2008.6.14

【マスメディアをどう読むか】

関東学院大学教授・日本ジャーナリスト会議
 丸山 重威
目次 連載に当たって

◎連帯を取り戻し、ひとりぼっちの青年をなくそう!
「秋葉原通り魔事件」に見る青年の孤独

  世の中を震撼させた秋葉原の通り魔事件。突然襲われ、命を失った7人、傷つけられた10人と、その家族、仲間たちのことを思うとあまりに痛ましくて言葉もない。 まさに許されざる犯行だし、各紙が指摘する通り、「生活に疲れた」 など 「まったく卑劣で身勝手な言い分」 (読売) だ。
  だが、各紙を通読し、事件の背景が分かってくるにつけ、浮かび上がってくるのは、犯人の青年が置かれていた寒々とした心の世界だ。それをどうしたらいいのか? 
  この悲惨な事件から社会が汲み取らなければならないのは、いまの青年労働者が置かれた過酷な労働実態の改善と、 「ひとりぼっちの青年をなくす」 という社会全体の取り組みの必要性ではないかと思う。 暮らしにくい世の中。そこに生きる私たちが求められているのは、他者に関わる生き方、暮らし方であり、連帯と共生の精神を取り戻すことではないだろうか。
  まだ、限られた情報しかなく、これから、事実がもっともっと解明されていかなければならないだろう。 しかし、いままで報じられたことから、それだけは言えるのではないだろうか。

  ▼「また解雇か」の思い込み
  いままで報じられた事実関係を整理してみる。犯人の青年は、青森で少年時代を過ごし、小、中学校では成績も優秀で、高校も進学校だった。 そこでは目立たない少年だったようで、多くの仲間が大学に進んだが、1年浪人して、岐阜の自動車短大に。 好きな自動車に関わっていたはずだが、途中で教師に 「中学の先生になりたい」 と相談もしたが、転向はできず、整備士の免許も取れないままに終わった。 トラックの運転手などもしたらしいが、いくつかの派遣会社に勤め、仕事場を転々とした。昨年11月からは、東京の派遣会社 「日研総業」 からの派遣で、 トヨタが50%以上の株を持ち、幹部はトヨタから来る大手自動車製造会社 「関東自動車工業」 の東富士工場の塗装職場で働いていた。
  時給が1300円、月曜から金曜まで、朝6時半から午後3時までの昼勤と午後4時から午前0時40分までの夜勤が1週間交代で続く。 夜勤が真夜中の勤務でないだけ、土、日の身体のリズムの切り替えは難しいかもしれない。「出勤時間になると目が覚めてしまう。 もう行かないんだから寝かせてくれ」 という書き込みにもそれがうかがえる。職場の成績は中の上、まじめな労働者だった。
  派遣会社が用意した工場から、車で10分ほどの距離にある借り上げのアパートに住んでいたから、住所は 「裾野市」 だった。 「職住近接」 といえば聞こえがいいが、仕事をやめると住むところがなくなる環境だ。月収は20万になるそうだが、多分寮費も引かれるだろうし、決して高くはない。
  自動車産業が厳しいことは比較的知られているが、この工場にも合理化の話が出てきていた。200人いた派遣社員のうち、150人が解雇される、という話。 普通の会社だったら大問題になるはずの削減だが、派遣の場合にはニュースにもならない。 5月30日、責任者に集められ、「派遣社員の中には解雇される者もいる」 「6月まで頑張ってくれ」 と言われ、「6月で終わりということか!」 と思いこんだ。 本人は3日、偶然派遣会社の社員に会い、解雇対象ではないことを知らされたというが、それだって、いつまで続くかの保障はない。 疑心暗鬼でいるところへ、作業衣が見つからなかった事件が起きた。本人が置き忘れたのか、何かの手違いか…?
  それからは、連絡をもらっても 「人が足りないから来いと電話が来る。俺が必要だからじゃなく、人が足りないからで誰が行くか」 という心境になった。 犯行を 「決意」 してナイフを買いに行った店員さんと話し、「人間と話すのっていいね」 と思い、携帯に実況中継的に書き込み、 誰かが止めてくれないか…と密かに思っていた (毎日12日付)。
  しかし、誰も結局止められなかった。途中までは覚えていたが、あとはよく覚えていない凶行だった。

  ▼労働法の破壊が劣悪な条件を生む
  既にさまざまな人が指摘しているが、この事件の根底にある 「派遣労働」 の問題を見逃すわけにはいかない。
  戦後、日本国憲法の下で、労働者の権利が改めて確認され、労働基準法、労働組合法がつくられた。 基準法は 「労働条件は、労働者が人たるに値する生活」 を営むための必要を充たさなければならないとし、 労使ともに労働条件の 「向上を図るように」 努めることをも求めた。 そして、「何人も法律に基いて許される場合の外、業として他人の就業に介入して利益を得てはならない」 と中間搾取を禁じた。 職業安定法でも、「何人も次条に規定する場合を除くほか、労働者供給事業を行い、 またはその労働者供給事業を行う者から供給される労働者を自らの指揮命令の下に労働させてはならない」 と、例外を除いて 「労働者供給事業」 も禁止した。
  ところが、実際には、1985年 「労働者派遣法」 ができて以来、労働者を取り巻く環境は大きく変わった。98年には有期雇用の期間制限が緩和され、 99年には 「原則禁止・例外容認」 だったものが 「原則容認・例外禁止」 になり、2004年からは、製造業への派遣も可能になった。 「厳しい雇用、失業情勢、働き方の多様化等に対応するため」 というのが労働省の言い分だ。
  結果として、1996年には3800万人いた 「正規雇用」の労働者は、2006年には3340万人になり、460万人も減少。 その代わり 「非正規雇用」 の労働者は、同じ期間に、1043万人から1663万人へと620万人増えた。2006年度の派遣労働者は、321万人。 この7年間で3倍以上に増えている。
  しかし、派遣会社の 「社員」 といっても、いつ首を切られるか分からない、という状況は、人生をまともに考える若者にとっては、不安が増すばかりだ。
  派遣労働者は企業では、人事課ではなく、部品などと同じ調達部門で扱われる。まさに買われているのは 「労働力」 だけ。 資本主義社会なのだから、安く買って高く売るのが商売の原則。商品ならそれでいいのかもしれないが、人間の 「労働力」 をそんな形で売買していいのか?  「中間搾取」 というのはそういうことではないのか。  

  ▼単調な労働が押しつぶした?
  そこでもう一つ考えるのは、自動車工場の現場 「流れ作業」 の実態だ。
いま、どの程度変わっているかわからないが、以前私が取材した自動車工場は、極めて合理化された単調な作業の繰り返しだった。
  巨大なベルトコンベアが、ガタンと音を立てて動き、自分の工程の前に、1台の車が止まる。流れるバックグラウンド・ミュージック。 その間に作業をする。一定の時間が来ると 「ブー」 とブザーが鳴って音楽が止み、コンベアが次の工程に動く。 次の車…。音楽は元に戻って始まり、同じ作業をすると、また、ガタン、ブーと次の車…。繰り返し、繰り返し、勤務時間の間中続く。
  そして、その片隅には、当時の人気女優の名前を付けられた産業用ロボットが、ものすごいスピードで身体をくねらすように動きながら、鉄板に穴を開ける作業をしていた。 ボルトを差し込み、締め上げる作業もしていたような気もする。
  この間に、ベルトコンベアに載せられた鉄の枠組みだけだった自動車の原型が、車輪がつき、エンジンが付き、座席が付き、やがて、屋根と外装がかぶせられて、 自動車ができあがる。
  東京新聞の 「こちら特報部」 によると、彼の職場は輸出用カローラの塗装点検で、8人1組、1台を66秒で目視点検する仕事だったそうだ。 それで生産台数は1日400台という。66秒という報道だったが、私が以前現場で聞いた話では、ベルトコンベアのスピードは、始業時から次第に速くし、 疲れたころにはスピードダウンさせるのだそうだ。曜日によっても微妙に工夫する、とも聞いた。
  私が取材したころ、このコンベアについて作業している人たちは、とにかく、その会社の 「本工」 であり、労働組合員だった。 「闘う組合」 ではなく 「労働貴族」 が牛耳っていた 「第2労務部」 だったかもしれない。単なる 「ガス抜き」 に過ぎなかったかもしれない。 しかしとにかく、会社とは一線を画して要求を作り上げ、会社に提示した。労働者には、「○○自動車」 という会社の名前や 「私たちが造った車」 へのに誇りもあったし、 その現状を変えていく話し合いが曲がりなりにもできいた。
  「派遣労働者」 も同じ工程で作業をしていれば、終わった時間にどこかに遊びに出ることもあっただろう。もっと親しく話す仲間を作ることもできたはずだ。 しかし、彼の場合、結局そこまではいかなかった。単調で無意味にさえ思える仕事…。彼はそれに押しつぶされたのだ、という気さえする。 

  ▼ひとりぼっちの若者をなくそう! ちょっとだけお節介になろう!
新聞各紙で、彼が書いたネット上の言葉が報道され紹介されている。「身勝手な言い分」 と言えば簡単だ。 しかし、実に見事に、彼自身の 「心象」 を表現しているではないか。
  こんなに自己表現できる青年が、なぜ、こんな凶行に走らなければならなかったのか。
  私は、彼の責任を問うことと同時に、そうさせてしまった 「社会」 と、私たちの行き方まで含めて考えなければならないのではないかと思う。
  いま、メディアでは、ネットの書き込みにある危険な言葉をどうチェックするか、その体制をどう作ればいいか、に論議が集中している気がする。 しかし、ネットの言葉を 「監視」 しきれるものではないだろうし、それをすることで、事件が本当に防げるのか。
  大事なことは、警察だのプロバイダーだの、といった誰かにそれを 「監視」 してもらうことを頼むのではなく、まず身近なところから、 内面を見せない青年に声をかけ、「連帯」 と 「共生」 の輪を広げていくしか、方法はないのではないだろうか。

  「彼女がいれば、仕事を辞めることも携帯依存になることもなかった。希望がある奴にはわかるまい」 と思い、「本当の友達がほしい」 と思う中で、 「住所不定、無職になったのか」 と自嘲し、「出勤時間になると目が覚めてしまう」 異常な精神状態の中で、自分をどんどん追い詰めていったのではなかったか。
  自分たちの若かったころを思い出してみよう。いつの世にも嫌なことはあったし、生活に疲れることもあった。 しかし、その時代、私たちの周辺にはいつも 「仲間」 がいたし、「先輩」 がいた。うるさい 「上司」 もいた。そういう環境があった。 いま、犯人の彼の周辺はどうだったのだろう? そう考えていくと、職場の労働組合や、青年運動の重要性を改めて考えられなければならないのではないか。

  「彼も気の毒だ」 と書いたら、糾弾されるかもしれない。しかし、頭が良くて、環境が見えるだけに、自分で勝手に思いこみを膨らませ、 救いようのない凶行に走った青年を、本当にかわいそうだ、と私は思う。
  ネットで、不特定多数であっても送ってきてくれるメールに 「ひとりではない」 と感じ、女店員と話して 「人と話すのはいい」 と思い返すが、 「中止はしない。したくない」 と、書かないでは居られなかった青年…。
  もし、「おい、馬鹿なことを考えているのならやめろ! いつでも論争に応じてやるぜ!」 と誰かが書き込んでいたら…、と思う。 誰かが気づき 「お前、何考えてるんだ。僕だっておちこぼれ。でも、それにだって人生があるし、何とかなるよ。あおうか?」 とお節介を焼き、 「俺も一緒に行く」 と買い物にでも付き合っていたら…。

  考えてみると、しんどいことだし、みんなにもそんなに余裕はない。
  しかし、だからこそ、それが必要なのではないか。彼が書いている。「犯罪者予備軍って、日本にはたくさん居るような気がする」―。
  彼を死刑にすればすむことではない。
2008.6.14