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「ヤメ蚊」よ永遠に
──人間の可能性を信じ、 真の国民主権を求めた弁護士・ジャーナリスト日隅一雄

寄稿:弁護士 梓澤 和幸

2013年5月6日

図書新聞は日本読書新聞とならんで硬質の書評紙として知られています。 読書案内というにとどまらず、思想、哲学に関心のある読者に歓迎される週刊新聞でもあります。 日隅一雄君のことは重視してくださり、生前インタビューも紹介してくださいました。このたび梓澤インタビューにより 『国民が本当の主権者になるための5つの方法』 という現代書館の本を紹介してくださいました。 梓澤和幸HPとNPJに掲載させていただきます。

梓澤和幸

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去る六月一二日に亡くなった弁護士でジャーナリスト、日隅一雄さんの遺著 『国民が本当の主権者になるための5つの方法』 (現代書館)が刊行された。 3・11以後、政府・東電の数々の情報隠しを追及し、民主主義のための情報公開の促進と、真の国民主権の実現のために命を燃やした日隅氏の、 私たちへのラスト・メッセージである。
本書をめぐって、日隅氏とともに活動した弁護士で、インターネット市民メディア 「News for People in Japan」(NPJ)代表の梓澤和幸氏に話をうかがった。
(7月27日、東京・国分寺にて。聞き手・米田綱路 〔図書新聞編集〕)

◎自分たちのメディアを創る

――日隅さんと知り合われたきっかけは?

梓澤 日隅君は産経新聞記者をつとめたあと、一九九八年に弁護士になり、 二〇〇一年に日本弁護士連合会の人権と報道に関する委員会の委員になりました。私も委員でしたから、そこで知り合いました。 同じ年、ともに報道被害救済弁護士ネットワーク(LAMVIC)を設立し、日隅君は中心メンバーとして活動しました。
――二〇〇八年にNPJが設立されたとき、梓澤さんが代表、日隅さんが編集長になられました。
梓澤 NPJを設立したのは、二〇〇四年に起きた、イラクでの日本人三人の人質事件の経験が大きかったんです。
あの事件をよく考えてみると、大事なのは、イラクで戦っている人たちが、日本人のことを友人と思っていることだった。 いわば日本の友人へのメッセージとして人質を釈放し、三人が帰ってきたわけすね。 実際、人質だった一人からは、アメリカ軍がファルージャという町を取り囲んで、曳光弾を打ち込んだ話を聞きました。 アメリカ軍は大量虐殺を行ったんですね。
三人が帰って来たとき、そのことに耳を傾けるべきであるのに、首相官邸の差配で一挙に世論が覆され、逆に自己責任論が一夜にして沸き起こった。
マスメディアは三人に対して、とにかく記者会見をやれと要求した。その記者会見は、責任追及の場みたいなものとして想定されたんです。 記者からは、人質だった女性を出すのか出さないのかはっきりしろ、と言われました。私は胸ぐらを掴まれたような感じがしました。
そこで私たちは医師にお願いして、高遠さんはいま出られないと状況を説明して、記者たちを納得させ、羽田空港近くで会議場を借りて記者会見を行った。 二〇〇人ぐらいの記者が集まりました。
その時、日本のマスメディアでは真実というのは完全にひっくり返されるんだな、このままではだめだと思いました。 そして、自分たちが自分のメディアを持たないとだめだと、彼らの救出運動の中心にいた弁護士たちが考えたんですね。 その中に私もいたし、日隅君もいた。いまNPJ事務局長の田場暁生君も、井堀哲君もいました。
自分たちのメディアを作るためにどうしたらいいのか、手がかりを得ようと、私たちは韓国へ行き、 「オーマイニュース」 やその他の市民メディアを視察してきました。そうして帰国後、二〇〇八年にNPJを設立しました。
――既存のマスメディアとは違う、インディペンデントな市民メディアを作られたわけですね。 日隅さんは早くから、マスメディアに対する問題意識を持っていたのでしょうか。
梓澤 そうですね。彼がブログ 「情報流通促進計画」 (ヤメ蚊ブログ)を立ち上げたのが二〇〇五年三月です。 ネットで活発に発信する一方で、表現の自由をめざす人たちのネットワーク 「ComRights (コムライツ)」などでも活躍しました。 『マスコミはなぜ 「マスゴミ」 と呼ばれるようになったか』 (現代人文社刊)は二〇〇八年です。
二〇〇五年にはもう一つ、忘れられない事件がありました。二〇〇五年に、NHK番組改編事件について、 自民党政治家による干渉があったと朝日新聞が報道し、自民党やNHKの対応、朝日新聞のその後の報道姿勢などに危機感を抱いた私たち弁護士が、 「報道・表現の危機を考える弁護士の会(LLFP)」 を創りました。 私も日隅くんも、この事件を取材した本田雅和・朝日新聞記者をよく知っていたので、朝日側の対応も変だ、おかしいと感じていた。 LLFPを創った動機には、そんな危機感がありました。

◎情報隠しを追及し続けたエネルギーの源とは

――日隅さんはNHK番組改変事件や沖縄密約情報公開事件などの訴訟で代理人を務めましたが、 表現の自由と情報公開や報道問題に取り組んだモチーフには、彼自身の記者経験があったのでしょうか。
梓澤 それはあったと思います。ただ、日隅君は自分のことを語らない。ある弁護士に言わせれば、弁護士には珍しく謙虚にして語らない人だ、と。
末期がんで余命半年と宣告された後、亡くなるまでの約一年間に、もうマンションから飛び降りたいくらいだとブログに書いていたくらい疼痛が厳しい中で、 原稿を書き、死の直前に何冊か本を仕上げていますね。そのエネルギーや情熱の源はなんだったのか。何が彼のような人間を可能にしたのか。 それは人間論として非常に大事なテーマだと私は思います。その謎の根源をぜひ突き止めたいです。
何がある一人の人間をして、ここまで痛みや苦しみを乗り越える力を与えたのか、ということについては、あまり簡単に答えを出さずに、 彼の生前のことばを集めながら、そして幼いときの彼のことを聞きながら、考えてみたいですね。なぜかというと、それは私たちにとっても同じことであって、 自分の情熱が弱くなりそうなとき、私たちは何に力を得て、日隅君のような人に近づけるのかというテーマがあるからです。
――「日隅君を送る」 というエッセイ(NPJ掲載)の中で梓澤さんは、「日隅一雄の人生」 というような文章を書くために取材をしてみたい、と書かれています。 これはあくまで私の推測ですが、日隅さんが言論表現の自由を追求したモチーフの一つに、 一九八七年五月三日に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件の経験があったのではないか。 事件前後に、日隅さんは産経新聞の新人記者として阪神支局に赴任した。事件はとても身近だったはずです。 亡くなる前、日隅さんにそのことを訊いてみたのですが、明確な答えはありませんでした。ですが私は、何かの因縁を感じています。
梓澤 確かに衝撃的な事件でした。小尻記者が搬送されるとき〝くそ〟と自らを励ますようにうめいた、という記事を思い出します。 日隅さんにも大きなインパクトを残したとは思いますが、そのことを聞いたことはありません。 一つ、日隅さんに驚かされたことがあって、自分が闘病中にもかかわらず、他の弁護士が心臓に問題を抱えているのを気遣って、 ○○さん大丈夫ですかと言ったんです。私は 「えっ」 と絶句しましたよ。そして病身を抱えながら、福島のことを思い続けた。 福島原発事故の警戒区域の中で、いま牧場主が三〇〇頭の牛を飼っていて、全国からエサ代を集めて生かしているんです。 ところが浪江町が記者の取材目的の立ち入りに条件をつけた。日隅君はすぐに現地へ飛んで行って記者会見までやっている。 亡くなる二〇日ぐらい前のことです。
そのぐらい他者を思う彼の思いや共感は、すごいですね。痛みでもう元気が無くなっても、それでも他者を思い続ける。 その源が何なのかは、本当に不思議なところです。
――他者への共感や行動力は本来、ジャーナリストの条件だったのはないでしょうか。あえてジャーナリズムといわなくても、 社会と公共性を支える根底に必要なもの。ところが、今日のマスメディアの現状を見ると、必須のはずの条件があまりにも欠如している。 だから日隅さんはいのちを削って、実践でその条件を示して見せた。ここに一つ、彼のラスト・メッセージがあるように思います。
梓澤 東電の記者会見で、海に汚染水を放出する発表をした場面がありました。責任者は誰だと追及しても、東電は言い逃れをする。 日隅君は追及し続け、ついに午前一時になった。でも、記者は誰も立ち上がらず、パソコンの画面に目を落としているだけだった。 あれは象徴的な場面です。あの時、日隅君はすごく傷ついたと思うし、まだ告知前だったけれども、病が進んだかもしれない。 いま思い出しても、あれはむごい場面だ。
――以前にインタビューした時も、日隅さんは 「この場面でマスメディアが何も言わなかったというのは、非常にショックで、辛かった」 と言っていました。
梓澤 日隅君はこの本の中で、職業としてしかやってない新聞記者たちに対して失望した瞬間でした、と書いています。 午前一時までに原稿を書いて送らなくちゃいけないからと、ここで原稿を送るのと、真実を追及するのとは、どっちが優先的な価値かと。 これはものすごい告発ですよ。
上の階に東電の幹部がいるわけだから、みんなが立ち上がって、早く責任者を出せ、出てこいと追及しなければいけない。 だって、メガフロートとタンクを持ってくれば汚染水の放出は止められたかもしれない。なぜ保安院も東電も汚染水を垂れ流したのかも分からない。 世界中の海を汚しても、このまま通り過ぎることができると考えたのか。だけども記者は追及しきれなかった。 そして汚染水を放出するという、取り返しのつかないことをしてしまった。
日隅君に訊いたら、メガフロートを次々と積み上げていくのは金がかかるから、汚染水を海に捨てたのではないかと言っていました。 確かに金はかかるでしょう。でも、金とひきかえに漁業者の生活を破壊し、人々の健康をおかす取り返しのつかない環境汚染を引き起こしてしまったんです。 ここで放出を止められなかったことに忸怩たるものがあると、日隅君は書いています。

◎俺にしかやれない仕事がある

――『国民が本当の主権者になるための5つの方法』 には、日隅さんが亡くなる前に書いた 「大きな木の上の大きな目」 (日隅一雄・文/ふなびきかずこ・絵)が収められています。これを読んだとき、まるで宮澤賢治の童話のようだと思いました。 ここには、ジャーナリズムの使命である、権力を監視し、市民の安全と平和を守るというテーマがあるように思います。 そして弁護士法第一条にもうたわれた、基本的人権の擁護と社会正義の追求という使命を、 日隅さんがどのように考えていたのかを窺わせるテーマがあるように思います。
梓澤 日隅君は、金銭に不思議なぐらい頓着しない人でした。人権問題に関わると同時に企業の利益が関わる事件を、 私と日隅君が駆けつけて支援し、弁護団を組んで取り組んだことがありましたけれども、彼はついに報酬を請求しなかった。 NPJに複数回何十万円単位でカンパをしたりもしました。
たしかに金銭を惜しまない人はいるけれども、それは一生懸命努力してそうするわけです。でも彼の場合、そういう抵抗感はない。 欲望がスパッと離れていた。
名誉の点に対する欲望も、本当になかった。ずっと事務局的な仕事をして、いわゆる黒子であることが喜びだった。
偲ぶ会の時、私は弔辞で少し婉曲して言ったのですが、専門家集団というのは、人間と人間の障壁がある。 法律家集団やジャーナリストはエリート意識が強く、互いに競争意識があって、隣に並んでいる人間と無条件に結びつかないきらいがある。
ところが日隅君のこの半年、一年の行動を見ると、もうそういうこと言っていられないと、とにかく誰か、窮状にたつ人のところへ行って何かをしようと、 人間を結びつける役割をはたした。それはすごいことで、彼が遺した大きな財産ですね。
――ジャーナリストと弁護士は職業的に違いますけれども、日隅さんはその両方であるという稀有な人でした。 彼のなかで弁護士とジャーナリストはどのようにつながり、重なり合っていたのかは興味深い点です。
梓澤 それは非常に大事なところですね。ジャーナリストも弁護士も職業的に、反対尋問的能力が非常に鍛えられます。 あいまいなことを言うと、ジャーナリストはすぐに切り返して事実を確かめる。弁護士もまた同じで、ジャーナリストの質問の仕方よりも、 もっとしつこく徹底的に反対尋問をする。
だから東京電力の記者会見では、おかしいと気づいた時、ジャーナリストと弁護士の反対尋問的能力が両方発揮されたんだと思いますね。 マスメディアの職業ジャーナリストには時間の制限があるけれども、日隅君にはそういうものはないし、気がついてしまった以上は、 徹底的にやらざるをえなかった。
私も何回か記者会見場で質問しましたけれども、二〇〇人ぐらいの記者がいて、もう聞きたくない、次の話題というときに、 いや違うと質問するのはすごく嫌なんですよ。無言の圧力があるわけです。事実を確かめてはいませんが、あるとき罵声が飛んだともいわれています。
毎日来ている記者は、明日も来るから、そうそうガンガン追及できない。それでも日隅君は立ち上がって、明らかにおかしいということを追及し続けた。
きっと彼は東京電力の記者会見で、俺がやらなきゃいけない、俺にしかやれない仕事がここにあると自負したんでしょう。 だから、あれだけのことを成し遂げたんじゃないか。
――先ほどの日隅さんのモチーフと関わりますが、梓澤さんはNPJのインタビューで、病苦をおして会見場に通った日隅さんに、なぜそこまでするのか、 と訊かれています。
梓澤 先にも言ったように、私が知りたいのは、彼のモチベーションは何によって作られているのかということでした。 これは単なる友人関係では聞けないので、NPJという公を背負いながら彼に迫ったわけです。 なかなかこの質問に答えてくれなかったんですが、彼はこう言いました。
「私一人でどうにかできたわけではないのですが、原発への関心が弱く、そのため福島の人たちをこんな目に遭わせてしまった」
「福島の人たちの苦しみに比べれば、私のがんの痛みや苦しみなど小さいものだと思っていますから……」
これを聞いた時は、深い衝撃を受けました。なかなか言わなかったけど、食い下がって、ようやく引き出すことができた。 私たちの他には誰も聞いていない言葉です。

◎国民主権を肉声化したラスト・メッセージ

――日隅さんは、私たちが真の主権者になるための、五つの方法を示して逝かれました。 梓澤さんもこの本のまえがきで、「主人公となる幸せ」 のために最後の一晩まで生きた、と書かれています。
梓澤 日隅君のすごいところは、原発とメディアという論点を越えて、国民主権論へと大きく一歩を進めたことです。 メディア問題だけに論点を絞ることは、よくないと彼は言っていた。したがってこの本でも、五つの方法のなかにメディア論も出ているけれども、 選挙と行政の監視、教育、情報公開などのシステム論について彼は書いています。
システム論で思い出したんですが、『検証 福島原発事故・記者会見――東電・政府は何を隠したのか』 (木野龍逸氏との共著、岩波書店、 二〇一二年)を読んで気づいたことがあります。これも日隅君の思想というか、ものの発想でおもしろいところなんです。
ノーマ・フィールドの 『小林多喜二――21世紀にどう読むか』 (岩波書店、二〇〇九年)の中に、たとえば 『蟹工船』 の中で小林多喜二は、 すごい拷問みたいなことをする親方にも役割を与えている、という叙述があるんです。ただ糾弾するだけではなくて、役割を与えていると。
日隅君もそうで、原子力保安院の役人の中に、最初にメルトダウンを認めた人間が二人いて、そのあとに西山英彦審議官が出てきたというふうに、 保安院の人間のことをちゃんと分析しているんです。さらに注目すべきは、東電のスポークスマンである松本純一原子力・立地本部長代理、 いってみればカタキ役なんだけど、その人物についても一行書いている。責任をもって情報を発言し続けたというくだりが、記者会見の中にあるんですよ。
日隅君にあったのは、人間の可能性を信ずる性善説です。その性善説に立ちながら、人間がヒューマンでなくなるのは、 そういうシステムがあるからだと考えた。だからこそ、人間をひどくさせない、 一人の人間が非人間的になっても社会が悪くならないシステムを考えておかなければならないと、五つの方法を問題提起したわけですね。
特に、その五つの中で感心するのは、選挙についての記述です。
――亡くなる二週間ほど前、日隅さん自身が次の衆議院議員選挙に出馬したいと言ったと、海渡雄一弁護士が本書のあとがきで書かれています。 市民が真の主権者となるために、選挙制度の改革や選挙運動の制限撤廃を政治で行おうと、日隅さんは考えたようですね。
梓澤 戸別訪問の禁止がどんなに選挙を歪めているか。インターネット規制はどうだろうか。 立候補に必要な三〇〇万円の供託金制度を取っ払えばどうか。すなわちこれらの制限は、新しい勢力がこの世の中に出て来ようとするときに、 それを阻むシステムになっているんです。新しい勢力、若い人たちの台頭を確保できれば、すいぶん違ってくるということを日隅君は言っていた。
そして私が強調したいのは、日隅君が最後に 『あたらしい憲法のはなし』 をくりかえし引いていたことです。 戦後直後、中学一年生用の教科書に使われたものですが、これは彼の肉声といってもいい言葉ですね。
この言葉がなぜ出てきたかというと、第二次世界大戦中にアジアでたくさんの人たちが死に、日本でも何百万人という人たちが死んだ。 そういう歴史がすぐ直前にあって、この言葉が可能になったと思うんです。非常に格調が高く、浸透する言葉です。 自分のがんの痛みと福島の原発震災のことがあって、戦後直後の 『あたらしい憲法のはなし』 の言葉が、彼の言葉になった。肉声になったんです。
「いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。 もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。 みなさんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。 これが民主主義というものです」。
読んでいると涙が出てきますね。日隅君が肉声で言っているような気がして。
――梓澤さんが 「主人公となる幸せ」 と言われるのも、このことですね。
梓澤 ええ。現在の日本では、もう国内難民は起きているわけだし、この次また原発事故が起きる可能性を否定できない。 そうなると、日本からの難民もありえます。そういう惨憺たる国で、誰か偉いやつが、上から俺について来いと言う。 あるいは、俺は逃げるからなと言う。そういう国ではなくて、みんなが苦しみもいいことも分け合っていくような国にしていく。 そこに希望があるんじゃないか。本気で自分の希望というものを思想にしていなかったら、『あたらしい憲法のはなし』 の言葉を肉声になどできないですよ。
日隅君はそれを肉声化しえたんじゃないかな。そのことによって彼は最後の一年間、福島の苦しみに自分の苦しみをなぞらえながら、 あれほどの活動をし、志を示すことができたのではないでしょうか。
(了)

図書新聞 No.3076 ・ 2012年09月01日より
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