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【NPJ通信・連載記事】色即是空・徒然草/村野謙吉

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( 4 ) 親鸞とジョージ・オーウェル : 知識人に突きつけた仮借なき批判精神 ( 2 / 2 )

2022年10月8日

すべての動物は平等である。しかし一部の動物は他のも動物よりさらに平等である(『動物農園』)

戦争は平和・自由は隷属・無知は力(オーウェル『1984年』)

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 本年 9 月 8 日に96歳でエリザベス二世女王は死去した。あたかもかっての大英帝国が既視感をもって有終の美を飾るがごとくにロンドンで圧倒的に見事な女王の国葬が行われた。

 エリザベス二世は1926年に誕生したが、その年23歳のエリック・ブレア (ジョージ・オーウェルの本名) 、英領インド帝国警察官としてビルマ (現在のミャンマー) に勤務していた。

 親鸞と同様にオーウェルについても彼の生涯を時代背景や他の重要な関係者らの行動も交えながら、彼の特異な生涯の略年譜を以下に記す。

・ 1903年、エリック・アーサー・ブレア (筆名ジョージ・オーウェルの本名) は英領インド、ベンガルで誕生。父親は英領インド帝国政府で阿片局の官吏。
「アヘン戦争は、単にイギリスによるアヘン貿易強行のための中国侵略戦争以上の意味を持っている。この “西からの衝撃” によって、我々の住む東アジアの近代史の幕が切って落とされたのである」 (陳舜臣『実録アヘン戦争』) 。『真昼の暗黒』の著者A.ケストラーも驚く仮借ない批評精神を持ったオーウェルであるが、彼がアヘンのことに触れた文献を寡聞にして知らない。アングロサクソンの植民地政策の徹底的批判者であったオーウェルであるが、これだけは触れたくない、触れられて欲しくない事実だったのかもしれない。
・ 1904年 (オーウェル 1 歳) 。母はエリックと姉を連れてイギリスに帰国。
・ 1912年 ( 9 歳) 。英領インド帝国の勤務を定年まで勤めた父がイギリスに帰国。
・ 1914年 (11歳) 。第一次世界大戦勃発。
・ 1917年 (14歳) 、パブリック・スクール・ウェリントン校に奨学生として入学するも 1 学期で退学、イートン校に奨学生として入学。将来のエリートとなる裕福な学生が入学するイートン校で “奨学生” は不名誉な地位にあったようだ。オーウェルはイギリスの階級 (Class) に目覚めた時期であったろう。
・ 1921年 (18歳) 、イートン校卒業。
・ 1922年 (20歳) 、インド帝国警察官任用試験を受験後、英領インド帝国警察官としてビルマに赴任。
・ 1927年 (24歳) 、休暇を得て、ラングーン、マルセイユ、パリを経由して帰国。辞職を決意して作家修行の準備を開始。
・ 1928 (25歳) 、春に自主的浮浪者体験をし、その後、1029年末まで、パリの安ホテルに滞在。
・ 1929年 (26歳) 、クリスマス以前にパリから帰国。ニューヨークから世界大恐慌始まる。ソ連でスターリンの独裁体制すすむ。
・ 1930年 (27歳) 、貧民や失業者たちにまじってロンドンで放浪生活。『パリ・ロンドン放浪記』執筆開始。
・ 1933年 (30歳) 。 1 月、ヒトラーがドイツ首相となる。
・ 1935年 (32歳) 、アイリーン・オショーネシーと初会。
・ 1936年 (33歳) 、イングランド北部の炭鉱労働者や失業者の実地調査。セント・メアリー教会でアイリーン・オショーネシーと挙式。 7 月18日、スペイン内戦勃発。12月26日、内戦下のスペイン、バルセロナに入る。
・ 1937年 (34歳) 、 1 月 ~ 6 月、共和国政府側のPOUM (マルクス主義統一労働者党) の民兵隊に参加、アラゴンで戦う。 5 月20日、ファシスト兵の狙撃によって頸部に貫通銃創を受ける。妻アイリーン他とスペインを脱出。
・ 1938年 (35歳) 、 3 月、片肺に結核性病変見つかりサナトリウムに入所。 9 月、療養のため妻とモロッコ、マラケシュ近郊に滞在。
・ 1939年 (36歳) 、 3 月、モロッコより帰国。 9 月 3 日、英仏はドイツに宣戦布告。
・ 1940年 (37歳) 。 5 月10日チャーチルを首班とする挙国一致内閣成立。 7 月、ドイツ空軍によるロンドン空襲開始。
・ 1941年 (38歳) 、BBC東洋部インド課にトーク・アシスタントとして入局。
・ 1943年 (40歳) 、BBCを退職。
・ 1944年 (41歳) 、 2 月『動物農園』脱稿。 6 月、オーウェル夫妻は新生児の男の子を養子にする。 6 月28日、オーウェル夫妻の住むフラットがドイツ軍の爆撃で破壊。
・ 1945年 (42歳) 。 2 月、ヤルタ会談。 3 月、妻アイリーン急死。 4 月30日、ヒトラー自殺。 8 月に米軍は広島と長崎に原爆投下。 8 月14日、日本はポツダム宣言受諾。第二次世界大戦終結。
・ 1947年 (44歳) 、12月、結核のためグラスゴーの病院に長期入院。
・ 1948年 (45歳) 、12月、「1984」の入稿用原稿のタイプ打ち作業完了。
・ 1949年 (46歳) 、 6 月、『1984年』刊行。 9 月、入院先のロンドン、ユニヴァーシティ・コレッジ付属病院内でソニア・ブラウネルと結婚。
・ 1950年、 1 月21日、大量喀血して死亡。

 以上が、オーウェルの生涯の概略である。

* * *

 歴史的かつ文明的な背景のまったく異なる状況の下に生きた仏教者・親鸞と作家・オーウェルを並べて、たとえ私のまったく個人的な思い過ごしとしても、そこに何らかの共通要素を見つけるという馬鹿げた試みをしているが、それは一体なんだろうか。研究論文ではないから、以下、雑駁な個人的感想を述べたい。

◯ 人間観— 親鸞「凡夫の自覚」とオーウェル「ありのままの人としての価値」(human decency) :
 親鸞の師・法然と親鸞自身が修行した比叡山延暦寺の開基・最澄は19歳の時、自らの存在を深く自省していた。自分は「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情」 (「伝教大師発願文」) である、と。

 最澄が見つめた人間性の愚と狂の自覚は、その後の比叡山の修行僧に受け継がれていった。法然は「愚痴の法然」を自覚し、親鸞は「愚禿」と号す。「狂」の精神は、芸術家肌または革命家肌の人士に明治維新まで受け継がれていったように思われる。

 しかし最澄と法然の人生は聖者の人生における愚と狂の自覚であるが、親鸞の人生は凡夫 (ただの人) における生活と一体の愚の自覚である。

 このような愚の精神は洋の東西を問わず、一定の国家体制内における利害関係に深く関わる体制エリート、高学歴の者たちが依存する価値観としての名声、経済力、政治力、そして自身に対する内省を欠いて観念論をもて遊ぶ近代知識人らに対する徹底した普遍的批判精神ではなかろうか。

 親鸞の子息には諸説あるが 4 男 3 女をもうけたと言われ、異様な家庭人であったが90歳の長寿に恵まれた。そして凡夫を肯定はしないが、凡夫であることの自覚の重要性を深く認識していた。家庭生活にかならずつきまとうのが愛別離苦である。親鸞は、愛する者と別れて悲嘆にくれる男には仏教を説いていたのではなくかった。「酒はこれ忘憂の名あり。これをすすめて笑うほどになぐさめて去るべし」 (『口伝鈔』) 。

 一方、オーウェルは月並みの人生を送ることは叶わなかったが、心底、妻と子供いる平凡な家族生活を愛していた。

 自身の子供に恵まれなかったが養子をとり、妻に先だたれてすぐに、結核の末期の死の病床で次の妻と結婚し、46歳で死去した。

 しかしオーエルが愛したと思われる人間観を指摘すれば「ありのままの人としての価値」 (human decency) ということではないだろうか。これは理想的な人間像でもなければ、常に肯定すべき人間の品格でもなく、倫理学者が定義づける概念でもなく、ただ「ありのままの人としての価値」である、と言う他はない。養子の息子を乳母車に乗せて、父として親としての幸せをかみしめているようなオーウェルの写真を見るたびに切ない想いにかられてしまう。

orwell with his son in his arms / yahoo

 読み込むたびに深まってゆくような、読み手の歴史認識が試されるような『1984年』の含意を、出版直後に解説したオーウェル自身の言葉を以下、要約して引用する。

 「『1984年』の世界は、中央集権化された経済体制 (a centralized economy) が免れ難い、表面上の共産主義とファシズムの形で部分的に実現されている様々な倒錯の暴露である。全体主義の様々な思考は、あらゆるところで知識人の心理に根付いていると、わたし (オーウェル) は考えている。・・・
 本書の舞台はイギリスに置かれているが、それは英語を話す様々な人種が本質的に他の者たちより優れているのではなく、全体主義は、もしそれに対して戦わなければ、あらゆるとこで勝利するだろうと言うことを強調するためだ。」 (Life誌, 25 July 1949; New York Times Book Review, 31 July 1949)

 米ソ冷戦は欧州内の2大軍事勢力における旧来の戦時対立であったが、『1984年』の全体主義世界では、世界の3大軍事グループの二つが常時戦闘するように維持されている。戦時経済ではなく、金融支配が戦争や情報組織を維持管理しているのが『1984年』の世界だ。

 親鸞は自身について「悪性 (あくしょう) さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり 修善も雑毒なるゆゑに 虚仮の行とぞなづけたる」 (「愚禿悲歎述懐」) と自省して宗教家の善意の偽善性を指摘するが、オーウェルは宗教家ではないから、アングロサクソンの英語国民について、その一員として自省を行なっているのだろう。

 そして親鸞もオーウェルも、現世的価値観であるに過ぎない出自にもとづく階級と宗教組織に内在する差別と特権に反対し、表現の自由を擁護する普遍的思考を持っていた。

 最後に親鸞とオーウェルの共通点をあげれば、親鸞は和国日本をこよなく尊重し、オーウェルは、アングロサクソンの植民地主義など様々な歴史上の瑕疵を認めつつも、それでもこよなくイングランドを愛する郷土愛の人だった。

* * *

 かって後鳥羽上皇が配流された隠岐を訪ねた。1984年、『1984年』を記念してロンドンで開催されたオーウェルのシンポジウムに参加した。オーウェルが療養したモロッコ、マラケーシュもジブラルタルを経由してドーヴァー海峡を船で渡り鉄道で訪れた。
 それらのささやかな思い出が走馬灯のように浮かんでくる。

 1984年が過ぎ、2019年12月 8 日、中国湖北省武漢市で最初の感染者が確認されたとされるコロナパンデミックは世界的に拡散されて、いまだに収束を見ない。
 本年 2 月24日、ロシアのウクライナ侵攻があった。
 7 月 8 日、安倍元首相の銃撃による殺害があった。
 9 月 8 日に96歳でエリザベス二世女王が死去し、ロンドンで見事に女王の国葬が行われた。

 金融主導の支配情念に絡め取られた政治・軍事・宗教・教育などの組織にいる高等教育を受けた愚の自覚が欠如したエリート集団が、世界の大再編を意図し実行していることをオーウェルは的確に直感していたのではないか。
 『教行信証』化身土巻の末法史観は、オーウェルの『1984年』に連なっているのだろうか。
 現在の旧言語 (Oldspeak) 世界が、やがて新言語 (Newspeak) 世界にとって代わられるのは2050年と予想されている。その年に向かって『1984年』の世界は、現在も進行中である。

(参考)
川端康夫『ジョージ・オーウェル — 「人間らしさ」への讃歌』2020.
後藤春美『アヘンとイギリス帝国』2005.
Sonia Orwell and Ian Angus, ed. : THE COLLECTED ESSAYS, JOURNALISM AND LETTERS OF George Orwell: Volumes I – IV; 1968.
BERNARD CRICK: GEORGE ORELL Nineteen Eighty-Four With a Critical Introduction and Annotations; 1984.

(2022年 9 月24日・記)

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