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【NPJ通信・連載記事】見えないものをみつめて/NPJ相川早苗

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見えないものをみつめて LGBTの人たちとの交流会へ参加して(理解が寛容を生む)

2014年11月6日

L(レズビアン)女性同性愛者

G(ゲイ)男性同性愛者

B(バイセクシャル)両性愛者

T(トランスジェンダー)性転換者・異性装同性愛者・性別違和(性同一性障害)

 

10代から30代後半までの若いLGBTの方々と交流しました。

高校生・大学生・社会人の方々で、社会人の中には大手企業にお勤めの方・議員・弁護士の方もいらっしゃいました。

生まれた性と認識する性・格好(女装か男装か)・恋愛対象(男性が好き・女性が好き・どちらも好き)の組み合わせ次第でそのあり方は多様なのだそうです。

交流会ではテレビでよく見かける男性が女装している方は少なく、体は女性で格好は男装している方が多くいらしたように感じました。

人口の5%がLGBTといわれています。

20人に1人です。

誰でも20人以上は知り合いがいるでしょう。

そのなかにLGBTの方がいてもおかしくはないのですが、カミングアウト(公言・告知)していない、いいたくても「言えない」だけなのです。

幼稚園・保育園のころはまだ男女の差別も少ないのでわりと過ごしやすいようですが、小学校に入る最初の壁がランドセルの色だそうです。

今は色も多様になっていますが、以前は黒と赤の二色しかなく、ここで否応なく男女の区別がなされます。

中学になると制服があり自分の認識とは違う型の制服を着続けなければならなくなります。

この先から益々男女の区別がなされていきます。

けれど一番きつい時期は小学校・中学校・高校と生活の場が狭い時だそうです。

小さければ小さいほど携帯電話もPCもなく家と学校だけが生活の場です。

そこでは言えばいじめに繋がります。

決してカミングアウトできません。

交流会でも若い人ほどカミングアウトしていませんでした。

親が一番最初に気づくだろうから親がカミングアウトの最初の人でしょうと聞きますと、親に話すのはだいたい最後なのだそうです。

ですから自分が性について人と違うと気付き始めた小学生くらいのころには、相談者は誰もなく葛藤と孤独を抱えて過ごさなくてはならないのです。

自殺が異性愛者の6倍だと聞きました。

だれでもいい1人でいいから受け入れてくれる人が近くにいたら、自分は生きていていいんだと思える、そう言っていました。

大人であればPCや携帯・スマホなどで同じ悩みの人と繋がることが出来る、お金も行動も自由になるので同じ性の人が集まる場へ出かけて行くことも出来る、けれど学生の時は本当に辛い、逃げ場がないのだそうです。

親に話した方々は

「そんなふうに産んでごめんね」

「私の育て方が悪かった」

「産まなければよかったね」

と言われるそうです。

 

学校の先生は

「同性愛は悪い」

「同性愛者になってはいけない」

と言うそうです。

何気ない言葉に深く深く傷つき、益々自分の性と葛藤し、孤立していく。

交流の場だから今回はなんでも聞けるし、最初からLGBTとわかって話しているけれど、これが日常では誰がLGBTか分からない。

分かり合うためにも垣根をなくしていくのに

「あなたは性的マイノリティー?」

「あなたはLGBT?」

などと聞いた場合はどうでしょう?と質問すると、

それは聞かれたくない、

カミングアウトしていない時に聞かれて違うといえば嘘になるし,

認めれば広まる恐れもある、とのことでした。

そんな時は自分はLGBTに理解があるとわかってもらえるような表現をして、

本人からLGBTと言ってくるのが理想だそうです。

左利きがいても違和感なく受け入れているように、多様な性があるのだとごくごく普通に受け入れる社会になる必要があります。

そのためにはまず学校の先生がLGBTの方々と交流し

彼らの心の葛藤・傷・孤独感を理解し、受け入れ、

異性愛者の生徒たちがLGBTを理解していくように導く必要があります。

孤立を深める時期の小学生・中学生・高校生の先生方がまず理解することがとても必要だと思います。

ゆっくりと疲れを癒やすようなゲイバーではゲイだけが集いたい、

女性にいてほしくないのだそうです(女性が入れるところもありますがそれはショーなど仕事の場)

世間ではゲイじゃない?、オカマじゃない?などと好奇と偏見の目で見られ、

普通では無いという観念の中にいるので、

別に特別ではなく普通なのだという空間にいることがどれだけホッとできることか。

きっとそんな気持ちなのではないでしょうか。

普通に左利きが隣にいるように

ゲイがいる、

レスビアンがいる、

バイセクシャルがいる、

トランスジェンダーがいる、

在日がいる、

障がい者がいる、

妊婦がいる、

沖縄の人々がいる、

アイヌの人々がいる。

そんなマイノリティー(少数の人々)が集まればマイノリティーではなくなる。

交流会のLGBTの人たちはそれぞれはつながっていたけれど横のつながりはなかったようで、

レスビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの人たちが初めて出会い、

それぞれ連絡先を交換しあっていました。

今まで全く知らない(そう思っていただけでしたが)人たちと、

共に話をして理解を深め多くを学びました。

「あ~楽しかった。あっ、楽しかったって言っていい?」と聞くと

みんなも「楽しかった!」と言っていました。

無理解が非寛容を生み、

理解から寛容が生まれると

感じられたひとときでした。

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