NPJ

TWITTER

RSS

トップ  >  NPJ通信  >  (6) 天皇御製と和歌の伝統

【NPJ通信・連載記事】色即是空・徒然草/村野謙吉

過去の記事へ

(6) 天皇御製と和歌の伝統

2023年1月19日


 夏たけて堀のはちすの花みつつほとけの教え憶う朝かな

 昭和六十三年七月 (1988年) 、天皇が皇居の道灌堀に咲く蓮の花をご覧になって詠まれた御製である。
 その年の九月に入院され、翌年昭和六十四年一月七日崩御された。そして平成の御世が31年続いて令和となった。
 皇室の年号 (元号) は昭和・平成・令和と続いたが、そこには一貫して平和への願いが込められているだろう。

 令和四年は国内外で今後の世界の動向を暗示するような印象的な出来事があった。
 そして令和五年が明けた。

 様々な国で様々な境遇にある人々が悲喜こもごもに新年を迎えているだろう。

 日本では天皇の新年は 1 日午前 5 時半、「四方拝 (しほうはい) 」に臨まれることで明ける。皇祖神の天照大神をまつる伊勢神宮、歴代天皇が眠る山陵、四方の神々に向かって拝礼し、その年の五穀豊穣 (ほうじょう) と国の安寧、国民の安穏を祈願されるという。

 天皇は姓のない特殊な家族である皇室に生まれるが、皇室は和歌の宗家であり、万葉集の時代から歴代の天皇は和の心に根ざした歌をおつくりになるのが重要な勤めの一つである。

 そして天皇が作られる和歌・御製は、「オホミタカラ (大御宝) 」である国民への天皇の思いの発露であるだろう。「オホミタカラ (大御宝) 」は「十七条憲法」に示されたすべての人々の基本的平等観にもとづく国民観である。

(写真) 歌会始の儀 (宮殿 松の間) (宮内庁)

 
 皇室には歌会の伝統がある。

 「人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。 ・・・宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会 (つきなみのうたかい) が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始 (うたごかいはじめ) 」といいました。

 歌御会始の起源は、必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期、亀山天皇の文永 4 年 (1267年) 1 月15日に宮中で歌御会が行われており、・・・歌御会始の起源は、遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。 ・・・長い歴史を有する宮中の歌会始は、明治と戦後の改革によって世界に類のない国民参加の文化行事となりました。

 短歌は、日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ、これを披講する宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは、誠に喜ばしいことであります。」 (宮内庁ホームページ)

 「短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすもの」であるとすれば、特に天皇がおつくりになる御製は自ずから和歌である。そこで特に国政の要路にある公僕は新年や重要な所信表明の時に、所属する宗教の別にかかわりなく国民の安穏と世界の平和を祈る和歌を詠んで国民に披露してほしいものだ。

* * *

 では和歌を成立させている日本語とはなにか。

 中国語は日本語がなくても成立しているが、日本語は漢語 (漢字) 無くしては成立しえない。漢詩無くして短歌の五七のリズムも日本語の中に定着しなかっただろうし、短歌のさらに短縮された和歌である俳句も成立しえなかっただろう。漢語と和語が融合した日本語は世界の様々な言語に比して日本語の優位の特殊性である。

 そこで義務教育において漢文・漢詩の教授を欠き古文の学習時間を減じて中途半端な英語教育を公教育で義務化してゆけば、やがて日本語は取り返しのつかないように変質し劣化してゆくのは必然だろう。

 日本語の劣化は日本人の思考の粗雑化に反映され、さらに思考の浅薄化につながってゆく。
 敬語の使い方や丁寧語の使い方が乱れているというような批評は日本語についての皮相な問題意識である。

* * *

 日本語を構成している和語と漢語はどのような関係にあるのか。

 以下、白川静『字訓』・『字統』や『新潮日本語漢字辞典』等の見解を参考にして、和漢の字義についての認識を確認したい。

 和語 (ヤマトコトバ) の「ノリ」は「宣ル」の名詞形だが、法的規範として、必ずそれに則るべきものをいう。「宣ル」はもと神意を「告ル」意で、神の定めたおきてをいい「法」が常訓であるが、他に「倫・儀・律・徳・規・則・典」など約70字の訓がある。

 このように和語「ノリ」は漢語 (漢字) に置き換えると実に多義的で豊穣な意味があるが、発想を変えて漢字を和語に置き換えると、和漢の字義の関係は驚くほどの複雑さを持っていることがわかる。

 そして漢字の碩学白川静によれば日本語における漢字は中国語ではなく「国字」である。

 さらに漢字から「カタカナ」と「ひらかな」が作られているから、英語と中国語と比較して様々な意味で日本語は極度に複雑であり、日本語が国際語になる必要はない。国際的に活動したい日本人は、しっかりと目的を定めて英語を習得すればよい。

 しかし岡倉天心や鈴木大拙のように、英語で世界に自信を持って語りかけることができるのは、ひとえに漢学の素養と仏典の理解を通して得た和の心の自覚があるからだ。

* * *

 平成27年 (2015) の歌御会始のお題は「本」である。和漢が融合している日本語において、漢字「本」の意味はなんだろうか。

 「本」の字音は呉音・漢音ともにホン、常読・和訓でモト。漢字の成立を説明する六書 (りくしょ) の分類では象形ではなく数量や位置などの抽象的概念を字形で表す指事であり、「太い木の根」が原意である。

 「太い木の根」は幹を、そして枝葉を、さらに花を生み出す根本であるから転じて物事の中心を意味する。
 それからさらに転じて書物などの意味が派生している。文字から構成されている本・書物は思考の基礎なのだろう。

 樹木を尊ぶ心の由来は、豊かな四季と豊富な清流の水源に恵まれた日本が、先進国として圧倒的な森林率を維持していることにあるだろう (以下、2020年の森林率概数 : フィンランド : 74%、日本 : 68%、スウェーデン : 67%、韓国 : 63%、ブラジル : 59%、ロシア : 47%、イギリス : 13%) 。

 「森林列島日本」において、自然への畏敬の心情を基本として認識されてきた様々な「コトとモノ」の集成が後世、国字「神道」となった。ちなみに「神道」の語の初見は中国の『易経』である。

* * *

 国字「神」の元になる和語「カミ」は、どのような意味か。

 「カミ」とは「尋常 (ヨノツネ) ならずすぐれたる徳 (コト) のありて、可畏 (カシコ) き物」 (本居宣長の定義) である。

 そこで神道を理念として扱えば、いかなる意味でも政治的・宗教的イデオロギーの拒否理念であるが、時代が下るにしたがって、様々な歴史的理由から神道の伝統の一部は変質されていった。

 「カミ」への畏敬、自然の恵みに感謝すること、特に清水を尊重することが神道で最重要ことであるが、欧州の列強に対抗せざるを得なかったことなどによって、明治維新の時代の流れの中で、過剰な国家主義的な風潮が生み出された。

 「教派神道」には「カミ」の原意が温存されているが、「国家神道」は「カミ」の原意から離れた支配・被支配の対立性と排外性を持つ人為的イデオロギーであり、天皇陛下万歳を唱える一部の人々は無意識の内に影響を受けているかも知れない。
 ちなみに「万歳」を唱へることは、明治二十二年二月十一日憲法発布の当日に帝国大学が唱へたのが初めの新規の風習である。慶賀の表現として自由な雰囲気で三唱するのは構わないが、それは「カミ」への敬いではなく、人為的な「ワタクシ」の発想であることは十分認識しておくべきである。

 「オホヤケ」の皇室が「ワタクシ」に利用されることがあってはならないが、「カミ」の認識についての混乱は、日本人の「宗教」一般についての認識の混乱にもつながっている複雑な現象である。

 さらに、ヤマト言葉 (和語) の「カミ」と、漢字 (中国語) の「神」と、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の絶対一神教の「God」とは全く異なった三つの概念であるのに同じ漢字の「神」を当てていることが日本人の “宗教” 的認識の混乱の原因の一つであろう。

* * *

 「森林列島日本」において「太い木の根」が尊重されるのは当然であるが、特に数百年を超える大樹が神木であるのは、そこには人間生活に必須の原初的生態系が「カミ」として維持されているからだ。
 そこで神木には注連縄 (しめなわ) が張られて環境維持の神意を表している。

 神木を育てている根本の自然資源が水資源であることは当然であり、清水の維持の心が「清め」の儀礼の原則であり、それを前提として自己の身の清めがある。そこで神社は水資源の根源的尊重のために存在しているのであり、水の汚染は亡国の根本原因であり、水を経済的利益を中心基準にした売買の対象としてはならないだろう。

* * *

 易姓革命や西欧の覇権性の唯物論的対立のイデオロギーを排した「和」の維持装置としての皇室は、森林列島に育まれた自然の畏敬としての神道と、和を担保する理念としての仏教を国家理念の原型として体現している特殊な家族的「伝統」である。

 そこで日本における皇室と仏教の関係は、イギリス王室と英国国教会の関係とは似て非なるものであるが、特に戦後に一部の日本の知識人の間に皇室や天皇をめぐって様々な異論があるようだ。

 その一つが「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」に表れているだろう。

 「私 (丸山) は天皇制が日本人の自由な人格形成、自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしているという帰結に、ようやく到達したのである。」 (「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」1989『丸山眞男集第十五巻』) 。

 この「回想」の中で丸山眞男が意味する「天皇制」とは、どのような制度を意味しているにだろうか。

 いつ、だれが「天皇制」を構想して具体的に歴史に中に、様々な政権内部に定着していったのだろうか。

 そして「日本人」とはなにか。いつの時代の日本人なのか。戦後の日本人なのか。
 過去と現在において「天皇制」のない国々では、どのように「自由な人格形成」がなされているのだろうか。

 さらに「自由」とは、なにか。J.S.ミル:On Liberty (1859) で意図されている “liberty” のことなのか。
 野蛮国の植民地化を是認する意味の、西欧の少数のエリートが多数の無知な大衆を支配する “liberty” のことなのか。

 文明国である大英帝国の知識人の「自由」に触れたので、漱石の「自由」の認識を思い出した。

 「文明は個人に自由を与へて虎の如く猛からしめたる後、之を陥穽の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある」 (夏目漱石『草枕』1906年)

 漱石は西欧文明における “liberty” の実態を直感的に了解した上で、辞書的表層の意味を超えて “自由” と “文明” の字義を的確に理解して使用しているようだが、西欧文明を否定して単純に “日本文明” を褒めているわけではない。

 しかし漱石の文明の認識は、まるで現在行われている、大衆には「過誤の自由」を与えて自らは「支配の自由」を寡占しているかのような新自由主義やグローバリズムを指摘しているようではないか。

 「天皇制が・・・自らの責任を負う人間の形成にとって致命的障害をなしている」。
 では日本人はどうすればよいのか。

 「自らの良心に従って判断し行動し、その結果に対して、自らの責任」を負わないのは、いつの時代も権力の中枢を取り巻く公僕の精神をないがしろにして私利私欲になびく公僕や知識人であり、日本人一般ではないだろう。

 「蟻の兵隊」を大陸に置き去りにして、さっさと帰国した上官たちや、彼らの統率に責任のあるべき軍の上層部の無責任も「天皇制」が原因なのだろうか。

 天皇陛下万歳を唱え愛国を誇示する公僕や議員の中に「天皇制」の内部の「天皇」を利用している者たちはいないのか。

 天皇や皇室を素直に語ることを躊躇する傾向にある知識人と「天皇制」反対を唱える人々は、無自覚のままにGHQや「天皇制」の思考枠に絡め取られて天皇や日本人やを論じているのではないのか。

 以上は「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」に触発されたさまざまな疑問と感想であり、丸山眞男の知的業績一般の評価について論じているのではない。

 しかし、歴史的・地政学的・民族構成上などでまったく異なる三ヶ国における日本人やアメリカ人や中国人の性格を観念的に一般化することには和国日本の安全保障の観点からも注意をしなければならないだろう。

* * *

 夏目漱石が日本で『草枕』を出版した1906年、岡倉天心はニューヨークで『The Book of Tea』を出版し、英語で英米人に対して西欧の「文明」観に疑問を投げかけていた。

 「日本が物静かな平和の技芸にふけっていた時、西洋人は日本を野蛮であるとみなすのを常としていた。
 その西欧人が、日本が満州の戦場で大殺戮を犯し始めると日本は文明化したと言っている。・・・もしわれわれの文明に対する主張が戦争というおぞましい栄光にもとづくのであるとしたら、われわれは喜んで野蛮人でいよう。われわれの芸術と理想に正当な敬意がはらわれる時まで、われわれは喜んで待とう」

 筆者自身は親米であり親中であり、それぞれの国民と仲良くしたいと思っているが、政治体制や政府については様々な批判もある。

 しかし「日本のあらゆる伝統文化の中心をなす」和歌という物静かな平和の文芸 の伝統を万葉集の時代から維持している皇室を尊重しつつ、今後の日本の未来を考えてゆきたいと思っている。

(2023/01/02 記)

こんな記事もオススメです!

裁判は配慮や忖度なしに

(5) さようなら令和四年・現代日本の黙示録

戦争のできる国目指すのか

軍拡に舵を切った岸田内閣