安倍政権誕生から 1ヶ月がたった。改憲をやり抜くとの宣言、教育基本法改正、改憲手続法(国民投票法案)など、日々がまことにめまぐるしい。
  安倍総理大臣誕生時も、今も、NHK番組介入の点については、いかなるメディアも質問を一言も発することがない。
  だが、この朝日新聞記者の取材テープから起こされたという一問一答をつぶさに見てほしい。
  編集部は、著者魚住昭氏のご了承を得て、ここに一問一答を紹介する。
  とくに、記者の人々に読んで欲しいのだが、この真実を一体どう考えるのか。
  このままこのことが忘れ去られ、そのことによって政権が安住し、そして、その政権が改憲──米軍の指揮下に、 世界のどこにでも軍を派遣する自由を権力者に与えることになるとき。
  そのことによってもたらされる老人、女性、子ども、病者、いやあらゆる人々の不幸という災厄の責任を、 メディアとそこに働く人には大きく背負うことになるのではないか。

  ここに松尾元放送総局長、安倍氏、中川氏との一問一答を紹介する。

巨大メディアは何を誤ったか
ジャーナリスト 魚住 昭
証言記録を独占入手!
NHK vs. 朝日新聞「番組改変」論争


「政治介入」の決定的証拠

──中川昭一、安倍晋三、松尾武元放送総局長はこれでもシラを切るのか
  今年一月、朝日新聞の報道で明るみに出たNHKの番組改変問題が再燃の兆しを見せている。NHK側は七月十三日、番組制作に関わった幹部らの東京高裁あて陳述書を公表し、「政治的圧力によって改変された事実はない」ことを強調した。一方、朝日側もこれまでの取材経過を紙面で再検証し、記事の正当性を主張した。一体どちらの言い分が正しいのか。私はそのナゾを解く大きな手がかりとなる松尾武・元NHK放送総局長らの「証言記録」を入手した。そこには松尾氏らが朝日の取材に語ったことのすべてが記されている。それをお読みになれば、これまでウソをつき、われわれを誑かしてきたのは誰かということがはっきりおわかりになるだろう。そしてNHKという巨大な放送局が抱え込んだ闇の深さに改めて驚かれるにちがいない。

  本論に入る前に番組改変問題の経過を簡単におさらいしておこう。「女性国際戦犯法廷」を題材にしたETV特集「問われる戦時性暴力」が放送されたのは二〇〇一年一月三十日夜だった。番組は旧日本軍の性暴力を告発する法廷に焦点をあてているのにもかかわらず、肝心の元従軍慰安婦の証言シーンがわずかしかなく、日本軍の行為について法廷が下した結論にもー切触れないなど奇妙な点がいくつもあった。その一方で歴史家の秦郁彦・日大教授(当時)が二度も登場し、「一事不再理という法の原則から言うと、東京裁判で裁かれたものをもう一回裁くというのは法常識に絶した話だ」などと法廷の欠陥を強調した。何より不自然なのは、四十四分枠の番組が四十分に短縮されていたことだった。これはテレビの世界ではまずあり得ない話である。

  なぜこんな番組が放送されたのか。今年一月十二日付の朝日新聞によると、放送前日の二十九日午後、松尾武・放送総局長(当時)と、国会対策担当の野島直樹・担当局長(同)らが中川昭一氏(現経産相)、安倍晋三氏(現自民党幹事長代理)に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した。両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。

  この直後の同日夕、伊東律子・番組制作局長(当時)と松尾、野島両氏が参加して「異例の局長試写」が行われた。試写後に総局長らが@法廷に批判的な専門家のインタビュー部分を増やす、A「日本兵による強姦や慰安婦制度は『人道に対する罪』にあたり、天皇に責任がある」とした法廷の結論などを大幅カットするよう求めた。さらに、放送当日の三十日には中国人元慰安婦の証言削除などを指示。番組は通常より四分も短くして放送されたという。

  その朝日の記事に登場する匿名のNHK幹部(後に松尾氏と判明)は「教養番組で事前に呼び出されたのは初めて。圧力と感じた」と政治介入を認めていた。さらに「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというから『ダメだ』と言った」(中川氏)「偏った報道と知り、NHKから話を聞いた」(安倍氏)という事実関係をほぼ裏付ける談話も掲載された。

  ところが一月十三日午後になって安倍氏が「(自分が呼びつけたのではなく)NHK側が『予算の説明をしたい』ということで時間を割いた。その中で先方から党で話題になっていた番組の説明もあり、私が『公平公正な報道をしてもらいたい』と述べたのが真実。もし(政治介入という一部報道が)事実ならば、いつ、どこで、誰と、何を話したのか、証明してもらいたい。できないならばはっきり謝罪してもらいたい」と朝日に要求した。

  中川氏も滞在先のパリで会見し「NHK側と面会したのは放送三日後の二月二日だった」と前言を翻すような形で政治介入の事実を否定した。NHKも翌十四日、「幹部が中川氏に会ったのは放送三日後で、明らかな事実誤認だ」と朝日に抗議し、訂正と謝罪を求めた。さらに十九日、松尾元総局長が会見し、記事中の匿名のNHK幹部が自分であることを認めたうえで「圧力を感じたことはなく、政治介入があったとはまったく思っていない。記事は私の発言と逆の内容になっている」と朝日を非難した。

  渋々重い口が開かれた

  その後の朝日vs. NHKの非難の応酬については読者もある程度覚えておられるだろう。どちらの言い分に理があるかを検証するため朝日新聞の取材経過を振り返ってみよう。朝日の本田雅和記者は同僚の高田誠記者と今年一月九日午後一時、埼玉県にある松尾氏の自宅を訪ね、取材の趣旨などを説明したうえでインタビューを始めている。

  あらかじめ断っておくと、以下のやりとりに出てくる「裁判」とは、女性国際戦犯法廷の主催者側がNHKなどを相手取って損害賠償を求めた訴訟のことである。また「内部告発」とは、番組の担当デスクだったNHK番組制作局の長井暁チーフプロデューサーが昨年末、NHKのコンプライアンス(法令遵守)通報制度に基づいて行った「政治的圧力で番組の企画意図が大きく損なわれた」という申し立てのことだ。本田記者は長井氏らから経緯を詳しく取材したうえで松尾氏宅を訪ねている。

  なお、文中の( )は、わかりやすくするために私が補足した注である。

    *

本田 NHKのコンプライアンス制度で内部告発が出たことはお聞きになってますよね。
松尾 コンプライアンスの提訴があったことは担当者から聞きました。協会(NHK)のほうから何かご意見があったら言ってくださいと言われ、それは協会の考え方そのもので結構ですと。私は個人的にどうこうということはないし……。
本田 コンプライアンスの具体的な内容は聞いていますか。
松尾 いいえ。(裁判は)地裁は通過して、いま、高裁(段階ですか)。
本田 ここにおうかがいしたのは裁判とはまったく別のことです。今回内部告発者制度で(訴えが)出されたことと、NHKの現場から取材したことと、自民党の関係者から取材したことはぴたりと一致している。松尾さんには一番中枢におられた立場として本当のことを聞きたいと思って来たんです。
松尾 このことは直接的にも間接的にもいまやっている裁判の経過と抵触することではないか?
本田 あまり関係ないです。NHKは自律した公共放送。(なのに)あまりにも政治が介入している。
松尾 いろんな要素がある。どの局面で私に聞こうとしているのか。いまのNHKは全部マスコミに対して言葉足らず、説明不足。中途半端な説明ならしないほうがいい。
本田 三十日の放映の前日(二十九日)のことです。
松尾 僕はいまNHK(の関連会社)にいる。もう少し歴史が動かないとダメだ。
    *
  ご覧のように松尾氏は当初、番組改変の経緯を明らかにするのを渋っている。これは取材する側にとっては予想通りの反応だ。
  問題はこれからどうやって相手の重い口を開かせるかである。私の経験から言うと、その手立ては一つしかない。これまでの取材でわかった事実を相手に告げ、隠しても無駄だと悟らせることである。どうやら本田記者もそう考えたらしい。

  次々と明かされる真実

本田 歴史の証言を聞こうとしているのではない。四年間取材してきて取材(結果)が一致してしまうのは、放送前の二十九日夕方から(番組枠より一分短い)四十三分バージョン(になり)、(その後)急に三分削った四十分バージョン(になる)。この二つの変化の内容が全部一致したから……。
松尾 何が一致したのか。
本田 二十九日の……。
松尾 僕は肯定も否定もしない。
本田 ええ。二十九日夕方になって伊東律子(番制局長)さんが局長試写をするからといって現場の人は呼ばれて、みんなそこ(番制局長室)に行く。そのとき伊東局長が「いまは、予算時期なので自民党とは戦えない。天皇有罪とかは一切なしにして。番組が短くなったらミニ番組で埋めるから編成に手配してちょうだい」と言っている。松尾総局長と野島さんが永田町から帰ってくるのを待っていたが、なかなか帰ってこないので試写を始めた。午後五時五十分ごろ松尾さんが疲れた表情で戻ってきて、後から野島さんも帰ってきて局長室に入った。
(試写再開後)秦教授のコメントを大幅に増やす、(法廷で)天皇が有罪になったこと(を伝えるナレーションの削除)など三点の修正指示が現場に出され、結果として四十三分になった。さらに翌日午後六時ごろ、吉岡(民夫・教養番組部長)さんが松尾さんから呼び出され、さらに三分間の削除指示が出された。中国人(強姦)被害者の証言と、東チモールの慰安所の紹介と慰安婦の証言など(が削られた)。これは客観的な事実。二十九日に(松尾さんが)永田町からお帰りになったとき、永田町で相当バッシングを受けられたと聞いている。
松尾 私は総局長を二年やった。その前に人事(の責任者)だった。人事のとき国会対応をやった。国会のいろんな圧力はある。ないわけがない。これをどう説得して、どう理解を求めていくか。現場の考えを(政治家に)理解してもらう。そこがまず大事。(政治家が)言ったことを聞いてくるだけの馬鹿なことはしない。絶えず意見はいろいろあるんです。
  特に決算、予算の段階ではさまざまな意見が出てくる。それを「そうですか」という状態で終わってしまったら、向こう(政治家側)は「言ったじゃないか」というのだけが事実になってきて(しまう)。しかし渉外(担当)とか国会対応の記者は放送の手順はなかなかわかりにくい。それは私が責任者としてきちっと説明していくことが当然だ。これは一般論。それ以上でも以下でもない。
(二十九日夕方から三十日夜にかけての)その時間に何をしたかというのはそちらがお調べになったことで、一つの考え方で……。
本田 考え方ではなくて、私がしゃべったことは間違っていますか。
松尾 間違っているとかいないとかは言わない。なぜか。一生懸命現場をかばうがゆえにやったことが、ある人から見れば迎合と言われる。それは迎合ではない。壁になって番組を守ろうとすることだ。
  さっきの番組の全体状況(内容が放送直前にカットされたこと)は、責任者が誰だかわからなくなったことが根底にある。一人の精神が番組全体に貫かれているのならこんな問題は起きない。私たちは国会が何を言おうが右翼が何を言おうが戦う。なぜ放送総局長が出ていったのか? その流れ(責任の所在)が見えなかった(からです)。これはNHKにとってとても危険なこと(なんです)。

  「顔の見えない番組ができるか」

  松尾氏が「責任者が誰だかわからなくなった」というのは、次のような事情があったからだ。
  問題の番組はもともとNHKの子会社・NHKエンタープライズ(NEP)が企画したものだった。NHKはこの企画を採用し、番組制作をNEPに委託。NEPは民間のドキュメンタリー・ジャパン(DJ)に再委託した。DJが取材・編集したテープの試写が一月十九日と二十四日に行われたが、吉岡教養番組部長が「取材対象との距離が近すぎる」などとクレームをつけ全面手直しを指示した。
  この結果、DJは番組制作から降り、教養番組部のスタッフだけで編集作業が行われることになった。つまり企画・取材・編集の主体が一貫していなかったために責任の所在が曖昧になったと松尾氏は言いたいのである。
    *
松尾 NHKからNEPに委託されたことのわかりにくさ。これを私が正しただけなんです。(放送を)止めるのは右翼に屈したことになるから出そうと。(では)誰を(責任者として)信じたらいいのか。吉岡を信じた。しかし吉岡も自信がない。どうしようかと相談した。
本田 吉岡部長は「対象に近づきすぎている。こんなんなら放映できない」と現場を叱咤激励した。
松尾 対象そのものでもいいんです。ただしNHKの責任者がいないとダメ。いなければ単なる電波ジャックです。プロデューサー、ディレクター制度を設けている以上、プロデューサー、ディレクターの信条はNHKそのものでなければいけない。ある時点で気づいたら責任者の顔が見えない。顔の見えない番組ができるのか。
本田 「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表の中川昭一さん、事務局長の安倍晋三さんに(番組内容の)情報がなぜ漏れたのか。(右翼団体の)西村修平さんのグループ(維新政党・新風)が流したのではないか。
松尾 彼らがご注進した。
本田 ご存じですか?
松尾 それはその通りです。(本誌の取材に対し、西村氏は「ご注進」を否定)
本田 国会との関係で苦労されたと思うが、二十九日に(松尾氏らが)自民党本部に呼ばれて、中川、安倍に言われたことまで取材している。自民党から予算に絡めてガンガン言われることが、一般の人から見れば、圧力に屈していると言えなくもない。
松尾 だけど、私は国会議員とか都知事とか一般視聴者とか関係ない。説明しなければいけない人には説明しなければいけないということです。国会の権力構造がまったく変わったときに、そういう質問がまったくないか。問い合わせは必ずある。あるのは当たり前だから、どう対抗するか。川口(幹夫・元NHK会長)さんと国会で長くお付き合いしていたことがあるから恐ろしかった。そんなことはどの時代でも、朝日でも読売でもあるんじゃないかな。
本田 電波ではそういうことが日常的にあるのはわかるが、あの二十九日に中川さんや安倍さんが松尾さんや野島さんに言ったことが適切だったのか。放送への介入ではないかと思う。
松尾 それは何とも申し上げない。もう私は忘れている。安倍さんも含めて私はお付き合いがないから。
本田 しかし野島さんがいる。(彼は)国会担当の局長。政治部出身です。彼は内心、自民党の言うことを聞かないと予算もゴチャゴチャ言ってこられると心配されていたかもしれない。
松尾 それは、ないと言えばウソになる。さっきの事実(安倍、中川両氏の放送への介入)については肯定も否定もしない。こういうことがあった(かどうか}とは別にして、なぜ私がそこで苦渋の顔をして(二十九日夕に局長試写が行われた部屋に)入ったかと言えば、ふつうの番組ではそういうことはあり得ない。プロデューサーに任せている。そのことと切り離せる。作る顔が見えないときには外部対応と一緒になってしまう。
本田 そういうことがあったとして、中川さん、安倍さんが松尾総局長や野島さんに説明に来いと言って説明させたうえで、言ったことというのはあまりにもひどすぎる。放送中止を求めましたよね。
松尾 覚えていない。はっきり言って覚えていない。

  圧力なのかNHKのためか

本田 松尾さん。ここが一番大事なところだと思うのですが、これだけはお約束します。松尾さんがクオート(実名で引用)しないでくれ、メモもするなと言われれば、僕はまさにここ(で約束します)。クオートしに来たというより松尾さんがどんな気持ちでその(安倍、中川両氏の)言葉をお聞きになったのか(を聞きたい)。まさにそれはそうだったけど、NHKの番組を守らなければいけないから、自分の判断でやっぱり削ったほうがいいと(思ったのか)。
松尾 国会議員は作品は見ていない。ただ、噂でこんな番組を取り扱っているのではないのかと。私は見せる気もないし、説明する気もない。「私たちを信じてください」としか言いようがない。自民党は「(放送を)やめろ」とか「何とかせい」とかいろんなことを憶測で言います。それは知らない人が言ってることですから。
本田 「天皇有罪にしてるじゃないか」とか一つひとつ(言ったのか)。
松尾 メモを取らないでくれというのは、そういうことも含め、あった、ないの議論はしたくないと。
(ここで高田記者はメモをとるのをやめて、メモ帳をポケットにしまった)
松尾 このことを目くじら立ててやった結果、NHKに何のプラスになるのか。いい番組をつくりたいという気持ちがしぼんでしまう。それが哀しい。
本田 しかし「若手議員の会」は教科書会社各社を呼びつけたことがある。中川さん、安倍さんが何の権限があって野島さんや松尾総局長を呼びつけるのかと思う。
松尾 要するに一月、二月の時期は予算について理解を得るのに、何があってもなくても説明する時間は当然とっておく。そこにたまたま政治状況が加わったという程度にしか受け止めていない。壁になって立っているのだから、相手が何を言おうと「僕に任せてください」と言って帰るしかない。
本田 でも相手は「任せない」と言っている。「放送させない」とも。
松尾 任せないと言っても任せてもらうほかない。強権発動はできない。
本田 (放送後の二月九日に開かれた)自民党総務部会で、中川さんは「こんな偏った番組を作るNHK予算は通すな」と発言したらしい。とんでもないことだ。中川さんや安倍さんが野島さんや松尾さんを呼んだのは党総務部会として呼んだのか。それとも「議員の会」として呼んだのか。
松尾 党総務(部)会を控えて関心のある人という位置づけと思う。電波メディアは許可(制)だから。出版事業と電波事業の違いの本質はここだと思う。対抗できるものがないと電波文化はできない。電波に政府がどれだけ介入してきたか。利権の巣窟だから。
本田 だからこそ批判する記事を書くことは必要と思いませんか。たとえば「俺の言ったことを絶対クオートするな」と、いまから言うことについてはね、それをはっきり言ってくだされば約束を守ります。自分の談話としてこれなら書いていいよときちっと区分けして言ってくださればありがたい。一番聞きたいのは二十九日に何があったかということ。中川さん、安倍さん(がしたこと)。実はそこに同席した自民党議員の詰も聞いている。「あれは言いすぎだ。こんなひどいことも言っていた」とも言ってくれている。
松尾 もう一人か二人いなかった?
本田 誰がいました?
松尾 忘れた。本当に。安倍さんの部屋に誰がいたってこと? 安倍さんは国会、自民党本部……。議員会館じゃなかった。そのときに誰がいたか覚えていない。二分か三分の間でやるわけだから。その間に言いたいこと言われて、こっちも言いたいこと言った。私が言ったのは「私に任せてください。私は総局長です」と。まして(直接)来て説明しているわけだから。「私が責任を持って、きちんとやりますから」と、「憶測は関係ない」と。ワーワーいろんなことを言った。ゴチャゴチャ言った。

  「ヤクザのような口の利き方」

  ここで松尾氏が「もう一人か二人いなかった?」と言ったことに注目してほしい。これは二十九日に彼が訪ねて回った政治家は中川、安倍両氏以外にも一人か二人いたのではないかという意味だ。ところが本田記者は松尾氏が呼ばれた場所に安倍、中川両氏以外の政治家もいなかったかという意味に受け取っている。
  それは本田記者が事前に自民党議員から得た断片的情報が「松尾氏が中川、安倍両氏のいる部屋に呼びつけられた」という内容だったからだ。後に本田記者はその情報が間違っていたことに気づくのだが、それまでは中川、安倍両氏が同じ部屋にいたという前提で質問している。
  こうした行き違いにもかかわらず、松尾氏が安倍氏とのやりとりをかなり具体的に話し出している点も重要だ。本田記者のねちっこい取材に松尾氏が根負けしたというところだろう。
   *
本田 「天皇の有罪判決を(番組で)流せば大変なことになるぞ」とか?
松尾 ええええ、まあまあ、いろんなことを言いました。でもそんなことはいちいち覚えていないし、一つひとつ記録するという話でもない。
本田 「天皇有罪の民間法廷のような番組はやめろ」というのは(右翼の)西村さんの言い分。中川さん、安倍さんの言い分でもあった?
松尾 そこまで強いものではなかった。同席した人がどういう情報を出したか知らないが、「一方的な報道だけはするな」ということを言われた。「客観性をもってものを論じろ」「わかっているだろう、お前。それができないならやめてしまえ」というような言い方はあったと思うが、ただ「やめろ」というのは(二十九日)夕方の時点では出ていない。
本田 そこにいた議員が話してくれたのは「あれは言いすぎだ」と。「ヤクザだと思った。自民党にはそういう人が多いのか」と思ったと。
松尾 北海道のおじさん(中川議員をさす)は凄かったですから。そういう言い方もするし、口の利き方も知らない。どこのヤクザがいるのかと思ったほどだ。
本田 (自民党議員は)「本当に放送への介入だ。あそこまで言ってはならないと思った」とも言った。松尾さんの言葉は絶対にクオートしません。自民党で証言してくれる人がいれば、それでいいわけだから。僕らはサポートがほしい。松尾さんに思い出してもらって、放送に介入する言葉は具体的にどうだったか……。
松尾 …………。

  二十九日に何が起こったのか

本田 同席した自民党議員の言葉だけでは弱い。松尾さんが(二十九日の)夕方、NHKに疲れた様子で戻られたと、みんな言っている。よっぽどひどいことを言われて苦労したと思う。
松尾 本当にアホなのかもしれないが、根に持っていてはやってられない。一人ひとりの意見に対して右から左へ流していかないと、大問題だと認識してしまうとエライことになる。だから記憶してない。ただぐちゃぐちゃ言われたことは事実。
本田 具体的にここを削れとか。
松尾 そういうことは向こうは知らない。
本田 噂で知っているだけ?
松尾 そうだ。
本田 天皇有罪の部分とか。
松尾 先生はなかなか頭がいい。抽象的な言い方で人を攻めてきて、いやな奴だなあと思った要素があった。ストレートに言わない要素が一方であった。「勘ぐれ、お前」みたいな言い方をした部分もある。
(「先生」が誰を指すのかはこの時点でははっきりしないが、この後のやりとりで安倍氏のことだとわかる)
本田 「天皇有罪の放送するなら予算を通さない」と言った?
松尾 ストレートに言ったかどうか。安倍さんをかばうつもりはないが、ないことを言うのはよくない。要するにあるグループからのご注進で聞かされてるから、「自分としてはご注進が事実とすると心配があるよということを伝えたい」ということがジェスチャー的にあった。
本田 心配な部分というのは?
松尾 右翼が言ってきた民衆法廷のストレートなPR番組ではないかと。その通りなら一方のプロパガンダに乗っかるようなことをNHKはやるのかと。私はそういうつもりはない、バランスをとることは必要だと。
本田 「北海道のおじさん」と言ったが、中川昭一さんのことですよね。
松尾 そうだ。
本田 中川さんは天皇の扱いがそうならこんな放送やめてしまえと松尾さんに言ったんですよね。
松尾 あったかもしれないが、それはコメントとしては絶対にできない。
本田 松尾さんの言葉をクオートするのではないですから。
松尾 そういう雰囲気はあったと僕は言っている。言葉の一つひとつを言われると、僕の記憶にない、本当に。全体の雰囲気として人から聞いたことを真に受けて「注意しろ」と、「俺が目をつけているぞ」「見てるぞ」と。力によるサジェスチョン。それを一方的に与える。要するに「間違っても一方的な攻め方(プロパカンダの意か)はしないでほしい」というような形だったね。時間としたら五分くらい。
本田 松尾さんが中川さん、安倍さんに会った後の印象は、下手な番組を出すと今年の予算は相当難航するという印象を受けた? 相手は本気だと?
松尾 それは思わなかった。
本田 ただの脅しと思った?
松尾 脅しとは思ったけど、より公平性、中立性、そういうものにきちっと責任持って作らねばならないという気持ちは持った。相手につけ入るスキを与えてはいけないという緊張感が出てきたのは事実。私と吉岡(教養番組部長)と伊東(番組制作局長)と、(そこに)時々、野島(担当局長)が入ってきて──あいつは戦後の歴史に詳しいというので呼んだ──、PD(プロデューサー)やデスクにもみんなで意見を聞きながら(話し合いを)やった。どれが正論というものもなく、みんなが不安になった。番組編成局が不安になるのが一番いけない。誰も責任をとれないという状態で放送が出るのはよくない。そこで何回もの詰め作業が行われた。明確に(番組の)これを切ろうとかいうのは結果論です。

  誰が三分削れと言ったのか

  ここは松尾証言の核心と言うべきところだ。なぜなら彼は二十九日午後に政治家に会ったことと、番組改変の因果関係を「つけ入るスキを与えてはいけないという緊張感が出てきたのは事実」と、はっきり認めているからである。
    *
本田 僕が聞いているのは永田町の党本部の中の、安倍さんは幹事長だったか(注・実際には官房副長官)、安倍さんの部屋で会ったと?
松尾 そう、党本部の、ちょっと広いところ。幹事長室です(注・実際は違う)。中川さんは議員会館。
    *
  ここで初めて本田記者は松尾氏が別々の場所で安倍、中川両氏と会ったことに気づくのだが、そのまま質問を続ける。材料不足を相手に気取られないことは、事実を引き出す際の基本的なテクニックだ。私が本田記者の立場でもそうしただろう。
    *
本田 安倍さんに会って、その後に中川さんのところに行った?
松尾 安倍さんのほうが忙しかったのではないか?
本田 ということは中川さんが先?
松尾 中川さんが先で、(その後が)安倍さん、だと思うな。なにしろ、もう一人、途中でどなたかにお会いしているので。一ヵ所で全部済むわけでなく、車で移動したという感じがする。党本部と議員会館と。
本田 放送日の夕方、吉岡部長に「三分削れ」と言ったのは、なぜ?
松尾 これは絶対マル秘。俺はあれ(四十三分版)でいいと思った。皆もそう思った。ところが、ある人が不安になった。「どうしても」と言って仲間に聞いて回った。するといろんな意見が出た。それで改めて(再カットの話が)出てきた。
本田 伊東律子さん?
松尾 そうだ。俺は「いいやん、もう」と言っているのに、「ダメか?」と聞くと、律ちゃんは「私は心配だ」「ここまで総局長、やったなら、もうちょっと公平性ということ考えようよ」と言った。そう言われると、(番組作りは)番制局長の責任だから。
本田 伊東さんはなんで突然言いだしたのか。誰かに言われたとか。
松尾 いろんな歴史観があるから。
本田 海老沢会長に言われたとか?
松尾 そんなものはない。

  「野島は国会の顔役」

  伊東番制局長の陳述書によれば、彼女は三分カットを決める直前に海老沢勝二会長(当時)に会っている。
  三十日夕、彼女が一人で番制局長室にいるとき、会長秘書から「なかなかご苦労されているようですね。いまちょうど会長の予定があいていますので、いらっしゃいませんか」と連絡があった。会長室に出向くと、海老沢会長は「何だか騒々しいようだね。右翼団体が問題にしている女性法廷というのは一体どんなものなのか」と尋ねた。
  彼女が法廷の概要を説明したうえで「従軍慰安婦問題は国民の間でも意見が分かれていますので右翼団体などから抗議もきました。ただ現場も慎重に扱っています」と答えると、「そうなんだ。この問題はいろいろ意見があるからな。なにしろ慎重にお願いしますよ」と言ったという。
  伊東局長は会長と話したことを松尾総局長に伝えておいたほうがいいと思い、その足で総局長室に行った。そこで松尾氏と話しているうちに「本当にこのまま放送していいのか。もう一度考えなくていいのか」という気持ちになり「総局長と二人で再度番組の内容を確認していった結果、やはりこれらのシーンを削除するのが妥当ではないかという話に」なったという。
    *
本田 松尾さんが国会議員に会ったのは二九日の夕方だけ?
松尾 そのときです。それ一回きり。
本田 でも(後で)「どうなったんだ」と電話がかかってきたでしょう。
松尾 かかってきたかもしれない。電話でも「わかりました。はいはい」とガチャンとやればいい。
本田 中川さんからですか、安倍さんですか。
松尾 知らない。電話があったことは全然覚えていない。
本田 野島さんには?
松尾 それはあったかもしれない。野島は(議員の)窓口なので。
本田 松尾さんが最高責任者なのに、野島さんがお目付役みたい。
松尾 野島も悪い人間ではないのだが。野島が言うことで先生方も「それなら、この訳のわからない男を信用しよう」ということになればいい。(二十九日に永田町に行く前)野島には「頼むぞ。俺を裏切るなよ」と言った。野島も「わかりました。ガチャガチャ言ったら僕が言いますから、最後は頭を下げてください」と言った。野島は国会の顔役。俺は俺なりに彼を利用したと思う。
本田 これまでも国会議員に呼ばれて番組について言われたことは?
松尾 あります。選挙のときはしょっちゅうです。
本田 放送前に呼ばれることは?
松尾 だいたい作った後です。
本田 放送前は異例か?
松尾 大河(ドラマ)とかはあるけど、(今回のような)ETVの特集的要素で事前にというのはなかった。
本田 今回は(放送の)後(に呼ばれた事実)はない?
松尾 前にはあったけど後はない。いろんな要素が絡んで説明に行ったりするケースは多いから。
本田 でも、呼ばれて行かないわけにはいきませんからね。

  「圧力は絶えずある」

松尾 呼ばれていかないとどうなるか。ものすごい圧力。三倍、四倍の圧力です。放送中止になったかもしれない。(番組内容を詳しく)知らないのに誇大妄想に支配されて力でガンと押されれば本当に予算を通さないという話になる。そういう駆け引きをやる。(NHKの)国会対応の人(職員)たちは番組の内容を知らないから不安だけ増してしまう。先生の言われた通りに走り始めて必要以上に圧力を感じてしまう。これはものすごく危険だと思った。だから「お前ら余計な説明するな。俺がやる」と。説明が悪いうえに誤解を受けて尾ヒレがついて帰ってきてしまう。対応のしようがない。
本田 中川とか安倍に呼びつけられてガンガンやられるのはガス抜き?
松尾 そう。意図的にやったわけではない。ガス抜きは。圧力は絶えずあると思っていた。国会の圧力は目に見えないことも含めて相当感じることが多いので聞き流す。
本田 今回呼ばれたことも圧力と感じたわけですね。
松尾 圧力とは感じる。圧力とは感じるけれど、だからといってどうしたのかと言えば、それは一つの意見だった。それは視聴者にでもなんでも全部あります。右翼にもあります。
本田 中川さんと安倍さんに説明されたとき「若手議員の会」の代表と事務局長の肩書きとして(行ったのか)。
松尾 いや、違う。行く前から野島が説明してくれた。周りの人間たち(から)も「そういう会ですよ」、なぜそこがぐちゃぐちゃ言っているのかを聞いていた。しかしわれわれが会ったのは安倍幹事長(注・官房副長官の誤り)であり、中川……、中川さんは役職(は)何だったか。まあ自民党の有力政治家というか。
本田 安倍さんは幹事長だった?
松尾 まだなってなかったかな。何か役職はやってました。森さん(の政権)のとき副幹事長とか。(安倍氏に会ったのは)広めの応接間です。
本田 中川さんは農水大臣?
松尾 大臣ではないだろう。なってても副大臣くらい。大臣室みたいなところで会った覚えはないから。
本田 中川さは議員会館?
松尾 そう、議員会館。
本田 決して副大臣室みたいなものじゃないわけですね。
松尾 そういう感じじゃない。広かったら安倍さんみたいに覚えている。

 「できないならやめちまえ」

  松尾インタビューは九日午後二時五十分に終わった。それから十日後の会見で松尾氏は@安倍氏には会ったが、中川氏については記憶が定かでないと答えたのに、両氏に会ったかのようにでっち上げられた。A何回も「政治的圧力を感じただろう」と決めつける質問をされ、その度に否定したが、記事は逆の内容になった。Bすでに中川、安倍両氏が認めたかのようにウソをついて答えを引き出そうとした──と本田記者を非難したが、それがいかにデタラメであるかが十分おわかりになっただろう。
  松尾インタビューの翌朝、本田記者は中川氏の自宅を訪ねている。そこで本人が長崎に出張していると聞き、羽田空港から長崎に飛んだ。空港から中川議員の秘書の携帯電話に電話して取材趣旨を伝えると、「先生は現在講演中。いずれ長崎空港に行くから空港で待機せよ」との返答だった。空港で待つと、秘書から「いま、先生と代わる。この電話でのみ取材に応じる」と電話が入った。
    *
中川 ああ、その件か。知ってるよ。覚えているよ。どうしようかな。ノーコメントにしようかな。しかし俺の名前がそこ(内部告発)に書かれているんだろ? とするとノーコメントにするわけにもいかないな。
本田 その通りです。きちんと説明したほうがいいと思います。放送内容がどうして事前にわかったのですか?
中川 同じような問題意識を持っているわれわれの仲間が知らせてくれた。
本田 それは誰ですか?
中川 われわれの仲間だと言っているだろう。それは安倍さんに聞いてくれ。とにかく事前に内容を知ったんだ。
本田 それで二九日にNHKの野島、松尾両氏に会われたわけですね。
中川 ああ会った、会った。議員会館でね。
本田 (NHK側に)何と言われたのです?
中川 マスコミお断りの裁判ごっこになぜNHKが入れたのかって。
本田 マスコミお断りでなく、私どもも海外メディアも取材してました。
中川 当たり前だ。朝日なんかは主催者と同類だし、わけのわからん海外メディアだ。それにあれは法廷じゃないだろう。裁判ごっこじゃないか。それを法廷とか言うなよ。とにかく番組が偏向してると言ったんだ。それでも「放送する」というからおかしいじゃないか、ダメだって言ったんだ。だって「天皇死刑」って言ってるんだぜ。
本田 それは事実誤認です。「天皇有罪」は言っていましたが。
中川 俺はそう聞いたんだから。そこ(法廷)に行っていた人から俺は聞いてるんだから。それで裁判ごっこするのは勝手だが、その偏向した内容を公共放送のNHKが流すのは、放送法上の公正の面から言ってもおかしい。偏っているって言うと、向こう(NHK)は教育テレビでやりますからとか訳のわからんことを言う。あそこを直します、ここを直しますからやりたいと。それでダメだと。放送法の趣旨から言ってもおかしいじゃないかって。
本田 どこをどう直すと?
中川 細かいことは覚えてねえよ。
本田 居合わせた人の話では「公平で客観的な番組にしろ。それができないならやめちまえ」と言われたとか?
中川 売り言葉に買い言葉で言ったかもな。

  「当然のことをやった」

本田 放送中止を求めたのか?
中川 まあ、そりゃそうだ。それより誰が告発しているんだって?
本田 番組を作った現場の人です。
中川 作った人間も左翼だからな。俺のところへ来たNHKの連中もそんなことを言っていたよ。
本田 これは報道や放送に対する介入だと思いませんか?
中川 俺たちと逆の立場の人間から言えばそうだろう。俺は全然そう思わない。当然のことをやった。
本田 番組は見たのですか?
中川 見ていない。どうせひどい番組だと思っていたので、そんな番組見る気にならない。
本田 偏向したNHKの予算は通さないということは言われた?
中川 向こう(NHK)のほうが「こういう大事な時期ですから」って言ってきた。それで俺が「予算の時期だろ」って。俺は党の通信部会(現在は総務部会)でもこんな偏向報道のNHKの予算は通すべきでないと堂々と言っている。
本田 内容が放送法に違反すると?
中川 違反するさ。
本田 でも番組の中身は見ておられないんでしょ?
中川 見たさ。
本田 さっき見ていないと……。
中川 ビデオで見たんだ。テレビは見ていないって言ったんだ。
本田 元のものと比べて天皇有罪の部分がカットされるなど、先生の立場からすると前のものよりはよくなっていたのでは?
中川 前よりはよくなったと言えば、よくなったんだろうけどな。元がよくわからないから。しかしだね、連中もそんなもん毅然として拒否したらいいじゃないか。そのほうが君たちの言い分としても筋が通ってるんじゃないの?
本田 まったくその通りです。

  インターホン越しの取材

  中川氏の話は松尾証言と基本的に一致している。とくに「向こう(NHK)は教育テレビでやりますからとか訳のわからんことを言う。あそこを直します、ここを直しますからやりたいと。それでダメだと。放送法の趣旨から言ってもおかしいじゃないかって」という部分などで中川氏は事前に圧力をかけたことをはっきり認めている。これだけはっきりしゃべったことを後ですべてひっくり返すのは、無責任極まりない態度だと言うほかないだろう。
  中川インタビューの後、本田記者は東京にとって返し、同日午後六時すぎ、渋谷区の安倍邸を訪ね、玄関のインターホン越しに安倍氏に取材した。
    *
本田 朝方お訪ねしてポストに名刺を入れておきました朝日新聞の本田雅和、こちらは同僚の高田誠です。四年前、慰安婦の責任を問う民間法廷を素材にしたNHKの番組作りの過程で問題があったとNHK内で内部告発があり、その告発の中に中川昭一、安倍晋三両氏のお名前があり、お二人が事前にNHK幹部にお会いになり、関係者にも取材した結果、放送内容への介入や放送中止を求めたということがあったので見解をうかがいに参りました。
安倍 一方的に組織的にそういう番組作りが行われたのに、そのことに対する内部告発がないのがおかしいと僕は思う。
本田 まあ、そういうご見解をお持ちになるのはよろしいんですが。先生方がNHKの放送内容を偏っているとか批判されるのはご自由で結構なことなんですが、まず最初にあの年の一月中旬、事前に放送内容が右翼団体の維新政党・新風の西村修平さんたちに漏れていますね?
安倍 そんなことはこっちの知ったこっちゃない。
本田 安倍先生のところになぜ事前に番組内容が漏れたのですか? 安倍先生にそのことを流したのは? それは西村さんたち?
安倍 その人とは会ったことがない。名前は知っているが。NHK幹部に会ったのは放送後じゃないか?
本田 いいえ。放送は一月三十日午後十時。お会いになったのは二十九日午後です。告発では中川さんや安倍さんが松尾総局長や野島担当局長を呼びつけて「偏った放送内容だから放送を中止しろ」と言ったことになってます。
安倍 だから心ある人が、何人かの人に言って、それが伝わってきたんだ。
本田 それで先生はNHKの二人を呼んで放送の中止を求めたのですか?
安倍 説明を聞いたんだ。
本田 どんな説明でしたか?
安倍 そんなもの覚えていないよ。
本田 少なくとも安倍先生のほうからは偏った内容で、慰安婦問題については天皇に責任があるとか言っている法廷じゃないか、それを流すのか、みたいなことを言われたわけですね。

  「いい加減にしなさい」

安倍 いや、そういうことじゃなくてね、公平性に著しく欠けますね、と言ったんだ。そしたらNHK側も「そうですね」と言ったんだ。それで私の考え方を言って、私の言っていることが違うんだったら反論してくださいと言った。
本田 それでNHK側は何と?
安倍 それはもういい。それよりあなたたちはそんなことを一生懸命やって気が狂っているが……。
本田 いいえ、気は狂っていません。そうじゃなくて。
安倍 いやこちらは連休の一日で久々に休んでいるから、じゃあ終わりますね。
(ここで安倍氏がインターホンを切る。本田記者がインターホンを鳴らす)
本田 先生、あと一点だけ教えてください。
安倍 うるさいから。いきなりやってきて、休日を過ごしているときにいい加減にしなさい。
本田 本当に申し訳ありません。
安倍 何だと思っているのだ。
本田 ただ、これは政治家の方々の放送の独立に対する事前検閲や介入にあたるという主張がなされているものですから。
安倍 私たちは選挙で当選して国民の負託を受け、その代表として意見を申し上げている。あなたの意に添う意見だったらよくて、意に添わない意見だったらよくないというわけか。
本田 いや、まったくそんなことはありません。
安倍 いま僕がしゃべっていることはオンのコメントになるわけ?
本田 取材させていただくということで来ているのですが?
安倍 それはダメだよ。今日は。
本田 先生が放送中止を事前に求めたということが言われているんですが。
安倍 そんなこと求められるわけないじゃないか。
本田 いや、中川先生はそういうふうに言ったとおっしゃっていますが。
安倍 放送中止を?
本田 当時、中川先生は議員会館でお会いになった。安倍先生ほどちらでお会いになったのですか?
安倍 よく覚えていない。
本田 自民党本部と言われているが、当時先生は官房副長官でふだんは首相官邸に詰めておられたのではないですか?
安倍 会った場所はどこかわからないね。
本田 いずれにせよ、そのときいろいろNHK側は説明したが、偏った放送内容ならやめろ、と言ったと中川さんたちは言っているが?
安倍 そこには中川さんはいないんじゃないかなあ。
本田 だからお会いになったときには中川さんと安倍さんとは別です。それで先生、私どもは取材に参ったのですが。これは取材拒否でございますか? 基本的には。
安倍 だって取材ってのは前もってちゃんと言っておいてもらわないと。
本田 だから申し上げているんですが、これは急ぎの内容で、近々告発者の方の記者会見もある。
安倍 そんなことを事前に知ってるのおかしいじゃないか。
本田 いえいえ私はこの四年間ずーっと取材を重ねてきて、その方の動向を知り、私がその方に取材を申し込んだのでわかったことです。

  安倍氏のおかしな言い分

  この後、若干のやりとりを経て本田記者は「早ければ明日にでも記事を書かねばなりませんので、いまのお話だけは先生のお言葉として使わせてください」と頼んだ。それに対して安倍氏は「じゃ、どうぞどうぞ」と答えてインタビューは終わった。
  では、続いて安倍氏本人が本田記者の取材のやり方について語っている言葉を紹介しよう。

  「祝日だった一月十日夜の、私に対する取材方法も到底まともなものではなかった。何の約束もなく、夜遅くにいきなり私の家にやってきて、インターホン越しに、四年前の出来事についてNHKに圧力をかけて番組を中止させようとしただろうと、あれこれ言質をとろうとする。本当に朝日の記者なのかどうかもわかりませんので、インターホンを切ると、今度はインターホンを延々と鳴らしつづける。それで仕方なく応じると私には「中川さんはもう認めている』と言って迫る。あとでわかったのですが、私よりも前に中川さんに取材したときに、安倍はもう認めた』とウソを言っていた。そんな子供騙しのひっかけで、正しい取材結果が得られるわけがないじゃないですか」(『諸君』二〇〇五年四月号のインタビュー)

  「私が家で寝ているときにやってきて、最初、安倍さんは抗議行動をしていた右翼団体と関係あるんですねと、街宣車を回すように指示したんですかと、まったく根も葉もないことをいきなり言ってきて、それは失礼じゃないかと言って切ったら、五分間にわたってインターホンを鳴らし続ける、と。ちょっと待ってくださいよと言ってもう一回切っても、さらに五分間鴨らし続ける」(同年一月三十日のフジテレビ「報道2001」での発言)

  「私が会った朝日新聞の記者は有名な左翼的な記者なんです。ある日突然、一月十日の夜にやってきました。私は風邪で寝込んでおりましたが、ピンポンピンポンインターホンを鳴らして家内が出ました。そしたら暗い目をした人物が二人立っていたそうです。『主人は風邪で寝込んでます』と言ったら、『会ってもらえなければ取材拒否ということにしますよ』とこんな感じで家内を脅かしたものですから、私はインターホン越しに話をしました」(地元の安倍晋三後援会での発言)

  これが事実なら、本田記者は悪質で無礼極まりない記者ということになる。だが、取材記録を読んでおわかりのように、彼が安倍氏の言うようなひどい取材をした形跡はまったくない。この件での社内調査に携わった朝日新聞の幹部はこう語っている。
  「安倍さんの発言は事実に反することだらけです。まず、本田記者の取材が『夜遅』かったというのは嘘です。実際には午後六時すぎで、これは取材に使った車の運行記録でも確認されています。それに取材経過を録音したものを聴くと、安倍夫人が『主人は風邪で寝込んでいます』と言った事実はありません。『ちょっとお待ちを』とごく普通に安倍氏に取り次いでもらっています。もちろん本田記者も『会ってもらえなければ取材拒否』だとか『右翼団体と関係があるんですね』『街宣車を回すように指示したんですか』なんてことは一切言ってません」
  この幹部によれば、「五分間にわたってインターホンを鳴らし」続けたというのも事実ではない。確かに十五分間にわたる安倍氏との会話の途中でインターホンは四回切れているが、そのうち三回の切断はインターホンが三分で自動的に切れる仕組みになっていたためである。本田記者は途切れた会話を再開するためにそのつどスイッチを押し直したにすぎず、相手が出てくるまでインターホンを鳴らすような非礼は働いていない。

  そして、これは最も重要な点だが、本田記者が「子供騙しのひっかけ」をした事実もない。読者にはすでにおわかりのことと思うが、安倍氏は本田記者が「中川さんも(自分が放送中止を求めたことを)認めている」と言ったのを「中川さんも(安倍氏が放送中止を求めたことを)認めている」と受け取ったにすぎない。

  ほぼ適正な取材姿勢と手法

  こうして松尾、中川、安倍各氏の取材を子細に検証してみると、本田記者の取材は極めてまっとうな形で行われたことがわかる。彼の取材姿勢や手法について各方面から浴びせられた批判は、まったくの見当違いと言っていい。
  ただ、彼の取材に不十分な点がなかったわけではない。特に松尾氏が放送前日に中川氏と会ったという事実の確認においては詰めの甘さがあった。本来ならば、中川氏がNHK側に圧力をかけたことを認めたとき、NHK幹部の誰とどういう状況で会ったのかという点についてもう少し踏み込んで質問すべきだったろう。その作業を怠ったがために、後に中川氏がNHK側との事前接触を否定したとき有効な反論が難しくなってしまった。

  おそらくNHK・中川氏が主張するように放送後の二月二日に伊東、野島両氏が中川氏に面会したのは事実だろう。とすれば、本田記者の取材を受けた際に中川氏の記憶の中で放送前と放送後の出来事がごっちゃになっていた可能性は否定できない。
  しかし、もし中川氏と松尾氏らの事前接触がなかったとしたら、なぜ松尾氏があれほどはっきりと中川氏との面談の様子を語ったのかという大きなナゾが残る。それに中川氏がどういう形にせよ事前に圧力をかけた事実がなかったとしたら、彼自身が「向こう(NHK)は教育テレビでやりますからとか訳のわからんことを言う。あそこを直します、ここを直しますからやりたいと。それでダメだと」などと言うはずがない。

  放送法第三条は放送局の自律性を保たなければ民主主義は成り立たないという認識に基づいて「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と定めている。
  番組改変問題の最大のナゾは政治的な圧力があったかどうか、ということだった。松尾氏の証言記録などを読めば、その答えは明らかだ。そういう意味では朝日の報道は間違っていない。しかし実際に圧力がかかった経緯となると、朝日が想定した、直接的で露骨な圧力というより、もう少し複雑な構図があったのではないかと私は考えている。
  その理由を説明するためには、まず中川氏や安倍民らの当時の動向を押さえておく必要がある。

  教科書間題という伏線

  「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」は、「歴史教科書に従軍慰安婦の記述が載ることに疑問を持つ戦後世代を中心とした若手議員」の集まりとして九七年二月に設立された。
  同会は九七年十月に「慰安婦問題の教科書掲載に関する質問主意書」を政府に提出して答弁を求めたり、同年末には『歴史教科書への疑問』(同会編・展転社)という慰安婦問題をメインテーマにした本を出版したりするなどの活動を続けていた。

  NHKの番組が放送される前年の二〇〇〇年四月に入って慰安婦・教科書問題は新たな局面を迎える。「新しい歴史教科書をつくる会」が提案し、扶桑社が編集・作成した中学校『歴史』『公民』の教科書が文部省に検定申請され、合格する見通しが強まったからだ。このため同年九月、朝日新聞が「韓国併合は必要」との見出しで「つくる会」の『歴史』自表紙本(原則非公開)の内容を報じると、韓国政府は「つくる会」教科書に「憂慮の意」を表明した。

  九月末に中国高官と会談した野中広務自民党幹事長(当時)が「慰安婦などに対する(歴史教科書の)記述が若干薄まってきているといった指摘をする報道もある。近隣アジア諸国との国際的な理解と国際協調の見地で配慮していかなくてはならない」と発言すると、「若手議員の会」は緊急総会を開き、会長の中川氏が幹事長室に乗り込んで野中幹事長に検定に政治介入しないよう申し入れた。
  翌十月には産経新聞が「検定審議会委員で元外交官の野田英二郎氏が「つくる会』教科書を不合格にするよう裏工作していた」と報道。さらに「野田氏の不合格工作は中国政府の意向を受けた外務省の組織的な行動だった」という記事も掲載した。
  十二月には中国の陳健駐日大使(当時)が民主党の鳩山由紀夫代表(当時)に「最近、教科書で歴史を変えようという動きがある。中国側としては受け入れられない」と発言。その一方で全国の三十道県、百二十六市区町村の議会が教科書採択適正化を求める請願書を採択して(十二月二十八日付の産経新聞)、「つくる会」教科書を後押しするなど、国内外でさまざまな動きが起きた。

  番組改変を迫る人々

  その渦中に開かれたのが女性国際戦犯法廷である。翌年一月中旬、NHKが法廷を題材にした番組を放送するという情報が広まり、NHKへの抗議行動が本格化した。本田記者のインタビューに登場した西村氏が率いる「NHKの「反日・偏向』を是正する国民会議」などさまざまな右派団体から電話、ファックス、メールなどで「放映中止」を求める声がNHKに殺到した。
  政官界に大きな影響力を持つと言われる「日本会議」も一月二十六日、小田村四郎副会長らが総務省を訪ね、片山虎之助大臣にこの番組放送は「わが国の名誉を傷つける」ものだという抗議文を手渡し、片山大臣から「調べてみよう」という返答を引き出している。
  さらに自民党右派に太いパイプを持つと言われる「日本政策研究センター」(伊藤哲夫所長)もNHKの「暴挙を阻止すべく」「抗議と放映中止の要求活動」(機関誌「明日への選択」より)を活発に繰り広げた。
  同センターの伊藤所長は中川、安倍両氏のほか古屋圭司代議士ら「若手議員の会」中心メンバーと親交があって同会設立にも深く関わり、女性国際戦犯法廷の開催も「左翼の茶番劇」と批判していた。

  こうした動きと連動するように「若手議員の会」から番組放送に反対する声が上がった。放送五日前の一月二十五日前後のことだ。
  国会対応の担当局長だった野島氏の陳述書によると、彼の部下が古屋代議士ら自民党総務部会のメンバーたちを訪ねた際、複数の議員から「『若手議員の会』の議員らが昨年十二月に行われた『女性国際戦犯法廷』を話題にしている」「NHKがこの法廷を番組で特集するという詰も聞いているが、どうなっているのか」「予算説明に行った際には必ず話題にされるだろうから、きちんと説明できるように用意しておいたほうがいい」などと言われたという。

  「右翼を番組に取り込めないか」

  この情報はすぐにNHKの伊東番制局長に伝わった。関係者の証言によると二十六日、野島局長から伊東局長に電話があり、「永田町で騒いでいる右翼を番組に取り込めないか」と打診があった。つまり「若手議員の会」などに放映中止を働きかけている「右翼」を番組に登場させ、その主張を語らせることで摩擦を回避しようというのである。

  この「右翼」が誰を指していたのか明確ではないが、伊東局長の周囲から「その人物が出演する必然性がない」という声が出たため野島局長の提案は採用されず、代わりに日大の秦教授に登場してもらうことになったという。
  同日夜、制作現場にも「自民党の国会議員から番組へのクレームがあり、(国会対策を受け持つ)総合企画室の担当者が対応に追われている」という情報がもたらされた。その後、現場スタッフは「番組内容に対するクレームにどう答えるか」という対応メモを作成するよう指示された。
  翌二十七日になると、伊東局長が制作現場のスタッフに「若手議員の会」編の単行本『歴史教科書への疑問』を見せ、そこに登場する議員たちを指しながら「番組で騒いでいるのはこの人たちなのよ」と語ったという。

  この経過で明らかなように「放送中止」の圧力は右派団体・若手議員の会→NHKの国会担当職員→野島局長→伊東番制局長・松尾総局長の順で伝わっている。折からNHKの予算審議の時期だったこともあって、NHK上層部はこれに敏感に反応し、松尾総局長が野島局長とともに「説明」に出向くことになった。松尾氏は安倍官房副長官らの対応で「つけ入るスキを与えてはいけないという緊張感」を持ち、「みんなが不安」になって番組改変が行われたことを朝日に認めている。

  それから三十日夜の放送までに起きたことは本誌三月号のレポート(NHK番組政変劇「暗黒の5日間」)に書いたからここでは繰り返さない。二十九日夕の松尾総局長の永田町訪問直後から三十日夕にかけて二度にわたる「大幅カット指令」が出され、現場の猛反対を押し切る形で通常より四分も短い四十分版が放送された。

  以上がこれまでの取材で私がつかんだ事実のすべてである。番組改変劇は政治的圧力に極度に弱いNHKの体質を見事に浮き彫りにした。内部告発した長井氏が会見で語ったように、過去七年余り続いた海老沢(前会長)体制の「最大の問題点は政治介入を恒常化させてしまったこと」にあった。
  その負の遺産を一掃するため、NHKの報道や番組制作の現場では地道な努力がいま始まっているという。「皆さまのNHK」が公共放送の自律性を回復し、本当の意味で「皆さまのNHK」になる日が一日も早く来るよう切に望みたい。

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うおずみ・あきら 1951年熊本県生まれ。一橋大学卒。共同通信を経てフリーに。『野中広務 差別と権力』で講談社ノンフィクション賞を受賞

月刊現代 2005年9月号