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【NPJ通信・連載記事】色即是空・徒然草/村野謙吉

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歴史の深層に流れる内部言語

2023年4月27日

 軍事力を誇示する覇権政治が支配する世界史において、和国(非覇権国)の理念の意義を明示しかつ暗示している聖徳太子の「十七条憲法」は法律でもなく詩でもないが、そこに「内部言語」を聞くことが大切であると主張するのは田中健一である。

 「『十七条憲法』というものは、これを表面的に読みますと、そこに、仏教や儒教の影響が、顕著であるように思われます。しかし、もう一歩深く踏み込んで、漢字の意味体系をはなれたところから見直してみますと、驚くことに、固定された文字の意味をはなれて、仏教や儒教や陰陽思想の深層にある本質を、日本的に見事に捉え直されいているのであります。」(田中健一『聖徳太子の深層 なぜいま十七条憲法か』1989)

 「内部言語」は「聞く」のであって「読む」のではない。
 インドのヴェーダ聖典も仏教経典もシュルティー(サンスクリット語:聞かれたこと)であって、「聞く」文献である。

 仏道より派生した様々な「道」の一つである香道においては、香を嗅ぐのではなく「聞く」のであるから聞香という。
 仏道は教理の学習ではなく、仏典が暗示するモノやコトの内部から「ワタクシ」に語りかけてくる「ミ・ノリ(御法)」を聞くのであるから聞法という。

 すべての詩に「内部言語」が認められるということではないが、インド大乗仏教の偉大なる思索家・ナーガールジュナ(漢訳・龍樹;150~250年頃)は、仏典におけるブッダの言説の真意を理解するには、表層言説(俗諦)と深層言説(真諦)の二つの意義を了解して読まなければならないと説いた。
 そこで田中健一の「内部言語」はナーガールジュナの深層言説(真諦)を意図しているのだろう。

 しかし深層言説(真諦)は隠された言葉ではない。ブッダ・釈尊は開かれた手のひらを示して仏説は表層言説としてだれにでも公平に開示され、しかも言説の深層の意味を悟ることを要請している。

 では、内部言語・深層言説は、どのように読むのか、そして聞こえてくるのか。

 田中健一は「内部言語」の読み方を示すために芭蕉の一句を取り上げる。
 芭蕉(45歳)は八月十五日、「田毎の月」で有名な信州姥捨山で仲秋の名月を見て一句が生まれた(「更級日記」)。

 「俤や姥ひとりなく月の友」

 この句の「内部言語」を探る過程においては、通常の語彙解釈を前提として、さらにこの句を読む人の歴史観・人生経験・美意識が試される。

 信州姥捨山とは、歴史的にどういういわれを持った地域なのか。
面影ではなく俤(国字)であるのはなぜか。

 「ひとりなく」は「今、あたかも芭蕉の目の当たりに老婆が一人で泣いている」のか。
 それとも「昔捨てられていた姥たちは今はもう一人もいない」という意味なのか。

 月は、実の息子によって山に捨てられた天涯孤独の姥の友なのか、漂泊の芭蕉の友ではないのか。

(「田毎の月」画像提供:千曲市)

 姥捨山の近在に出生した田中健一は、この俳句から意表を突く声を聞く。

 「老婆を背負って、そこに老婆を置き去りにして帰った若者は、たれあろう、この芭蕉の前生の姿。
 これこそが、ほかならぬ芭蕉の、深層意識にゆらめく「影」であります。
 この「影」が、今や老婆の俤(おもかげ)を、切に尋ね求めているのですが、老婆達は一人として、その姿を見せてはくれません。前生の罪は、いかんとも消すべくもない、そんな絶望の暗黒の中に、ふと、ささやくような声がする。見れば、いつの間にか、中秋の明月が空高くのぼって来ているではありませんか。
 月の光が、実はいま聞いた「ささやき」であったのか。さしのべられていた「内部言語」の光。芭蕉は、たしかに、それを「声として」聞いたのであります。」

* * *

 俳句は日本語の最短の詩形において作者の個人的心情を超えた広がりのある世界を表現する文学であるとすれば、日本語の短詩形の元をなす短歌は、長歌と最短詩形の俳句の媒介点において作者の心情の「マコト」を詠む文学であろうか。

 令和五年を迎えて、四代にわたり平和を願う天皇の和歌である御製をあらためて拝読し、それぞれの中に、ある種の歴史の流れを感じる。「ある種の歴史の流れ」とは、天皇という特殊な地位が日本国の歴史の深層における呼吸のごときものを感じられる立場だからだ。

 明治天皇「四海兄弟」
 よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

 大正天皇(日露戦争などの戦利品をみたとき詠まれた歌)
 武夫(もののふ)のいのちにかへし品なればうれしくもまた悲しかりけり

 昭和天皇
 夏たけて堀のはちすの花みつつほとけの教え憶う朝かな

 三代にわたる御製すべてに平和を願う心が宿されているが、同時にそれぞれの時代の歴史的息遣いを反映しているように感じられる。

 世代を異にするさまざな生活体験をもつ人々が御製を詠んで、それぞれの感慨を覚えることだろう。
 明治天皇の和歌は、日本の有史以来初めて欧米列強の荒波が日本列島に押し寄せてきたことを感じさせ、大正天皇の和歌は、有史以来始めて欧州人と実戦した和国の兵士に思いを寄せ、昭和天皇の和歌は、未曾有の世界大戦と敗戦の熾烈な体験をされた天皇が、蓮華の花をご覧になり、穏やかな平和の世界を願いつつ、仏の教えに安らぎを覚えておられるのだろう。

* * *

 平成二十六年から令和五年まで10年の歌会始の御製をあらためて拝読し、それぞれの和歌から聞こえてくるなにかに身をゆだねる気持ちで、歴史の流れを感じつつ詠じてみた。

 天皇は世界各国の権力の中枢にある複雑な背景を持った人々と直接対面する経験をされているから、天皇が詠まれた和歌には、自ずとある種の歴史的臨場感が込められているようだ。
 そして、天皇の和歌・御製であるこを意識して詠んで見ると、それぞれの御製には、時代状況を反映した一種の空気の流れのようなものが感じられる。

 平成二十六年歌会始  静
 慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

 平成二十七年歌会始  本
 夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ

 平成二十八年歌会始  人
 戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

 平成二十九年歌会始  野
 邯鄲(かんたん)の鳴く音(ね)聞かむと那須の野に集(つど)ひし夜(よる)をなつかしみ思ふ

 平成三十年歌会始  語
 語りつつあしたの苑を歩み行けば林の中にきんらんの咲く

 平成三十一年歌会始  光
 贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に
   上皇・継宮 明仁 昭和64年(1989年)1月7日ー平成31年(2019年)4月30日

 令和二年歌会始  望
 学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む
   今上天皇・浩宮・徳仁 令和元年(2019年)5月1日- 在位中

 令和三年歌会始  実
 人々の願ひと努力が実を結び平らけき世の到るを祈る

 令和四年歌会始  窓
 世界との往き来難(がた)かる世はつづき窓開く日を偏(ひとへ)に願ふ

 令和五年歌会始  友
 コロナ禍に友と楽器を奏でうる喜び語る生徒らの笑み

 平成二十七年の御製、「夕やみのせまる田に入り稔りたる稲の根本に鎌をあてがふ」には、いわく言いがたい深層言説が働いているかのようで、和国・日本の将来に関わる何らかの黙示を感じさせられる。

 そして、令和の御製には、それぞれに平和を願う若々しい息遣いが感じられる。

* * *

 かって日本は、中国・ロシア・米国という現在の三大軍事大国と次々に戦ってしまった。

 米国・中国・ロシアという世界の三大軍事大国であり第二次世界大戦後の戦勝国に地政学的に囲まれた列島日本は、今後どのような命運をたどるのだろうか。

 しかも日本列島には米軍基地が配備されて中国とロシアに対峙している。

(主な在日米軍基地:在日米軍:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 2019年3月末現在、在日米軍は、横田基地(Yokota Air Base、東京都)に司令部を置き、5万6118人のアメリカ軍人が日本に駐留している。

 そのような日本を、中国・ロシア・韓国・北朝鮮は互いに牽制しつつ、どのように観察しているのだろうか。

 改めて考えれば終戦後の日本の安全は常時、世界三大軍事大国下に平時と有事が共存した異様な状況に置かれている。

 西欧の二重規範の「自由」の文明に翻弄され、世界の終末時計は刻々と与えられた時間を短縮し、日本列島の人々は心の奥底にぼんやりした不安を感じているのではないか。

 われわれは、これから日本の伝統のしぐれてゆく後ろ姿を見つづけてゆくのだろうか。

 多民族国家であるとはいえ漢人主導の多民族国家・中華人民共和国は、西欧的個人主体の自由よりも国家の秩序を最優先するが、有史以来初めて万里の長城を越えた世界的な経済的拡張に、特に米国の保守層は非常な警戒心を持って対処しようとしているようだ。

 しかし中国の海外の軍事基地は「アフリカの角」に一ヶ所のみ、ロシアはシリアに二ヶ所あるだけだ。
 そして米国は世界中に数百ヶ所の軍事基地を配備している。(1)

 米国は中国の Sharp Power (2) に対して敵愾心をあらわにしているようであり、同じ西洋文明のロシアには奥深い不信を抱いているが、米国の支配情念の深層は、いったい何に危機感を覚えているのだろうか。

 それとも特に近代西欧の集合情念の深部には、なにか底知れぬ実存的不安があるのだろうか。

 圧倒的な軍事力を誇示する米国であるが、現在、移民国家の米国民の間には米国のアイデンティティーをめぐって激しい対立と混乱が渦巻いているようだ。

 さらに各国政府を超えた、いわゆる深層支配勢力が外敵を作って米国民の混乱した国民感情をまとめるような動きをしたり、それ以上に、世界的な液状化したような混乱が生まれたらさらに事態は深刻だ。

* * *

 東アジアに位置する和国・日本は、西欧の植民地支配の基本的戦略である分断統治の圧力に対して、近隣諸国、特に中国との安定した関係に最高度の外交的叡智を発揮しなければならないだろう。

 明治期以前の伝統的日本文化は、一千年以上にわたって中国文明の余慶の下に歴史的に成立してきた。

 しかし米国や中国の政治的行動の瑕疵を批判するのは良いが、政府と国民とは整理して考えるべきだ。

 いわゆる分断統治を核心とした共時的戦略思考に促された媚 “米国” や “反・嫌中国” の感情が、マスコミとSNSを通して日本の国民に広範に受け入れられるような状況は、日本の伝統・国益・安全保障にとって最大の不安定要因ではないのか。

 今後、日本が大震災に見舞われたり、原発の汚染水等の問題で本格的に批判を受けた場合、どう対処するのか。米国からの助言と援助を嬉々として受け入れ中国からの援助は拒絶するのか。
 日中貿易の安定的未来をいかに考えるのか。

 現在、世界全体が内戦化したような荒海の状況下、その中に漂う日本丸は、いかなる航路を進んで行くのだろうか。

 今後日本は、旧来の軍事的打算に根ざした戦略を超えて、「新しい文明を協働して作り上げる善民外交」をグローバルに促進・深化する必要があるのではないか。

 諸国民の間で、和国の文化価値に生きることに自信と誇りをもつ日本人であるのなら、聖徳太子の志を受け継ぐ伝教大師最澄の「愚と狂の自覚」に思いをよせ、改めて和の価値観に目覚める必要がある。

 これは自虐ではなく、仏教を超えた、特に偽善に走りがちなすべての知識人と聖職者・宗教家における「ひと」としての内省である。

 現在、世界は、表層言説の背後に埋め込まれた偽りの深層言説に導かれているのだろうか。
それとも現在我々が見ている歴史の展開自体が幻想の黙示録なのだろうか。

 西欧の産業革命以来、大量生産技術と、近年は情報技術が異常に発達してしまった。
そして世界は、少数による金融支配によって、各国の政府や軍さえもが民営化されているがごとくに席巻されている状況である。

 歴代天皇の御製に流れている、十七条憲法に秘められた「深層言説としての和の心」に希望を託して、快晴の冬空を見上げながら、和国の行く末を思うことである。

 碧空を貫く冬の陽光に樹々の緑の光る朝なり

(2023/02/10 記)

—————————–
(1) MELVIN GOODMAN: The New Cold War Could Be Worse (COUNTERPUNCH: JANUARY 6, 2023)
(2) HOOVER INSTITUTE|Stanford University: China’s Gobal Sharp Power Project. China’s
rapid accumulation and projection of power on the world stage confronts the world’s
democracies and open societies with serious challenges. Beyond the breathtaking
modernization and enlargement of the People’s Liberation Army, and its increasingly
expansionist deployment in the Indo-Pacific region, there is the more subtle̶but
by no means benign̶ expansion of China’s “sharp power.”

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