2009.4.15

内田雅敏の 「君たち、戦争ぼけしていないか?」

弁護士 内田雅敏
目次 プロフィール

歴史に向き合うドイツの光と影
――『ヒトラーの特攻隊』(三浦耕喜著)、
『ヒトラーを支持したドイツ国民』(R.ジェラテリー著)を読む――

  三浦耕喜 様
  『ヒトラーの特攻隊』(作品社)、大変興味深く拝読させていただきました。
  「死は鴻毛より軽し」 (軍人勅諭) とする天皇の軍隊としての日本の特攻とワイマール共和国を体験し、自殺を否とするキリスト教の教義下にあるドイツの特攻との違い、 日本では今日なお 「特攻神話」 が健在であるのに対し、ドイツの 「特攻」 は歴史の闇に葬りされようとしている等々、日独の違いなどにも興味を持ちました。 しかし、御著の真髄は後半部分、特に 「埋もれた60年」 「あとがき」 にあるのではないでしょうか。

  2008年9月ケルン市でのネオナチの反イスラム (合法) 集会を市民が非合法直接行動という実力で粉砕したことに関し、
  「はっきり言えば、ドイツでは極右に言論の自由はない。たとえ法律上は認められているとしても、社会がきっちり弾圧する。決して居場所を与えない。 「合法的」 などという言い訳は通用しない。なぜなら、ナチスは 「合法的」 にドイツの全権を奪い、国民を破局に導いたのだから、「合法的」 であることだけでは、 ドイツ社会ではその正当性を証明することにはならないのだ。徹底してナチスを無視し、圧力をかける。 二度と悪が息を吹き返さないよう、ナチスの芽は摘み、どこまでも徹底して叩く。自由な民主社会に亀裂をもたらす輩には、自由を認めないという姿勢は、 「戦う民主主事」 とも称される。戦後のドイツが苦しみ抜いてたどり着いたひとつの結論だ。

  だが、これほどまでに徹底してナチスを排除するのは、そうする以外に、戦後のドイツは生きてこられなかったという側面もある。 すなわち、ドイツは国家も国民も、もっぱらナチスとヒトラーに責任を求めることで戦後を生き延びたのだ。」
  と書かれている部分は、まさに歴史に向き合うドイツの光と影です。

  ドイツが日本とは異なり歴史に正面から向き合わねばならなかったのは、そうしなければ戦後ヨーロッパにおいて、 一員として認めてもらえなかったという地政学的事情があったというのはそのとおりであると思います。

  日本の場合は大陸でなく海に囲まれた島国であり、しかも米国の核の傘の下に入ることによって歴史の正面から向き合わなくても生きることが可能であり、 この問題を曖昧にして済ますことができ、その結果が従軍慰安婦、強制連行問題など、 現在アジアの各地の人々から日本政府や日本の企業に対してなされている戦後補償請求であり、またアジアの人々の激しい反発を生じさせている靖国問題です。 日本はアジアの孤児となってしまったのでした。

  三浦さんの本を読了しましたので、大分前に買っておいた 『ヒトラーを支持したドイツ国民』 (R.ジェラテリー著・根岸隆夫訳、みすず書房) を読み始めました。
  「ヒトラーは独裁性の樹立を望んだが、同時に国民の支持も望んだ。国民の支持を得るために出来る最大のことは、大量失業問題の解決だった。 ……ヒトラーはまず強力な指導者が事態を掌握していることを国民にわからせようとした。それはワイマール共和国を特徴づけた混乱の歳月が終わり、 ドイツ国家は第一次世界大戦前の日々にもどって 「正常」 な空気をとりもどしたのだと思わせることだった。 ワイマールとは戦争の敗北、屈辱の講和、経済の混乱、社会の無秩序そのものだった。ドイツでワイマールが好きだったものはほとんど皆無だった。」

  という記述は、「ワイマール共和国」 というと直ちに社会権を盛り込んだ、当時としては最も先進的な 「ワイマール憲法」 連想する私にとって、 目から鱗が落ちる思いでした。そしてそれに続く、

  「ヒトラーは権力の真空をうめただけではなく、すぐに愛国者として賞賛をあびるようになった。1919年に結ばれた屈辱の講和条約を系統だって破棄し、 ほとんど一夜にして多くのドイツ人が欧州大陸の大国として 「正当」 な地位だと感じるものを回復したからだ。ヒトラーは、ほとんど軍隊なしでそれをやってのけた。 ……大部分のドイツ国民はそのような成功のお返しとして、すぐにヒトラーを熱愛し、1945年に彼がおぞましい死を遂げるまで支持したのだ。」

  という部分は、三浦さんの御著書の、
  「だが、「国民の責任」 については、今も問うことすらはばかれる生傷だ。
  ナチスはナチスの組織そのものだけで成り立っていたわけではない。当時の国民は積極的にせよ消極的にせよ、 大なり小なりナチスと折り合わなければ社会生活は営めなかった。ナチスに賛同し、協力した国民は紛れもなくいた。それも相当の多数派としてドイツ社会に存在していた。 国民の支持がなければ、大衆政党であるナチスは存立し得なかった。」
に通ずるものです。

  ヒトラーを生み出したのは、ドイツを貧困の極みに落とした第一次大戦後のヴェルサイユ条約の過酷さにあるというのは、そのとおりだと思います。 またヒトラーが権力を握った後は、ヴァチカン教皇庁も彼を支持したという事実も忘れてはならないと思います。

  ニュルンベルク継続裁判のうちの一つ、司法の戦争責任を題材とした映画『ニュルンベルク裁判』 (1961年米・スタンリー・クレーマー監督) の中で、 マクシミリアン・シェル演ずる弁護人が、1939年にヒトラーと不可侵条約を結び、戦争への道を開かしめたソ連首相スターリン、33年ヒトラーと政教条約を結び、 彼に威信を与えたヴァチカン教皇庁、38年タイム紙上で 「英国に危機が訪れたら、ヒトラーごとき意思の人が必要だ」 と述べた英国首相チャーチル、 ヒトラーの再軍備に協力し、そこから利権を得ていたアメリカ産業界、彼らには責任はないのか、ドイツ同様全世界がヒトラーの責任を負わねばならないと、 身振り手振りを交えながら凄まじい形相で声を張り上げて弁論を行うシーンがあります。 全面的に賛意を表するわけではありませんが、真理の一端は衝いていると思いました。

  いろいろ示唆に富んだ御著書どうも有難うございました。弁護士会の仲間にも宣伝したいと思います。

2009年2月16日
内田雅敏

  追伸 2月15日付東京新聞、ベルリン・三浦耕喜発 「ナチス紙復刊 独で 『発禁』 論争」 興味深く拝見しました。三浦さんの御著書に通じるものだと思います。
  三浦さんが指摘しているように、復刻紙を押収した州政府が述べている 「ナチスのプロパガンダが再び広まることを阻止する責任は州政府にある。 研究目的の引用は容認できるが、紙面を完全復刻することには限度がある」 という見解よりは、 発行者のペーター・マックギー氏の 「新聞こそ当時の時代精神を伝えるものだ。これら重大な資料をこれまでと同じくタブーとして図書館の奥に閉じこめ、 時折、専門家にほこりを払わせるだけでいいのか」 という主張、 ニュールンベルグ在の 「ナチス党大会資料館」 の歴史学者ハンス・クリスチャン・トイブリヒ博士の 「時代は終り、 今のネオナチは昔のナチスを宣伝材料に用いる必要はない。復刻を禁じればネオナチを抑えらえるというのは古びた考えだ」 という主張の方が分があるような気がします。



  内田雅敏様
  ベルリンの三浦です。ご講評ありがとうございました。
  まさに内田先生の御本にも特攻隊について、「強制の事実なしとし…ここに絶望的なまでの腐臭が漂っている」 と引用されておりますが、 ヒトラーの態度もまさにその通りでした。持ち上げておいて責任は負わない。罪は深いです。 「後半、特に 「埋れた60年」 「あとがき」 などが強く印象に残りました。」 とのこと。

  これは、まさに著者にとって会心のコメントです。ただの戦記ものとして 「ドイツにもカミカゼがあった!」 という話なら、軍事オタクに食わせるだけです。 それを通じて、ドイツがいかに歴史と向きあってきたか、できる限り理想化を廃したところで描きたかった。 ドイツだってもがき苦しみ、時にはごまかしたり、ずるかったりしながらも、それでもしたたかに、今もなお格闘しているのだ、という姿です。
  なぜナチスが台頭したのか? については、なお掘り尽くされていない謎が漂います。否、当時のだれもが知っているのに、触れたがらない過去があります。 要するに、皆ヒトラーが好きだったのです。

  当時の復刻新聞を見れば、なぜこれが禁じられているのかよく分かります。ナチス機関紙にどれだけ多くの企業が広告を出し、 党に資金を与えていたか一目瞭然だからです。その多くは現在も活動している企業です。
  一般紙にも 「日用品・家具の格安オークション」 の広告が載っています。強制収容所送りにしたユダヤ人から奪った品々の競売です。 主催者は? 運送会社は? 今も営業している大手だったりします。 拙著に書いたユダヤ系の醸造所を奪い取って事業を拡大したドイツの有名ビール会社とは 「レーベンブロイ」 のことです。
  要するに、ナチスは儲かったのです。それは当然です。ユダヤ人から富を収奪したのですから。 失業を改善しただなんて、職場からユダヤ人を追い出した後にドイツ人を据えたからです。
  当時の新聞を復刻したら、その事実が白日の下にさらされてしまう。中でもナチスの拠点となったバイエルン州が敏感になるのは当然です。 ナチスの過去に蓋をしておきたいのです。

  それでも、私はドイツでの取り組みを尊敬しております。確かにナチスのタブーで埋もれている重大な過去はあります。 が、同時に、60年を経てもそれを解き明かそうという力もまた働いています。まずヒトラーとその側近を断罪し、次いでナチス幹部の過去をあばき、 その上で汁を吸った企業の闇をただし、そしてナチスを支持した国民の責任を問う。責任の軽重に応じ、倦むことなく歴史を問い続けています。
  ここは日本とは根本的に異なるところです。責任の軽重を明確にしなかったゆえ、ある程度は戦争を語っても、根本的なところには分け入れない。 むしろ、常識とされていた記憶すら覆されてしまいます。

  昭和30年代の日活映画などを見ていると、花見かなんかの宴会で部長が酔っぱらい、昔の戦争の自慢話をするシーンがよく出てきます。 その中で、「そいで、そのクーニャンを引っぺがしてよ」 などと、『武勇伝』 じみて女性を犯した話をしたりする。 戦場で何が起きていたのか、言わずと知れた常識として受け止められていた証左です。ですが、今やこれすらも、あったかなかったかの論争にされてしまっています。 恐るべき健忘症です。記憶の修復を図ろうとするドイツとは対照的です。

  名残惜しいですが、来月に私は帰任します。これからドイツの歴史論争が面白くなってくるのに残念でなりません。
  先日、ドイツ連邦軍労組の委員長にインタビューしました。ドイツの軍隊には労組があるのです。 「これがあってこその連邦軍だ」 と基本法の豆本を振っていたのが印象的でした。近く、ドイツ連邦軍の文民統制についても企画を掲載する予定です。
  来月に後任として弓削という記者が参ります。彼にもご指導頂ければ幸甚です。
  私もまたドイツの歴史問題についてウォッチを続ける所存です。
  では
2009年2月19日
三浦耕喜