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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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将来の憲法改正を議論していた外務省 下

2020年10月30日


6 第 4 回外交政策企画委員会が開催された1969年は、米国のアジア政策の大きな転換点でした。
 日米間では沖縄返還交渉が行われていた時期です。1969年11月佐藤・ニクソン共同声明で、1972年中の沖縄の施政権返還を合意します。

 他方で1960年に締結された安保条約の固定期限が1970年に到来する時期でもありました。
 また1969年 7 月にニクソン大統領が訪問先のグアムで、米国は泥沼のベトナム戦争から米軍撤退の方向性を打ち出し (ベトナム戦争のベトナム化) 米国がアジアでの関与を縮小させ、同盟国に肩代わりを求めるという新たな戦略 (ニクソンドクトリン) を発表します。

 1969年11月の佐藤・ニクソン共同声明では、韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要、台湾地域の平和と安全の維持は日本の安全にとって極めて重要、と合意します。また沖縄の施政権が返還されるまでにはベトナム戦争が終結することを希望すると述べています。

 沖縄の施政権返還に伴い、沖縄へも日米安保体制が適用されることになり、日本は北東アジアの平和と安定の維持により積極的に責任を分担することを米国に約束するのです。

7 第 4 回外交政策企画委員会での上記の議論は、1969年 7 月に発表されたニクソンドクトリンに影響を受けたものであると思われます。日米安保条約についての議論では、アジアへの軍事的関与の水準を引き下げようとするニクソンドクトリンから、日本の周辺地域での日本の軍事的役割の増大を議論しています。

 他方で在日米軍基地の縮小整理とこれを自衛隊が引き継ぐという注目すべき方向性を述べています。そしてこの方向性を進め、日米安保条約を相互援助条約に切り替える、地域的安全保障に加わる、地域防衛に参加するなどの方向性を見据えた議論をしています。これらは憲法改正がなければ不可能な戦略です。

 第 4 回外交政策企画委員会では、正面から憲法改正が必要だと書くことはできませんので、法眼審議官がこの議論を引き取って「法体系の整備を必要とする、というくらいでどうか。」と発言して、1969年 9 月25日付で「我が国の外交政策大綱」が取りまとめられたのです。いわば言葉によるごまかしの一種 (「霞が関文学」の特徴) です。

8 我が国の外交政策大綱が取りまとめられた時期の自衛隊は、第三次防衛力整備計画を遂行中で、とても米軍と共同での軍事行動をとれるだけの実力は備わっていませんでした。
 
 第 4 回外交政策企画委員会での村田企画室長の「今のところ本土防衛についてすら日米両方の分担が明確ではない。これは非常に大きな問題だと思う。」との発言は、自衛隊と米軍との共同演習すらできる状態ではない (海上自衛隊は別ですが) なかで、日米両方の (軍事) 分担が明確ではないのは当然でした。

 このことが実際に可能になるまでは、第四次防衛力整備計画、51防衛大綱を経て1978年11月日米防衛協力の指針 (ガイドライン) 合意まで待たなければなりませんでした。

 これにより我が国防衛に関する日米の軍事的役割分担の基本が合意され、それを検証しバージョンアップするための海上自衛隊だけではなく、陸上自衛隊、航空自衛隊と米軍との共同演習が始まります。

 このような日米の軍事協力と自衛隊の役割の増大は、憲法改正を視野に入れたものであったと言えるでしょう。

9 我が国の外交政策大綱が取りまとめられた1969年は、我が国の防衛政策が大きく転換を始めた時期と考えられます。日米安保体制における我が国の軍事的役割の増大が目指されるようになったからです。

 これと並行するように、日米の軍事一体化が始まります。日米安保体制 (その後日米同盟と称されるようになる) における我が国の軍事的役割の増大と日米の軍事一体化は、2015年 4 月日米防衛協力の指針、30大綱に至るまで一貫して進められてきたものです。

 1969年11月佐藤ニクソン共同声明で朝鮮半島と台湾海峡が我が国の安全保障と深く結びつけられました。それは沖縄の施政権返還に伴い、日米安保条約が沖縄へ適用され、それまで米国のアジアへの軍事的関与の要石であった沖縄の防衛を日本が分担することになったことと無関係ではありません。
  ※ 佐藤・ニクソン共同声明

 沖縄の施政権返還に伴い、我が国周辺地域である朝鮮半島と台湾周辺地域における我が国の軍事的役割を増大させるということでした。

 冷戦終結後の日米安保体制の再定義とそれを裏付けた1996年 9 月日米防衛協力の指針 (新ガイドライン) と1995年11月閣議決定された07防衛大綱により、日米安保体制がアジア太平洋地域 (周辺地域) へ拡大され、米国の戦争へ自衛隊が後方支援する仕組み (周辺事態法、同船舶検査法) が制定されます。

 2002年から開始された日米防衛政策見直し協議は、日米安保体制をグローバルな軍事同盟へと強化し、政府戦略レベルから部隊戦術レベルに至る日米の軍事一体化が合意されます。それを裏付けたのが16防衛大綱と有事法制でした。

 16防衛大綱は、事実上基盤的防衛力構想を捨て去り (名実ともに捨て去るのは22防衛大綱です) 、これまでは万一の日本への軍攻撃の際に我が国を防衛するためだけの自衛隊であったものを、安全保障政策のための手段として活用するという方向へ大きく切り替えて、第二次安倍内閣による国家安全保障戦略、25防衛大綱、30防衛大綱、安保法制、2015年日米防衛協力の指針となり、文字通り日米の軍事一体化が進んで、専守防衛の枠組みを乗り越えてきたのです。

10 第 4 回外交政策企画委員会での議論と、我が国の外交政策大綱が指示した方向は、現在に至る我が国の防衛力の強化と日米の軍事一体化として実現してきました。

 しかし第 4 回外交政策企画委員会での議論と我が国の外交政策大綱が想定した「必ず 5 年くらいのうちに我が国は憲法改正問題にぶつかると思う。」ということにはならず、憲法改正という道筋はたどりませんでした。そのかわり、立法改憲 (周辺事態法、特措法、有事法制、安保法制) により、明文改憲を避けてきました。

 我が国の防衛力の強化と日米の軍事的一体化の強化、それに伴う我が国周辺地域での我が国の軍事的役割の増大は、本来は憲法改正が必要になるものであったことは第 4 回外交政策企画委員会での議論が示しているとおりです。

 それをなんとかごまかしごまかしでしのいできた我が国の防衛政策でしたが、ここにきて30大綱が近未来の日米共同軍事行動を目指し、公然と敵基地攻撃能力保有を政府が検討するなど、憲法 9 条と専守防衛の枠組みには収まり切れないほどになっていることを物語っていると思われます。

 最後に、参考までに、防衛計画大綱をまとめてみましたのでご覧ください。

  防衛計画大綱の整理一覧表

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