2009.8.7更新

中国残留孤児2世 労働災害損害賠償請求事件・控訴審

勝訴的和解成立に関する声明
2009.5.18
弁護団

  本件は、1995年11月に両親と共に日本に帰国した中国残留孤児2世である中澤明雄氏 (中国吉林省で1972年7月15日生) が、2003年5月、 勤務中にプレス機に右指3本を挟まれ、右腕の機能を失ったが、会社は70万円を支払い、中澤氏は、 「貴社に対していかなる債取 (ママ) も存在しない」 という念書に署名・捺印をしてしまったという事案である。 中国残留日本人とその家族は、日本で社会的差別を受けており、また、日本語の能力の不足と日本社会についての知識の不足から、 本件のように重大な権利侵害が生じても、権利主張の方法を知らず、他の日本人であればありえないような不当な解決に甘んじてしまうことがある。
  弁護団は、司法の場で、中澤氏の権利を実現することができると考え、2007年7月20日東京地裁に、 中澤氏の勤務していた会社に対して約8700万円の損害賠償を求め提訴した。
  しかし、我々の期待を完全に裏切り、2008年11月13日の一審判決は、不当にも、原告の請求を全て棄却した (東京地裁民事49部・中村也寸志裁判長)。 一審判決は、@ 被告・会社の安全配慮義務違反は認めながらも、過失割合を原告8、被告2とし A 念書を有効と認めた。我々は、同月25日に控訴した。
  控訴審 (東京高裁第10民事部・藤山雅行裁判長) では、2009年2月19日、第1回口頭弁論で、裁判長から、一審判決を見直す必要があることが明言され、 その後、弁論期日と和解期日を経て、同年4月14日、裁判所から、損害金2500万円支払、謝罪、再発防止の努力を含む和解勧告があった。 控訴人は、2500万円という損害金額には納得するものではないが、被控訴人の支払能力を考慮して、この和解を受け入れることとし、本日、和解が成立した。
  一審判決は、原告の過失割合を8割とし、念書の効力を認めて、原告の請求を棄却したが、控訴審裁判所 (現在、園尾隆司裁判長) は、 一審の過失割合を否定し、また、念書の効力を否定することを前提とした和解を成立させた。 弁護団は、この和解は、一審の不当判決を覆し、労働者の生活と労働における最低限の権利を擁護した勝訴的な和解であると評価する。
  控訴審裁判所が、基本的人権を尊重する立場に立ち、社会的差別を受けている控訴人の権利回復を図ったことについて、弁護団は敬意を表し、感謝を表明したい。


控訴人・中澤明雄

  裁判に勝利できてうれしいです。これまで支援してくれた弁護士、労働組合 (日本労働評議会) の仲間に、心から感謝します。
  労災事故、イジメ、70万円の念書、1ヵ月10万円の生活…。政府も、警察も、誰も助けてくれませんでした。 一審判決は、びっくりしました。まさか、負けるとは思いませんでした。裁判所も助けてくれないのか、と思いました。でも、あきらめませんでした。 あきらめないで、高裁で闘いました。最後まで、道理を通そうと、団結し、闘いました。最後に、勝利できて良かったです。
  日本の会社は、お金第一で、労働者の安全はありません。私たち中国帰国者は、外国人だと言われて、差別されます。外国人も差別されます。 私だけではありません。日本には沢山の労働問題、差別問題で苦しむ人たちがいます。私は、沢山の支援を受けて、感動しました。 今後、他の困っている人たちの問題を、一生懸命支援します。そして、日本社会に、差別がなくなるように、闘います。


日本労働評議会中央執行委員会書記長:間野浩毅

  一審判決を覆し、勝利的和解が成立しました。
  中澤氏の失われた右腕の機能は二度と戻ってきません。労働者は、労働し、賃金を得る事でしか、生きていく事が出来ません。 右腕の全機能を失う事は、「生きる」 こと、そのものを難しくさせます。その上、中澤さんは、中国帰国者であり、日本語能力も不十分です。 右腕の機能麻痺、日本語能力の不足、不十分な経済補償、という三重苦でした。この三重苦が生み出された背景には中国帰国者への社会差別があります。
  そして、一審判決は、不当な過失相殺、低い年収認定、念書の有効性など、まさしく差別を是認する判決でした。 この差別的一審判決を覆し、今回、謝罪と再発防止を含めた逆転勝利的和解を成立させることができました。 今回の勝利を一つの教訓として、今後、中国帰国者、更には外国人労働者の権利を守る活動を目指します。
以上