2011.10.26 11.3更新

【 メ デ ィ ア 傍 見 】 17

前澤 猛
目次 プロフィール

「アウシュヴィッツ」 で考える

  10月初め、ポーランドのアウシュヴィッツを訪ねた。
  昨年、このコラムA 「ポーランド人はユダヤ人を救い、そして?」 (1月9日付)で、 『ユダヤ人を救った動物園―ヤンとアントニーナの物語』 (ダイアン・アッカーマン著、青木玲訳。亜紀書房刊)を紹介し、 第1次大戦中に多くのユダヤ人を匿ったワルシャワの動物園長夫妻の話を紹介した。
  そして、E の 「リトアニア、杉原千畝、そして多くのシンドラーたち」 (3月1日付)では、バルト3国紀行を寄稿した。 そして、大戦の風雲急を告げる1940年7月、リトアニア・カナウスの日本総領事館で、同国退去までの1か月余、 日夜必死で数千人のユダヤ難民に日本通過ビザを発行した杉原千畝夫妻について書いた。

  一方、毎日新聞(同年1月7日、)では、「ポーランド南部のアウシュヴィッツ強制収容所を訪れた2009年の年間入場者が130万人と過去最高を記録し、 アジアからの来訪者も増えていながら 『韓国が3万5000人、日本からは8200人だった』 という数字は意外だし、 身が細る思いだ」 と同紙中尾卓司記者が報じた。

  以上を契機に、私は急かれるように、ポーランド、そしてアウシュヴィッツを訪問した。その経験と感慨については、ここで詳細に語ることを控える。 すでに多くが紹介され、書かれているし、できれば多くの日本人に、じかに体験して欲しい。ここには、写真3枚と簡単な所感を掲載する。

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<鉄路黒くアウシュヴィッツに秋日落つ> 猛

  何十万、何百万というユダヤ人、そして反ナチスとみなされたユダヤ人でない市民たち。 貨車でこの鉄路からアウシュヴィッツ(ここではアウシュヴィッツと隣のビルケナウの両強制収容所を指す)に運び込まれ、なすすべなくガス室で殺され、 隣の焼却室で焼かれた。髪は織布に編まれ、骨は撒かれた。黒いレールは、秋の落日を受けて、さらに暗く沈みこんでいた。
  この世界遺産 「アウシュヴィッツ強制収容所跡」 のただ1人の日本人説明者、中谷剛さんによれば、昨年、今年の訪問日本人は数千人に過ぎないという。 悲惨な歴史と真実を熱心に伝えようとする彼は、巧まずして雄弁家になったようだ。そして、 強調した―「30数%の議席しか有しなかったナチスに、ドイツの議会と国を操らせ、人間の大量虐殺へ駆り立たせることを可能とさせたのは、 大多数の傍観者達に他ならない」


ガス室、そして焼却室へ

  中谷さんの話を聞いて、私の思いは、いまの日本人の傍観的態度へ及んだ。
  20世紀までの民族的偏見の最大の犠牲者であるユダヤ民族が、21世紀になって、いま何故パレスチナ民衆を排除し、 世界に紛争の種を撒き散らしているのだろうか。ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)は過去のことだ。 しかし、イスラエル建国に介在した欧米諸国は、現在、実質的にパレスチナ人排斥を許容し、アジア諸国、特に日本はそれを傍観しているのではないだろうか。 昨年5月、在日イスラエル大使館主催のパーティ 「スギハラ・サバイバーたちへの支援を通じて日本・イスラエルの両国関係を考える会」 に出席したが、 そこでも、杉原や日本人のヒューマニズムについて熱い顕彰の声を聞いたが、パレスチナ問題には誰も触れなかった。

  外務省のホームページは以下のように強調しているのだが…
  「2005年、国連総会は1945年にナチス・ドイツの強制収容所が解放された1月27日を 『ホロコースト犠牲者を想起する国際デー』 と定めました。 ホロコーストは、全ユダヤ人の3分の1、そして数え切れないほどのマイノリティの人々の命を奪いました。 ホロコーストがもたらした、憎しみ、狂信、人種差別そして偏見。私たち人類はこの悲劇を決して忘れてはなりません。 ホロコーストで犠牲となった人々を想起、追悼し、さらに未来に向かって、二度と同じ悲劇を繰り返さないよう、最善の努力を重ねていかなければなりません」

  アウシュヴィッツに残された冷たく暗い 「虐殺への鉄路」 に、いまは静かで平和な時が流れていた。
(2011年10月26日記)


かつての 「死への鉄路」 で幼児が無心に遊ぶ

【補遺】 ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)は10月31日の総会で、パレスチナを195番目の加盟国として承認した。 パレスチナは主要な国連機関で初めて正式な加盟国となったが、採決では、アラブ諸国のほかフランス、スペインなど107か国が賛成、 米国やドイツなど14か国が反対、52か国が棄権した。日本は棄権した。