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【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―

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ビーバーテール通信 第13回
 イスラモフォビアは終わっていない

2023年4月19日

小笠原みどり(ジャーナリスト、社会学者)

 ハッサン・ディアブさんは、優しい眼にユーモアをたたえた社会学者だ。物腰は常に穏やかで、語り口は周囲の人々へ配慮に満ちている。鋭い社会批評や厳しい政府批判も、ハッサンさんの口から出れば、冷たさを感じるどころか、彼の人柄のよさが余韻として長く残る。レバノン生まれで、オタワのカールトン大学で教鞭を取る60代の彼は、私のゼミでこれまで二度、ゲストとして講義してくれた。が、私が彼を招待したのは、彼が同業者だからでも、その円満な人柄のためでもない。彼が巻き込まれている怪事件、カナダ社会に巣食う「イスラモフォビア」(イスラム恐怖症)の現実について語ってもらうためだ。

ハッサン・ディアブさん =2018年6月、撮影はすべて溝越賢。

 カナダ市民のハッサンさんはもう15年以上もフランス政府から無実の罪で訴追され、終わりのない刑事手続きの迷路に閉じ込められている。自分とは無関係のテロ容疑で逮捕され、カナダの「逃亡犯罪人引渡法」によってフランスの刑務所に送られ、3年以上の年月を過ごした。フランスの裁判所は証拠の不十分さを認めて、一度はハッサンさんを釈放し、彼は妻と二人の幼い子どもが待つカナダに戻ることができた。が、いま再びフランス政府によって収監されるかもしれない瀬戸際にある。

 カフカエスク――まるでカフカの小説のような、原因も不明なら、今後の見通しも不明、理不尽な制度にとらえられて逃れられない苦痛を、ハッサンさんの支援者たちはそう表現する。

 私がこの冤罪事件を初めて知ったのは、彼がまだフランスの刑務所に捕らえられていた2017年。私は博士論文を書いている最中で、世の中のことはほとんど耳に入らずにいたが、友人から聞いた事件のあらましに衝撃を受けた。対テロ戦争下の北米で、アラブ系の名前を持つ人やイスラム教を信仰するムスリムの人たちが、飛行機の搭乗を拒否されたり、入国審査で差別されたり、警察から監視されたりしてきたことは知っていたが、ここまで異様なケースを聞いたことはなかった。私が通っていたクィーンズ大学のキャンパスで、ハッサンさんの釈放を求める集会が開かれ、彼の弁護士であるクィーンズ出身のドン・ベイン氏の話を聞く機会を得た。

 終わりのない不条理劇の始まりは、2007年。オタワ大学で教えていたハッサンさんの教室を、フランスのジャーナリストが訪れた。記者は、1980年にパリで起きたシナゴーグ(ユダヤ教の教会)爆破事件の容疑者として、フランス当局がハッサンさんを捜査していると告げた。25年以上前の爆破事件では4人が死亡し、40人以上が怪我を負っていた。ハッサンさんは当時、レバノンで大学に通っていた。パリには行ったことがない。なぜ自分が容疑者になるのか信じられずにいたが、1年後の2008年11月、フランス当局の要請によって王立カナダ騎馬警察隊(R C M P)に逮捕される。それから6年間に及ぶ自宅軟禁とR C M Pによる24時間の監視が始まる。

筆者がクィーンズ大学で教えていたゼミで、学生たちに警察の監視と嫌がらせについて話すハッサン・ディアブさん =2019年3月、カナダ・オンタリオ州キングストン

 ハッサンさんは位置情報を常に警察に知らせるG P S装置を足首にはめさせられ、その代金として月に2000ドル(約20万円)を請求された。逮捕と同時に大学での職を失い、携帯電話やノート・パソコンは押収され、電子機器を所有することは禁じられた。電子的な監視だけではなく、ハッサンさんの身辺をR C M Pの私服刑事たちが徘徊する。自宅近くの公園や喫茶店で、不審な男たちが自分の様子をじっとうかがっている。外出して自宅のアパートに戻ると、明らかに誰かが侵入した形跡があったので、警察に通報したが、なんの捜査もされなかった。

 日常生活への執拗なスパイ行為は、ハッサンさんがフランスの監獄から釈放された後にR C M Pが公開した捜査報告書によっても裏付けられた。54ページに及ぶ報告書で、警察はハッサンさんの行動を、悪意を持って記録していた。例えば、彼が携帯電話がないので公衆電話を使って知人に連絡した行為は「携帯電話の追跡を避けて、外国のエージェンシーと連絡をとっているに違いない」と解釈していた。ハッサンさんの一挙手一投足を意図的に事件と結びつけようとする捜査に、30万ドルから40万ドル(約3000万―4000万円)が投入されたことに、ハッサンさんは驚いた。では、そもそもいったい何を証拠に、ハッサンさんを犯人と決めつけたのか。

 ハッサンさんの訴追に使われた証拠は、フランスの諜報機関が集めていた。民主的な刑事司法制度のある国々では通常、諜報機関が集めた情報は、刑事裁判で証拠として採用されない。なぜなら、諜報機関は情報源を明らかにしないので、裁判官や弁護側、第三者がその情報が真実なのかを確認する手段がないからだ。諜報機関は情報源を明らかにしないまま、あらゆることを主張できる。警察・検察の集める証拠は、少なくとも公開の裁判で反対の視点から検証されるが、スパイ機関にはその前提がなく、情報は秘密の闇のなかで操作されやすいため、証拠に足る信頼性がないと考えられている。だが、フランスは数少ない例外国で、「テロ」とみなされる事件に限って、諜報機関の証拠を受け入れている。そのこと自体が、冤罪を生む原因になっていると、ベイン弁護士は言う。

 フランス当局が明らかにした数少ない証拠のうち、爆破事件の容疑者とされる人物がパリのホテルにチェックインした際の筆跡が、ハッサンさんの筆跡と一致した、という証拠がある。しかし、フランス当局がハッサンさんのものとして筆跡鑑定に使った筆跡は、後に、ハッサンさんの前妻の筆跡であることが判明した。さらに、その後の筆跡鑑定では、専門家たちがハッサンさんと容疑者の筆跡は一致しないと結論を出した。指紋も手の平の形も一致しなかった。目撃者は、容疑者を40歳から45歳くらいの男性と形容したが、ハッサンさんは当時18歳。事件当日、ベイルートの大学で試験を受けていた。試験に合格し、単位を取得したことを、大学が証明している。

 ハッサンさんの無実を示す、これだけの反証があったにもかかわらず、カナダ政府は2014年、ハッサンさんをフランス当局に引き渡した。引き渡しが正当かを判断する2年間の司法手続きに関わったカナダの裁判官たちが、カナダの刑事裁判基準では、フランスの示した証拠はあまりに弱く、訴追の根拠にはならない、と記したにもかかわらず、だ。

ハッサンさんの話に聞き入る学生たち =2019年3月、カナダ・オンタリオ州キングストン

 家族と元同僚たち、友人たちの献身的な支援によって、ハッサンさんは3年2ヵ月に及ぶフランスでの投獄を耐えた。その期間の大半は、非人道的で懲罰的といわれる独居房で過ごし、1日2時間の運動時間以外は他人との接触を制限された。この間、正式に裁判が始まることはなく、期限のない拘束が続いた。この事件がカフカエスクと呼ばれる所以だ。2018年1月、フランスの予審判事は遂に証拠が不十分なことを認めて、テロリズムでの訴追を断念し、ハッサンさんを釈放した。

 ハッサンさんがカナダに戻った日、カナダのメディアは明るい調子でこのニュースを伝えた。私はラジオから流れてきた彼の声の穏やかさに打たれた。どれだけ激しくフランス・カナダ両政府を非難してもおかしくないのに、支援者たちに感謝を述べ、自分のようなイスラモフォビアの被害者を生まないために、今後は逃亡犯罪人引渡法の撤廃を求めていくことを、社会学者は哲学者のようなトーンで語っていた。カナダのトゥルードー首相は、無実のカナダ人が外国で投獄されるようなことは「二度とあってはならない。そのための調査を開始する」とコメントした。

 ところが、カフカ的サーガは終結しなかった。フランスの検察官はハッサンさんの訴追を求めて控訴し、フランスの裁判所は2022年1月、それを認めた。カナダ政府に再びハッサンさんを引き渡すよう求め、今年4月3日に被告人不在のまま裁判を開始した。無実の人の帰還を喜んでいたはずのカナダ政府は、どういうわけか沈黙している。ハッサンさんの支援者たちやアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体は、裁判がハッサンさんに不利に進行することを懸念し、トゥルードー首相にハッサンさんの保護を求める署名を集めている。

 ハッサン・ディアブはまさに、アラブ系の名前ゆえに狙われたのだ。彼の悪夢は、9.11以降に米国が主導し、英国やカナダや日本も加わった対テロ戦争抜きには説明できない。アフガニスタンやイラクへの戦争を遂行した国々は、自国内でもアラブ系やムスリムの人々を「敵」あるいは「安全保障上のリスク」と決めつけ、排除してきた。その社会心理がイスラモフォビアで、カナダではモントリオールのモスクが襲撃されて6人が殺害される事件(2017年)や、オンタリオ州ロンドンで散歩中のムスリムの家族4人がトラックでひき殺される事件(2021年)を引き起こしている。

 街角の白人至上主義者が「異教徒」に刃を向けるのは、それを後押しする政治の存在がある。ケベック州は、公共機関で働く人が宗教上のシンボルを身につけることを禁止する法律を成立させた。法律は一見、どんな宗教にも当てはまるように書かれているが、実際にはムスリム女性が髪を覆うのにかぶるスカーフ、ヒジャブを狙い撃ちしている。この法律によって、ケベックでは現実にムスリム女性が教師の職を失った。

 同じように、学校で宗教上のシンボルを身につけることを禁じる法律があるフランスで、対テロ戦争の開始後、ハッサンさんは訴追された。いったん逮捕したテロ容疑者を釈放することは、検察にとって恥であり、世論の批判を免れない。テロに厳しく臨む国家を標榜してきた政治家たちにとっても格好がつかない。だからといって、無実の人をいつまでも、何度でも罰しようとするのは、権力の乱用以外の何ものでもない。

ハッサンさんを支援する会「ジャスティス・フォー・ハッサン・ディアブ」は以下のウェブサイトで、カナダ政府にハッサンさんの引き渡しを拒否するよう求める署名を集めている。ぜひ署名してほしい。https://you.leadnow.ca/petitions/pm-trudeau-protect-hassan-diab-from-further-injustice-say-no-to-another-extradition 

 ベイン弁護士は、この政治的な冤罪事件を「21世紀のドレフュス事件」と呼ぶ。ドレフュス事件は1894年、ユダヤ系のフランス軍大尉アルフレッド・ドレフュスが陸軍の機密書類をドイツへ売却した容疑で終身刑に処せられた事件だ。作家エミール・ゾラらが反ユダヤ主義にもとづく訴追を糾弾し、後に真犯人が判明して、ドレフュスは1899年に釈放され、無罪を勝ち取る。ベイン弁護士は、ドレフュス事件でも偽の筆跡鑑定が証拠として使われた類似性を指摘し、当時の反ユダヤ主義と同様、現代ではイスラモフォビアにという時代の空気によって、無実の人間の人生が破壊されていると語った。

 私のゼミ生たちは皆、ハッサンさんの講義にショックを受けていた。彼の優しい人柄が伝われば伝わるほどに…。ウクライナで戦争が始まって以来、対テロ戦争は忘れ去られたかのようだ。だが、対テロ戦争によってばらまかれたイスラモフォビアの種は発芽し続けている。爆弾の雨あられが降っていない場所でも、戦争は制度に根を張り、人の心に差別と排除の菌糸を伸ばしている。ハッサンさんに自由を取り戻すことは、カフカエスクな戦争の菌糸を断ち切ることでもあるのだ。

〈了〉
 

 
追記 
 フランスの裁判所は4月21日、ハッサンさんが不在のままの法廷で、ハッサンさんに有罪判決(終身刑)を言い渡した。ハッサンさんのフランスの弁護士は「裁判官たちは、追及が手ぬるいと思われることを恐れて、ハッサン・ディアブに固執している」と語った。主要報道機関もこのニュースを伝え、カナダ政府にハッサンさんの保護を求める声は強まっている。

 

 

 

【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年 5 月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
オタワ大学特別研究員を経て、2021年からヴィクトリア大学教員。
著書に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版) など。

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