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第四話 五輪霧中

寄稿:西村 修一(馬術家・エッセイスト)

2019年4月6日

 東京五輪招致を巡る不正疑惑でフランス司法当局から贈賄容疑で捜査を受けた日本オリンピック委員会(以下「JOC」とする)に端を発した竹田会長の辞任問題をマスメディアは異口同音に会長を非難し、結局今年6月の任期満了をもって会長を辞任することとなった。
 彼は御承知の如く明治天皇のひ孫で、彼の父君、竹田恒徳氏は「スポーツの宮様」と云われ、「明治天皇に最初に抱かれた孫だ」と云うのが御自慢だったが、前回の東京オリンピックの際にはJOC会長として立派にその務めを果たされた。
 今から57年前、私が日本馬術連盟の理事に就任した時の日本馬術連盟の会長も竹田恒徳殿下で、私は殿下の命令で殿下の家(現在の品川駅の正面、現在プリンスホテルの建っているひと山全体)で結婚式を挙げ、そのまま竹田邸に宿泊させて頂いた。
 当時の竹田邸は大きな池があり、美しい回遊式庭園があり、御簾のかかった雛壇のような座敷で、まるで神様にでもなったような気分で泊めて頂いた。
 その後、品川の屋敷は総て西武の堤氏に売却した為その跡地にホテルを建て、プリンスホテルという名前にしたのだ。
 今回辞任する恒和氏は私の十八年後輩だが、私と同じ慶應義塾大学の馬術部出身であると同時に彼が幼い時から当時皇居内にあった「パレス乗馬クラブ」の会員として共に乗馬を楽しんでいた。
 そして彼は馬術選手としても非常に優秀でミュンヘンとモントリオールのオリンピックの大障碍の選手として出馬しており、今回の東京五輪が決定した時「東京に決まってお目出度う、ぜひ平和の祭典として頑張ってくれ」と激励した。
 ところが彼は「先輩、残念ですが今回決定したオリンピックの時(IOCの規定で)は七十歳停年で私は関係がなくなります」と云うので、「何を莫迦な事を云うのだ、一回でもオリンピックを開催するとういことは、その国の名誉な事なのに、親子二代にわたりオリンピックの会長を務める等ということは今後まずないことで正にギネスブック物ではないか、その事をJOCの役員に話して何としても停年を延長してオリンピックの会長として立派に「平和の祭典」を為し遂げろ」と叱咤激励したところ、「それでは一応停年延長の件をJOCで諮ってみます」と云うことだった。
 それから程なくして彼から連絡があり、「お陰様で私の停年延長は例外としてJOCで認められました」との連絡があった。
 それを聞いて私も、これで彼の父君、恒徳氏より受けた御恩に少しは報いることが出来たと窃かに喜んでいた。
 ところがスポーツ庁の鈴木大地長官等の発言により、例外として決定したJOC会長延長は残念ながら無効となってしまった。
 私は彼が大学卒業後も日本馬術連盟や三田乗馬会(慶大馬術部OB会)の理事として年に何回も会う機会があり今でも親しく付き合っているが、非常に正義感の強い曲がったことが大嫌いで人の話をよく聞く紳士で決して独善的賄賂等使うような男ではない事を私は確信している。
 又、新聞等では彼の長期政権によるガバナンス(組織統治)不全が致命的等と書きたてているが、まずその前に「五輪憲章」も読んだことのなかった無責任で無神経な五輪担当相を免職すべきだがこの件はマスメディアは取り上げていない。
 竹田会長の例外的停年延長が、女子レスリング界のパワーハラスメントや日本ボクシング連盟の不適切な助成金使用等が組織の中枢にいる人物に長期間権力が集中したことが腐敗につながる等と、見当違いな理由をつけて竹田会長の停年延長を禁止したが、レスリングやボクシングの問題をおこした事件と竹田会長は次元が違うことを全く考慮に入れていない今回の決定には何としても納得しかねる。
 長年スポーツ界に携わってきた者として云わせてもらえば、スポーツ界には個性の強い人間が多く、最近のJOCの内容はよくわからないが、それぞれの役員は各競技団体からの選出委員で彼らは大体に真のスポーツを履き違えた勝利至上主義のガリガリ亡者が多く、それを纏めるのは容易なことではなく、その上オリンピックで金メダルを獲った者が巾をきかせているように思う。
 以前にも「オリンピック憲章」を書いたが、そこには「オリンピック憲章に基づいて行われるスポーツを通して青少年を教育することによって平和でより良い世界づくりに貢献し、スポーツ文化を通して世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ、相互の交流を通して互いの理解の度を深め、友情の環を広げることによって、住みよい社会を作り、ひいては世界平和の維持と確立に寄与することをその主たる目的とする」と明確に書いてある。
 又、日本での五輪の運動の父、嘉納治五郎氏は、スポーツ文化の目的は体を鍛える事で心を成長させることだと云い、1940年東京五輪招致では「アジアの一角に全世界の若者が集まる時、平和の幕開けを迎える」と訴えている、そこにはオリンピックでの勝ち負け等というケチな言葉は一言も無い。
 以上の如くオリンピックは、あくまで「平和の祭典」であるべきで相互の交流を通して友情の環を広げ世界平和に少しでも貢献するべきなのに、JOCの勝利至上主義者達はその精神に逆行し、東京五輪期間中、日本代表のメダル有力選手の多くは東京都中央区の選手村に入らず、手厚い医科学の支援もうけられる諸施設の整った強化施設「味の素ナショナルトレーニングセンター」を拠点とするという。要するに他国選手との交流は一切無しだ。
 これは世界三位想定で日本勢過去最多の全メダル30個獲得に向けて地の利を生かす為のもので卑怯にも程がある、そんな事をして恥ずかしいと思わないのか、又そんな事によって獲得したメダルに一体何の価値があるというのだ。
 然し、JOCの橋本聖子副会長は、今、ガバナンス(組織統治)、コンプライアンス(法令順守)等で悩んでいる場合ではない。何としても金メダル30個を獲得することに全力投球する事だと檄を飛ばす。
 又、スポーツ庁はメダル有望競技に重点をおき、五輪強化費を金メダル獲得可能と思われる柔道、レスリング、体操、バトミントン、空手を「Sランク」として強化費を30%アップ。陸上、水泳、卓球、テニス、セーリング、重量挙げ、野球、ソフトボール、スポーツクライミング、スケートボードを「Aランク」として強化費20%アップを決定した。
 五輪憲章の目的からすれば、仮に日本がメダルを1個も獲得できなかったとしても、東京五輪の企画によって世界の平和に若干でも貢献できたとしたら大成功だと私は確信する。
 そしてその東京五輪が次回からの五輪の手本となり、クーベルタン男爵の夢であった「世界平和の為の祭典」へと少しでも舵が切れたとしたら2020年の東京オリンピックは大成功だと思うが、この理想は夢のまた夢で幕を閉じるだろうことは疑う余地もない。
 最近の五輪の肥大化に伴う開催費の増加や勝利至上主義では絶対に根絶不可能な薬物問題等から敬遠され、世論の反対で大会招致を取りやめる都市が相次ぎ、更に若年層のスポーツ離れは危機的問題となっている。然し、今回は決定した以上ぜひとも東京五輪を無難に閉幕させたいが、高温多湿の中での東京五輪は難問だらけで開催中にもいろいろな問題や不都合がおきると思う。
 先ず「復興五輪」と銘うった今回の五輪も安倍首相は福島第一原発事故による汚染水問題は「アンダーコントロール」されていると断言しているが、今なお5万人を超える避難民のいる東北三県の人々の思いは「名ばかりの五輪」という感じしかしていない、正に被災地の思いは別次元でIOCの生き残り策に組み込まれたに過ぎない。
 これからの500日、ますますJOCは選手強化に力を入れ、マスコミも全く見当違いなオリンピック論を展開して、若者達をミスリードし、若者達の一回限りの貴重な人生を台無しにしてしまうことだろう。
 又、以前にも書いたが灼熱地獄の中での競技は、いかなる対策をとっても選手達の体調面に問題が起きないわけがなく、私の専門の国際馬術連盟の「馬のスポーツ憲章」の最初に「いかなる場合にも馬のウェルフェアが最優先される」とあり、更に「競技出場への準備段階や競技馬の調教段階のいずれの時点においても、馬のウェルフェアが他のどのような要求よりも優先されなければならず、馬のウェルフェアあるいは安全が確保できない気象条件においては競技を実施してはならない」と明記されている。
 今回の東京五輪は「アスリートファースト」どころか、アスリート達は猿まわしの猿にすぎない。そして五輪閉幕後の日本経済に対する巨大な損失等を考える時、閉会後、竹田会長が一切のゴタゴタの最高責任者としてその責任を問われ、いろいろと釈明する姿を見ずにすんだ方が今回の辞任劇は彼にとって幸運であったかも知れないと此の文章を書きながら思うようになった。
 終わりに、つい一ヵ月程前、私の親戚の葬儀があったが盗用問題で騒がれた新しい五輪のエンブレムは、どう見てもお通夜や告別式で棺の両脇に置かれる提燈にあのマークをつければ正にピタリと収まる様な気がしてならない。
 いづれにしても今回の件は「人間万事塞翁が馬」と達観するのが正解かも知れないが現在の状態、勝利至上主義を主目的としているオリンピックは近い将来消滅する運命にあると思う。何としても「世界平和を目的とする企画を立て、1952年のヘルシンキ五輪以前まで続いていたクーベルタン男爵の強い希望で行われていたスポーツ以外に、絵画、彫刻、建築、音楽、文学の五分野に世界中の宗教団体の協力をえて、オリンピックを世界的規模の一大宗教的行事にすべきだ、その宗教の御本尊は勿論「世界の平和」である。
 それ以外に将来オリンピックの生き残る道は無く、又それが実現したとしたら何と素晴らしいことだろう。
 “二度とない人生だから戦争のない世の実現に努力し、そういう詩を一篇でも多く作ってゆこう。私が死んだら、あとをついでくれる若い人たちのためにこの大願を書きつづけてゆこう”(坂村真民)

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