【NPJ通信・連載記事】見えないものをみつめて/NPJ相川早苗
見えないものをみつめて カッパのおじちゃん
近所にカッパのおじちゃんと呼ばれている人がいます。
頭頂部が禿げているのでカッパのおじちゃんです。
子どもやお母さんたちにカッパのおじちゃんと呼ばれ親しまれています。
本人がカッパのおじちゃんと自己紹介するのでみんなそう呼んでいます。
もちろん本人はそう呼ばれて嫌な気持ちも怒る気持ちもありません。
ですから、みんな親しみを込めてカッパのおじちゃんと呼びます。
初めての人は私がカッパのおじちゃんと呼ぶのを聞いて「えっ」という顔をします。
そんな呼び方していいの?失礼じゃないの?怒らないの?などが含まれた「えっ」なのでしょう。
普通は相手が嫌がるだろうと思うことは言いません。
相手が怒りそうなことも言いません。
失礼になるだろうと思われることも言いません。
自然に配慮します。
同じ「カッパのおじちゃん」であってもそう呼べる人と呼べない人がいます。
それは相手が嫌がるか嫌がらないかで決まります。
相手の立場になって考えてみるからです。
自由というのは自分本位でも奔放でも、自分勝手なことでもありません。
自由には相手に配慮し相手が嫌なこと、傷つくこと、失礼なこと、不快なことはしないという制約があります。
自分が平気でも相手が嫌がることはしないものです。
自由とはなんでもしていいということではなく、人の気持ちを配慮し、制約があることを忘れてはならないと思います。
(相川早苗)
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