2010.3.5

エッセイ風ドキュメント 新しい日本の“かたち”を求めて

ノンフィクション作家 石井清司
目次 プロフィール

− “K・Y” あの日の空気を読む−

  いよいよの8月15日の前日の14日に、東京が空爆されたのと並んで、大阪もやられた。
  実際、少年少女は国からの 「学徒動員」 命令により、この前日も農村や工場などへ働きに出ていた。 学校の先生は生徒たちに 「国はお前たちに休まずに今日も工場へ行き、日本の戦力がおとろえないよう働けと命じている」 と叱咤(しった)激励する。
  8月14日の大阪方面への敵爆撃隊は昼間何波にもわたり、のべ400機をかぞえた。とっさに工場から逃(のが)れた学徒たちも片っ端からやられ、吹きとばされた。 熱い日中、焼けこげた学徒動員の少年少女たちの焼ける臭いが町中をおおった、という。

  8月15日のNHKラジオ放送ではるか遠きところ雲の上の人と思ってきた天皇ご本人の声をこの時直接耳で聴いた人が、日本人の殆どだった。 国民は、あの天皇の声を生きているうちにまさか聴くことができるなど、考えられないことだった。 そしてその放送の内容が 「自分といっしょに戦い死んでくれ」 「いよいよ本土決戦を行うから、お前たちの命を朕(ちん)に預けよ」 というようなこととみなは予想していた。 放送が行われる前、みなはそんな内容を予測し合った。しかし、いざ放送を聴くと予測とはまるで違うらしい。 それに難しい言葉を棒読みしているかんじなので、日頃ラジオでは軍の大本営発表による勝利のニュースや、 軍人の硬い訓話しか耳にしていなかったので天皇の声や内容には驚天(ぎょうてん)した。

  まず柔らかい女性風だたし漢語ばかりで町でみなが毎日使うのとまるでちがう。アクセントの使いかたもまるで違いおなじ日本人のものではないようだった。 「天皇は日ごろわれわれ普通人のようなことばでは暮らしていず、畏(おそ)れ多いお暮らしなので言葉の使いかたもちがうのだ」 と思った人も少なからずいた。 どうも内容は 「いよいよ本土決戦だ、と言っている」 と聞き違えた人もいた。だが別のおとなは、「一億国民総玉砕(ぎょくさい=全員戦死)せよということ」 ではないらしい、 という。どうも戦争に負けたらしい、と。

  「朕(ちん)は…堪(た)えがたきを忍び。もって万世(ばんせい)のために太平(たいへい)を開かんと欲す」 といっているという。 万世(世界)のために太平(平和)を 「開かん(天皇が開く)」 ということだ。だからこの放送では今の戦争に負けた、のではなく、 “太平を開く” だからこの戦争を中止するということか…。それなら敵米英に対しても天皇の体面は保たれるのだからわるい話ではなさそうだ。 とにかくこの戦争を終えるのだからホッとさせてくれる。「ほんとかな」 と疑う人もいた。

  しかし、ついきのうまで “日本民族” とか、“大和魂” とか国中で叫んでいたのだし、サイパン島など南洋の激戦地では、 軍人も民間人も 「大日本帝国万才!」 と笑って玉砕していったという。 しかし、国内で家を焼かれ家族を失った人には 「もし降参なら最初から戦争しなければよかったのに」 「何かあほらしい」 だった。

  正午ラジオのニュースを放送したNHKも、ひときわおせっかいだった。 全国民は天皇の 「玉音(ぎょくおん)放送」 を拝聴する時は 「全員起立せよ」 と予告放送で指示した。 ラジオなのに 「起立せよ」 はヘンなハナシだったが、当時としては 「天皇」 の 「天」 と言っただけでも総員起立、直立不動が臣民の義務だった。 だから正午、老若男女全員がラジオの前に直立、起立した。皇居内から録音盤を宮内庁を通じてNHKに渡した天皇としては、 国民全員がラジオに向かって起立直立したのだからさぞ満足だったろう。

  放送で天皇が言った 「ポツダム宣言」 受諾が、日本の 「降伏」 を意味するとはすぐには判りにくかった。 生まれて初めて聴く天皇のナマの声だったが、その時国民の頭に浮かんだのは、 新聞報道の写真などでいつも示される凛々しくも白馬にまたがり全日本軍を総帥(すい)する大元帥陛下だったろう。
  白馬上で閲兵なさるそのお姿は国民に自然に頭(こうべ)を垂れさせる神々(こうごう)しさが漂った。

  さてラジオ放送の内容だが 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」 文はよくわかる。そして 「各員一層奮励(ふんれい)努力せよ」 と、天皇直々のご命令だ。 しかし 「戦局必ずしも好転せず」 「世界の大勢また我に利あらず」 と言ってらっしゃる。はて、「敗戦」 とか 「降伏」 とかはひとことも言ってない。 が 「朕(ちん)」 が政府として 「ポツダム宣言」 を 「受諾した」 となっている。総責任者の立場である。

  しかしやはり気になる。日本が長い時間をかけてアジア諸国を征服占領し、各地での日本化を強力に進め、 一大日本独裁帝国を完成するために 「日中十五年戦争」 を強行し、他民族の植民地化を進めてきたことについては 「悔い改める」 とか 「謝罪する」 とかがない。 これは日本が連合国に 「全面降伏する」 場合の大前提ではないか。自ら悔い改めることを表明していない。 ここが大事なところだったのではないだろうか。国としての内面、精神として心からそれを思うことが。 こうすり代えとも弁明ともとれる 「降伏」 宣言をやってしまうと、あとはこれまでの戦争に対して、天皇がいかに形だけの立場だったかと、 実は軍独走で天皇に責任が無く、日本国民やアジアの諸民を困らせたのは自分ではないとかの弁明、説明、証明に躍起になっていかなければならなくなるのではないか。 今振り返っても収まりの悪いところである。