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異論を聞く耳持たぬ政権

寄稿:飯室勝彦

2020年10月10日


 「学者の国会」と言われる日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られ、活動の独立性に危機が迫っている。表現、学問の自由は民主主義の健全な維持発展の基本的な前提であり、権力者は耳の痛い異論でも真摯に耳を傾けなければならない。そのためには人事の独立が重要である。将来「あの時が節目だった」などと悔やまないように、この問題を我が事ととらえ真剣に対応したい。

◎安倍・菅政権の介入
 科学が権力に迎合、奉仕した戦前、戦中への反省から誕生した学術会議は、政府から独立して科学技術に関する政策提言などをすることになっている。会員は、形式的には内閣総理大臣が任命するものの、活動の独立性を確保するため人選は会議側に任されてきた。210人の会員のうち半数が 3 年ごとに入れ変わることになっており、後任は会議が推薦した人を首相が任命してきた。ところが10月 1 日、菅義偉首相は会議が推薦した105人のうち 6 人を除いて任命した。
 政府は 6 人除外の理由を説明せず詳細不明な部分もあるが、菅首相は会議側の推薦に従う義務はないことを強調しており、首相の意向が反映していることは間違いない。

 任命されなかった 6 人のうちには安全保障法制や共謀罪を批判した研究者が含まれており、政権に批判的な人物が排除されたとみられている。報道によると、安倍内閣の時から会議側の人選に注文をつけるなど介入が行われるようになったという。

 会員の人選は、当事者の学問などの自由と密接な関係があるほか、会議の活動に影響を与えるだろう。介入の狙いは、政権に批判的な人物を排除することで会議の活動内容に間接的影響を与えることにあるとみられる。「会員は (特別職の) 公務員」「活動は税金で行われる」など介入を正当化する政権側の主張は問題のすり替え、矮小化である。ここで厳しく追及しないと、次は具体的活動への直接介入を招きかねない。既に自民党と河野太郎・行革担当相は学術会議のあり方を見直すことを表明した。

◎思想、学問の自由は基本
 思想、学問の自由は表現の自由と並んで民主主義の基本であり、民主主義の健全な維持発展のために欠かせない。それらの自由が実質的に保障されるために、多数者や権力の座にある人には異論に耳を傾ける姿勢が求められる。
 安倍晋三・前首相、菅現首相がそのような姿勢と無縁であることは数々の事実が語っている。

 安倍前首相は国会質疑でも質問にまともに答えず、質問をすり替えたり、質問者を逆攻撃したりするなどの対応が多く、敬意をもって異論を受け止めることはなかった。典型は、集団的安全保障に関する政府見解の強引な変更と安保法制の制定、国会における強行採決の連発である。
 菅首相は内閣官房長官としてその安倍政治を支えてきた。支えたというより二人三脚で推進してきた。首相就任に当たってはその安倍政治を継承すると言っている。

 もともと菅氏の政治姿勢も強引で強権的だ。権力、とりわけ人事権を武器に相手に従わせる手法を多用してきた。学術会議の人事介入もその延長線上にあるといえる。内閣官房長官時代の記者会見でも質問、疑問、批判などを真摯に聞かず「批判はまったく当たりません」「問題はありません」と切り捨てることが多かった。

◎「決めている」と聞かず語らず 
 「聞く耳持たぬ政治家」に関して忘れられないエピソードがある。加藤紘一・元自民党幹事長 (故人) 、山崎拓・元自民党副総裁、小泉純一郎・元首相が「YKKトリオ」と呼ばれた頃の話だ。

 加藤、山崎両氏が議論する傍らで小泉氏は黙って酒を飲み続けた。議論に加わるよう求められると、小泉氏は「おれは決めているから」と応じなかったという。
 聞かず、語らずの小泉氏は首相になって郵政改革に邁進した。敵か味方かに二分し、改革派、守旧派の色分けで世論を煽り、小泉流改革に反対する候補者には “刺客” を送り込んだ。マスコミはそれらをショーでも中継するように面白おかしくはやし立て報じた。小泉氏の首相としての靖国神社参拝を批判した加藤氏の生家に右翼団体員が放火したのは「聞く耳持たぬ」小泉流政治に刺激を受けた行動とみられた。

 昭和史研究家の半藤一利さんが「日中戦争から世界戦争に突入した昭和初期の雰囲気に似てきた」と懸念を示したのはその頃だった。

◎歴史は突然変わらない
 歴史の節目はある日、突然現れるのではない。大事なことを見落としていて、気がついた時は引き返せなくなっていた、ということが多い。いくつもの角を回るうちにそれぞれの角の関連性を見失うことも少なくない。

 「ヒットラーまがい」とも言われた小泉氏の扇動政治、戦後改革の清算を公然と主張して改憲を目指した安倍氏流の憲法解体政治、安倍政治の継承に権力の正統性を求める菅氏の強引政治・・・・・・と続き、学問の世界にまで人事権を利用した政治的支配が及ぼされかねなくなっているいま、半藤氏の懸念を杞憂と言い切れるだろうか。

 むき出しの権力による弾圧に常に脅かされていた戦前、戦中と違い、いまは見ようとすれば見え、聞こうとすれば聞こえ、発言も自由である。将来、「あの時、ああしておけば・・・・・・」と悔やまないように、常に目を凝らし、耳を澄まし、思考を研ぎ澄まして、社会で生起する事象に対応したい。
 そのためにジャーナリストの役割はきわめて重要である。国民の負託を受けて情報を収集、発掘し伝える使命を今こそ十分果たしてほしい。

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