【NPJ通信・連載記事】一水四見/村野謙吉
滅びゆく日本と永遠の和国
2022年、今後の世界史と日本の行末にとって重要な年だ。
ロシア・英国・中国の著名な人物たちと日本の元総理大臣が、それぞれに歴史的意味を残して死去していった。
・1 月 9 日、海部俊樹(元内閣総理大臣)死去。91歳。
・7 月 8 日、安倍晋三(戦後最年少となる52歳で首相に就任。2 度にわたる在任期間は歴代最長)の死去。 67歳。英字紙では“暗殺” (BBC News:Shinzo Abe: Japan ex-leader assassinated while giving speech; 8 July 2022)。“暗殺” は隠蔽された政治的な背景を匂わす用語だが、安倍氏殺害に関わった人物の動機や背後関係について、説得力のある解説や事実にもとづく検証が全く行われていないから当然である。 安倍元総理の “暗殺” は、今日まで陰に陽に続いている米国支配による戦後日本政治の猥雑な内容物が、瓶の蓋が取れたかのようにドロドロと一挙に吹き出てきたようだった。そして現在、いつの間にかドロドロの異物はどこかに蒸発してしまったかのようだ。
・8 月30日、ミハイル・ゴルバチョフ (元ソビエト連邦大統領) 死去。91歳。
・9 月 8 日、エリザベス女王 (大英帝国の衣鉢を継ぐ英連邦の象徴的元首、在位70年7カ月の史上最長の 英国君主) 死去。96歳。
・11月30日、江沢民 (元中国共産党の総書記、元国家主席) 死去。96歳。
現在まで続いている国際的政治事件として 2月24日、ロシアによるウクライナ “侵攻” があった。 (Russian aggression in Ukraine; BBC, The Timesなどの表現)。その影響は一部の国の軍需産業を潤わせつつ、世界の国民生活に対しては様々な犠牲を強いている。
「戦争は軍需産業の在庫一掃セール・・・アメリカは対戦車ミサイル “ジャベリン” を5500基以上ウクライナに供与・・・地対空ミサイル “スティンガー” は1400基以上」:【報道1930】TBSテレビ2022年 6 月 5 日 (日) 」
ユダヤ系ゼレンスキー大統領支配下のウクライナでナチスの旗を掲げるアゾフ連隊の存在は、西欧における複雑なユダヤ問題を改めて露呈させた。
U.S. allies in Ukraine, with NATO, Azov Battalion and neo-Nazi flags. Photo by russia-insider.com
ウクライナ “侵攻” が西欧文明内に温存されている対立情念にもとづく二大軍事勢力間にある一定の地域や国家を舞台にした代理戦争の様相を帯びているのは明らかである。
そして、2022年を考える時、日本の行く末を暗示していたかのように、今は亡き様々な文人たちの言葉の断片が時間の脈絡もなく思い出されてくる。
* * *
日本の行く末は?
「滅びるね」夏目漱石。
『三四郎』 (1908年) : 三四郎が上京する車内で出会った中年男は呟く「いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね」。三四郎「しかし、これから日本もだんだん発展するでしよう」と答える。 すると男は一言「滅びるね」といった。 漱石は「則天去私」の心境で1916年死去、49歳。
滅びゆく日本に生きている心境は ?
「唯ぼんやりした不安」芥川龍之介。
『或旧友へ送る手記』:「・・・君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。・・・」芥川龍之介は斎藤茂吉 (医師・歌人) から与えられていた睡眠薬を致死量飲んで服毒自殺。1927年死去、35歳。
日本の行く末はどのようなものか ?
「うしろすがたのしぐれてゆくか」種田山頭火。『行乞記 (1931) 』所収の句。1940年、享年57。
今後も郷土愛をいだかせるような愛しい日本はありつづけるのだろうか ?
「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司。
『われに五月を (1957) 』所収:1983年5月4日、敗血症のため死去、47歳。
はたして現在の日本は、滅びつつあるのか、身捨つるほどの祖国はあるのか。
みんなが心の底で、ぼんやりした不安を抱いているのではないのか。
日本の歴史的伝統の背後がしぐれているのではないのか、
身捨つるほどの祖国が失われているのではないだろうか。
日清戦争以来、日本史上、初めて西欧の覇権政治の実態に飲み込まれて、日本の政権担当 者らと彼らを取り巻く忠臣や奸臣たちは、東アジアに位置する和国日本の文明的かつ地政学的意義を深く了解もせず、西欧文明の光と陰の本質も理解しようとせず、未来への具体的な平和の構想もなかったのではないか。
国家経営の核心である経世済民を忘れて、あからさまに敵国を想定した浅はかな軍備戦術を外部勢力に促されて国際政治をしているつもりになっているのではないか。
現在、日本が滅びつつあるとすれば、日本のなにが滅びつつあるのか。
天皇陛下万歳を叫ぶ自称愛国者のさまざまな団体が、「天皇制」廃止論の曖昧な心情を抱いている様々な知識人らが、我見に執着して、日本の滅びを促しているのではないのか。
日本が滅びつつあるとすれば、その後の日本と日本人はどうなってゆくのか。
* * *
聖徳太子の頃から明治維新まで13世紀以上にわたって伝統的和国の形成に寄与してきた冊封体制の中華帝国の多大な影響と、1945年 8月15日、連合国側に無条件降伏して以来、GHQに代表されるパクスアメリカーナの軍事的・政治的・文化的かつキリスト教的影響の下に置かれているのが東アジアの列島国家の日本である。
古代において日本は、聖徳太子の「和」の美意識にもとづいて、中華文明を導入するにあたって、易姓革命・宦官・纏足・科挙制度などの思想や習慣や制度は取り入れなかった。
聖徳太子の「十七条憲法」は、第一条に「和」をしなやかな秩序の価値観として掲げ、此岸世界(精神的支配欲と物的独占欲に支配された政治的世界)における国家経営やすべての組織の円滑な永続的維持については「和」が最高の理念であると宣言する。
第二条では権威と権力が一体の易姓革命の政体や、西欧文明の拡大的覇権性のイデオロギーを排除して、和を担保する理念・教理として仏教を掲げ、姓のない皇室なる文化伝統の基礎を確定した。
いわゆる宗教としての「仏教」が第二条におかれている深慮に注意すべきである。
仏教は此岸を超えた善悪の彼岸の教えとして是認されている。これが和国の政教分離の真義である。
しかし現代世界の快適な文化生活を支えている西欧技術文明の良質の要素と、同時に深い覇権性の歴史的性格とを十分理解しないまま、聖徳太子「十七条憲法」から “憲法” と、さらに帝国の語句を安易に取り入れて「大日本帝国憲法」が作成された。
そして明治維新の過程において皇室に権威と権力が集約的に関与された体制に変質させられて1945年の終戦に至った。
「十七条憲法」は法律文ではない。「大日本帝国憲法」は内容自体の問題もあるがせめて「大日本国・国法」とすべきであった。「国法」なら時代の要請において国法改正もあるのは当然であるが、「いつくしきのり(憲法)」は普遍的理念としての「国法」の上にある優位理念であるから改正はあってはならないだろう。
明治維新に短期間西欧に調査に行っただけの元勲や英才たちは、西欧文明の光と闇の深層などわかるはずもなく、漱石でさえも英国文化の威容に圧倒されていただろう。
ましてや西欧植民地政策の根底にある支配情念の暗部を理解することなどできなかったのは当然である。
だからといって命がけで働いた彼らの行動を全面的に否定することなどだれにもできないが「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」 (『論語・学而篇』)
問題は、数百年にわたって地球的規模で世界を植民地化した大英帝国の下におこなわれた様々な非行については帝国の権威の頂点にある英王室は責任を取らされることはないが、敗戦後に日本の皇室を預かる天皇に対しては一部の影響力のある知識人らが責任問題を指摘したことだ。
そして現在、パクスシニカとパクスアメリカーナの巨大な文明的価値観の相克が日本の政権の深いところで熾烈に展開し、明治維新まで維持されていた祖国の伝統的価値観に関わるなにかが、ぼんやりした不安の中で滅びてゆくように見える。
* * *
本年(2025年)3月31日、私は、本当に日本は滅びてゆくのかを感得するために、大阪府太子町の聖徳太子の御廟を訪ねた。
古寺が連なる京都から奈良へ行けば、京都の古寺が新しく感じられるように、大阪府の太子町は奈良の大伽藍が新しく感じられるくらいの静かな佇まいの小さな町である。
聖徳皇太子磯長御廟
太子町は古代の和国を偲ばせるような素朴な地域であり、地元の人は推古天皇を「推古さん」と親しく呼んでいる。境内を一巡して至る所に日本の素朴な美意識と「モノのあわれ」の祖型が感じられる。
ここでは、寺院・素朴な鳥居・不規則に柔らかい大地に佇んでいる庶民の先祖を祀る様々の形の墓石がさりげなく同居しており、全体が自ずから神社以前の惟神の道を示しているかのようだ。
明治維新の神仏分離・廃仏毀釈のイデオロギーはどこからきたのか、和国の破壊行為ではなかったのか。
かってフィンランド最北のイナリからスペイン最南のジブラルタルまで鉄道で旅したが、緑を拒絶したかのような硬い大地の都市に建てられた石造りの教会と、日本の柔らかい土の丘に木々や草に囲まれて佇む木造の寺院との違いに改めて気付かされた。
聖徳太子御廟の前でしばし佇んでいると、1300年前も、同じような優しい空気が流れていたのではないかと思えてきた。
なんとも言いようもない懐かしい日本に触れたようで涙が出てきた。
(聖徳太子御廟・宮内庁管轄)
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漱石の「滅びるね」の信ぴょう性は現在どうなのか。
日本は滅びつつあるのか。
日本のなにが滅びつつあるのか。
戦争も、医療も、慈善活動も、政治活動も、人生の目的も、すべて金融主導の価値観で支配されているが如き世界に生きて、今回、古代和国の心の原風景に触れたことで、日本が滅びるということの意味がどういうことなのか、様々な思いが湧いてきた。
現在、成人間において女性に対する男性のパワハラ・セクハラが世界各地で蔓延しているが、特におぞましいことは、インターネットで頻繁に暴露されている欧米における幼女に対する性的虐待である。虐待する側は慈善と偽善がごちゃ混ぜになった感覚の著名人やエリート連中(政治家と知識人と聖職者)である。
聖徳太子は「世間は虚仮」と洞察した。その太子を「和国の教主」と敬愛する親鸞が喝破したように、エリートたちは古代国家に生産業や販売に従事しない官僚制が誕生して以来、当初から偽善に誘惑された人たちではなかったのか。
十七条憲法は日本が部族から民族の規模に発展し国家の体を成して官僚制と税務制が生まれた時期に、「おほみたから(国民)」に奉仕する責任ある公僕のための戒めとして編まれたものだ。
しかし、十七条憲法は、家族や組織に責任を持つすべての成人や企業の経営者らの行動指針でもある。
一流大学とやらを卒業し、大企業や国家公務員の職場に就職し、金貯めて豪邸に住んで、その金や財産を死後にどうしようというのか。
叡福寺を開創された聖武天皇より1300年続く聖徳太子の偉業を讃える法要が4月11日と12日に行われる。
すべての国々の国家体制が内部から解体されてゆくような世界状況下、
滅びゆく日本において、永遠の和国の春の風に触れることを楽しみに、私は今を生きている。
(2025/04/06 記)
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