2009.3.15

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

五輪招致に憲法持ち出す二枚舌
――知的誠実さのかけらもない石原慎太郎都知事――

  〈平和に貢献する 世界を結ぶオリンピック・パラリンピック〉、東京都が2016年夏季オリンピック招致に向けて決めた 「大会理念」 だ。 都庁で立候補ファイルの発表会見に臨んだ石原都知事は 「日本でオリンピックを開催することは世界平和への大きな貢献となると信じております。……」 と述べた。
  国際オリンピック委員会 ( I OC) ロゲ会長宛の書簡にも 「私の祖国日本は、第二次大戦後、自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、 世界の中で唯一、今日までいかなる大きな惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました」 と述べたという (2009年2月14日付毎日新聞朝刊)。

  石原慎太郎が改憲論者であることは誰もが知るところだ。この落差は何であろうか。
  オリンピックの開催地となることは、環境破壊、巨額な財政負担など様々な問題があり反対であるが、そのことについて論ずるのは本稿の目的ではない。 ただ石原都知事が躍起になってオリンピックを招致しようとしているのは、自らが強く関与して作った新銀行東京が巨額の赤字を抱え、 破綻の危機にあることなどから目をそらす目的があることだけは指摘しておく。
  本稿で論じようとするのは、政治家の二枚舌、知的誠実さの欠如についてである。

  2000年1月に、衆参両院に各々憲法調査会が設けられ憲法制定過程等に関する調査等が行われていた。
  そこでは日本国憲法は、連合国総司令部 (GHQ) から押しつけられたものであり、だから変えなくてはならないという大合唱がなされていた。 同年11月30日、衆院憲法調査委員会に参考人として出席した石原都知事は、かねてよりの持論である押しつけ憲法論を、 更に昨年末問題となった 〈日本は何ら悪いことをしなかった〉 田母神航空幕僚長 (当時) 論文と同趣旨のことを滔々と述べ、即刻改憲すべきであると主張した。 そして憲法第98条による改憲手続によらなくても、衆参両議院それぞれにおいて、過半数をもって憲法廃止の決議をすればいいとまで述べた。

  傍聴していた私は、この石原都知事の発言に耳を疑った。憲法は国家の基本原理であり、過去、現在、未来を通ずる国家の指針であり、 その変更については慎重さが求められている。
  現在に生きる人々の単純な多数決によって簡単に変えることができるとはせずに、憲法第98条において厳格な改憲手続が定められているのはそのような理由に基づく。 それを一般の法律や予算のように、衆参両議院の単純な多数決によって憲法の廃止ができるとすることは、どのような憲法解釈によってもなし得ない。 憲法は衆参両議院にそのような権限を与えていない。もし、衆参両議院がそのような権限外のことをするとしたら、それは議会の多数派によるクーデターだ。

  石原都知事の前記発言は、議会の多数派に対する立憲主義破壊のクーデターの扇動であった。 ところが、委員会のメンバーたる議員達の誰一人そのことを問題にしなかった。

  こんなやり取りを傍聴席から苦々しく眺めていて、私は 「嘘を言うな!」 と怒りの声が喉元までこみ上げてくるのを必死になって押えていたことを忘れはしない。
  石原慎太郎が、単なる改憲論者でなく、中国、韓国、朝鮮を敵視する反アジア排外主義者であることは、彼の 「三国人」 発言などが物語っている。 そんな彼が日本の近・現代史における戦争をすべて自存自衛のものとする、世界、とりわけアジアではとても通用しない歴史観に立つ靖国神社に毎年8月15日に参拝し、 天皇の参拝を求めているのは、或る意味で当然である。

  彼の嫌中国は徹底しており、遡っては南京大虐殺を否定することはもちろん、最近のことでも 「尖閣諸島に自衛隊を常駐させよ」 「もし中国の艦船が領海内に侵入し、 警告しても退去しないならば、撃沈すればいい。それで中国との摩擦が生じて紛争が起きたならば、日米安保に則ってアメリカが出てくるだろう……」 (週刊文春・2005年5月12日号) などと述べている。
  「NOと言える日本」 などと威勢のいいことを言っておきながら、いざというときは米国の傘の下に駆け込む、 身勝手な甘い国際情勢の分析の当否については今は触れないでおくが、60余年前米、中が 「連合国」 を構成していたことを忘れてはいないか。

  彼は日本国憲法第9条が 「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。」 としているのを読んだことがあるのだろうか。
  尖閣諸島をめぐる日本と中国の争いは国際紛争だ。竹島(独島)をめぐる日本と韓国の争いも国際紛争だ。 憲法第9条は、戦争の放棄とともに、前記のような国際紛争についても、武力による威嚇、行使という手段を取らず、平和的な手段――話し合い、 国際司法裁判所への提訴など――で解決するということを宣言している。

  前記のような憲法無視の排外主義発言が物語るように、石原新太郎は本質的に憲法や法律を守る意思がないアウトローの人間である。
  2002年9月の小泉首相の訪朝、そして日本と朝鮮の過去の歴史に向き合い、 それを清算して前に進むことを約束した平壌宣言――拉致問題の解決をめぐって頓挫はしたが――のお膳立てをした外務省高官田中均氏の自宅玄関前に、 時限爆弾装置が仕掛けられたという事件が起きたとき、「爆弾を仕掛けられて当然」 と平然と言い放ったことはまだ記憶に新しい。テロを使嗾しているのだ。

  こんな人物を都知事として戴いているのは都民として恥かしい。そのアウトローの石原都知事が東京にオリンピックを招致するためには、 前述したように平気で 「私の祖国日本は、第二次大戦の後、自ら招いた戦争の反省のもとに戦争を放棄をうたった憲法を採択し、……」 と書簡を書くのである。
  二枚舌の極みであり、およそ知的誠実さのかけらもみることができない人物だ。
  同じように憲法に関連し、二枚舌、知的誠実さのかけらも見られない或る政治家について触れておく。

  日本の総理大臣が1985年10月28日に国連総会で以下のような演説をした。
  「1945年6月26日、国連憲章がサンフランシスコで署名されたとき、日本は、ただ一国で40以上の国を相手として、絶望的な戦争をたたかっていました。 そして、戦争終結後、われわれ日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大な惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。 日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、我が国固有の伝統と文化を尊重しつつ、人類にとって普遍的な基本価値、 すなわち、平和と自由、民主主義を至高の価値とする国是を定め、そのための憲法を制定しました。 我が国は、平和国家をめざして専守防衛に徹し、二度と再び軍事大国にならないことを内外に宣明したのであります。 戦争と原爆の悲惨さを身を持って体験した国民として、軍国主義の復活は永遠にありえないことであります。 この我が国の国是は、国連憲章にかかげる目的や原則と、完全に一致しております。
  そして戦後11年を経た1956年12月、我が国は、80番目の加盟国として皆さんの仲間入りをし、ようやくこの国連ビル前に日章旗が翻ったのであります。
  議長!
  国連加盟以来、我が国外交は、その基本の一つに国連中心主義をかかげ、世界の平和と繁栄の実現の中に自らの平和と繁栄を求めるべく努力してまいりました。 その具体的実践は、次の三つに要約することができましょう。
  その第一は、世界の平和維持と軍縮の推進、特に核兵器の地球上からの追放への努力であります。
  日本人は地球上で初めて広島・長崎に原爆の被害を受けた国として、核兵器の廃絶を訴え続けてまいりました。 核エネルギーは平和目的のみに利用されるべきであり、破壊のための手段に供されてはなりません。 核保有国は、核追放を求める全世界の悲痛な合唱に謙虚に耳を傾けるべきであります。とりわけ、米ソ両国の指導者の責任は実に重いと言わざるをえません。 両国指導者は、地球上の全人類・全生物の命を断ち、かけがえのないこの地球を死の天体と化しうる両国の核兵器を、 適正な均衡を維持しつつ思い切って大幅にレベルダウンし、遂に廃絶せしむべき進路を、地球上の全人類に明示すべきであります。」

  一瞬耳を疑ってしまうほどのまともな演説だが、この演説をなしたのは、細川護煕首相でも村山富市首相でもない。中曽根康弘首相である。
  この発言に先立つ同年8月15日、中曽根首相は内閣総理大臣として初めて、 東京裁判でA級戦犯として処刑された東條英樹元陸軍大将らをも合祀している靖国神社に公式参拝し、中国・韓国・朝鮮ら近隣アジア諸国から厳しい批判を受けた。
  この批判を受けて、特別国会において、「やはり日本は近隣諸国との友好協力を増進しないと生きていけない国である。 日本人の死生観、国民感情、主権と独立、内政干渉は敢然と守らなければならないが、国際関係において、わが国だけの考え方が通用すると考えるのは危険だ。 アジアから孤立したら、果たして英霊が喜ぶだろうか」 と答え、以降参拝を取り止めた。

  しかし、中曽根康弘は、日本国憲法制定時、
  一、嗚呼 (ああ) 戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す
    平和民主の名の下に 占領憲法強制し
    祖国の解体図りたり 時は終戦六ヶ月
  二、占領軍は命令す 若しこの憲法用いずば
    天皇の地位請合わず 涙をのんで国民は
    国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり
という歌を作るなど、その姿勢は改憲で一貫している。最近でも自民党改憲派の重鎮、イデオローグでとして、明治憲法は欽定憲法であり、日本国憲法は占領憲法である、 だから今こそ国民の手による憲法を作ろうと改憲を唱導している。

  そして今はもうコケてしまったが、安倍晋三首相が登場し、戦後レジュウムからの脱却を声高に語り、教育基本法の改悪、 改憲のための国民投票法を制定させると 「安倍首相は幼い頃から祖父岸信介氏に抱かれ、同氏から薫習――幼児のときに祖父のひざの上に抱かれていると、 祖父の考えが自然に身に移ってくるという意味での中曽根の造語?――を受けていたのだろう」 と満足気に語ったりした。

  その人物が国連総会の場に行くと、前述のような演説を平気でするのだ。二枚舌、知的誠実さのかけらもないという点で、彼もまた石原慎太郎と同様である。 中曽根康弘、石原慎太郎そして、〈自民党をぶっ壊す!〉 と大見得を切って登場したが、新自由主義、規制緩和路線の政策により経済格差を拡大させ、 派遣切り問題など、結局日本社会をぶっ壊してしまった小泉純一郎首相もおなじだ。 いずれも保守本流でなく、ワンフレーズによる断言、抵抗勢力として敵を立て、それと闘う 「改革派」 を気取るなど、 大衆を扇動して劇場型政治を行うポピュリズムの政治家という共通性がある。中でも石原慎太郎はそもそもアウトローという点で最も質が悪い。

  そんな人物の招致するオリンピックなど御免だ!