【NPJ通信・連載記事】色即是空・徒然草/村野謙吉
( 7 ) なぜ、欧州では継続的に戦争が起こるのか
1989年12月、マルタ島で米大統領ブッシュ (父) とソ連大統領ゴルバチョフが会談し、冷戦の終結を宣言した。
ゴルバチョフは、1990年にノーベル平和賞を受賞した。
受賞理由は「冷戦の終結・中距離核戦力全廃条約調印・ペレストロイカによる共産圏の民主化」。
両首脳の間では終結したのかもしれないが、実は解決されはていなかった。
実態は、冷戦問題が深く両体制の内部に温存されてしまったのかもしれない。
そして、昨年 (2022年) 2 月24日、ロシアによるウクライナ “侵攻” があった。
現在も継続しており、ウクライナをめぐって米露が、かっての冷戦を質量ともに凌ぐ複雑な仕方で対立している。
今年 (2023年) 1 月25日、バイデン米大統領はホワイトハウスで演説、ウクライナに主力戦車「エイブラムス」を供与すると発表、「米国と欧州は完全に団結している」と述べた。
「戦車の供与に慎重だった米国とドイツがそろって方針を転換し、ウクライナがめざすロシアからの領土奪還を支える軍事支援の強化で足並みをそろえた」 ( 1 )
米国と欧州のロシアに対する底知れない不信は、一体、何に由来しているのだろうか。
ロシアも、キリスト教の宗教的価値観を共有する広義の欧州文明の一部ではないのか。
日本列島と比較しても、なぜ、こんな矮小な地域で何百年にもわたって国々が対立し、それぞれの国民間に信頼が築けずに戦争が絶えず行われ続けているのだろうか。
とらっしゅのーと/ trushnote.exblog.jp 2012- 11- 10 (緯度と経度は無視して単純に重ね合わせている地図です)
1914年に欧州戦争 (第一次世界大戦) 、1812年に米英戦争、1337年から1453年までは英仏間で、いわゆる百年戦争があった。
地理上の分裂と国民間にある不信は、一体なにかが原因なのだろうか。
そして現在、米国・欧州 VS ロシアが西欧文明内で対立構造をなしている。
学術的厳密さを欠くことを承知で複雑な欧州の歴史を概観してみたい。
様々な歴史的条件のもとに、ある時期にコーカサス地方を民族の発祥地と想定・仮定されている、いわゆる “アーリア人” は大きく東西北方に民族移動し拡散していった。 ここで “アーリア人” とは、色白の肌を持ち、比較言語学上の印欧語を話す人々である、と一応の定義をしておく。ここに Caucasian が白人を意味する由来がある。
アーリアはサンスクリット語の ârya で、英語 ‘aryan’ の文献的初出は 1839年である。 その動詞語根 √ṛi は、“行く、動く、敵に向かって前進する、攻撃する、侵略する (to go, move, advance towards a foe,attack, invade;Monier Monier-Williams ; A Sanskrit English Dictionay, 1899 ) を意味して、この語がアーリアン人の歴史的な移動の過程を見事に反映している。
古代語に内包されている “アーリア” の歴史的実体としての原義は (動詞の語根に原義があるとすれば) “行動する民、侵攻する民、侵略する民” であった。
アーリア人の一部は東漸してペルシャを経由し紀元前1500頃インド亜大陸北部に侵入し褐色の肌の原住民を隷属させてバラモン階級の支配層となり、インドの風土に同化していった。ちなみにインド特有の階層社会をカースト (ポルトガル語由来) 制度というが、サンスクリット語では varṇa で、色 (カラー) の意味である。
インド亜大陸は、古代における侵略に加えて、16世紀にアーリア人の末裔である大英帝国によって侵略され、再度植民地化されたわけである。
アーリア人の別の一部はヨーロッパを席巻してゆき、古代ドイツの Anglo-Saxon となり、350年頃から彼らはさらに民族移動して、今のイングランド南東部に居住していた住民 (かっては中欧ヨーロッパに起源をもつケルト族) を侵略してブリテン島を支配して今日のイギリス人 (Anglo > English) となった。
312年、ローマ帝国のコンスタンチヌス皇帝はキリスト教徒となってキリスト教を公認した。
ここに古代アーリア人の原初の情念に、古代ギリシャ文明の理性と、ユダヤ・キリスト教的宗教情念とが歴史的、かつ法制上結合した。かくて西欧の政教一体の国家体制が確立されて、今日に至る。
米露の対立の根本原因は自由主義対専制主義であり、自由陣営側は専制主義は悪であると単純化していうのは易いが、ロシアに共産主義を導入したのは、誰なのか。
以前、刺激的な見出しの報道があった。
「アメリカはプーチンの戦略について重大かつ総括的な検証をおこない、ヨーロッパのさまざまな政党に秘密裏に資金援助をしているとしてロシアを告発」との趣旨だ。 (The Telegraph ; 2016/01/16)
そして、分断統治の本家のイギリスは “新たな冷戦” を警告し、クレムリンがヨーロッパで分断支配を求めている、と言い出した。
各国の政権に様々な形で影響力を行使しているのは、特に軍事力のその規模と質においてアメリアの方が格段に勝っているだろうから、アングロ・アメリカン勢力は自分の所業を棚に上げて何を言うか、とロシアは言いたいだろう。
が、世界の大勢における信頼度ということになれば、ロシアよりアメリカの方が圧倒的に信用度が高いのが実情だろう。
ロシアと中国とアメリカと、亡命先を選べといわれれば、ほとんどの人は、いかに二重規範の国家であり、原住民を殺戮し、アフリカ人の奴隷を虐待した歴史をもつとはいえ、つねに文明の明るい面<夢と野心の実現の自由>を表看板にしている議会制民主主義の国・移民国家のアメリカ合衆国を選ぶだろう。
米国は各州で、死刑制度など法律が異なる “自由” があることも、皮肉な形で米国合衆国の強靭性を担保している。
米国に代表されるグローバリストの二重規範の自由体制と中国・ロシアに代表される民族主義的国家秩序優先体制とが地球規模で対立しているのが現在の世界の現状ではないのか。
しかし、米国の二重規範の自由体制も、今後はどのように液状化してゆくかはわからない。
オーウェルが『1984年』で暗示的に指摘している「自由は隷属 : FREEDOM IS SLAVERY」の真相が人々に理解され始め、最近では、同義語だが異なるニュアンスを持つ Freedom とLiberty が奇妙な対立している様相は、米国の言説状況の混乱を示しているようだ。
なぜ、西洋文明国は、継続的に戦争をするのか?
なぜ、同じ西洋文明圏に属する米国とロシアが、根深い不信を保ち軍事的対立を持続的に維持しているのか。
1944年、ヨーロッパに自由 (freedom) を取り戻すために、アイゼンハワー元帥は自ら “偉大な十字軍” と呼んだノルマンディー上陸作戦を展開したが、1961年、アイゼンハワー大統領は辞任演説で、アメリカには350万人の男女が軍需産業に関わって雇用されていることを認めていた。
アメリカは各州に州兵を維持し、現在3億丁を超える銃器が市民に所持されている武装国家であり、軍事的に無力なメキシコとカナダの二カ国を南北に緩衝地帯として配し、東西を両大洋に守られた世界最強の武装国家である。
アフリカでは部族間の殺戮がある。
アジアでも戦争がある。
しかし、これらの地域では自らの領土内で闘争しつつ、さらに非西欧圏の国々で戦争を仕掛けて大規模に植民地化するようなことはしていない。
なぜ、同じ西洋文明圏に属する米国とロシアが、根深い不信を保ち軍事的対立を継続的に維持しているのか。
キリスト教カトリックのバイデンとキリスト教ロシア正教会のプーチンは、キリスト教を信じる立場において同じはずだが、それだからこそキリスト教を超える見方が困難なのだろうか。
両国の最高権力者を取り巻く高等教育を受けた側近たちの思考も、いかに国民生活に平和をもたらすかという思考よりも、戦略論を優先させ、いかに軍産複合体に寄与して対立相手より有利な立場を得るかに思考の中心があるのだろうか。
世界史を主導してきたアングロ・サクソンの政治情念を温存している連合王国。
西欧文明の思想的根幹をなす古代ギリシャ哲学、ローマの法制、キリスト教の伝統を集約的に吸収している立憲君主国。
偉大な劇作家・シェークスピア、近代自由主義の旗手・ジョン・スチュアート・ミル、大英帝国の植民地主義を批判した郷土愛の人・ジョージ・オーウェルなどを輩出させ、世界の人々を楽しませる様々な文化価値と技術文化を世界に普及させてきた英国。
アングロサクソンの政治からアングロアメリカン政治へと拡大進化した地球規模の支配体制の下に、世界は複雑に重層化した分断統治の支配体制に移行してゆくのだろうか。
継続的に戦争を維持しているヨーロッパ文明を考えていると、途方に暮れるような虚脱感に襲われる。
そして、ふとある人物を思い出した。
彼の名はクリスマス・ハンフレーズ (1901~1983) 。
ファーストネームがクリスマスとは珍しいが、れっきとした仏教徒だ。
彼はケンブリッジ大学出身の典型的なイギリスのエリートであるが、極東国際軍事裁判 (東京裁判) に判事として参加するために東京にやってきた。
イギリスの歴史に圧倒的に君臨している英国国教会の本拠地で、彼はロンドン仏教協会を1924年に創設した。
鈴木大拙を師と仰いでいた。
彼は偉大な英国文化を享受しなから、非キリスト教徒として、いかに世界や人生を考えていたのだろうか。
1976年、航空便でハンフレーズ氏から送られたタイプライターで記された一編の詩を久方ぶりに取り出して読んでみた。 (以下、誤訳かもしれないが、拙訳を記す)
菩薩
わたしは一つのことを教えている、とブッダは語った。
苦しみと苦しみの終わり、
苦しみの本質とその原因、
そして苦しみの癒し、これらのことをわたしは知っている、と。
すべての人々は苦しんでいる;身体の病苦、加齢、
そしてじわじわと訪れてくる死に至る病。
いかなる人も平穏ではいられない、無常に悩む。
健康は受け入れがたい度合いで損なわれてゆく。5
さまざまな心の悲しみが深いところで流れている。
欲望が虚しく燃え盛る、心の奥底の孤独、
疑いの雲、腐食した憎しみ、
これらが人間の不幸の海を満たしている。
されど光がはるか彼方にある、ものごとをそのままに見る眼がある。
癒しを切に願っている愛の手がある。
いかなる差別も知らない心がある。
だれにも開かれている安らぎに他者という意味はない。
わたしは、下って行かねばならない。
ハンフレーズの詩「菩薩」 (2)
詩のタイトルは「菩薩」。
“わたしは、下って行かねばならない” (I must go down) で終わっている。
菩薩とは降りる覚悟のある人間なのか。
降りてゆくとは、どういうことなのか。
われわれは、常に上昇したいと考えているのではないか。
蜘蛛の糸にしがみついて、自分だけが助かりたいと思って他人を蹴落としている人間ではないのか。
シェークスピアの熱心な研究家でもあるハンフレーズ氏だ。
この詩には「マクベス」の有名な独白に見られる歴史的無常観に通じるところがあるかもしれない。
毎日のように国際政治学者や評論家が、ウクライナの戦況をテレビやパソコンのYoTube 画面で熱心に解説しているが、歴史的かつ宗教的に掘り下げた分析を視聴したことがない。
日本の政治・経済状況がうまく機能しているわけでない。東洋が理想的平和の文明であるわけではない。
しかし日本列島と比較して、なぜ、こんな矮小な欧州の地域で何百年にもわたって国々が対立し、戦争が絶えず行われ殺し合いが続けられているのだろうか。
人間の生態系に内在する根源的苦悩とその彼岸の世界に通徹して働いている縁起の法に目覚めたブッダの教えに、英国人のハンフレーズ氏は東西の文明の差異を超えて人生の本質を学んだのだろう。
仏教者・クリスマス・ハンフレーズ氏は詩人でもあったが、色即是空の仏教的直観に触発されたのか、興味ある詩を残している。
ハムレットの “To be or not to be, that is the question ” は存在論に関わるが、ハンフレーズ氏の詩は、存在を問いかけている「わたし」の問題であり、正に仏教の根本的問いである。
「わたしが死ぬ時、だれが死ぬのか?」 (When I die, who dies?)
(2023年1月28日 記)
( 1 ) 2023年 1 月26日 2:48 (2023年 1 月26日 5:20更新) ; 日本経済新聞 ;【ワシントン=坂口幸裕】バイデン米大統領は25日昼、ホワイトハウスで演説し、ウクライナに主力戦車「エイブラムス」を供与すると発表した。
「米国と欧州は完全に団結している」と述べた。戦車の供与に慎重だった米国とドイツがそろって方針を転換し、ウクライナがめざすロシアからの領土奪還を支える軍事支援の強化で足並みをそろえた。
( 2 ) 「Young East, Spring 1976」掲載 (筆者所持)
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