2009.2.4

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

誤った歴史観は核兵器と同じように危険だ
――近隣諸国を敵にする田母神空幕長論文――


  11月5日付朝日新聞声欄 「空幕長の見解影響調べよ」 拝読いたしました。 日本の侵略戦争と植民地支配について、近隣アジア諸国に一応の謝罪をなした戦後50年決議という政府見解に真っ向から異を唱え、 日本は侵略国家でなかったとする田母神航空幕僚長の歴史観が自衛隊員達の間にどのように受け止められているか調査せよ、とのご意見全く同感です。 毎日新聞の社説などでも隊員への波及を懸念しています。

  中学時代のある事を思い出しました。
  ちょっと変わっていた (ひねくれていた?) 私は、中学時代、戦記雑誌 「丸」 を購読していました。1950年代末頃のことです。 きっかけは担任の先生が、今の子供はマンボ派とマル派に分かれると言ったことでした。
  マンボ (軟派)、マル (硬派) と単純に考えた私は、当然のこととして硬派、すなわちマル派になった訳です。

  さて、話はこれからです。「丸」 の記事中に、現職自衛官達による覆面座談会があり、 その中で彼らが 「いざという時にはまず内局の連中 (「ヤツら」 と言っていたかもしれない) をぶった切る」 といきまいていたのが印象に残っています。 当時は、何のことかあまりよくは分かりませんでした。今考えてみますと、「まず内局の連中をぶった切る」 というのは、文民統制、 すなわちシビリアンコントロールをぶった切るということであったのだと思います。
  田母神論文が明らかになって以降の田母神元空幕長の居直りともいうべき言動にその姿勢を感じます。

  11月5日(水) 午後6時半より市ヶ谷防衛省正門前で、私達は急遽抗議集会を行うとともに、防衛省に申し入れ行動をしました。
  私達の行動を察知した右の方の人々 (「右翼」 などという思想性――昔の右翼はアジアに対するそれなりの想いがあった――のある者たちとは思えないので、 こう表現するしかないのですが)、約30名くらいが日の丸を掲げ集り、正門を挟んで、私達と対峙 (間に警察官)、私達の行動に罵声を浴びせていました。 曰く、「反日分子は日本から出て行けぇ〜」 です。

  そして、私達の申し入れ文書を受け取りに防衛省の職員が出て来たところ、「受け取るな」 と大声で連呼、私達が一切相手にしないので、 「誰か議論を吹っかけるやつはいないのか〜」、そして最後には、私達の抗議集会に参加していた日本山妙法寺の僧に対して 「お前の生首をとるぞ、南無妙法蓮華経・・・」 「お前の生首を靖国の英霊に捧げるぞー」 でした。愚劣な者達です。

  田母神論文――全文読んでみましたが、論文などと言えるものではなく、例えば日本は 「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」 と述べていますが、 こんなことは1931年9月18日の 「満州事変」 の経緯からも明らかなように簡単に崩れてしまうものです。これが最優秀賞とは驚きと云った類の代物です (注1)

  あの札付きの歴史改竄者渡部昇一が審査委員長ですから、アホさ加減でもいい勝負です。 現代史家の秦邦彦氏は 「上杉謙信が女だったという珍説と同じだ」 と酷評し、軍事問題評論家の田岡俊次氏も、 アパグループの広報誌にこの論文の英訳が掲載されていることにつき、「こんな論文を英訳し、海外に出すのは重大な機密の漏洩だ。 何故ならば日本の自衛隊の高級指揮官の能力はこんなものと自衛隊の最大の弱点が外国にバレてしまった。…」 (11月28日号・週刊朝日) とジョークを言ってますが、 そのとおりです。――は、このような愚劣な輩の上に成り立っているものです。

  しかし、このような輩達と侮ってはならないと思います。生首云々はともかく、日本の近・現代史における侵略戦争と植民地支配の非を否定する勢力は、 日本社会のあちこちにいるからです。日本の近・現代史を丸ごと肯定し 「日本の独立をしっかりと守り、平和な国としてまわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、 戦わなければならなかったのです。(『やすくに大百科』 靖国神社発行)」 などと世界、 とりわけアジアにおいて決して通用しない歴史認識を公然と掲げている靖国神社はその典型です。

  その靖国神社に首相や閣僚や国会議員が参拝しようとするのですから、田母神元空幕長に対する批判も懲戒免職でなく、 定年退職という腰が引けたものになってしまうのも当然です。約7000万円という多額な退職金を支払っておいて、 その自主返納をなどと馬鹿げたことを言っているから舐められるのです。
  シビリアンコントロールが機能するためには、シビリアン (文民) として資質も鍛えなくてはならないのです。

  自民党の国防関係部会でも 「内閣の方針を何だと思うのか」 と田母神論文を批判した中谷元・元防衛庁 (当時) 長官に他の議員らが詰め寄って田母神擁護発言をしたとのことです。
  また産経新聞は、他の朝・毎・読・東の各紙がほぼ同じ論調で田母神論文批判をしているのに対抗し、 「第一線で国の防衛の指揮に当る空自のトップを一編の論文やその歴史観を理由に何の弁明の機会もあたえぬまま更迭した政府の姿勢」 を 「極めて異常である」 と社説 (11/2) で述べ、11月11日には、アパグループ元谷外志雄代表の名前入りの意見広告という体裁で田母神論文を全文掲載し、 田母神氏の国会招致を報じた12日の紙面では、社説、一面コラムのすべてで、 田母神氏には十分な意見開陳の機会が与えられなかったというメッセージを発するという驚くべき紙面作りをしています。

  ところで歴史家でもある現防衛大学校長五百旗部真氏は、2008年11月9日付毎日新聞コラム 「時代の風」 において 「文民統制の重要性」 と題し、 戦前の 「満州某重大事件」 すなわち、1928年の関東軍の河本大作参謀が張作霖という現地政府のトップを爆殺という暴挙をなしたにもかかわらず、 処罰されることがなかったことが、軍人の独断専行と下克上をもたらし、日本は滅亡の途に進んだことを指摘し、 それに比べると、今回の田母神空幕長の即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で意義深く、防衛大学は 「下克上のない幹部」 を作ることを目的とし、 初代校長槙智雄が唱えた 「服従の誇り」――国民と政府への服従――こそが防衛大教育の根幹であると述べ、 そして自分が調べたところ防衛大における歴史教育においては、先の戦争を賛美するようなものはなかったと述べています。

  しかし、現実はどうでしょうか、防衛大を卒業して航空自衛隊のトップとなった人物が 「日本は悪くなかった」 「侵略戦争ではなかった」 「ルーズベルト、コミンテルンの陰謀によって戦争に巻き込まれた」 等々と、具体的事実の裏付けのない陰謀史観を堂々と語り、 参議院に参考人として招致されてもなお、「日本がいい国と言ったら解任された」 とうそぶいている事態――前出の田岡氏は 「首相を殺したり、 クーデターに失敗したにもかかわらず、自決せず法廷闘争をした5・15事件、2・26事件の青年将校を思い出した」 と述べてます。 ――にどう対処するかの問題であると思います。

  田母神氏については、さらに見過ごせない問題があります。
  「男女共同参画社会は、能力があるにも拘わらず女性というだけで差別を受けないためにはあるべき方向であるが、 一方ではこれをエリートを廃し弱い者に全てを合わせる競争のない社会を造るために利用しようとする動きがあるような気がする。 これらの動きは、学校における男女混合名簿の作成、男らしさ、女らしさの否定等に現れている。男女の差を認めないくらいだから当然同性の差は認めない。 エリートを認めるはずがない。しかしながら人類の歴史を見れば社会を発展させてきたのは一部のエリートであるし、 競争のない社会にどれほど活力がないかは言うまでもない。」
  これが、2003年、彼が航空総隊司令官として発表した 「航空自衛隊を元気にする10の提言」 の中の一節です。 男女平等について驚くべき妄言、典型的なマッチョです。「エリート云々」 など、なんという思いあがり、いかに底の浅い人物であるかを自ら語っていると思います。
  先生が投書の中で述べておられますように、自衛隊内で歴史について、さらには旧日本軍の過ちについて、 どのような教育がなされているのかの検証が不可欠だと思います。

  それにしても田母神元空幕長は、平和の構築ということについてどのような哲学を持っているのでしょうか。 つまり、この論文が近隣アジア諸国にどのような反応をもたらすかについて、想像力を働かせたことがあったかどうかということです。

  『(いくさ) なきは武人の本懐』 と題する本があります。私の尊敬する元防衛庁 (当時) 官房長であった竹岡勝美氏が 「私の防衛本論」 として書かれたものです。 氏は警察官僚から防衛庁に転じられた方ですが、ずーっと一貫して “わだつみ派” 防衛官僚として平和を語ってこられました。 氏の平和論の根本は近隣諸国との友好にあります。すなわち互いに理解しようと交流、努力する中で信頼関係を作り上げる、それが最高の安全保障だという考えです。

  2001年ドイツ国防軍改革委員会 (ヴァイツゼッカー元西ドイツ (当時) 大統領委員長) の報告書の冒頭は、 「ドイツは歴史上初めて隣国すべてが友人となった……」 という書き出しで始まっていると云います。「隣国すべてが友人」 という関係、これこそが究極の安全保障です。

  田母神論文は、隣国すべてを敵としかねない代物です。こういう人物が自衛隊という国家公認の 「暴力装置」 の親玉として座っていたのだから恐ろしいものがあります。

  1992年、ユーゴの内戦が深刻の度合いを深めていたとき英国の歴史家E・ホブズボームがブタペストの講演で、 「歴史学は核物理学と同じ程度に危険な存在になりうる。」 と語ったとのことですが、至言だと思います。

  1999年1月、昭和天皇の死に伴なう 「大喪の礼」 に西ドイツ (当時) のヴァイツゼッカー大統領が出席するということを聞き、 私達市民は同大統領宛に 〈日本では決して天皇賛美一色でないことを理解して欲しい〉 と手紙を出しました。 1週間後に在日西ドイツ大使館を通じて同大統領の署名入りの返書が日本語の訳文付きで、この運動の事務局をしていた当法律事務所宛届られました。 同大統領は返書の中で以下のように述べられていました。
  「……貴国現代史との取り組みを貫く皆様の真摯な態度に強い感銘を覚えました。 如何なる民族も各々の歴史に、その高揚の時と低迷の時代を含めて自覚を持たねばなりません。 とはいえ、自らと己の歴史にけじめを付けることは全くそれぞれの民族に委ねられた事柄であります。……」
  私は日本の近・現代史を丸ごと肯定したり、あるいは逆に丸ごと否定したりするような態度は、取るまいと思います。

  2008年12月22日付朝日新聞 「私の視点」 で日本の近代史を専門とするジョン・ダワー米マサチューセッツ大教授が以下のように述べています。
  「どこの国でも、熱に浮かされたナショナリストがそうであるように、彼は他者の利害や感情に全く無関心であるかに見える。 中国人や朝鮮人のナショナリズムは、彼の描く絵には入ってこない。
  アジア太平洋戦争について、帝国主義や植民地主義、世界大恐慌、 アジア (特に中国) でわき起った反帝国主義ナショナリズムといった広い文脈で論議することは妥当だし、重要でもある。 戦死を遂げた何百万もの日本人を悼む感情も同様に理解できる。
  しかし、30年代および40年代前半には、日本も植民地帝国主義勢力として軍国主義に陥り、侵攻し、占領し、ひどい残虐行為を行った。 それを否定するのは歴史を根底から歪曲するものだ。戦後、日本が世界で獲得した尊敬と信頼を恐ろしく傷つける。 勝ち目のない戦争で、自国の兵士、さらには本土の市民に理不尽な犠牲を強いた日本の指導者は、近視眼的で無情だった。
  国を愛するということが、人々の犠牲に思いをいたすのではなく、なぜ、いつでも国家の行為を支持する側につくことを求められるのか。」
  まことにそのとおりだと思います。「愛国」 を声高に語る人達は実はそのことこそが、諸外国からの日本に対する信頼を損っていることにどうして気づかないのでしょうか。

  先生からの11日付メール、「貴君は敗戦の年の生れだから、五・一五事件も二・二六事件も知らないでしょう。 私は近頃本当に自衛隊のクーデターの危険を感じます。田母神一人は怖くないが、血の気の多い青年将校たちは何をするか判りません。 今のだらしのない政治家たちを見ていると、自衛隊にはまったくシビリアン・コントロールが働いていないような気がします。 そのうち暗殺事件などが起って来るようだと、本当に危険信号です。問題は自衛隊がどのぐらい汚染されているか、 自衛隊の周囲にどのぐらいその汚染が及んでいるかです。 その意味で貴君たちの活動に衷心から期待します。」 (石川義夫・元東京高裁、部統括判事・司法研修所教官、敗戦時海軍少尉。 筆者 〈注〉) という危惧の念を心して受け止めたいと思います。

  隊付青年将校達が1930年代に5・15事件、2・26事件を引き起こした背景には昭和恐慌で疲弊する農村の社会があったのですから、 その意味では格差社会、派遣切捨て、生活破壊が凄まじい勢いで進行している昨今の社会と重なり合うものはあると思います。

  防衛庁内局の教育訓練局長であった小池清彦加茂市長も、「国民の間には、田母神氏の主張に賛同する声がないとは言えないかもしれない。 それは戦争の悲劇を知らない人が大多数となったからだろう。いつか来た道をたどって悔やんでも、後の祭りだ。断言する。 3年あれば、本当にかつての軍国主義日本に戻ってしまう。」 (2008年11月14日朝日新聞・新潟版) と語っておられます (注2)
2008.12.23

(注1)  後日になって明らかになったことだが、田母神論文に最高点の5点を付けたのは、懸賞論文を募集したアパグループの元谷外志雄代表1人で、 ある委員は零点を付けたという (2008.12.1。朝日新聞)。
  結局この懸賞論文は、最初から田母神氏に最優秀賞 (賞金300万円) をとらせるための出来レースであり、 賞金300万円はアパグループがその所有物件を航空自衛隊に借上げてもらったり、 あるいは元谷代表が数回にわたって戦闘機への体験搭乗させてもらっていることの対価性 (賄賂) の強いものであるといえよう。

(注2)  東京新聞短期連載 「揺らぐ文民統制」 「参事官制度」 (2008.12.10。半田滋記者) は以下のように書いている。
  「米中枢同時テロから間もない2001年9月21日深夜、私服姿の海上幕僚監部の佐官達が安倍晋三官房副長官の自宅を訪ねた。
  佐官らは米国のアフガニスタン攻撃を支援するため、自衛艦が 「危険な場所」 に派遣されることを想定して 「隊員が亡くなった時に 『すぐ帰って来なさい』 というのであれば初めから出さないでもらいたい。腹をくくってほしい」 と直訴した。
  安倍氏を訪ねた幹部の一人は 「内局で検討したのが政府専用機を米国に派遣し、米国内の自国民を助けること。 世界中がテロと闘う時にこれでは駄目だと思った」。同じころ陸上幕僚監部の佐官たちも背広に着替え、アフガン派遣をしないよう政治家の自宅を訪問して回った。
  内局は、こうしたロビー活動を察知していた。「文民統制に反する」 の声が上ったが、注意さえしなかった。 命懸けの海外活動と向き合う制服組の前に内局は沈黙した。」
  戦前の陸軍の左官達の上司を無視した下克上の動きを連想させるものがある。