2012.4.9

高田健の憲法問題国会ウォッチング


憲法をめぐる今日的状況と私たちの課題

(1)原発震災の陰ですすむ改憲策動
  世界第三位という保有数の五四基を持つ日本の原発も、すでに稼働しているものはわずか二基のみになった。 三月末にはあと一基、五月冒頭の北電泊原発の停止で全原発の停止が実現するという歴史的な事態を迎えようとしている。 これは定期点検などの日程が重なった結果ではあるが、福島第一原発の大事故を経て、世論と運動が安易な再稼働を許していないことの結果でもある。 政府や財界、電力業界は「企業の海外移転」などで人びとを脅迫しながら必死で再稼働を策しているが、三・一一を経て、 これまで原発を許容してきた立地自治体にも 「安易な再稼働」 には躊躇がある。 政府は早々と福島第一原発の 「冷温停止」 「収束」 を宣言したが、その実、「ふくいち」 はいまだに不安定で、放射能を放出し続けており、危険は続いている。 原発推進勢力による電力不足の到来の宣伝をよそに、原発がなくても電気は足りているということは、すでに子どもの目にもあきらかになった。 「再稼働、止めよう」 「太陽と風、大地、自然の恵みをエネルギーに」、これが原発推進勢力と、脱原発を願う私たち市民の攻防の天王山だ。

  放射能の危険にさらされている原発震災の被災地・福島県をはじめ、東日本大震災の被災地では二万人に及ぶ死者・行方不明者が発生し、 その家族をはじめ、避難生活を余儀なくされている被災者は三四万人、いまだに仕事も生活もままならず、苦しんでいる人びとが大勢いる。 飛び散ってしまった放射能は東日本全体の人びとの健康を脅かし続けている。 日本国憲法第二五条は 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、 社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」 とうたっている。 広範な被災者に、この生存権を保障するうえで、「国」 の責任はきわめて重大、かつ緊急の課題である。

  にもかかわらず、この未曾有の災害の陰で、永田町では昨年一一月から憲法審査会が社民党・共産党などの反対を押し切って強行始動され、 改憲に向けた議論が始められた。これに前後して、あたかもタガが外れたように武器輸出三原則を緩和し、PKO五原則の緩和、 非核三原則の二・五原則化などを画策し、紛争地の南スーダンに自衛隊を派遣し、 さらにイランをめぐる緊張の激化にともないタンカー護衛を口実にホルムズ海峡にまで自衛艦を派遣する動きさえある。 これらは 「解釈改憲」 で、憲法第九条をないがしろにする動きだが、それだけでなく、最大野党の自民党や政権党の民主党の中でも、 またあれこれと画策されている新党結成の運動の中でも、「明文改憲」 の動きが活発になっているなど、憲法をめぐる容易ならない事態が起きている。

(2)憲法審査会の始動をめぐる諸問題
  憲法審査会は二〇〇七年の安倍晋三内閣の当時、国会で強行採決された憲法改正手続法が設置を定めたものだが、 その制定の経過の問題(国会の憲法問題の審議に対する安倍内閣による政治的介入と強行採決など)や、 いくつもの重要問題についての 「附則」 や一八項目の 「附帯決議」 が付いたことに見られるように重大な欠陥を持った法律であることなどから、 国会内外で厳しい批判を浴び、四年以上にわたって始動できないできた。 しかし政権交代後、民主党の菅直人執行部が参院選で敗北し、衆参両院の議席が与野党ねじれ状況になった後から、 国会の円滑な運営を考慮する民主党が自民党に妥協して審査会始動への動きが再燃した。

  野田政権の下、第一七九臨時国会から始まった両院の憲法審査会は、 二〇〇〇年一月から国会に設置された憲法調査会(二〇〇五年〜〇七年は憲法調査特別委員会)以来の国会審議の経過を、 その間、衆議院での会長を務めてきた中山太郎元外相や関係政府役人を招いて聴取するところから始まった。 その議論は改憲手続き法の 「附則」 「付帯決議」 などのいわゆる 「三つの宿題」 (@ 一八歳選挙権実現などのための関連法制の整備、 A 公務員の政治活動に関連する法整備、B 憲法以外の一般的課題の国民投票について)に関する議論をへて、 いま 「東日本大震災と憲法」 の議論に進もうとしている

  しかし、その議論の中身はきわめて不勉強で水準が低く、東日本大震災の問題を取り上げるにしても憲法の平和的生存権を生かして、 被災地と被災者を救済しようというものではなく、ただただ九条あるいは憲法を変える、「改憲ありき」 の方向に利用するものとなっている。

  憲法審査会が憲法調査会以来の 「議論の経過」 を学ぶために参考人を招いて質疑するということは全くもって無用なことであった。 たしかにこの間、憲法調査会でその運営を牛耳ってきた中山太郎会長や、自民党幹事の有力者らが先の衆院選で相次いで落選し、 民主党も中心になってきた枝野幸男が閣僚になるなどメンバー交代が進み、自民党や民主党の委員には憲法調査会時代を経験していない新人が多い。 しかし、報告書も議事録もあるのだから、国会議員がまじめに勉強する気があるなら 「議論の経過」 などはいくらでも知ることができる。 そうした委員の不勉強ぶりを裏書きするように、「憲法には 『家族』 という 『言葉』 すらない」 (参院自民党幹事の西田昌司、自民党委員の藤井孝男。 第二四条……婚姻及び家族に関するその他の事項に……)などといって、強引に 「国の伝統重視の憲法」 を云々し、失笑を買うものがいたり、 すでに憲法調査会の議論の段階で事実上否定され、 破綻した 「首相公選制の導入」 論や、「押しつけ憲法」 論などをあらためて展開する委員がいるというありさまだ。

  憲法審査会が欠陥法たる改憲手続き法の 「宿題」、たとえば一八歳選挙権などの法整備が達成されないまま憲法審査会を始動させるという事態は、 もともと改憲手続き法が想定していない状態であり、法の運用上問題があり、この問題の 「理解」 で両院の憲法審査会事務局の間でも、 また総務省と法務省の間でも見解が異なる事態が起きている。

  それだけでなく、同法が残している課題を 「三つの宿題」 と称する点に絞っていることも大きな問題である。 二〇〇五年に参議院で同法案を採決したときには附則だけでなく、前述のように一八項目の付帯決議をつけて多くの 「宿題」 を指摘したのである。 なかでも、同法に最低投票率規定がないことや、国民投票運動におけるテレビ、ラジオの 「有料広告」 の可否、 国民投票運動における罰則の問題などなどは軽んずることができない重要問題である。 これらの問題が、改憲論議を進めようと急ぐ憲法審査会によって、ほとんど論じられないで進行されようとしている。

(3)憲法審査会で議論されているもの
  始まった憲法審査会の議論で特徴的なことは、改憲派が相次いで 「非常事態条項を憲法に書き込め」 という声をあげ、 読売新聞や産経新聞などのメディアもこれに呼応していることである。この両紙は大震災直後の昨年五月にも 「憲法への非常事態条項導入」 を主張した。 自民党の小坂憲次が会長を務める参議院憲法審査会は三月からは 「東日本大震災と憲法」 というテーマで改憲論議を進めようと企てており、 追って衆議院もこれに続くと思われる。

  議論の中では自民党の委員らが相次いで 「三・一一」 大震災の発生と関連して、政府の対応の立ち遅れを指摘しながら、 その原因を 「憲法に非常事態条項がない」 「国家緊急権規定がない」 ことなどに求め、現行憲法を欠陥憲法だと指摘することで、 改憲の緊急性を主張した(衆院・自民・中谷元ら)。参考人として招かれた中山太郎元衆議院憲法調査会長や、関谷勝嗣元参議院憲法調査会長も、 求められた経過報告とは無関係に同様の意見をのべた。

  これに対して、民主党の委員からは 「大震災」 対応の緊急性から見て、改憲は最優先事項ではないという意見(衆院・民主・山花郁夫)がでたり、 震災を利用して憲法に非常事態条項を導入する口実とする動きを警戒する意見もでたが、 同じ民主党内から 「大震災や原発事故は憲法論議の妨げにならない」 (参院・民主・増子輝彦)などという 「反論」 も飛び出す始末であった。 社民党や共産党の委員が 「急を要する震災の最中になぜ改憲論か」 と審査会の始動を批判すると、改憲派は 「いまだからこそ、 あるべきくにのかたちの議論を」 (参院・自民・川口順子)などと反論した。

  これらの改憲論議は自民党の委員がリードしている形であるが、警戒をすべきことは、すでに民主党が二〇〇五年に発表した 「憲法提言」 で、 非常事態条項を意味する 「国家緊急権の明示」 が主張されていることだ。 加えて、民主党は本年二月末に開いた同党の憲法調査会(中野寛成会長)で、憲法改正に向け、 憲法審査会の議論に引きずられて 「大震災などに際して政府に強力な権限を付与する緊急事態条項の創設についてまとめる」 方針を確認した。 もし憲法審査会でこれら自民党と民主党が 「緊急事態条項」 導入で呼応しあったなら、圧倒的多数派による改憲翼賛国会的な状況が生まれかねない。

  憲法に非常事態条項が書いてなかったから、大震災に対する菅内閣の対応が不十分だったのではないことは、 すこしでも物事をまじめに見ようとするものにとっては明らかである。震災対応は現行憲法のもとで、諸法律を運用し、あるいは積極的に新規立法を措置し、 法制度を整備することで可能である。事実、東日本大震災の現場から、憲法に 「非常事態条項」 を要求するような声など全く出てきていない。 この点で憲法審査会や一部マスメディアにみられる主張は、ためにする議論であり、不真面目きわまりない。

  三月九日の日弁連会長声明はいま、「被災地が抱える課題の原因」 として具体的に以下の五点を指摘している。
  第一の原因は、一人ひとりの基本的人権が尊重されていないところにある。個人の尊厳を軽視する社会に真の復興はない。 第二に、国の原子力推進政策を抜本的に見直していないところにある。原子力発電と核燃料サイクル政策から撤退する姿勢を明確にしない限り、 あらゆる施策は中途半端に終わる。第三に、地方自治体の行政力の低下にある。市町村合併による人員整理や、 地方分権による権限と財源の移譲の不徹底の影の部分が、震災対応力を低下させている。 第四に、復興の具体策よりも財源論が先行しているところにある。財源の制約は避けられないとはいえ、 被災地の現状にそぐわない平時の発想に基づく制約が悪影響を及ぼしている。第五に、災害及び復興に関する法制度とその運用の不備にある。 現実の災害の状況に適合した被災者支援、復興支援を支える制度に建て直さなければならない。

  改憲論者の国会議員はこの指摘に真摯に学ぶべきである。

(4)「非常事態条項導入」論の問題点
  改憲論者による憲法への緊急事態条項導入論はいまに始まったものではない。これは古くから改憲論の一つの論点であるが、 二〇〇〇年の読売新聞第二次改憲試案のなかでも提起されている。それを改憲派が東日本大震災を奇貨としてまたぞろ持ち出したのである。

  憲法調査会の会長だった中山太郎は震災後の二〇一一年夏、独自に 「緊急事態に関する憲法改正試案」 を発表し、全国会議員に配布するなど、 熱心にそれを主張している。
  彼の試案は @ 「地震、津波などによる大規模な自然災害、テロリズムによる社会秩序の混乱その他の事態」 に対応する、 A 内閣総理大臣による緊急事態宣言、国会の承認を求める。B 両院が会議を開けないときは、両院合同委員会で対応する。 C 総理大臣が、行政機関の長を指揮監督し、自治体にも指示できる。D 財政措置、E 通信の自由、居住・移転の自由、財産権などの制限、 などというものである。
  この中山試案で語られているのは基本的人権である自由権の安易な制限と、政令政治による民主主義の破壊の強権政治である。

  緊急事態条項の憲法への導入論者は 「(緊急事態への対処に関する条文は)ほとんどの国の憲法に規定されている」 (三月四日、 読売新聞社説)などという。だがしかし、日本国憲法に国家緊急権条項、非常事態条項が盛り込まれなかったのはなぜなのか。 日本国憲法の重要な特徴は第三章の基本的人権の詳細な規定もそうだが、なんと言っても前文に規定された平和的生存権と第九条の平和主義である。 これは読売新聞社説がいう 「ほとんどの国の憲法」 にはない。 この両者は表裏一体の関係にある。非常事態条項は 「戦争を容認する国」 が必要とするものである。

  かつて大日本帝国憲法には非常事態条項に関連して以下の条文があった。
  緊急勅令(八条)「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス」
  戒厳大権(十四条)「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」
  非常大権(三十一条)「本章 [第二章 臣民権利義務] ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」
  日本国憲法は、この天皇の非常大権を規定した大日本帝国憲法のもとで日本が侵略戦争に突入し、 内外に多大な惨禍をもたらしたことへの反省から出発している。平和主義の立場をとる日本国憲法は、もともと非常事態条項を必要としない。 中山太郎らの非常事態条項導入論は、大震災を口実にするが、その実、第九条の否定の意図と不可分なのである。

  たしかに今回の東日本大震災と原発震災への日本政府の対応は大きな問題があった。 しかし、それは 「憲法に非常事態条項がないからだ」 などという改憲論者の立論はあまりにも手前勝手な議論で、的はずれである。 福島、宮城、岩手をはじめ東日本の人々が被った多大な惨禍の責めは、政府の無策はいうまでもないが、 より根源的には高度経済成長の名による経済膨張政策という財界のための経済・産業政策を推進することで、米国の要求に追従して、 安全神話をふりまき原子力発電を野放図に推進し、 あるいは新自由主義改革路線の推進によって地方自治と地域のコミュニティを破壊してきた歴代政府の政策にある。 いま、憲法審査会の主流を占めている 「非常事態条項の導入」 の議論は改憲派による 「ショック・ドクトリン」 ともいうべきまやかしの議論であり、 震災の危機を逆手にとった新たな口実での明文改憲をすすめる危険な動きである。

(5)自民党の新たな新憲法草案の問題点
  野党第一党の自民党は憲法審査会が始動したことを機に、憲法改悪に向けた議論を一気に進めようとしている。 二〇〇九年の政権交代で民主党が政権党になったが、その後、民主党は急速にマニフェストからはなれ、保守二大政党状況が進んでいる。 この下で、自民党ではその立ち位置をより右傾化させることで、「自民党らしさ」 「独自性」 を発揮させようとする動きが顕著になり、 憲法問題へのスタンスにもその復古主義的傾向が濃厚に反映されつつある。

  本年一月の自民党大会では 「新しい憲法改正案を提案し、その実現を目指」 すとして、 「四月二八日は、わが国が主権を回復したサンフランシスコ講和条約発効から六〇年にあたる。 それまでにわが党は、立党五〇年にあたる平成一七年に発表した 『新憲法草案』 を踏まえ、新たな憲法改正案を策定し、 国会への提出を目指す」 ことを決め、憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)の起草委員会(中谷元委員長)で第二次改正草案の原案作りをすすめている。

  最終案は四月二八日までにまとめられるが、今のところ、明らかになった 「原案」 の特徴は以下のようなものである。
  @ 前文では日本を 「長い歴史と固有の文化を持ち、日本国民統合の象徴である天皇を戴く国」 と規定し、つづいて、A 天皇は 「日本国の元首」、 B 「国旗・国歌」 は 「国の表象」、C 「元号」 の明文化、D 「自衛権と自衛軍」 を明記、集団的自衛権の行使、軍事裁判所の設置、 E 選挙権は日本国籍を有する者のみ、F 緊急事態に政府の責任で在外邦人を保護、犯罪被害者家族への配慮、G 緊急事態条項、 H 憲法改正発議は各院の過半数、I 国民の憲法尊重義務、などなどである。

  各項の問題点への反論は割愛するが、立憲主義や憲法三原則を否定した、あきれるほどに復古主義的な内容である。 それだけに安倍晋三らは舞い上がっているが、自民党内から不満も出ており、最終的にこの原案通りになるかどうかは不確定なところがある。 いずれにしろ、このような改憲案が野党第一党の正規の機関で議論されていることは容易ならないことである。

(6)改憲新党の跋扈
  一方、政権交代への失望などから、政治の閉塞感は若者をはじめ広範な人々の間に蔓延している。民主党には失望したが、 かといって自民党に戻っても期待できないというのである。既成政党離れが進んでいるもとで、 民意の受け皿として 「新党」 を画策する人びとの動きが活発である。 毎日新聞の三月はじめの世論調査では、橋下徹大阪市長が率いる 「大阪維新の会」 の国政進出に 「期待する」 と答えた人は六一%に上った。 政党支持率では民主党一四%、自民党一三%で、一月の前回調査からそれぞれ三ポイント下落し、〇九年の政権交代後では最低水準。 代わりに 「支持政党なし」 という無党派層が六ポイント増の五四%と過半数に達した。

  平沼、亀井、石原らの古手の政治家による改憲派新党結集の動きはその一つで、綱領に改憲を掲げることを明確にしており、 石原慎太郎都知事は新党に参加するなら 「憲法の破棄を綱領に入れる」 「改正しようとすると、国会の三分の二の議決とか、国民投票がいる」 と述べ、 改正手続きを経ずに破棄すべきだとの考えである。この人々にとっては、もはや憲法もなにもない、強権政治願望だけである。

  これとあわせて、「維新の会」 の橋下徹・大阪市長らがその政策を 「船中八策」 と称し、九条改憲を掲げつつ、 「国家元首は天皇」 と明示することも明らかにした。ポピュリズム的な受けねらいの 「首相公選」 「参議院廃止」 など改憲なしには不可能な課題を政策に掲げ、 平沼らの復古主義とは改憲論の味付けを変えている特徴がある。 橋下市長は二月二四日、記者会見で 「(九条は)他人を助ける際に嫌なこと、危険なことはやらないという価値観だ。 国民が(今の)九条を選ぶなら僕は別のところに住もうと思う」 などと述べた。 また同日、自身のツイッター上で 「憲法九条改正の是非について、二年間国民的議論を行った上で国民投票で決定すべきだ」 と主張し、 九六条改憲にも言及した。また 「世界では自らの命を賭してでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。 しかし、日本では、震災直後にあれだけ 『頑張ろう日本』 『頑張ろう東北』 『絆』 と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。 全ては憲法九条が原因だと思っています」 とも述べた。

  また三月五日には九条について 「平和には何も労力がいらない、平和を維持するために自らは汗をかかないという趣旨だ」 と攻撃し、 「同じ国民のためしんどいことをやるとか、嫌なことでも引き受けるとか、そういう教育は受けてきたことがない。 教職員組合や職員が僕らに憲法九条の価値観を徹底してたたき込んできたんじゃないか」 と述べ、危険論を展開した。
  この法律を学んだはずの弁護士にあるまじき、はじめに九条改憲ありきの飛躍した論理には驚かされる。

(7)この改憲の流れにいかに立ち向かうか
  二〇〇七年の安倍改憲内閣の自壊いらい、鳴りを潜めてきた観のあった改憲派によるこれらの解釈改憲、明文改憲の両面からの憲法への攻撃は、 なりふりかまわぬ様相を帯びている。私たちはこの改憲攻撃に正面から立ち向かわなくてはならない。

  当面、以下のような課題がある。
  第一に、二〇〇六年から〇七年にかけての安倍晋三内閣の改憲攻撃の暴走を打ち破った九条護憲のたたかいは、 草の根からの運動の組織化とその力での世論への働きかけにきわだった特徴があり、この経験に学ぶことである。運動が世論をつくり、 改憲暴走を阻止したのである。自民党や石原らによる復古主義的な改憲論や、 橋下などによる新自由主義的改憲論の攻撃がどんなに幼稚な論理立てであっても、そのひとつ一つを見逃さない丁寧な暴露と反撃が必要である。 かつてのナチスの宣伝大臣ゲッペルスによれば 「嘘も一〇〇回言えば本当になる」。 マスメディアや電子メディアを駆使した改憲攻撃への、草の根からの反撃を組織しなければならない。 倦まずたゆまず、この改憲攻撃の本質を暴露し、学習運動や宣伝など、ねばり強く運動を組織し、 世論を形成するたたかいを進める覚悟がいまこそ求められている。
  第二に、原発震災など東日本大震災の被災のもとで、これを支援し、立ち上がるたたかいと、憲法を生かし、実現する運動を結合することが重要である。 この過程で憲法を輝かせ、改憲派の空論を打ち破らなくてはならない。
  第三に、こうした運動を背景にして、国会の改憲反対勢力の拡大と共同をめざして、民主党などの議員への働きかけを強化する必要がある。 広範な共同を実現するための大胆な働きかけこそが重要である。
  私たちはいまこそ可能なあらゆる運動を駆使して、九条をはじめとする憲法改悪を阻止するために奮闘しなければならない。
二〇一二年三月二〇日
(「進歩と改革」 5月号所収 高田健)