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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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「唯一の戦争被爆国として核兵器国と非核兵器国との橋渡し役」の嘘 上

2020年11月18日


1 日本政府はこれまで核兵器の究極的な廃絶を目指す、唯一の戦争被爆国として核兵器国と非核兵器国との橋渡しをする、現実的で段階的な核兵器廃絶のプロセスを目指すなどと、国民や国際社会に向けて発言してきました。

 他方で、日米安保体制 (日米同盟) を日本外交の基軸として、米国の核抑止力に我が国の安全を依存してきました。そのため、核兵器禁止条約に公然と反対をしてきました。その理由は、核兵器禁止条約が核兵器保有国と非保有国との対立の溝を深め分断するからというのです。橋渡しができなくなるとでも言いたげです。日本政府は核兵器禁止条約案を議論する国連での国際会議にすら欠席したのです。

 日本政府の本音は、核兵器が禁止されたら困るということであることは、以下を読み進んでいただければご理解いただけると思っています。

2 核兵器禁止条約は批准国がすでに50か国に達し、2021年 1 月22日には条約として発効することになりました。今後は日本政府の立場である「唯一の戦争被爆国、核兵器国と非核兵器国との橋渡し役」という「金看板」が本当にそうであるのか、それとも金メッキの嘘がはがれて核兵器に固執する地金が現れてしまうのか、鋭く問われることになります。

 これは日本政府だけの問題だけではなく、私たちの問題でもあります。核兵器廃絶を望み、安全保障政策としての非核三原則を支持し、他方で米国の核抑止力に依存することを支持するなら、私たちの核兵器に対する認識は矛盾 (もっと言えば) 支離滅裂と言わざるを得ないからです。

 私たちにこのような矛盾した認識が生まれる大きな原因の一つに、非核三原則運用の実態が、日米間の核密約で隠され続けてきたこと、核抑止力依存政策の実態が隠されてきたことにも原因があると思います。

 ここでは日本政府の核抑止力依存政策の実態がどうなっているのかについて論じてみたいと思います。それにより、少しでも核抑止力依存政策に対する反対の意見が広がることを期待しているからです。

 日本政府の核抑止力依存政策がどのようにして形成されたのかという問題につき太田昌克氏の実証的で優れた著作「日米『核密約』の全貌」 (筑摩選書2011年) がありますので、ここでは詳しく述べません。

3 日本政府の核政策の形成は1968年核不拡散条約 (NPT) へ日本政府が調印する時期にさかのぼることができます。NPT だけではなく、この時期は日本の外交路線の大きな転換点となります。

 沖縄施政権返還交渉と沖縄へ配備されている多数の核兵器の扱い、ニクソン大統領が表明したニクソンドクトリンでベトナム戦争に対する米国の関与の縮小、中国の核爆発実験により強まった日本の独自核武装論への米国の脅威、核不拡散条約批准問題と独自核武装論の相克、日本国民の核兵器に対する強い忌避感情などです。

 これらの複雑な政治力学の中で、日本政府は核不拡散条約を批准して独自核武装路線を放棄し、かつ NATO 加盟諸国のような、自国領土内へ米国の核兵器を配備し戦争の際自国軍隊が米国の核爆弾を投下するという「ニュークリアシェアリング」ではなく、米国の核抑止力に依存することとし、沖縄施政権返還にあたり佐藤首相が非核三原則を表明し、米国の核兵器を沖縄から撤去しその代わり有事核持ち込み密約を締結するという日本政府の核政策の骨格が形成されます。

4 日本政府は1968年 7 月に条約へ署名しますが、その批准をめぐり国内で論争がありました。条約を批准すれば永久に核兵器を持てなくなる、日本は二流国になるとの懸念が保守層にあったからです。そのためもあって日本政府が条約を批准するには条約への調印から 4 年も経過しました。

 もともと核不拡散条約には、当時のドイツと日本の独自核武装を阻止するという目的もありました。日本と西ドイツは当時独自核保有能力があるとみられていました。

5 2010年10月 3 日 NHK スペシャルで「核を求めた日本」が放映され、大きな衝撃を与えました。私も偶然見ることができました。その内容は、1969年 2 月に箱根で開催された第 1 回日独政策企画協議 (箱根会議) において、日本側団長の鈴木孝外務省国際資料部長がドイツ側の出席者にたいして、

「日本と西独は,米国からもっと自立する道を探るべきだ」「両国が連携することが超大国になるために重要だ」

「10 年から15 年のうちに, (日本として) 核保有を検討せざるを得ない『非常事態』が起こると考えている。中国が核を持つことをアメリカが認めたり,インドが核保有国となるような事態だ」

「日本は憲法 9 条があることで平和利用の名の下に,誰にも止められることなく原子力の技術を手にした」
「日本は核弾頭を作るための核物質を抽出することができる」

と述べたとする、この会議に参加したドイツ側代表エゴン・バール氏の証言映像を入れた報道でした。

6 外務省は早速この報道の真偽を調査し、「『核を求めた日本』報道において取り上げられた文書等に関する外務省調査報告書」を2010年11月29日に発表しました。報道されてからわずか 2 か月足らずでの発表です。この報道への外務省の衝撃の程度が大きかったことがうかがわれます。

 外務省は省内の関連文書と箱根会議の生存参加者 (鈴木孝氏はすでに死亡) 、ドイツ側の文書とエゴン・バール氏の聞き取りを行っています。結果的には、ドイツ側の資料には上記のようなやり取りが残されており (まったくのその通りではありませんが) 、エゴン・バール氏も肯定しました。しかし日本側の資料や参加者の証言ではこのようなやり取りは否定されています。

 それ以上に興味深いことは、報告書には当時の外務省内や自民党などでの NPT 条約批准についての賛否の議論が交わされていた状況がわかります。
 ここではこの報告書について詳しくは述べません。興味のある方は報告書の全文をご覧ください。
 ※ 外務省報告書

7 箱根会議の日本側団長鈴木孝氏は、すでにこのコーナーへアップしている「将来の憲法改正を議論していた外務省」に登場しています。第4回外交政策企画会議の議事録で、憲法改正問題を積極的に取り上げていた人物です。

 1969年 9 月に作られた外交政策大綱の中に、「核兵器については、NPT に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器保有をしない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘 (制約の意) を受けないよう配慮する。」 (67,68頁) と記述しました。
 NPT 条約批准に際して日本政府が発した声明では、第10条脱退条項に留意すると述べています。

 外務省が調べた西ドイツの文書 (エゴン・バール氏が西ドイツ外相ブラントへあてた報告書) にも、日本側から NPT 第10条の脱退条項「自国の至高の利益を危うくする脅威」として、米国が中華人民共和国の核能力の取引を行おうとする (米国が中国の核武装を容認するという意味でしょう) 事態が、「自国の至高の利益を危うくする脅威」と同等だ、との発言があったと記されています。

 1968年 1 月佐藤首相が所信表明演説で、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませずという非核三原則を表明しますが、それは米国の核抑止力に依存することとセットで表明された原則でした。しかし NPT 条約批准問題に揺れていた当時米国の「核の傘」政策はいまだ公表されておらず、日本国内では米国の核抑止力に対する疑念があったようです。公表されたのは、前記外務省報告書によると、1975年の三木総理とフォード大統領の共同新聞発表でした。
 ※ 1975. 8 . 6 日米共同新聞発表文

 この当時の日本の支配層は、中国の核武装 (1964年核爆発実験) と中国から日本へ核攻撃がなされた場合、米国は核兵器で守ってくれるのかという恐怖と疑念が存在していたことが、ご紹介した太田昌克氏の著書にでてきます。

 日本政府の核兵器についての姿勢には、核兵器の脅威に対しては米国の核抑止力で対処するという根強い政策判断が今日まで続いていますが、その源流はこの時期に形成されたものと思われます。

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