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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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安倍元首相国葬問題をきっかけに安倍政治を振り返る

2022年8月16日


1 亡安倍晋三氏の国葬について、最近の共同通信による世論調査では、半数の国民が反対していることを示しました。この結果は、国民の間で国葬に対する声に出しにくい疑問や怒り (なぜ国葬なのか、国葬によって安倍晋三氏を政治家として実化することは許されない、岸田政権による政治利用だ等) を示すものでしょう。

 安倍国葬問題は、安倍政治とは何であったのか、安倍晋三という政治家はどういう人物であったのかを振り返る機会となりました。

2 安倍晋三という政治家は、日本を戦争に最も近づけた人物でした。

 まず政治家として、彼は狭量な人物で、物事に対する執着心は並外れて強く、嘘を平気でつけるデマゴーグでした。

 狭量な人格は、相手に対する攻撃性の強さとして現れます。自分に反する相手は「敵」として徹底的に攻撃しました。「悪夢の民主党政権」攻撃はその典型です。選挙応援のための街頭演説で「こんな人たちに負けるわけにはいかないのだ。」と叫んだこともそうです。

3 彼のデマゴーグ政治家としての面目を躍如させたのは、リオデジャネイロで開かれた国際オリンピック委員会総会です。この総会で東京開催が決定されましたが、その際安倍晋三首相 (当時) は、福島原発の放射能漏れは「Under Control」だと世界に向けて発信しました。

 日本に住んでいる人で、漏れた放射能が「Under Control」と誰も信じてはいなかったはずですが、彼は世界を騙したのでした。私はこの発言をニュースで聞いたとき、本当に驚きました。こんな嘘をよくも言えるものだと。

 彼のデマゴーグ性は、その後明らかになったモリ・カケ・サクラ問題で遺憾なく発揮されました。サクラ問題では118回の虚偽答弁を行ったことが分かっています。

4 彼の執着心の強さは、「悪夢の民主党政権」という悪罵を繰り返し、繰り返し公言したことにも表れていますが、ここでは、彼の政治的野心ともいうべき憲法改悪に向けた取り組みを振り返ります。

 彼は憲法前文の「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という一文を、自虐的でみじめったらしいものだ、「詫び状文」だと考えていました。

 彼は日本人も「血を流す」日米同盟により、軍事力を強化して中国や北朝鮮を押さえつけようとしました (スマートな表現では「抑止」と言いますが) 。これこそが彼の言う「日本を取り戻す」ものでした。自由で開かれたアジア太平洋戦略 (FOIP) は、日米・豪・印による中国封じ込め戦略です。

5 第一次安倍内閣時代に、憲法 9 条で禁止されているはずの集団的自衛権行使を可能とするため、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」 (第一次) を作って、これを下支えとして憲法 9 条解釈を変更しようとしました。

 しかしながら第一次安保法制懇の答申は、第一次安倍内閣がわずか 1 年で退陣した後の2008年に福田内閣へ提出されました。福田首相はこれを「お蔵入り」にし、安倍晋三氏の目論見は外れました。

 第二次安倍内閣になってから、第一次安保法制懇の報告書を改めて自分へ提出させるという「子供じみた」ことをやりました。第一次安保法制懇の答申を第一次安倍内閣当時に受け取れなかったことを「残念無念」と強い執着を持っていたに違いありません。

 この答申は「俺」が受け取るべきものだったのだと言わんばかりの執着です。そのうえで、総理就任直後の2013年 2 月改めて第二次安保法制懇を作って2014年 5月に答申させて、同年7月に閣議決定で9条解釈を変更したのです。

6 第一次安倍内閣時代に、第二次安倍内閣になってから実現させる 9 条の実質改憲の大きな道筋をつけています。

 彼が達成した数少ない成果の一つが教育基本法の改悪でした。もう一つが、防衛庁設置法改正による防衛庁の防衛省昇格です。それまでの防衛庁は内閣府の外局として予算編成権はありませんし、安全保障防衛政策に発言権はありません。万万が一の場合の我が国の防衛力として、防衛庁は自衛隊の管理を主管していたにすぎません。防衛庁の防衛省昇格は、政策官庁として、安保防衛政策を主管することを意味しています。

 これと同時に自衛隊法第 3 条を改正しました。
 それまでは周辺事態と国際協力における自衛隊の任務は、本来任務の余技としてやるという雑則任務で、自衛隊法の末尾の方へ条文が置かれていましたが、第 3 条の改正により、2 項を新設し、その 1 号任務を周辺事態、2 号任務を国際平和協力とし、これらを自衛隊の本来任務に格上げしたのです。

 防衛省へ昇格したのは2007年 1 月です。この時作られた防衛省ロゴマークは、青色の地球を両手で囲うもので、26万人の自衛隊員が地球を護るという趣旨です。地球防衛軍の誕生です。防衛庁設置法と自衛隊法の改正 (防衛二法の改正) は、とても大きな意味を持っていたと思います。安保法制の下地を作ったと言えます。

7 安倍晋三氏が第一次安倍内閣で実現できなかった最も大きな政治課題が、憲法 9 条の改正、集団的自衛権行使の解釈改憲、秘密保護法でした。

 特定秘密保護法制定の元は、日米軍事秘密包括保護協定 (GSOMIA) です。第一次安倍内閣当時の2007年 8 月に日米間で調印されました。日米間で軍事情報の共有、一体化を促進するものです。これにより自衛隊と米軍の作戦行動での一体化が進みます。特定秘密保護法はこれを実行するために国内法としての位置づけもありますが、短命に終わったため、第一次安倍内閣では手が付けられませんでした。

8 憲法 9 条改正では、2007年 7 月参議院選挙の際、安倍晋三氏は自分の任期中に改憲発議をすると述べた結果、国民の大きな反対に会い、結果的に参議院選挙で大敗します。第一次安倍内閣の退陣の原因を作ったと言えます。
 9 条解釈改憲でも、第一次安保法制懇答申を受け取る前に退陣しましたので、これも実現できませんでした。

9 第二次安倍内閣は、第一次安倍内閣で断念せざるを得なかった、9 条改正、9 条解釈改憲とそれを実行する安保法制の制定、特定秘密保護法制定に向けて、その政治力のすべてを注ぎ込みました。これを実行するために、内閣法制局長官の首を挿げ替える荒業を使いました。

 9 条解釈改憲は閣議決定で行い、安保法制、特定秘密保護法は国会の多数を力に強行成立させました。9 条改正のため自衛隊を 9 条に書き込むという「クセ玉」を投げましたが、国民の反対の前に彼の任期中には発議することはできませんでした。

10 彼の執着心の強さは、退陣してからも敵基地攻撃能力保有を実現させようとして、次の内閣へその課題を押し付けることまでしていることに表れています。

11 以上見てきたように、現在私たちが直面している戦争と平和を巡る重大な問題は、すべてが第一次、第二次安倍内閣で道筋をつけてきたことです。

 私たちは今、防衛予算の大幅な増大、専守防衛の否定と敵基地攻撃能力保有を含む自衛隊の攻撃的性格を強める動き、日米同盟の一体化による対中国抑止力の強化、台湾有事に備える日米の軍事態勢の構築という一歩間違えば中国との戦争になりかねないとても「危うい」安保防衛政策が進められており、これに対してどのような立場をとるのか、その選択を迫られています。

 安倍国葬により、これらの重大な問題を覆い隠され、美化されてしまってはいけないと思っています。

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