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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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台湾問題から見る我が国の防衛政策の変遷と台湾有事

2023年4月27日

1 初めに ( 問題意識 )
 2022年12月16日閣議決定された国家安全保障戦略(以下NSS)、国家防衛戦略(以下NDS)、防衛力整備計画(いわゆる安保三文書)は、これまでの我が国の防衛政策の根本的な転換となります。このことはNDS自身が「戦後の防衛政策の大きな転換点」と述べていることからも間違いないことです。

 この「大きな転換点」は台湾を巡る米中間の軍事的緊張からもたらされたことも動かしがたい事実です。このことから「戦後の防衛政策の大きな転換点」は、台湾を巡る我が国の対中軍事戦略の大きな転換点と考えられます。

 台湾を巡る我が国の対中軍事戦略の大きな転換点は、一見して2021年3月16日の日米2+2共同発表文で、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調したことで突如台湾海峡問題が我が国の防衛政策上の重要問題に浮上した印象があります。
 そこで我が国の台湾を巡る対中軍事戦略がどのように変遷したか振り返ってみたいと思いこの原稿を書きました。

 これにより、2002年から進められた日米防衛政策見直し協議以来、我が国の防衛政策において台湾海峡問題が朝鮮半島有事や尖閣防衛の陰に隠されているものの、日米安保体制、日米同盟において、重要な位置づけがなされていたことが分かるはずです。

2 台湾を取り巻く状況を我が国の安全保障に位置づけた最初のものが1969年11月21日佐藤・ニクソン共同声明でした。
 我が国の敗戦後の沖縄は米軍の直接統治下にあり、ベトナム戦争の出撃基地であると同時に、朝鮮半島と台湾海峡を睨んだ戦略拠点(コーナー・ストーン)でした。沖縄には、施政権返還の72年まで中国本土を標的にした核巡航ミサイル・メースBが配備されていました。

 沖縄施政権返還に伴い、沖縄へも安保条約が適用されることになり、その第6条の実施に関する日米交換公文で合意された事前協議条項(在日米軍基地から作戦行動をとる際に日本側と事前協議する内容が含まれる)も適用されるため、それまでのように沖縄の米軍基地自由使用に制約を受けることを回避する必要がありました。沖縄の在日米軍基地の自由使用が沖縄施政権返還の米側の条件の一つでした。もう一つが緊急時での沖縄への核兵器持ち込みですが、ここでは述べません。

 共同声明4項で、「韓国の安全は日本自身の安全にとつて緊要」「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとつてきわめて重要な要素」と述べています。これは米台(華)相互防衛条約を順守すると述べたことを受けたものです。
 
 7項では、沖縄施政権返還に伴い、事前協議条項を含む日米安保条約が沖縄へ適用されることを前提に、「(総理大臣は)沖縄の施政権返還は、日本を含む極東の諸国の防衛のために米国が負っている国際義務の効果的遂行の妨げとなるようなものではないとの見解を表明」しています。

 日米の一番の関心事は、ベトナム戦争遂行のための在沖米軍基地の自由使用に事前協議が妨げにならないようにすることであったがことは間違いないことですが、それにとどまらず、台湾海峡の不測事態も念頭にあったと思われます。58年には第二次台湾海峡危機があり、その際核兵器使用を検討していたことが、米機密文書により明らかにされているのです(朝日新聞2021.5.30)。

 共同声明のこの項で述べていることは、台湾地域での米国の軍事行動の際には、我が国は事前協議で「NO」と言わないことを予め暗に米国へ保証を与えているということを意味しています。

 然しこの時点では、あくまでも日米安保条約第6条による在日米軍基地を台湾有事の際には自由に使用させるというにとどまっています。我が国が台湾有事での米軍の行動にどのような支援を与えるかは、当時未だ何も決まっていないのです。

 また、その後の79年米中国交正常化と米台(華)相互防衛条約の破棄、在台米軍基地撤去・米軍部隊の撤退を含む米国の対中政策の転換があり、台湾海峡不測事態への懸念が縮小したことは事実です。

3 この点を大きく転換したのは、1996年4月日米共同声明です。橋本総理大臣とクリントン大統領による共同声明(安保共同宣言とも称される)では、冷戦終結後の日米安保体制を再定義するとして、日米安保体制の軸足を我が国の共同防衛から、アジア太平洋地域での日米共同軍事行動に拡大したものでした。これを受けて、二つの文書が作成されています。一つは1995年12月防衛大綱(07大綱)の閣議決定と、1997年9月日米防衛協力の指針です。

 07大綱は安保共同宣言に先立って決定されています。当時日米首脳会談は1995年に予定されていたのですが、同年9月沖縄での海兵隊員による少女暴行事件から、沖縄のみならず、日本全土でこれに対する抗議行動が広がり、瞬間的ではありますが安保条約への世論の支持が半数を下回るまでに至ったのです。そのため、日米首脳会談を翌年に延期したのでした(米国は表向き国内問題‐連邦政府予算の不成立を理由にしていましたが)。

 これら三文書を実行するための国内法制として、1999年周辺事態法が制定されました。我が国周辺地域で我が国の平和と安全に重大な影響を与える事態(周辺事態)において、それに対処する米軍への自衛隊による後方支援を定めたものでした。

 この段階では、個別自衛権の拡大として説明されました。そのため、周辺事態法は非戦闘地域での軍事的後方支援にとどめていたので、集団的自衛権行使とまでは言い難いものです。非戦闘地域が戦闘地域となれば、自衛隊の後方支援活動は中止し、退避することになり、自衛隊の活動に「切れ目」ができます。個別的自衛権と集団的自衛権との「切れ目」と言えます。この「切れ目」は安保法制制定で克服されます。

4 94年の朝鮮半島核危機があり、国内的には周辺事態は朝鮮半島有事を実例として説明されていたことから、この時点では台湾海峡危機は問題にすらなりませんでした。
 然しのちに述べるように、96年第三次台湾海峡危機の経験と教訓が反映されています。我が国の対中政策から公然と台湾海峡危機(中国軍による台湾への武力侵攻の事態)とは言えなかったにすぎないと考えられます。

5 2002年から始まった日米防衛政策見直し協議(いわゆる米軍再編協議)では、日米安保体制のグローバル化(日米同盟化)と、平素から有事に至るシームレス(切れ目のない)に我が国が米軍を支援することを合意するものであり、ここから日米の軍事一体化が大きく進みます。

 日米防衛政策見直し協議において、日米は地域(我が国を含む周辺地域-台湾海峡が含まれる)と、世界における日米の戦略目標を共有し、それを実行するための日米の役割・任務・能力を合意したものです。

 これを実行するための国内法制が安保法制となります。周辺事態法とその後の有事法制では、個別的自衛権の制約を乗り越えることが出来なかったのです。  
 確かに安保法制法案の国会審議では、重要影響事態、存立危機事態について、台湾有事が取り上げられたことは一度もありません。相変わらず朝鮮半島有事が想定された議論でした。しかし現在から振り返れば、安保法制は台湾有事に適用されるものであったことは明らかとなっています。

 後述するように、2022年12月16日三文書閣議決定の後の総理記者会見で、岸田総理は、安保法制が理論的、法制的に枠組みを決め、三文書はそれを実行するものだと発言したからです。

 実は、日米防衛政策見直し協議において、日米の共通の戦略目標を定めた2005年2月19日に2+2で合意された共同発表文の中で、地域における共通の戦略目標に、「台湾海峡を巡る問題の対話を通じた平和的解決を促す」が入っています。

 このとき国防総省が示した案は、中国による台湾侵攻は許さない、との厳しいものであったところ、日本側が難色を示した結果、上記の表現となったとのこと。この表現は、2022年4月16日菅・バイデン首脳会談共同声明において「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。」と、ほぼ同じ表現が踏襲されています。

6 もう一つ、我が国の防衛政策の転換が、民主党政権が策定した22大綱(2010年12月閣議決定)です。22大綱はそれまでの我が国の防衛力構想としての基盤的防衛力構想を排斥し、それに代わり、「動的防衛力構想」を定めました。この動的防衛力構想の核心は、自衛隊の役割として「島しょ部防衛」を挙げ、それまでの北方重視の防衛態勢から南方重視へと転換して、自衛隊の部隊を南方方面へ機動展開するという構想です。

 この時「島しょ部防衛」を尖閣防衛と説明したのです。しかし、2012年頃から防衛省自衛隊が研究していた対中国作戦計画では、尖閣諸島防衛などの些細なことではなく、対中全面戦争を前提にした計画であったことが分かっています。すなわち「島しょ部防衛」とは台湾有事から波及するとされる南西諸島有事を想定したものでした。

 しかし、南西諸島有事で中国との全面戦争をするという計画では、当時国民世論は到底受け入れないかったでしょう。そのため国民にわかりやすい尖閣諸島防衛を表看板にして、本当の姿は隠されたのです。

7 2022年12月16日三文書閣議決定後の総理大臣記者会見で、岸田総理は「安倍政権において成立した平和安全法制によって、いかなる事態においても切れ目なく対応できる体制が既に法律的、あるいは理論的に整っていますが、今回、新たな3文書を取りまとめることで、実践面からも安全保障体制を強化することとなります。」と述べ、それに続き「正にこの3文書とそれに基づく安全保障政策は、戦後の安全保障政策を大きく転換するものであります。」と述べています。

8 以上台湾を巡る我が国の防衛政策を振り返ってみました。今回の三文書が述べる我が国の防衛政策の大きな転換とは、これまで日中関係というわが国にとって歴史的にも、また経済、政治の面でも最も重要な二国間関係の一つで、72年の国交正常化以来友好関係を築いてきたことから、台湾有事が我が国の軍事戦略の陰に隠されていたことから大きく転換し、台湾有事に日米が共同で軍事介入、台湾軍事支援を行う態勢が中心となったことを意味していることがはっきり分かります。

 96年第三次台湾海峡危機の際に、日本政府(当時橋本内閣)は米国の要請を受けて、秘かに米軍支援のため、敵情報の提供や水上戦闘艦への給油支援、負傷米兵の後送を支援することを検討し、偶発的な事態(中国軍の弾道ミサイルが台北へ落下するなど)から本格的な中台武力紛争へ発展することを想定して、わが国独自に自衛隊の対中軍事行動(年度防衛計画)の発動を研究し、沖縄那覇空自基地へF15戦闘機の増派や、護衛艦の派遣を検討しましたが、それらはいずれも幸いなことに「頭の体操」に終わっています。

 安保三文書で実行しようとしている防衛政策の転換は、台湾有事=日本有事として、南西諸島防衛態勢を急速に強化し、台湾防衛のため米軍と自衛隊とが一体となって戦う反撃能力を含めた日米対中国共同作戦計画を作るものです。これはもはや「頭の体操」などではありません。実際に長期間の激しい(高烈度と言いますが)戦闘、おそらく双方が多数のミサイルを打ち合うミサイル戦争が想定されています。

 その結果多数の自衛隊員が死傷することも想定しています。それに備えるため自衛隊が独自に血液製剤を確保することや、自衛隊那覇病院を建て替え、一部を地下化すること、戦場での戦傷医療の強化と戦傷者を後方の野戦病院への後送体制の構築まで述べています(防衛力整備計画)。

 これは南西諸島のみならず、我が国全土の米軍基地、自衛隊基地が攻撃されることも想定せざるを得ないものであり、憲法9条の下で私たちが戦争の犠牲となりかねない事態となることは確実です。むろん中国市民も日米共同軍事行動、反撃能力行使により犠牲となります。

 しかし安保三文書は戦争被害を受ける国民の保護についてはほとんど述べていませんし、ましてや、国民がこれによりどのような被害を受けることになるのか全く触れてもいません。日米の反撃能力により抑止力を高めるので、安心だと言わんばかりです。こういうのを本当の「平和ボケ」なのでしょう。

 安保三文書が実行しようとしているわが国の防衛政策の転換は、日中双方の市民にとって最大の不幸を招くものであり、憲法9条のもとではあってはならない事態です。今安保三文書を実行することへの反撃が始まっています。私たちはこれを決して実行させてはならないでしょう。

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