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8・30にみる主権者意識の成熟 ――60年安保闘争参加者の感慨――

寄稿:石田 雄

2015年9月10日

■ひとりのデモ参加者が見た60年安保闘争

92歳の高齢となり、デモに加わる体力を失っていて、8月30日の国会前を中心に行われた安保法制反対の行動に参加することはかなわなかった。しかし、様々な形で得られた情報をもとに考えた時に、「政治的決定に責任感を持つ主権者の意識がここまで成熟したのか」との感慨を深くした。

そのことは戦後最大の政治運動といわれる60年安保闘争に私自身が参加した時の体験と比べた時に、とりわけ明らかになる。60年安保闘争については、私も分担執筆した日高六郎編『1960年5月19日』(岩波新書)が再刊されたので、詳しくはそれを読んでいただきたいが、今日との比較の視点から当時の体験を要約しておこう。

60年5月19日、岸内閣は警官を国会に導入して、改定安保条約を強行採決した。それ以来、連日、万余のデモ隊が国会に向かった。当時、東大に勤めていた私は、日教組の隊列に加わって、何回も国会に行った。しかし、いつも野党議員が並んでいる国会議事堂の議員面会所で請願し、新橋までデモ行進し、解散を繰り返すというやり方で、到底満足することができなかった。そこでかねてからの知己であった安保改定阻止国民会議の事務局長を訪ね、「国会周辺で、非暴力の座り込みをしてはどうか」という提案した。彼は答えた。「とんでもない。大体数が多すぎて統制が難しく、全学連が暴れて困る。早く隊列を移動させ、解散させないと危ない」と。

国民会議は元々、総評という労働組合の連合体を基礎としたもので、それまでと同じように労働組合による動員を中心に考えていた。ところが、強行採決の結果、労組以外の国民の広い層に「議会制民主主義無視の暴挙だ」という不安と危機感、不満が広がり、演劇関係者や日教組に組織されていなかった大学人のように、多数の初めてデモに参加する人たちが現れた。そうした人たちの中には、弱い部分を狙った右翼の襲撃に遭った人もいた。「誰でも入れる声なき声の会」という横断幕をふたりで持って行進を始めたら、最後には300人ほどの参加者に膨れあがったこともあった。

国民会議にとって、一番面倒だったのは、過激な行動にこだわる全学連の動きだった。断固として国会の中に入るのだという彼らの行動は、指導者が次々に逮捕される中で、十分に再検討されることなく、続けられた。その結果、6月15日に国会突入に伴う衝突で樺美智子さんが亡くなる事態になった。

その2日後の6月17日にはマスメディア(新聞社)7社が共同声明を出し、「暴力を排し、議会主義を守れ」という路線が提示された。そして、6月19日に改定安保条約が自然承認になった後、岸首相は辞任したが、運動も終息した。その半年後の11月の総選挙では岸に代わった池田勇人が政治的争点では低姿勢を示し、経済成長に政策の重点を移したことで勝利し、それ以降の自民党長期一党優位体制の基礎を固めることになった。

■持続的な主権者意識の成熟を表す3つの特徴

こうした経緯から考えた時に、今回の安保法制への反対運動も、法案の国会通過と共に、既成事実として変えられないものとあきらめ、来年の参議院選挙での争点から外れてしまうと危惧する人がいるのは当然だ。しかし、8・30の国会前や全国でのデモの様子を見ていると、そうした懸念を打ち消し、未来への希望を感じさせる要素として、持続的な主権者意識の成熟が感じられる。それは、これまで見てきた60年安保闘争と比較すると、次の3つにまとめることができると思う。

第一の特徴は、8・30では、安保法制反対という共通目標に向けて、多様な集団・グループが自由な連合で、各団体、個人の主体性を尊重しながら、しかも規律ある統一行動をとったことである。これは4年余にわたって続けられている脱原発を求める官邸前の金曜行動や現在の反対運動の広がりの出発点となった今年5月3日の横浜での憲法集会にも見られた。

一連の行動は集団間の系列化を図ることなく、同じ目的のために自由に連帯する点で、ゆるい結合のように見える。しかし他方では協力して、警察当局や行動に反対する勢力との衝突を避け、非暴力の団結を示すことで、政治的発言の有効性を高めるための合意が広く存在する。

国会正門前など行動の現場では、野党の国会議員や弁護士が警察力の過剰行使がないように監視や見守りの活動を行い、大きな行動の後には実行委員会で警察当局に警備の問題点を指摘、抗議して、是正を求めている。こうした行き届いた配慮は、デモという政治的意見の表明方法について、合法的で正当なものとして社会的承認を獲得し、政治的効果を最大限に発揮させるために、様々な経験の中で積み上げてきた智恵の結晶といえよう。そして、一人ひとりの参加者も、それを共有し、協力し合っているというところに主権者意識の成熟は最も象徴的に現れている。

第二の特徴は、上に述べたことと関連するが、デモという共同行動への参加が、60年安保時のように、労働組合に代表される既存集団の動員による「丸抱え勢ぞろい」によるものではないという点だ。個人の自由意識による参加が、結果として10万人を超えるといわれる成果を生んだのである。

運動史からみると、60年当時、画家の小林トミさんが個人で始めた「声なき声の会」は安保反対運動の中では、片隅の例外状況に過ぎなかった。それが、数年後、「声なき声の会」の呼びかけで、「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が結成されて以降、個人参加の形を取ることによって、個人が自らの意思で運動をするという型が定着し始めた。そして、70年代から始まった、公害や様々な差別に反対する運動も個人の意思による特定の目的のための運動という型を多く生み出し、そうした経験の蓄積が今日の運動の基礎となっている。

■個人的な体験からも実感する女性や若者の危機感

第三の特徴として、女性と若者の参加が多かったことがあげられる。これは将来の主権者意識の持続性を考える上で、大きな可能性をはらむ、希望となる要素だ。60年安保の時には、女性は労働組合婦人部に属する人を除くと、「声なき声の会」のデモに加わる以外、参加することは困難だった。一方で、60年安保闘争のデモ参加をきっかけに組織された山梨県忍野村の「忍草母の会」はその後、陸上自衛隊北富士演習場での米軍の演習に対して、着弾地に座り込むなどの非暴力直接行動で、演習を阻止する成果を生んだことは見ておく必要がある。

60年安保以降、70年代、80年代を経て、女性解放の運動は、1995年北京で開かれた「世界女性会議」などの国際的な動きとも連動して、活発になっていった。安保法案をめぐっては、戦争と平和を争点にして、日常性の視点から、「だれのこどもも、ころさせない」をスローガンにした「安保関連法案に反対するママの会」のような母親たちの運動が全国で起こっているが、そうした流れを受けたものとして注目される。私自身も6月末、地元で30-40代の女性たちが中心になって開いた「親子で聞こう、戦争体験」の集まりに講師として招かれたが、60名余りの参加者の真剣なまなざしが強く印象に残っている。全国で運動に取り組む女性たちも、同じような感覚なのだろうと容易に想像することができる。

若者については、60年安保当時、全学連が最も戦闘的な戦術をとった点で脚光を浴びたが、運動全体の長期的持続性の視点からはマイナスに作用したことも否定できない。さらに60年代後半以降、学生運動は過激化と少数化、さらには内ゲバの横行によって、消滅する方向に向かった。そして、その後、長い間、学生の非政治化、運動からの逃避傾向が指摘されてきた。

しかし、今回の安保法制の問題に対しては、学生の間にも、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の動きなどが見られる。もし徴兵制が採用されることになれば、彼らこそが戦争にかり出される対象となることを考えれば、その危機感は当然ともいえる。また、「明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)のように、若手弁護士たちが開く「憲法カフェ」が様々な地域で開かれるようになっている。

60年安保闘争の広がりは敗戦から15年しか経っておらず、戦争の記憶がなまなましい中で、「戦前に戻すのか」という危機感と怒りが背景にあった。しかし、それは自分たちが戦争でひどい目にあったという被害の記憶であり、日本が中国や東南アジアを侵略し、現地の民衆を虐殺したという加害の面は忘れ去られていた。その後、ベトナム反戦運動の中で、当時の日本に被害と加害の両面があったことを意識した結果、過去の戦争における加害の面に関心が向けられるようになった。また、80年代半ば以降のアジア諸国の開発独裁体制の民主化に伴って、日本の侵略による被害に対する責任追及の声があがり始め、日本人の歴史認識が問われることになった。

■権力の持続的監視が議員への影響力行使につながる

今日の若者の安保法制への関心を呼び起こしたのは、直接的には歴史認識や加害の問題というよりは、立憲主義という言葉が社会で広く用いられるようになってきたという変化による面が大きい。立憲主義は、憲法は主権者である国民が権力にしばりをかけるものだという考え方にたつ。このしばりがなくなれば、権力は腐敗し、乱用される危険性があるため、主権者は立憲主義を貫くためには、権力を常時監視する責務があるということになる。若者を含め多くの人を安保法制反対の行動に駆り立てる契機になっているのは、今日政府が解釈改憲で、集団的自衛権を認めようとするのを見逃すと、主権者の責務を放棄することになるという考えだ。

このような主権者としての責務を持続的に果たしていくためには、60年当時の全学連のように戦闘的前衛として、暴力的な行動に訴えることは有効ではない。現在の代議制は最善とはいえず、欠点の多い制度であることは間違いない。しかし、それに代わる制度がない以上、目標とすべきことは議会外からの声を大きくし、落選させられるかもしれないという危機感を現職の議員に与えることで影響力を行使することである。この目標の達成は、将来の投票行動を現在の議員及び政党の実績によって、判断し、決定するという形で、持続的監視の姿勢を崩さないことによって実現することができる。

それは戦争の記憶から最も遠い位置にある若者たちにとって、歴史認識や加害について認識を深めていく過程でもあり、権力に対する持続的監視をより強固なものにしていく。また長期的効果という点から見れば、例えば地域の人たちの間に見られる、基地反対・安保法制反対など戦争と平和をめぐる市民活動が、地域主権の主張を通じて国政に影響を及ぼす場合もあるだろう。

ここまで、60年安保闘争参加の経験を振り返り、そこから8・30の行動に示された主権者意識の成熟について見てきた。その成熟が主権者としての責務意識の持続性を生み出し、立憲主義に支えられた民主主義の実現に向けて、有効性を発揮することを何よりも期待している。

※「親子で聞こう、戦争体験」

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筆者紹介 石田 雄(いしだ たけし)

1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から旧東北帝国大学法文学部に進学、在学中に学徒出陣し、陸軍東京湾要塞重砲連隊へ入隊。復員後、東京大学法学部を経て、東京大学社会科学研究所教授・所長、千葉大学法経学部教授などを歴任。著書多数。近著に『ふたたびの〈戦前〉~軍隊体験者の反省とこれから』(青灯社 2015年3月)がある。

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