【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―
【緊急寄稿】 ビーバーテール通信 番外編 緊急事態宣言は魔法の杖ではない
小笠原みどり (ジャーナリスト・社会学者)
安倍首相が新型インフルエンザ等特別措置法を使って「緊急事態宣言」を出そうとしていると知り ( 4 月 6 日、朝日新聞)、この緊急通信を書いています。私はカナダでオンタリオ州政府が宣言した緊急事態の下、すでに 3 週間暮らしているので、その甘くない現実を急いで伝えたいと思います。
緊急事態宣言の下、「Stay Home」と外出制限を呼びかける電光掲示板が出現した。春の訪れにふさわしい暖かい日なのに、人影も自動車もまばら= 4 月 4 日、カナダ・キングストンで、溝越賢撮影
新型コロナウィルスが世界中に拡散し、ほとんどコロナ問題以外伝えなくなったメディアやSNSから、毎日増え続ける感染者数を見せられれば、誰でも恐怖や不安に襲われるのは当然です。あふれる情報のなかで、自分の判断が正しいのかわからない。さらに、力のある人に守ってもらいたい、未知のウィルスを制圧するには強力な手段が必要ではないか、という漠然とした期待が生まれる部分もあるでしょう。
でも、幻想は禁物です。緊急事態宣言は、人のいのちを守る魔法の杖ではありません。カナダでも世界でも、緊急事態を宣言した国々では感染者数は依然として増え続ける一方、ウィルスと同じくらい危険な別の問題が発生しています。政府に例外的に強大な権限を与えたことで、人によってはいのちにかかわる結果まで招いています。私は感染症や公衆衛生の専門家ではありませんが、この急激な変化によって誰が危険な状態に追いやられ、何が社会から失われ、どんな未来が一人ひとりの前に立ちはだかるのかが、感染対策においても十分に考慮されるべきだと考えます。結局のところ、緊急事態宣言は科学的な応答ではなく、政治的な判断なのですから。
まず、私が置かれている緊急事態について簡単に説明し、それから 5 つの問題点に絞って指摘します (他にも多くの問題があります)。緊急事態を宣言しているといっても、各国の対応は異なります。が、共通するのは、政府が個人の活動を制限する点で、通勤を含む経済活動はもちろん、教育活動、場所の移動、人と集まること、表現やコミュニケーションも抑制の対象に入ってきます。政府の介入や罰金、投獄が始まっている国もあります。さらに緊急事態は、個人から土地や財産を取り上げたり (日本でも可能になります)、強制的に働かせたりする権限も政府に与える場合が多く、民主主義のなかでも人権が合法的に無視される「例外状況」が生み出される点が、他のどんな制度とも位相を異にしています。
カナダの場合、政府は 3 月16日からコロナ対策としての国境を封鎖すると同時に、トゥルードー首相が「とにかくすべての人は家にいて自己隔離をするように」と呼びかけ始めました (その結果現れた閉鎖社会とナショナリズムについては前回の通信をお読みください)。カナダ政府は現在 ( 4 月 6 日) に至るまで緊急事態を宣言していませんが、翌17日からオンタリオ州のフォード知事ら、ほとんどの州が州法に基づいて緊急事態を宣言しました。その結果、私の暮らすオンタリオでは図書館やレクレーション施設、学校がまず閉鎖され、3 月25日から「essential businesses」 (生活に必要不可欠な事業) 以外は閉鎖を命じられました。何が生活に必要不可欠なのかは人によって違うはずですが、州政府が一方的に決めます。実際、初めは営業を許されていたペットショップや自動車部品製造工場が 4 月 5 日から閉鎖を命じられました。緊急事態は民主主義下では一時的なものであることが大前提ですが、実際には、時間とともに通常の生活に戻るのではなく、例外状況が拡大していく傾向にあることを、警戒する必要があります。誰もが家にいることを求められているので、スーパーや食料品店だけは活況を示していますが、小麦粉、トイレットペーパー、肉、缶詰の買い占めが目立ち、レストランは配達と持ち帰りだけが認められています。外出は禁止されていませんが、外出時には IDカードの携帯が義務づけられ、5 人以上が集まることは禁止され、違反すれば罰金が科されるようになりました。
こうして多くの場所が閉鎖された結果、街から人影は消えました。日本でもすでに始まっていますが、最初に起きたのは、かつてない規模の失業です。観光業や航空業は宣言の前から打撃を受けていましたが、いまやデパートやアパレルも店舗の閉鎖と同時に従業員を大量に一時解雇しています。これが「一時」で済めばいいですが、その保証はなく、カナダでは最初の 1 週間ほどで100万人近くが失業しました。アメリカの失業者は1000万人を突破しました。カナダ政府は失業者支援に巨額の緊急予算を組みましたが、政府自身が財政赤字を抱えている上に、元々赤字を抱えていた企業の救済にも火事場泥棒的に税金が使われることが懸念されています。日本でも経済界から緊急事態宣言を求める声が出ていましたが、企業が災害などの緊急事態を利用して利権を広げてきたことを暴く『ショック・ドクトリン』を著したカナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインは早くも「コロナウィルス 資本主義」への警告を発しています (英語ですが、興味のある方はインターセプトの記事とビデオをご覧ください)。インターネット企業を含む経済界の狙いも、最後に挙げる個人データの利用を含めて、この辺りにあるのかもしれません。
次に、ドメスティック・バイオレンス (DV)、つまり家庭内での女性に対する暴力、子どもへの虐待が急増しました。政府は家にいろと言いますが、家が危険な人、家に居場所がない人は数多くいます。パートナーから暴力を受けている女性が逃げようとしても、自己隔離中の友人宅にかくまってもらったり、子どもを預けたりすることはできません。ほんの 2、3 時間、暴力から逃れることすら、図書館も映画館もショッピングモールも閉鎖中では難しい。そればかりか、暴力をふるう同居人がそばにいては、SOSの電話をかけることすら困難です。カナダでは、緊急事態宣言下ですでに 2 つの DV死亡事件が発生し、バンクーバーの DV電話相談は 3 倍に増えました (グローブ・アンド・メール、以下グローブ)。同じような DVの急増は、中国でもフランスでも起きています。私は、子どもが通っていた小学校で朝ごはんを食べていたクラスメートたちを思い出します。家で朝ごはんが食べられないので、学校でパンやヨーグルトを食べている子たちが学校に行けなくなれば、誰が助けるのでしょうか。日本でも子どもの虐待が頻繁に報道されますが、家に監禁されることは、逃げ場がなくなるということでもあるのです。
3 つめに、人種差別や外国人嫌悪といったヘイト (憎悪) の増長も、各国が競って国境を封鎖したことと無縁ではありません。ウィルスには肌の色も国籍もなく、実際にはとうの昔に国内に入っているのに、敵は常に外からやってくると想定されるのはなぜでしょうか。各国が国境を真っ先に閉じたのは、実は政府が元々敵視してきた相手でした。アメリカはイランと中国に対し、日本は韓国と中国に対し、というように。今では鎖国合戦で自分以外のすべての国々を危険視していますが、それで差別が消えたわけではありません。トランプ大統領が「中国ウィルス」とレッテル貼りをしたアメリカでは中国系市民が襲われ、中国以外のアジア系市民も脅されています (ニューヨーク・タイムズ)。ヒンドゥー至上主義のモディ政権下のインドでは、イスラム教徒がウィルスを拡散しているというデマ「#コロナジハード」がSNSで拡散され、警察がモスクに踏み込んで「浄化」する弾圧が起きています (グローブ)。欧米のメディアはよく、ウィルスによる緊急事態を戦争にたとえますが、それがヘイトを煽っていることには気づいていません。嫌韓・嫌中が過去数年で人々の心に巣喰い、閣僚たちが好んで「武漢ウィルス」という名称を振りまいた日本 (毎日新聞) で、緊急事態宣言がヘイトにお墨付きを与え、いわれのない非難と暴力が隣人たちを襲うことを、私は心底憂慮します。
そして、外出制限や自己隔離がメンタルヘルスに悪影響を及ぼすことは、精神医学の専門家たちが指摘しています。カナダでは、手洗いと、自己隔離と、外で誰かと会ったら 2 メートル以上離れて話す「social distancing」が耳にタコができるほど呼びかけられています。が、このネーミングは精神衛生上よくない、と専門家は言います。実際には身体的な距離に過ぎないのに「社会的に距離を取ること」と呼べば、すでに精神的な援助を必要としている人々の孤立感はますます深まり、致命的になりかねない、と。けれど私は、名前だけの問題ではないと感じます。例えば、行き場がなくて散歩する人が増えましたが、すれ違うときにわざわざ遠回りして相手を避ける場合がほとんどで、犬がよって来てもなでていいのかわかりません。お互いを身体的に遠ざけながら、社交的であれと言われても無理があります。政府やメディアはビデオ通話やSNSで人とつながれと言いますが、スクリーンに向かうことが別の緊張や疲労を招くことは計算に入っていません。親しい人と直に会いたいというのは人間の根源的な欲求ではないでしょうか。にもかかわらず、病院や介護施設にいる親に面会できなくなってしまい、最期を迎えようとしているのにお互いに手を握ることもかなわない、という悲劇的な状況が起きています。人が互いを信頼できない存在として扱う長期的な孤立が、心に及ぼす危険はウィルスの危険より低く見積もられるべきではありません。
最後に、外出を制限され、仕事も授業も会議もオンラインで、とデジタル通信への依存が以前にも増して深まる一方、携帯電話の位置情報が個人の行動の抑制に使われたり、個人の感染可能性の推測に利用されたり、といったデータ監視が新たな次元に突入しています。イスラエルでは携帯情報が個人隔離の判定材料にされ、台湾でも隔離が必要と思われた人が移動すると政府から警告メッセージが届くそうです (グローブ)。オンタリオ州も感染対策として、携帯使用者に無断で大量の個人データを密かに利用し始めようとしていることを、同業の研究者から聞きました。それに加えて緊急事態宣言下では、オフラインでも住民同士の相互監視が厳しくなり、隣人についての通報、密告、デマが発生します。安倍首相は緊急事態宣言に罰則はないと強調しますが、政府が外出制限を呼びかければ、監視は一人ひとりに深く内面化されます。警察官が家の前に立っていなくても、自分を見張るのです。これが、フランスの哲学者ミシェル・フーコーが『監獄の誕生』で指摘したパノプティコン (一望監視) の力です。フーコーは欧州でペストが流行した時代を例にとって、強制的な封鎖が実行されただけでなく、個人が権力の目線で自らを調教するようになったと書いています。
忘れてならないのは、デジタル通信によってペストの時代を遥かに超える個人監視が可能になっているとき、政府の方はすでに持っているデータを十分に公開しないアンバランスが発生していることです。オンタリオ州政府も、カナダ政府も、すでに緊急事態に入って 3 週間が経過しているのに、国境封鎖や自己隔離が果たして感染抑制に効果を上げているのか、はっきり言いません。もっぱら愛国調になったメディアですら、感染実態を示すデータをもっと出せと苛立っています。
その根底には、カナダも日本と同様、人々がウィルスに感染しているのかどうかを検査する体制が整っておらず、検査数が抑制されている、という問題があるようです (在日アメリカ大使館は日本にいる米市民に、日本は検査を抑制しているので帰国するようにと呼びかけています:朝日新聞)。私の友人もカナダで疑わしい症状が出たので検査を受けたいと保健所に電話しましたが、断られました。重症化するまで家にいろ、と言われるだけなのです。一方、医療現場では防護ギアが足りず、医師も看護師も危険に晒されています。他の「先進国」同様、カナダも新自由主義政策の下で長年かけて病院のベッドを減らし、健康保険を削ってきました。貧弱な医療体制では対応しきれない感染爆発の「カーブを平らにするため」「速度を遅らせるため」 (ウィルス撲滅のためとはさすがに誰も言いません)、個人の努力が求められているのです。考えてみれば、手洗いも隔離も、自己責任化という新自由主義の鉄則にかなっています。けれど、感染してしまった人は自分を責めなければいけないのでしょうか? 政府が公的医療を軽視してきた結果である検査不足を片手で覆い隠しながら、もう片方の手で携帯電話の位置情報を集めて感染者を予測するというのは、本末転倒ではないでしょうか?
緊急事態は、政府がそれまでの政治の延長線上で、しかし絶大な権限を手にして、初めは想定されていなかったことを成し遂げていきます。批判的なメディアを黙らせようとしてきたハンガリーのオルバン首相は、コロナウィルス に対する緊急事態宣言を無期限延長し、フェイクニュース対策と称して、政府の承認した事柄を「歪めて」伝えた者を 5 年間投獄することを可能にしました。例外状況は間違いなく、独裁者の基盤を強固にするのです。ナチスの強制収容所や対テロ戦争など、例外状況を研究してきたイタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、コロナウィルスへの緊急事態の適用に反対しています (英訳の一部)。「例外状況はやがて原則に取って代わる。人々は永遠の危機を生きさせられる」と。森友、加計、サクラ、文書改ざんと際限なく腐敗を引き起こしながら、メディアをメシとムチで飼い慣らし、強権的な法律を次々強行採決してきたあの政権が、緊急事態を手に入れることがどれほど危険なことなのか、暗澹たる気持ちになります。
しかし、日本で緊急事態が宣言されても、諦めるのは早すぎます。ハッとする手記を先日読みました。カナダ東岸のニューブロンズウィック州の作家が、距離を取り続ける人間関係にニューブロンズウィック人は耐えられない、と言うのです (グローブ)。なぜなら、お互いにフレンドリーであることが大西洋側の小さな街々の文化だから。グローバル競争の下で崩壊しかかっているコミュニティがよりどころとしているのが、人と集い、自由に会話すること。それが禁じられたら、傷を癒すのに何年かかるかわからない、距離を取るなんて大っ嫌いだ、と。私はニューブロンズウィック人ではありませんが、「ウィルスからいのちを守る」というすべてに優先するように聞こえる大号令の下で、自分でも押し殺していた気持ちを少し言ってもらった気がしました。緊急事態を仕方ないと受け入れるのではなく、そこから生み出される隔離や孤独、解雇やD V、差別や憎悪、監視と息苦しさに、いのちが押しつぶされないように、できることをしなくてはなりません。自分の生きる意味を簡単に手放さず、惑わされず、この作家のように社会の分断に対し「大っ嫌いだ」と言っていいのです。
世界は緊急事態一色ではありません。スウェーデンは街を封鎖せず、学校は開いていて、パブに行っても咎められません。感染者が増えていても、です。そこには他者への信頼という政治文化が見えます。別の選択肢があることを常に忘れず、緊急事態を検証していくことが急務です。
〈了〉
【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年5月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
新著に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版)。
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