会話をしたらどうだ? 質疑応答からも明らかであるが、意見の違いが平行線で交わらない。 何も産まない。発言者もその場が何かを産むことを期待していない。歩み寄り、折衷、解決という姿勢は全くない。

  アメリカ人には、「世界中のことは自分たちが全て決めてきたし、それで世界の流れは決まってきた」 という意識が根付いている。 イラクの時も、結局、好きなだけ議論して、数の論理で制圧して爆撃を始めたのだろうと、容易に想像できた。

  十分な保険に入れず医療が受けられない人が4千万人もいる国。
  自分たちの問題の解決策をもっと生産的に考えた方がいいんじゃないか?

(2007年 「まなぶ」 12月号掲載)



  日本では、ついにこの5月、改憲手続法 (国民投票法) が成立してしまいました。 私は、つい先日まで、日本で、国会審議を続けて傍聴し、国会議員ロビーイングに足を運ぶ日々を過ごしていましたが、改憲手続法成立後の現在、 その悔しさから立ち直るべく (?)、ロースクールで学び直そうと、2年間のNY生活を開始しました。

  米国はイラク戦争を続けており許しがたい国ではあるけれども、その他方で、多民族の共生を認め、意見の多様性を認める国でもあります。 市民社会が活発に動き、デモがあれば数10万人が街に繰り出します。今、私は、マンハッタン北部に住んでいますが、 ここは、電信柱にドミニカ共和国大統領選挙の候補者ポスターが貼ってあるような、スペイン語しか話さない人ばかりが住んでいる地域です。
  在米中に大統領選挙もあります。選挙1年前にして、既にテレビで大統領選の話を聞かない日はなく、連日、大統領候補者の討論番組が流れています。

  安倍元首相は、米国を民主主義の友人の国と豪語して疑わなかったけれど、それはいったいどんな国なのか。
  これからしばらくの間、肌で感じたことをお伝えします。

■原爆記念日をNYで過ごす


  8月、NYで原爆投下祈念日を迎えたが、色々な新しい動きがあった。まず、被爆者の記録映画、「WHITE LIGHT, BLACK RAIN (邦訳「ヒロシマナガサキ」): スティーブン・オカザキ監督」 が、テレビ放映された点があげられるだろう。 被爆証言と、爆撃に関与したアメリカ人の証言を軸にする記録映画であるが、こちらの人から聞くには、制作費を出し映画を放映したのは、 4000万世帯の加盟するケーブル局だそう。NYタイムズでも紹介され、反響を呼んでいる。

  日本でも、東京・岩波ホールで9月末まで上映されているが、同監督は日系3世で、「はだしのゲン」 に刺激を受け、広島・長崎の取材を続け、 日系人強制収容所を描いた作品 「待ちわびる日々」 (91) ではアカデミー賞ドキュメンタリー映画賞受賞、 胎内被爆の現実にも迫った 「マッシュルーム・クラブ」 (05) ではアカデミー賞にノミネートされている (岩波ホールHP)。

  1995年、スミソニアン協会で開催予定だった原爆展が、米国内の猛反発で中止になったことはあまりに有名だが、その際、彼の映画展示も中止となっている。 そんな中で、今回、この映画がテレビで放映されたという事実は、大きな一歩であったろう。(その後、この映画がアカデミー賞にノミネートされるかも、との話を耳にした)

  他にも、私の知る限り、NYで原爆や戦争をテーマにした映画や音楽・舞踊などの平和映画祭が行われ、 長崎市と姉妹都市であるセントポール市で長崎の女子高校生らを招いた平和祈念式典が初めて開かれるなど、各地で、それぞれの取り組みがなされていた。


  私は、8月9日、NYの国連近くで開かれたNGOピースボート主催のイベントに足を運んだ。ARTICLE9 (9条) の文字が掲げられ、 続々と9条を守ろう! という署名が集まる中、日本政府国連代表部の公使が平和を誓い、長崎市長からの手紙が読み上げられ、 多くの日本の若者がNY市民の前で平和を願って踊るそのイベントは、大変印象深い光景であった。


  日本では、私は、いわゆる 「護憲運動」 の端っこにいたのだが、そこでは、常に、どうやって運動を盛り上げるか、ということがテーマになっていた。 そのため、渡米前の私は、迫力ある米国の平和運動に期待をし、学び取ってこようと勇んでいた・・・が、その日、集まった多くのアメリカ人に、 「今の米国の平和運動はどうなっているの?」 と聞いたところ、逆に、口々に、「日本はすばらしい! 核廃絶の分野で、圧倒的に世界を引っ張っている!」 と絶賛され、 うれしいような、歯がゆいような。ついでに書けば、「アメリカでの平和運動は若者離れが進んで、なかなか広がらない」 というセリフを多くの人から聞いた。 どこもみな同じなんでしょうかね。

  とはいえ、一つイベントをやるにもスケールが違うし、そもそもNYで誰に話しかけても、政治問題について賛否いずれにせよ意見がしっかり返ってくる……など、 やっぱり日本とは違う側面もたくさん。これから、しっかりと、その違いを見て、盗めるところは盗み取ってきたいと思う。


■序 〜NYに出発するまでのわたし

  さて、今回は、自己紹介がてら、この間の改憲手続法について動いてきた体験と、私の憲法運動についての考え方とをご紹介したい。

  2007年前半、私は、毎日のように、国会に足を運び、改憲手続法 (国民投票法) の審議速報をメルマガで流し続けた。 半年前まで、国会傍聴の方法も知らなかった私であったが、終に、改憲が政治日程に上がってきてしまったという焦りと情報不足の焦りから、 これは、もう自分で傍聴して発信するしかない、と、国会に足を運んで傍聴し、その様子をメルマガやU−TUBEでネットに流した。 傍聴では、あまりの 「国会常識」 の非常識さに、何度も腰を抜かしそうになった。詳細はメルマガをご覧頂きたい。 (全文はHP
「News for the People in Japan」 に掲載)。

  日本国憲法は、改正について、96条で国民投票での過半数の賛成を必要としているが、これまでその具体的手続が決まっていなかった。 そこで、今回、手続きの制定が憲法改正派から求められ、法案が提出された。

  改憲派の改憲の主たる理由は、戦争および武力の放棄を謳った9条を変えるところにある。 また、「今の憲法には権利ばかりが書いてあって、義務がほとんど無い。 だから我が侭な国民が増えて凶悪事件が起きるんだ」 と政治家が平然と述べる極論に象徴される権利の制限と責務の創設である。

  しかし、憲法とは、国民から権力を預かってその国を治める者たちの、その権力が濫用されぬよう縛るために存在する。 従って、権利ばかりが規定されていて当然である。

  にもかかわらず、現在の改憲議論は、憲法がいかなる存在であるかを理解しない権力者によりリードされており、その議論の中心に国民はいない。

  そして、今回の改憲手続法の審議も、「国民不在」 のものであった。

  慎重審議を求める野党を尻目に、安倍首相の 「なんとしてでも5月3日までに」 とのかけ声の下、大変短い審議だけで、公聴会も十分に行わずに、 怒号が飛び交う中 (衆議院)、強行採決がなされた。裁決時には、その傍若無人さに泣いている傍聴者も少なくなかったが、 他方、議場の少なくない議員は、裁決直前まで、おしゃべりを楽しみながら、議長に求められた瞬間、採決に必要な3回の起立を繰り返して、 その後、次の用事に足早に去っていった。

  国会素人、政治素人の、私には全く理解できない、国会であった。強硬に進められたこの審議からは、 このままでは憲法そのものの議論も 「国民不在」 でなされるに違いないことを確信する。

  成立した法律には、大きな欠陥がある。

  一番の問題は、「最低投票率」 の規定がないことである。例えば、投票率が40%であれば、全有権者の21%で憲法が変わってしまう。 憲法96条は改正に国民の承認を経ることとしているが、国民の21パーセントの賛成では国民の 「承認」 とは言えない。

  また、テレビ・ラジオの有料広告が垂れ流しになって、金のある者の誘導で 「憲法を金で買う」 ことになってしまう (投票前14日以外は完全にCM自由)。

  また、公務員・教員の表現の自由が規制されている。君が代斉唱時の不起立で処分され続ける教師達は憲法について発言することでさらに処分が続くだろうし、 さらには大学の憲法学者までも処分の可能性が出て来た。萎縮効果も著しい。

  他にも、広報を担当する広報協議会が改憲派ばかりで占められる、発議からたった60日後には投票させられてしまうかもしれない、など、 多くの問題を含んだ法律が成立してしまった。

  このままでは、偏った情報だけが一部の国民に流されて、反対する者は職場解雇されたりしながら、憲法があっという間に変わってしまう、 ということになりかねない。まさに 「国民不在」 である。

  さて、これから、どうするか、である。
  まずは、国民主権を取り戻すべく、手続法の修正を求めなければならない。

  第2には、国会に新設される憲法審査会を監視し、多くの先延ばしにされた論点、〜例えば、公務員・教育者が行えない活動の定義、 一票の投票対象となる 「関連する事項」 とはどのようなくくりなのか、という点〜などについて、公正な議論がなされるか注視せねばならない。

  第3には、国会に憲法改悪発議をさせてはならない。各議院の3分の2が賛成しなければ発議はできない。 自分の一票が憲法改正に影響を与える一票であるときちんと理解をして投票をしたい。

  最後に、仮に国民投票が実施された場合、過半数を確保するだけの声を作るということである。 公平な法制度が整っていない以上、国民投票をする日が来ることは望ましいことではないが、仮にそうなった際のために、国民の声を盛り上げていかねばならない。

  中心には、憲法を変える必要はない、憲法を活かすことこそ必要だ、という世論作りがある。 今動かなければ、この国の、民主主義も立憲主義もみんな破壊されてしまう。とにかく皆、声を上げよう。

  この間メルマガを流し続けたが、多くの方に 「貴重な情報をありがとう」 と言って頂き、国会には、毎日、「メルマガを見て来ました!」 という方が大勢いらしていた。 私がしていたのは、国会を傍聴してその様子をメルマガで流したことだけである。 にもかかわらず、そんな言葉を頂けるのだから、私たち1人ひとりがやれることは、山のようにある。

■これから

  とまあ、このような感じで、動き続けた日本の生活であった。

  アメリカでは、自主的に動くのは、知り合いも少なく、地理にも不案内でなかなか難しい。 しかし、民主主義の生まれた国アメリカで、腰を据えて憲法や国際人権法を学びながら、あちこちに顔を出して、色々体験してみたい。

  出国間際、先輩弁護士から、「日本で活動するより、アメリカで政府が動かす方が9条を守る近道かも・・・」 とまで冗談交じりに言われた。超大国アメリカ。

  憲法問題が、一番大事な局面にあるこの時点で2年間も日本を空けることは一面歯がゆいが、憲法・人権・民主主義の視点から、 日本に一番の影響を与えるこの国が、どんな姿を持っているのか、自分なりに見て、聞いて、感じて、発信を続けて行きたい。

(2007年 「まなぶ」 11月号掲載)




国際刑事裁判所への日本政府加入書の寄託
2007.7.19

  NY時間 7月17日午後4時半、NYの国連本部で、大島賢三国際連合日本政府代表部大使が、Annebeth Rosenboom 国連法務局条約課長に、 加入書を渡しました。国連のミシェル法律顧問が立ち会いました。
左の大島大使から右の女性、Annebeth Rosenboom 国連法務局条約課長に、加入書を渡しているところです。 真ん中の立ち会いが、国連のミッシェル法律顧問です。
  寄託後、記者からの質問に対しての大島大使の発言は概ね以下の通りでした (文責:猿田)。

  「(日本の批准に時間がかかったことについて) 少し時間がかかったが、日本は、当初からローマ規定作成当初から ICCに対しては積極的に関与してきた。」
  「日本の批准でアジアの国々にいい影響が与えられるとよい」
  「(アメリカは入っていないがとの質問に対して) アメリカはアメリカ自身で独自の判断をしている。」
  「本年12月に行われる ICC裁判官選挙で、日本人をぜひ選出したい。」

  ミシェル法律顧問が大島大使と握手をしながら、「日本は少し時間がかかったけど、日本みたいに批准までに時間をかけて国内法を整備する国と、 全く何も国内整備をしないですぐ批准する国とあるけど、日本はしっかりと用意をする国だからこのくらい時間がかかったんだね。」 と、 仕方ないね、というか、日本はしっかり準備をするちゃんとした国だね、というのか、少しばかり皮肉なのか、、、自分で納得するように? 話をしていたのが印象的でした。

  会場にはNGOからも、CICC (Coalition for the International Criminal Court) の方、PGA (Parliamentarians for Global Action) の方などがいらっしゃっており、 記者もちゃんとそろっており、狭い署名室 (「signature」 という部屋) が、人でいっぱいでした。 大島大使は、こんなに人が集まっているとは思っていなかったようで、びっくりしておられました。
  大島大使や国連の方々も、NGOの力も大きく今回の発展に寄与をしたと言っていたように記憶しています。

  近年、国連と国際刑事裁判所をつなぐオフィスが国連に出来 (Liaison Office to the United Office)、 そこの長のSocorro Flores Lieraさんという方が来ておられて、とても感慨深そうにしておられたのも、印象的でした。

  もっとも、その場にいて一番うれしそうにしていたのは、やはりずっと頑張ってきたNGOの方々でした! 私も、遠い昔、アムネスティ日本の国際人権法チームで、 「国際刑事裁判所って何?」 という冊子を作ったことを思い出しました。また、イラクやアフガンの国際民衆法廷の活動も、 少しくらいは今日の日を迎えるのに役立ったかなあ、と思ったりしていました。

  NYはやっぱり、国際関係に取り組むには絶好の環境ですね。こういう重大な局面を目撃することが、 (各方面にお手伝いいただき、ご迷惑もおかけしながらですが) 頻繁に出来ますので。 これからが勝負の、国連のPBC (Peace Building Commission:世界の紛争国の紛争後の処理が適切になされるように提言・調整を行う機関) の議長国に日本が選出されたその委員会も、先日偶然目撃することが出来ましたし。
  日本の国連でのプレゼンスが、平和と、そして少しでも多くの人の人権状況改善のために役立ちますように!

  もし、みなさまも、NYで何か、私に出来ることがあればご連絡ください。

猿田


CICCのHP 
http://www.iccnow.org/

外務省ホームページより
*「国際刑事裁判所(ICC)に関するローマ規程」の加入書の寄託について
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/h19/7/1174498_808.html

1 我が国政府は、「国際刑事裁判所に関するローマ規程」の加入書を7日17日(火曜日)(日本時間18日(水曜日))、国際連合本部(ニューヨーク)において、 我が方大島賢三国際連合日本政府代表部大使より国際連合事務総長宛に寄託した。我が国は、本年10月1日より正式にこの規程の加盟国となる予定である。 我が国による ICCへの加盟は、我が国が掲げる「価値の外交」の一環である国際社会における「法の支配」の推進に寄与するとの観点から有意義である。 なお、本件寄託日である7月17日は、1998年の同日に同規程が作成されたことを記念し、「国際司法の日」とされている。

2 ICCは、集団殺害犯罪、人道に対する犯罪、戦争犯罪等の国際社会全体の関心事である最も重大な犯罪を犯した個人を国際法に基づき訴追・ 処罰するための初の常設国際刑事法廷である。

3 我が国はICC設立当初より、重大な犯罪行為の撲滅と予防、「法の支配」の徹底のため、ICCの活動を一貫して支持してきた。 我が国は、ICCへの加盟後、財政的貢献のみならず、 日本人裁判官をはじめとする日本人職員の輩出を通じた人的貢献等を通じて ICCの活動を一層積極的に支持していく考えである。 その一環として、先般、本年12月に行われるICC裁判官補欠選挙への候補者として、 我が国の人権・ジェンダー問題の第一人者である齋賀富美子(さいが ふみこ)人権担当大使・国連女子差別撤廃委員会委員を指名することを決定し、 その当選に向け活動を行っている。

4 同規程は、2002年7月1日に効力が発生しており、7月16日現在、104か国が締結している