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【NPJ通信・連載記事】一水四見・歴史曼荼羅/村石恵照

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一水四見  
日本に浸透してくるアングロサクソンの支配情念

2015年5月18日

資本主義と共産主義は、かって相反するもののように考えられていた。

前者は自由を、後者は平等を、それぞれ表看板の理念として掲げていた。

平等を表看板にかかげたソ連の共産主義国家はスターリンの独裁国家となり、やがて崩壊していった。

冷戦はおわった。

一方の対立軸を失った状況のなかで、現在は「自由」を表看板に掲げて、新自由主義と称する金融資本主義が、コンピュータの技術に援護されながら、国境と各国の伝統に貪着無く、大手をふって世界の政治と経済を支配しているようだ。

***

しかし、現状をみると両者は元々コインの両面である。

コインの表が自由の観念にもとづく金融資本主義で、裏が平等の観念にもとづく支配情念としての共産主義である。

その支配のイデオロギーに潜むのは、いわゆる「分断統治 (divide and rule)」である。

非支配の国民や民族を単に分断するのだけではなく、相互に対立させ誤解させ敵対関係にさせる戦略である。

対立するそれぞれの組織においても、さらに支配と非支配の構造を作り上げるのが、政治戦略としての分断統治の基本構造である。

***

分断統治の巧妙な戦略は、組織の末端においても戦術的に機能する。

大英帝国領のビルマ(現ミャンマー)に警察官として勤務していた G.オーウェルのエッセイに「絞首刑 ( A Hanging(1946) 」がある。

絞首刑を執行される犯罪者はヒンズー教徒のインド人、彼が収容されている刑務所の看守たちもインド人、看守の長はドラヴィダ系インド人、死刑囚の首に縄をかけて落下のレバーをひく者は刑務所の囚人で、ビルマ人の判事が立ち会っている。

死刑囚の落下後に刑務所長(オーウェルはあえて記述していないが大英帝国のイギリス人役人)があらわれ、わずかに揺れてぶら下がっている死体をステッキで突いて、「完全に死んでいるな ( He’s all right )」とつぶやいてから、腕時計を見ながら「やれやれ、これで今朝の仕事は完了だ ( Well, that’s all for this morning, thank God.)」という。

処刑後、 ヨーロッパ人との混血の若い看守は、即死しなかった囚人の脚を引っ張って死亡を確認した話をする。刑務所長は耳を傾ける。

さらに、その若い看守は、「でも、反抗する囚人は、もっと悪いですよ。」と、六人掛かりで独房から引きだすのに手間取った囚人の話をつづける。

若い看守「おまえが俺たちに引き起こしている手間ひまを考えてくれよ、といったが、もちろん聞き分けてくれませんでしたが。彼はほんとにやっかいだった」と、芝居がかった媚びた冗談を刑務所長にいう。

ビルマ人の判事は、突然笑い出す。周りの者たちもみんな同調して刑務所長を囲んで笑いだす。 オーウェルも笑った。

刑務所長は鷹揚な態度でにんまり笑い、愛想良く関係者らにウィスキーの提供を申し出る。

「われわれは、みんな一緒になごやかに一杯やった、現地人も欧州人もだ。死体は100ヤード先にあった。」でエッセイは終る。

***

同様の状況において、旧日本陸軍が中国で現地人を処刑をした場合、どうしていただろうか。

アングロアメリカンの米国もアングロサクソンの支配の構図は受けついでいるだろうが、大英帝国の役人ほどの熟達した対応を囚人たちにはしないだろう。

***

オーウェルの父親は、大英帝国のインドに駐在してアヘン局に勤務していた。

今日アヘンといえば麻薬であり、犯罪にかかわる危険物質であるが、アヘン局は、アヘンの栽培の管理をおこなう部局であり、それを中国に売りつけていた。

インドー中国ーイギリスの三国間で、インドの麻薬を原資として綿製品と茶が回転する魔の三角貿易である。イギリスはインド人には製品を作らせず綿製品をインドに売りつけ、アヘンと綿花を中国人に売りつけ、その金で茶を買い付けていた。

当時は、国家的な規模の麻薬貿易が国際的非難も受けずにまかり通っていたのである。

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表現の自由に寛大なイギリス人であり、女王陛下の戯画を描いても問題にならない英国であるが、アヘンの話題だけはタブーに近いようだ。

権力や偽善に対して呵責なく批判するオーウェルであるが、ことアヘン( opium )に関してだけは彼の著作を調べてもどこにも言及が見当たらない。

今日のイギリス知識人の間でも、これだけはタブーのようである。(後藤春美『アヘンとイギリス帝国――国際規制の高まり1906~43』参照)

ここに西欧人のいう「歴史認識」については、ある種の深い欺瞞があるだろう。

***

1993年、S.P.ハンチントンは「The Clash of Civilizations」を『外交問題』誌に発表した。

これに対してG. ピッコ氏が鋭く批判を加えた。

冷戦が終わって世界は平和を望むべきであるが、米国は「新たな敵が必要だった」と指摘している(・・・The Soviet Union was no more; civil war had erupted in the Balkans, the Caucasus region and Africa. There was a need for a new enemy. His theory was the first of many to offer one.・・・ (Giandomenico Picco: ’A dialogue of civilizations’; Special to Japan Times ;10/10/1998)。

結果的に、ハンチントンの論文は現代おこなわれている中東の混乱の枠組みを提示してしまっている。

彼は、分断統治派に格好の戦闘舞台の設計図を提供してしまった。

2004年にハンチントンは遺作となる「我々とはだれか――アメリカ国家のアイデンティティ」を発表して、合衆国がラテン系グループと非ラテン系の二つのグループ、二つの文化、二つの言語に分断されることに警告している。

しかし、「アメリカ国家のアイデンティティ」に危機感をいだいたハンチントンは、アングロアメリカンの底深い支配情念にとっては、いまだ善良なるアメリカンのようだ。

「アングロサクソン」の支配情念には「連合王国」という実体的伝統のある本拠地があるが、「アングロアメリカン」へと肥大化したグローバリズムの支配情念は、あたかもアメリカ政府さえも利用機関とみなしているように思えるからだ。

「アングロアメリカン」の支配情念には、国民的アイデンティティや民族的な伝統は支配の障害である。

アングロアメリカン的支配情念にとっては、「資本主義と共産主義」は結局、支配力というコインの両面に過ぎない。

なぜなら本家アングロサクソンの分断統治には、その内部に二重思考が隠されているからだ。

***

『マクベス』の最初に三人の魔女たちが歌う――Fair is foul, foul is fair (公正は邪悪、きれいはきたない、快適は不快、などなど、 なんとも多義的な表現で訳しようがない)

シェークスピアの全作品のなかで「マクベス」をもっとも評価するオーウェルは、彼の『1984年』で、魔女たちの言葉を転用する。

戦争は平和 自由は隷属 無知は力(war is peace;freedom is slavery; ignorance is strength)

つまり被支配者の言語内に二重思考を埋め込むのが言語支配の戦略であり、これが様々な行動とシンボルの使用にもかかわってくる。

この二重思考は、極度に抽象化された言語操作であるから、一般の人々は、実感をもって理解できにくい。

しかし、その抽象化された意図は知られることがなくても、具体的な行動で現実世界に影響をあたえことができる。

来客を迎えるにこやかなホストの笑顔は、獲物を得る前の隠された喜びである場合がある。

西欧人の、特に知識人における人生のゲーム化は、彼らの生活の様々な場面で観察できることであり、ゲームとはプレーであるが、同時に獲物をも意味する。

アングロサクソン的支配情念とは、結局のところ、戦略的言語操作に帰着する。

世界史を動かしているのは、言葉、言葉、言葉だ。

***

「カオス理論 (「Chaos Theory and Strategic Thought」)」という戦略理論を最近知った。

1992年にアメリカの戦略家 Steven R. Mann が発表した論文である。

これに対して批判的な指摘がある――「最近の出来事は完全に米国によって発明された「管理化された混乱 (manageable chaos) 」に合致している。それを創作した者たちに、Z. ブレジンスキー、G.シャープ、S. マンがいる。

S. マンは、「カオス理論と戦略思想」を著し、彼自身はかってのソ連の一部の共和国における「カラー革命」の陰謀に関わっている。

「管理化された混乱」理論の主要な原則は――

1 現体制に反対する様々なグループを合体させる

2 一国の指導者たちに、自分自身と軍隊の忠誠に対する自信を徐々に減退させる

3 攻撃的な反対者たちと犯罪者らを援助して、現状を不安定化される

などである。

特に、2)はターゲットにされた指導者に対する心理的攻勢である。

これはロシア側の一部の論評であるから、この指摘の妥当性については、各識者の見解に委ねる。

しかし、スターリンの共産主義と決別したロシアは、いまだに西欧において信用がないが、かってマルクス共産主義に多くのイギリス知識人たちは賛同していたのではないか。

***

本日、朝日新聞(5月14日)の夕刊の一面をながめていた。「安保11法案 今夕閣議決定」の大見出し。

紙面の左側には、「南シナ海 中国、数年後に滑走路」の記事。

両方の見出しを交互にながめていると、なんだか「安保11法案」を肯定したくなるような気分になってきた。

紙面の中央には横書きで「銀座・官邸前で抗議の声」があるが、その「声」がかすんでいる。

他の読者はどうだろうか。

自分も、すでに二重思考の言語操作に溶け込まされているのか。

安倍政権には、日本の伝統の本質と国益について、そして世界史的観点からアングロサクソン、アングロアメリカンの支配情念について、今一度深い歴史的洞察をおこなっていただきたいと願う者である。

もちろん、この支配情念は、一般のイギリス国民やアメリカ国民の国民性とは別個のものである。

***

いま、日本列島には、攻撃に対して最も脆弱な原発が54基も設置され、日常的に体感できる火山活動の頻度も増してきている。

改憲論、集団的自衛権、TPP、東京オリンピック、東京カジノ計画、沖縄問題など様々な争点や問題的が落ち着きどころをもとめてさまよっている。

このなかで原発問題が、日本の将来にとって問題中の問題である。

***

夕暮れの渋谷の雑踏の中に立って―― 日本人ばかりか、さまざまな外国人たちの―

― 行き交う人々を眺めていると、なにかしら涙腺が緩んでくる。

亡び行く、いとしい日本に対するやるせなさだろうか。

(2015/05/14 記)

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