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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ
第63回「アフリカの野生生物の利用(8)〜日本の象牙利用」

2016年9月14日

日本の古い時代における象牙利用

日本で見られる象牙ものでは、奈良の正倉院に、象牙の装飾品や琵琶の撥などが収蔵されているものが最も古い。その後、初めて象が日本にやってきた室町時代では、既に象牙は交易品として室町将軍が持っていたと言われている。さらに歴史が進み、江戸・元禄時代には歌舞伎などの伝統芸能が盛んとなるが、歌舞伎などに使用されたこのころの三味線の撥の大半は木製であったと考えられている(写真253)。1690年代には象牙職人が撥を作っている挿絵が描かれている(図1)。明治時代に象牙製の三味線の撥が出始めた記録もあるが、しかしこの時代までは、大量の象牙が日本に入ってきたと考えられる可能性は低く、基本的に上流社会にのみ象牙製のものが出回っていたと推測される。したがって、日本における象牙需要は、長い歴史に渡る一般大衆に普及した文化とはいえないであろう。当時の輸送手段の限界からしても、象牙製の撥の基本はアジアゾウの象牙由来のみであったと思われる。

写真253:三味線と木製の撥©PIXTA

写真253:三味線と木製の撥©PIXTA

図1:江戸時代の職人が象牙を扱っている様子。手前右上に三味線の撥が見られる©人倫訓蒙図彙P178“角細工”

図1:江戸時代の職人が象牙を扱っている様子。手前右上に三味線の撥が見られる©人倫訓蒙図彙P178“角細工”

日本における象牙製印章の広まり

日本に印章が出まわるきっかけとなったのは、明治時代以降の1890年代であると言われている。当時の兵隊が給与を受け取る時の「認め」のための印として、印鑑が普及するようになったのである。しかし、当時、印章の素材は木材であり、その後水晶が見つかった山梨で、印章が水晶で作られるようになった。今でも、印材の彫師が山梨に多いのはこのためである。

その後、1900年代に入ると日清・日露戦争による好景気により、初めて日本からアフリカに商船が送られるようになった。このときに、アフリカゾウの象牙も積み込まれたと想像するのはかたくない。そこでは、サバンナゾウやマルミミミゾウの象牙が輸入され始めたと推測されるが、輸入量の確かなことはわからない。しかしその過程で、象牙が印材として優れていることが判明し、印章の素材が象牙に移行していくようになったのもこの時代以降であろうと考えられる。

軍隊に始まった印章は次第に庶民にも普及するようになり、1960年代の高度成長期時代以降には象牙製の印章利用が大衆に広がり一大産業となったのである。これは、1960年以降象牙に殺到したのが、中国と香港、それに日本であったという時代に符合する(連載記事第59回参照)。日本が象牙最大消費国の一つとなり、印章(写真254)だけでなく、三味線の撥(写真255)、根付、彫像、箸などの象牙製品が大衆に広まった。これがアフリカゾウへの密猟を加速化した結果となる。特に、印材としての象牙は、日本の象牙利用の約60%を占めた。

写真255:象牙製の三味線の撥©PIXTA

写真255:象牙製の三味線の撥©PIXTA

日本におけるマルミミゾウの象牙への特殊な需要

日本での象牙利用の特徴は、印章に限らず三味線の撥などといった装飾品ではない実用品が多いことであり、素材としてマルミミゾウの象牙に特化した点である。それは日本の象牙業界では「ハード材」と呼ばれ、「ソフト材」と呼ばれるサバンナゾウの象牙と差別化された。これは、マルミミゾウの象牙のもつ「より弾力性のある固さ」や、「より高い吸湿性」、「よりよい艶」といった特性による。「より弾力性のある固さ」は細かい彫りの技術を必要とする印章ではシャープに名を彫ることができ、欠けにくく長持ちする点が重宝された。激しく弦を叩く三味線の撥では、弦との接触の上で柔らかさが求められる一方、撥の先端が頻繁に欠けたら困るという点からも、格好の素質である。「より高い吸湿性」は印章、撥とともに、手や指の汗などにより滑らないことが大前提であるという条件に必要不可欠である。そして、象牙そのものにもともと「よりよい艶」がある上に、吸湿性のため汗や朱肉の色が染みこむことによる見栄えのよさも外せない条件となる。こうした特定の象牙の種類へのこだわりは、他のどの国・地域における象牙利用には見られないきわめて特殊な事情である。ある意味では、日本人特有の素材選択への繊細な感性の賜物とも言えよう。

日本におけるマルミミゾウの象牙への特殊な需要も、1989年のワシントン条約による象牙国際取引が禁止されて以来(連載記事第59回参照)在庫が減ってきている今となっては見逃せない。そのときから現在に至るまで、日本は二度ほどワシントン条約下の許可のもと、南部アフリカ諸国で自然死や間引きなど合法的なプロセスによりストックされたサバンナゾウの象牙を、それぞれ一回限りという限定条件のもとで輸入した。これは、輸入側の需要があったのと輸出側が象牙を売却したお金で野生ゾウの保護資金に当てたいという思惑が一致しただけでなく、輸出側と輸入側の象牙管理制度が適切なものであるとワシントン条約事務局に判断されたためである。一度目の1998年は合計60トン、二度目の2008年は中国も輸入が許可されたが日本は合計48トンの象牙を輸入することができた。

「ムアジェの悲劇」(連載記事第57回参照)が起こったのは、まさにこの一回目の特別許可の象牙取引が行われる直前の1996年だったのである。ムアジェ・バイで300頭にも及ぶマルミミゾウの密猟に関わった密猟者のひとりは、「詳しいことは知らないが、何かの国際会議で象牙取引が再開されるときいたので、それでいまのうちからたくさん象牙を採取しておこうと思った」と実際供述していた。密猟者にはワシントン条約の詳細はわからなかったにしても、そういう決議案がされるであろうという情報の流布がムアジェの悲劇の発端になったであろうことは想像しがたいことではない。

また、二度目の取引再開時には、日本の象牙関係者は南ア諸国の象牙在庫売買を中国と競合することになるため、そのオークション前には戦々恐々としていたらしい。ところが実際には、オークションでは日本の業者はそこに質のよい「ハード材」が紛れていたことがたまたま発見され、その高価な象牙の売買では中国と競合が起きず、非常に得をしたという。中国は、ヒビが入っていようが欠損していようが、象牙であればよく、安価な象牙から買っていったという。もともと「サバンナゾウの象牙では役に立たない」と語っていた象牙業者にとっては偶然の朗報であったのだ。実際中国の場合は、日本のようにマルミミゾウの象牙にこだわる習慣はなく、また化石となったマンモスの牙であっても問題はない。

しかし、ここで喚起しなければならないことは、その象牙オークションで出展されたものは、本来南部アフリカ諸国の象牙在庫であるはずだったので、すべてはサバンナゾウの象牙「ソフト材」であるべきはずだった。しかし、そこにマルミミゾウ由来の「ハード材」が紛れていたということは、違法象牙が混入していた、つまり輸出側の国々の象牙管理制度に問題があったことを示唆している。

管理制度の問題は、南部アフリカ諸国側だけではなかった。輸入側の中国や日本も不備が少なくないことも判明した(詳細は別項で述べる)。その証拠に、2008年の「合法取引」を堺に、アフリカでのゾウの密猟、象牙の違法取引が急増する結果になったのである。特に、マルミミゾウはその結果、絶滅の危機に瀕する状況にまで追いやられることになっている。2011年は押収された違法象牙の銃猟が史上最大の年となったのである。中国やタイなどで、相次いでアフリカ産の違法象牙が大量に検挙されたのである。

日本では昨今、象牙製印章の需要は減少傾向にある。マルミミゾウの象牙の在庫は減る中、サバンナゾウの象牙で印章を作っている可能性はあるが、職人としては理想の素材ではない。ただ、いまや象牙製印章も昔ほどは売れなくなり、より安価でしかも丈夫なチタンや合成樹脂、家畜水牛の角などの代替素材に人気が高まり、象牙製印章だけでは商売が対処できなくなっているという事情も業界ではすでに広く認知されている。印章を使う生活様式そのものも、署名などの形式に次第に変化していくであろうが、印章に関しては象牙という素材にこだわる時代の終焉は遠くないと察することができる。

その他、象牙製の彫り物や根付などに代表される装飾品に対する需要はもともと低い上、さらにもっと逓減していく一方であるため、印章と似たような流れとなるであろう。

一方、邦楽業界では、特に三味線の撥に対しては、マルミミゾウの象牙に対する継続的で根強い需要がある。理由は、演奏者が演奏しやすい、音質が圧倒的によいためとされている。和楽器に関する詳細は別項に譲りたい。

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