袴田事件決定要旨
平成26年3月27日 静岡地方裁判所
決 定 要 旨
有罪の言渡を受けた者 袴田 巌
主 文
本件について再審を開始する。
有罪の言渡を受けた者に対する死刑及び拘置の執行を停止する。
理 由 の 要 旨
第1 確定判決
1 確定判決の存在と主文
静岡地方裁判所昭和41年(わ)第329号住居侵入,強盗殺人,放火被告事件
昭和43年9月11日判決宣告 主文は死刑
2 確定判決の認定事実(概要)
味噌製造会社工場の住み込み工員であった袴田巌(以下「袴田」という。)は,昭和41年6月30日,工場に隣接する会社の専務方に侵入し,
同人とその家族3名をくり小刀で突き刺した上,会社の売上現金等を強取し,被害者らに混合油を振り掛け放火して専務方を焼毀し,被害者4名を殺害した。
3 確定判決の証拠構造
確定判決が,袴田を犯人と認定する上で最も重視した証拠は,昭和42年8月に工場の味噌タンクから発見された5点の衣類
(白ステテコ,白半袖シヤツ,ネズミ色スポーツシャツ,鉄紺色ズボン及び緑色パシツ)である。
これらが,袴田が犯行時に着用していた衣類であると認定され,袴田が犯人と認められた。
第2 当裁判所の判断
1 再審開始
(1) 弁護人が提出した証拠と結論
弁護人が提出した証拠,とりわけ,5点の衣類等のDNA鑑定関係の証拠及び5点の衣類の色に関する証拠は,新規性の要件を満たすものである。
また,それは,最重要証拠であった5点の衣類が,袴田のものでも,犯行着衣でもなく,
後日ねつ造されたものであったとの疑いを生じさせるものである。
これらの新証拠の存在を前提にすれば,新旧証拠を総合して判断しても,5点の衣類がねつ造されたものであるとの疑いは払拭されないから,
5点の衣類により,袴田が犯人であると認めるには合理的な疑いが残り,他に袴田が犯人であることを認めるに足る証拠もない。
したがって,DNA鑑定関係の証拠等が確定審において提出されていれば,袴田が有罪との判断に到達していなかったものと認められる。
5点の衣類等のDNA鑑定関係の証拠及び5点の衣類の色に関する証拠は,刑事訴訟法435条8号の 「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」 に該当する。
したがって,本件については再審を開始すべきである。
(2) DNA鑑定関係の結果
弁護側鑑定(弁護人推薦の鑑定人による鑑定)(STR型)の結果によれば,5点の衣類の血痕は,
袴田のものでも,被害者4人のものでもない可能性が相当程度認められる。
@ 検出されたアレル(対立遺伝子)は,対照試料(血痕とは別の場所から採取した試料)からは全くアレルが検出されていないこと等からみて,
その大部分は血痕に由来する可能性が高い。
A 確定判決応よれば,袴田の血痕とされる白半袖シャツの右肩の試料から検出されるアレルは,袴田のアレルと一致するはずであるのに,
検出されたアレルの半分以上が袴田のものと一致しておらず,そのうち1個は,2回目の検査で2回とも検出されているという再現性のあるものである。
白半袖シャツ右肩の血痕は袴田のものではない蓋然性が高まった。
B 被害者4名は夫婦とその子2人であるから,同じ座位に出現する4名のアレルは,遺伝子の性質上4種類以内である。
しかし,5点の衣類及び被害者着衣からは,袴田と同一のアレルを除いても,同じ座位に5種類以上のアレルが検出される結果が複数確認された。
5点の衣類には,被害者4名の血液以外の血液が付着している可能性が相当程度認められる。
C 検察側鑑定(検察官鑑定の鑑定人による鑑定)STR型)の結果は,弁護側鑑定の結果と相当異なっている。
その理由は,確率効果によりアレルが出たり出なかったりすることがあること及び検査方法の違いによる可能性があり,
検査方法としては弁護側鑑定の方がより信頼性の高い方法を用いているから,検察側鑑定の結果によって,
弁護側鑑定の結果の信用性が央われることはない。
また,検察側鑑定(ミトコンドリア型)の結果は,白半袖シャツ右肩から袴田と一致しないミトコンドロアDNAが検出されている。
その余の試料からの検出結果を踏まえると,外来DNAによる汚染の可能性もないとは言えないが,この限度では,弁護側鑑定と整合的と評価できる。
(3) 5点の衣類の色に関する評価
弁護人らは,模造5点の衣類に血液を付着させ,それを味噌に入れて色の変化を見るという実験を行った。
その実験結果と発見当時の5点の衣類の色を比較すると,実験条件が厳密に同じものではないことを十分考慮しても,
5点の衣類の色は,味噌タンタ内の味噌の色と比較して不自然に薄い可能性が高い上,血痕の赤みも強すぎ,
長期間味噌の中に隠匿されていたにしては不自然である。
(4) 5点の衣類に関するその他の新旧証拠の評価
@ 5点の衣類の発見経緯
5点の衣類は,事件後の捜索や味噌の仕込みの際に発見されなかったのに,事件から1年以上経過して発見されており,不自然である。
また,そもそも,焼却するなどのより効果的な証拠隠滅手段もあったのだから,
袴田が早晩発見されることが予想される味噌タンク内に5点の衣類を隠匿すること自体が不自然である。
A ズボンのサイズ
弁護人が提出した新証拠により,鉄紺色ズボンのサイズは,確定判決等の認定と異なり,細身用の 「Y体」 であったことが明らかになった。
袴田のウエストサイズと適合していなかった可能性があり.ズボンが袴田のものではなかったとの疑いに整合する。
B シャツの損傷と袴田の傷の位置関係
白半袖シャツの損傷,ネズミ色スポーツシャツの損傷及び袴田の右上腕の傷の数が一致しておらず,
位置関係からしても,これらが,袴田が着用していた際に形成されたものではない可能性があり,ねつ造されたとの疑いに整合する。
C ズボンの端布の押収経緯
鉄紺色ズボンの端布が袴田の実家から押収されたが,その際,一緒に押収された物は,捜索差押許可状の目的物となっていたバンドだけである。
本件は,極めて重大な事件であったから,5点の衣類に関係のありそうな物,
すなわち袴田の着衣やこれに関連する物を広範に押収するのが自然であるのに,一見しただけでは事件との関連性が明らかでない端布を押収して,
他には目的物とされていたバンドしか差し押さえていないのは,不自然である。
加えて,5点の衣類と端布は,いわばセットの証拠とも言え,5点の衣類にねっ造の疑いがあれば,端布についても同様の疑いがあり,
袴田の実家から端布が出てきたことを装うために捜索差押を行ったとすれば,容易に説明が付く。
(5) 5点の衣類以外についての進級証拠の総合評価
念のため,確定判決で触れられている,袴田のパジャマ,袴田が知人女性に渡したとされる紙幣,
袴田の左手中指の切創等及び袴田の自白調書についても,新旧証拠を総合して検討を行った。
これらの証拠は,袴田の犯人性を推認させる力がもともと限定的又は弱いものしかなく,
DNA鑑定等の新証拠の影響でその証拠価値がほとんど失われるものもあり,自白調書も,それ自体証明力が弱く,
その他の証拠を総合しても,袴田を犯人であると認定できるものでは全くない。
2 執行停止
再審を開始する以上,死刑の執行を停止するのは当然である。さらに,当裁判所は,刑事訴訟法448条2項により拘置の執行停止もできると解した上,
同条項に基づき,裁量により,死刑(絞首)のみならず,拘置の執行をも停止するのが相当であると判断した。
袴田は,捜査機関によりねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ,極めて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。
無罪の蓋然性が相当程度あることが明らかになった現在,これ以上,袴田に対する拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する状況にある。
以 上


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