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【NPJ通信・連載記事】色即是空・徒然草/村野謙吉

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さようなら令和四年・現代日本の黙示録

2023年1月7日


 今日は2022年12月31日。
 今年の終末の日だ。
 百八の煩悩が一つ一つ打ち消されてゆく願いを込めて、やがて日本各地の寺院の梵鐘が響くだろう。
 しかし実に多事多難の年だった。

 世界の三大政治勢力に属する著名な人物たちが、それぞれ長寿に恵まれ様々な歴史的役割を果たして死去していった。

 8 月30日、ミハイル・ゴルバチョフ (元ソビエト連邦大統領) 死去。91歳。
 9 月 8 日、エリザベス女王 (大英帝国の衣鉢を継ぐ英連邦の象徴的元首、在位70年 7 カ月の史上最長の英国君主) 死去。96歳。
 11月30日、江沢民 (元中国共産党の総書記、元国家主席) 死去。96歳。

 国際的事件として 2 月24日、ロシアによるウクライナ “侵攻” があった。(Russian aggression in Ukraine;BBC, The Timesなどの表現)
 その影響は一部の国の軍需産業を潤わせつつ、世界の国民生活に対しては様々な犠牲を強いて現在も進行中だ。

 「戦争は軍需産業の在庫一掃セール・・・アメリカは対戦車ミサイル “ジャベリン” を5500基以上ウクライナに供与・・・地対空ミサイル “スティンガー” は1400基以上」:【報道1930】TBSテレビ2022年 6 月 5 日 (日) 」

 ユダヤ系ゼレンスキー大統領支配下のウクライナでナチスの旗を掲げるアゾフ連隊の存在は、西欧における複雑なユダヤ問題を改めて露呈させた。

U.S. allies in Ukraine, with NATO, Azov Battalion and neo-Nazi flags. Photo by russia-insider.com

 ウクライナ “侵攻” が西欧文明内に温存されている対立情念にもとづく二大軍事勢力間にある一定の地域や国家を舞台 (生け贄) にした代理戦争の様相を帯びているのは明らかである。「ツキジデスの罠」などと言う用語を弄んでも軍事対立の現実的理解になんの役割も果たさない。

 近年の代理戦争の過程では、さまざまなNGOなどの活動家たちが美しく振る舞い、被写体に選ばれた兵士ではなく一般市民の犠牲者 (子供、女性たち) の悲惨な写真がテレビやインターネット上で写し出される。

* * *

 日本では 1 月 9 日、海部俊樹 (平成元年から 2 代にわたり内閣総理大臣) 死去。91歳。
 この事実に、新聞もテレビもほとんど見ない筆者は、このコラムを書き始めた数日前まで気がつかなかった。

 7 月 8 日、安倍晋三 (2006年、戦後最年少となる52歳で首相に就任。2 度にわたる在任期間は歴代最長) の “暗殺” 。67歳。(BBC News:Shinzo Abe: Japan ex-leader assassinated while giving speech; 8 July 2022)

 安倍元総理の “暗殺” は、今日まで陰に陽に続いているGHQ支配による戦後日本政治の猥雑な内容物が、瓶の蓋が取れたかのようにドロドロと一挙に吹き出てきたようだった。そして現在、いつの間にかドロドロの異物はどこかに蒸発してしまったかのようだ。

 “暗殺” は政治的な背景を匂わす用語だが、安倍氏殺害に関わった人物の動機や背後関係について、説得力のある解説や事実にもとづく論証がやがて発表されるのだろうか。

 しかし国内外にわたって地球的な規模で問題となって各国民の日常生活へ負の影響を現在も与え続けているのがコロナパンデミック禍である。

 2019年12月 8 日、中国湖北省武漢市で最初の感染者が確認されたとするコロナ禍の複雑な本質については、医療専門家と専門家紛いと非専門家との意見や陰謀論がない交ぜになって、国内外の指導者や識者たちの間で統一的見解に至らず、この複雑な災禍の安定した収束がいまだに見えない。

 ウクライナの戦禍とコロナパンデミック禍が結合して、世界各地の国民生活にさまざまなレベルの不安を与え続けている。これが世界の現状ではないか。 

 以上のような世界状況の2022年大晦日の今、日本の行く末を様々に暗示しているかのように (わたしには聞こえる) 様々な作家たちの言葉の断片が脈絡もなく思い出され、妄想が湧いてくる。

* * *

 日本の行く末は ?

 「滅びるね」夏目漱石。
 『三四郎』 (1908年) : 三四郎が上京する車内で出会った中年男は呟く「いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね」。三四郎「しかし、これから日本もだんだん発展するでしよう」と答える。 すると男は一言「滅びるね」といった。
 漱石は「則天去私」の心境で1916年死去、49歳。

 滅びゆく日本に生きている心境は?
 「唯ぼんやりした不安」芥川龍之介。
 『或旧友へ送る手記』:「・・・君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであらう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示してゐるだけである。自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。・・・」

 芥川龍之介は斎藤茂吉 (医師・歌人) からもらっていた睡眠薬を致死量飲んで服毒自殺。1927年死去、35歳。

 日本の行く末はどのようなものか ?

 「うしろすがたのしぐれてゆくか」種田山頭火。
 『行乞記 (1931) 』所収の句。1940年、享年57。

 西行も芭蕉も山頭火も、釈迦の生涯に習うかのように、みな旅の途上に死んで生きていった。
 今後も郷土愛をいだかせるような愛しい日本はありつづけるのだろうか ?

 「身捨つるほどの祖国はありや」寺山修司。
 『われに五月を (1957) 』所収:「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
 1983年 5 月 4 日、敗血症のため死去、47歳。

 はたして現在の日本は、滅びつつあるのか、みんなが動機のない自殺願望を抱いて、ぼんやりした不安にあるのか。

 和国日本の歴史的伝統の背後がしぐれているのではないのか、身捨つるほどの祖国が失われているのではないだろうか。

 日露戦争以来、日本の政権担当者らと彼らを取り巻く忠臣や奸臣たちは、東アジアに位置する和国日本の文明的かつ地政学的意義を深く了解もせず、西欧文明の光と陰の本質も理解しようとせず、未来への具体的な平和の構想もなかったのではないか。

 国家経営の核心である経世済民を忘れて、あからさまに敵国を想定した浅はかな軍備戦術を外部勢力に促されて政治をしているつもりになっているのではないか。

 現在、日本が滅びつつあるとすれば、日本のなにが滅びつつあるのか。

 天皇陛下万歳を叫ぶ自称愛国者のさまざまな団体が、「天皇制」廃止論の曖昧な心情を抱いている様々な人々が、我見に執着して、日本の滅びを促しているのではないのか。

 日本が滅びつつあるとすれば、その後日本と日本人はどうなってゆくのか。

* * *

 聖徳太子の頃から明治維新まで13世紀以上にわたって伝統的和国の形成に寄与してきた冊封体制の中華帝国の多大な影響と、1945年 8 月15日連合国側に無条件降伏して以来、GHQに代表されるパクスアメリカーナの軍事的・政治的・文化的かつ宗教的 (キリスト教的) 影響との間に置かれているのが東アジアの列島国家の日本である。

 古代において日本は、聖徳太子の「和」の美学 (仏教にもとづく感性的認識判断) にもとづいて、中華文明を導入するにあたって、易姓革命・宦官・纏足・科挙制度などの思想や習慣や制度は取り入れなかった。

 「十七条憲法」は、
 第一条に「和」をしなやかな秩序の価値観として掲げ、
 第二条では権威と権力が一体の易姓革命の政体や (西欧文明的) 覇権性のイデオロギーを排除して、和を担保する理念・教理として仏教を掲げ、姓のない皇室なる文化伝統の基礎を確定した。

 第一条は、此岸世界 (精神的支配欲と物的独占欲に絡まれた政治的世界) における国家経営やすべての組織の円滑な永続的維持については「和」が最高の理念であると宣言する。

 いわゆる宗教としての「仏教」が第二条におかれている深慮に注意すべきである。
 仏教は此岸を超えた善悪の彼岸の教えとして是認されている。これが和国の政教分離の真義である。

 しかし現代世界の快適な文化生活を支えている西欧技術文明の良質の要素と、同時に深い覇権性の歴史的性格とを十分理解しないまま、聖徳太子「十七条憲法」から “憲法” の語句を安易に取り入れて「大日本帝国憲法」が作成された。

 そして明治維新の過程において皇室に権威と権力が集約的に関与された体制に変質させられて1945年の終戦に至った。

 「十七条憲法」は法律文ではない。
 「大日本帝国憲法」は内容自体の問題もあるが「大日本帝国・国法」とすべきであった。「国法」なら時代の要請において国法改正もあるのは当然であるが、「いつくしきのり (憲法) 」は普遍的理念としての「国法」の上にある優位理念であるから改正はあってはならないだろう。

 明治維新に短期間西欧に調査に行っただけの元勲や英才たちは、西欧文明の光と闇の深層などわかるはずもなく、漱石でさえも英国文化の威容に圧倒されていただろう。
 ましてや西欧植民地政策の根底にある支配情念の暗部を理解することなどできなかったのは当然である。

 だからといって命がけで働いた彼らの行動を全面的に否定することなどだれにもできないが「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」 (『論語・学而篇』)

 問題は、数百年にわたって地球的規模で世界を植民地化した大英帝国の下におこなわれた様々な非行については帝国の権威の頂点にある英王室は責任を取らされることはないが、敗戦後に日本の皇室を預かる天皇には責任問題が派生したことだ。

 そして現在、パクスシニカとパクスアメリカーナの巨大な文明的価値観の相克が日本列島の深いところで熾烈に展開し、明治維新まで維持されていた祖国の伝統的価値観に関わるなにかが、ぼんやりした不安の中で滅びてゆくように見える。

 以上は、浅学菲才の個人的妄想であるが、博識多才の漱石の「滅びるね」の信ぴょう性は現在どうなのか。

 日本は滅びつつあるのか。日本のなにが滅びつつあるのか。

 さようなら、令和四年。

 (2022/12/31 記)

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