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真実に向かう勇気の物語
ジェイムズ・W・ダグラス『ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか』を読む

寄稿:米田綱路

2015年2月16日

いまから半世紀以上前の一九六三年一一月、米国のジョン・F・ケネディ大統領は白昼に衆人環視のなかで暗殺された。キューバのミサイル危機で米ソ冷戦が核戦争へと一触即発の危機に陥った、翌年の事件だった。遊説先のテキサス州ダラスで無蓋のリムジンに乗車中、前方から頭部を狙撃されたのである。国民的人気の高かったケネディだが、冷戦的思考に凝り固まったパワーエリートやビジネスリーダーのなかで、当時まさに四面楚歌の状況にあった。それを象徴するかのように、大統領の身辺を警護するはずのシークレット・サービスは、凶行が起きたときにはケネディの傍を離れていた。

ケネディ暗殺についてはこれまで数多くの検証や言及がなされ、諸説紛々で謀殺説も根強い。関連書も相次いで出されており、いまだに読者の関心は衰えていない。なかでも邦訳で七〇〇ページを超える本書『ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか』は、二〇〇八年に刊行されたもので、著者のジェイムズ・W・ダグラスは一九三六年生まれの平和運動家・カトリック神学者である。ダグラスは傍証も豊富なCIA陰謀説に則りつつ、ファクト・ファインディグを重ね、CIAが放ったエージェントによってケネディが暗殺されたとして、ケネディと彼をとりまく状況をみごとに再現してみせる。

本書のサブタイトルには「語り得ないものとの闘い」とある。語り得ないものとは、いわば反共主義と国家安全保障の全体主義の魔物であり、正義や自由や平和を掲げながら、逆にそれらを戦争の資源にしていくイデオロギーである。仮想敵や陰謀を作り上げることで権益を拡大するCIAやペンタゴン、敵の存在によって利潤を上げる軍産複合体、それらの利益代表である政治家や官僚機構などが組み合わさって、人間をますます好戦的にし、際限なく戦争へと駆り立てていく民主主義体制内の不文律がここにある。ケネディはそれが人類の破滅に至ることに気づき、この語り得ないものに挑んで希望を語ろうとした。それゆえに凶弾に倒れたのだ。

ダグラスのいう謀殺の動機は簡単にいえばこうだ。CIAによるキューバ侵攻作戦(ピッグス湾事件)で、カストロ政権打倒をめざして反革命ゲリラ兵士が上陸したが、ケネディは後方支援を認めず、兵士たちは孤立して制圧され、計画は大失敗に終わった。それをきっかけにCIAはケネディと対立するようになり、ついには謀殺に至ったのだという。

だが本書は、ケネディ暗殺事件を扱った従来の類書とは大きく趣を異にする。事件をめぐる謎解きの次元を超えて、当時の大きな歴史的文脈を背景に描きながら、ケネディが冷戦を終結させ、世界平和へと向かおうとした真実を明らかにする。そうして二一世紀を生きる私たちに、希望のありかを触発するのである。その意味で本書は、ノンフィクションであり歴史書である以上に、ケネディの死を今日の生へと反転させる、危機の神学的弁証法に貫かれた書でもあるのだ。ここにあるのは、核時代の最終戦争の恐怖をくぐった人間の勇気と、謀殺を越えてなお生き続ける終末論的な希望の原理といってよい。

ただし、ケネディは最初から冷戦的思考と無縁な平和主義者だったわけではない。ほかならぬ米ソ対立の最前線に立つ冷戦の最高司令官だった。そのケネディがキューバ危機に直面して、全面的核戦争の未来予想図をまざまざと見せつけられることで「転向」(著者の言葉)し、語り得ないものとの闘いに踏み出すことになったのである。ケネディとソ連のニキータ・フルシチョフは、それぞれ東西両陣営の指導者として、人類を核戦争の瀬戸際まで追い込む政策に深く手を染めた。だが、それによって「虚無」に遭遇し、お互いに助けを求めるように歩み寄る可能性が開けたのだと著者はいう。つまり二人は、ぞっとするような虚無の深淵を覗きこんだことで、語り得ないものの正体とその無意味さをまのあたりにした。ともに人類を破滅させるほど巨大な権力の階梯を上り詰めながら、核戦争を回避するために、周囲のパワーエリートではなく、最大の敵であるはずの相手方の国家指導者に頼り、人類の生存へと希望をつなぐほかないことに気づいたのである。

ケネディは軍縮路線にシフトし、それによって米軍やCIAのトップに敵視され、軍産複合体から激しい抵抗にあった。同じ構図は体制を異にするソ連でも起きていた。フルシチョフは巨額の軍事負担を削減し、停滞した社会経済構造を改革しようとして党と軍産複合体の巻き返しにあった。キューバ危機の渦中にフルシチョフは、グロムイコ外相に「ケネディを助けたいと思っていると彼に伝えなければならない」「我々には共通の大義がある。我々を戦争へと追いやろうとする連中から世界を救おうという共通の大義が」と語ったという。ケネディはそれを受けるように、ソ連と核実験禁止条約を締結し、キューバのカストロとも接触をはかり、反対するCIAや軍関係者を遠ざけて冷戦の終結と平和を志向したのである。

ケネディの意志にもっとも危惧を抱いたのは当のCIAや軍関係者だった。反共主義と国家安全保障の聖域を乱す大統領を許してはおけない。敵と交渉しようとする者は大統領であろうとも国家反逆者であり正真正銘の敵である。そうした冷戦の思考回路の帰結が、ケネディの抹殺だったのだ。それに最も衝撃を受けたフルシチョフは、翌六四年に失脚することになる。

「ケネディ大統領が勇敢にも世界戦争から平和の戦略に転じたことが、彼が暗殺された理由」だと著者はいう。そして同時に、独裁や全体主義ではない民主主義の体制下でそうした国家的暗殺がまかりとおるなどにわかに信じがたいと、国民のほとんどが思い込まされ、真実から遠ざけられてきたのだという。

ケネディ暗殺の本質とは何か、それが今日にもたらす意味とは何か。ひとつはケネディと同じように、私たちが国家の掲げる正義や自由の内実を見きわめ、決然と平和を志向し行動したときには、国家が私たちを敵とみなす可能性があるということだ。「積極的平和主義」を表看板に国家安全保障体制の強化を急ぎ、秘密保護法によって国民を真実から遠ざけ、憲法改正へと向かう日本の現政権を見れば、ケネディの物語はほかならぬ私たちの物語である、と著者がいう意味はいっそう切実に響いてくる。ケネディはなぜ死んだのか、という問いに対する答えは、私たち自身の「真実に向かう勇気の物語」(著者の言葉)に含まれているのである。

ケネディの死と真実を二一世紀の人類の希望へとつなげることができるか。本書は私たちに新たな問いを投げかける。

ケネディ

              ジョン・F・ケネディはなぜ死んだのか 語り得ないものとの闘い

              ジェイムズ・W・ダグラス(著)、寺地五一(翻訳)、寺地正子(翻訳)

                           同時代社

 

米田綱路(よねだ・こうじ)1969年生まれ。図書新聞スタッフライター。著書に『モスクワの孤独――「雪どけ」からプーチン時代のインテリゲンツィア』『脱ニッポン記――反照する精神のトポス 上・下』ほか。

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