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「緊急学習会 戦争法に備えよ」で見えてきた安倍戦争法案の危険な中味

寄稿:海渡雄一

2015年3月11日

1 戦争法案が国会に提出されようとしている!

昨年7月、集団的自衛権の行使を認める閣議決定がなされた。集団的自衛権の行使とは、自分の国が攻められてないにもかかわらず、他国で(例えば中東で)、他国防衛(アメリカやアメリカの同盟国の防衛)を理由に戦争をすることである。まさに人のけんかを買って出て、みずから人を殺し、殺されることが起きるだろう。この閣議決定を現実化するために安全保障法制に関する法案が準備されている。連日、新聞は自民党と公明党の間で行われているこの安全保障法制に関する報道を繰り返している。今年の統一地方選後には、集団的自衛権の行使に関する個別法が18本も出てくるという。これらの法案の本質は戦争法案と呼ぶべきものだ。

2015年3月7日、社会文化法律センターと戦争をさせない1000人委員会の主催で、「緊急学習会 戦争法に備えよ」が行われ、連合会館大会議室に240人が集まり、活発な報告と討論が行われた。

私は、パネルディスカッション(青井未帆学習院大教授、福田護日弁連憲法問題本部委員、藤本泰成平和フォーラム事務局長)の司会を務めさせていただいた。以下では、当日の青井未帆学習院大教授の基調報告と福田護日弁連憲法問題本部委員の報告を中心に、これから提案されてくる安全保障法制=戦争法案の内容とその憲法上の問題点について述べていきたい。なお、本稿は当日の報告内容をもとに、筆者の責任でまとめたものであるが、拙稿について畏れ多くも青井先生に添削していただいた。ここに当日の報告と併せて、青井先生に深く感謝する次第である。

2 有事と平時の二系列の立法が準備されている

青井先生の分類によると、今回出されてくる法案は、我が国の防衛に直接関連する有事のものと国際貢献などに関する平時のものに区別できるという。

まず、問題となることはこれらの法案の正確な中味がまだ分からないと言うことだ。新聞などに観測記事が掲載されているが、条文内容が分からず、日弁連なども意見書を作ることすら難しい状況である。

秘密保護法案もなかなか国会に提出されず、提出されたと思ったら、極めて短い時間の議論で、強行採決し、閉会となってしまった。安倍政権はまた統一地方選挙後に法案を国会に出し、一気に可決してしまおうとしていると見なければならない。このようなやり方は民主主義のルールを守っていない。本当におかしい。しかし、私たちも、このような事態を前提に考え、準備しておかなければならない。

まず、憲法9条の下での武力の行使は「できない」ことが原則である。このことが、日本の安全保障法制の「普通でない」ところであり、その例外が二つの系統の法体系を生み出してきた。軍隊が何でもできるアメリカのようなところでは、できないことのリストをつくる。日本ではできることのリストを作ってきた。この分類も、揺らいでいる。また、青井先生によれば、米軍の武器等も防護する体制にしようとしていることにも窺われるように、日本の安全保障法制がドイツ型から、アメリカ型に変更されつつあるのではないかとの指摘もなされた。

3 存立事態の法への取り込み

武力攻撃事態対処法(2003)、自衛隊法(防衛出動に関連した規定)、その他の事態対処法制、国民保護法(2004)、特定公共施設利用法(2004)、米軍行動関連措置法(2004)、海上輸送規制法(2004)、捕虜取扱い法(2004)、国際人道法違反処罰法(2004)などの我が国の防衛に直接関連する法制が変えられようとしている。

第1に、有事の「自衛の措置」をさだめるもので、これまでは防衛出動(我が国に対して武力攻撃が発生した事態に防衛のために武力行使ができる)に限定されていたが、これに対して、「存立事態」という新たな事態を考え、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容される。」という閣議決定を自衛隊法第76条(防衛出動)や武力攻撃事態対処法の規定を改正して導入することが計画されている。

「武力攻撃事態」=「武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」

「武力攻撃予測事態」=「武力攻撃には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」

とされてきたが、予測事態は、平時の周辺事態とのリンク・重なり合う部分があることが予定されている。

しかし、青井教授は、「存立事態」などという概念は法律学的なタームではなく、このような概念に基づいて国家の暴力の行使を効果的に制約することはできないとする。この点の指摘は、極めて重要である。

4 武力攻撃に至らない侵害への対処(グレーゾーン対処)

離島周辺などでの不法行為に対応するため、自衛隊による治安出動や海上警備行動の発令手続の迅速化を図るための方策が具体的に検討されている。

離島周辺などでの不法行為への対応について、政府は、自衛隊による治安出動や海上警備行動の発令手続を迅速化するための運用改善を検討するとし、現時点では法整備は必要ないとしている。他方、領域(領海)警備法を新たに制定すべきとの主張もある。

ガイドライン中間報告でも、「アセット(装備品等)の防護」が述べられていた。

自衛隊法95条(武器等防護)の武器使用の考え方を参考としつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する行動を行っている米軍部隊の武器等を防護するために、自衛隊が武器使用することが可能になるように法整備を行うことが予定されている。現場の判断で、国会承認なしで武器使用ができるようにされる可能性がある。「unit self-defense」というアメリカ流の考え方を背景においている。

15年戦争の歴史を振り返るときに、1937年7月7日の蘆溝橋事件の教訓をかみしめる必要がある。蘆溝橋事件の発端となった運命の銃声が誰が放ったものかは、いまだに不明のままだ。しかし、7月9日には日中間に停戦協定が成立する。にもかかわらず、この銃声が本格的な日中戦争に発展したのは、現場の牟田口連隊長が「敵は協定を守るはずがない」として、河辺旅団長の了承も得ることなく、独断で抗戦命令を出し、兵を進めたためである(半藤一利『昭和史』平凡社文庫 189頁)。

現場判断に委ねると言うことが、どのような悲惨な事態を招くか、この一事を持ってしても明らかである。

5 国際社会の平和と安定への一層の貢献=米軍戦争支援恒久法?

平時の活動としては、武力行使とは「一体化」しない活動として許容されるとされてきた。

周辺事態法、PKO法、PKO法以外の人道復興支援活動などが「周辺事態」の範囲と支援対象(米国以外の朝鮮半島国連軍等への支援はできない)についての制約を撤廃していく方向が目指されている。

国連PKO等における「駆け付け警護」に伴う武器使用及び「任務遂行のための武器使用」については、現行のPKO協力法の改正等が行われる可能性がある。また、邦人救出などの警察的な活動については、自衛隊法第84条の3(在外邦人等の輸送)、第94条の5(在外邦人等輸送の際の権限[武器使用等])、第95条(武器等防護)の規定などが改正の対象となる可能性がある。

これまで、米軍の国際的な展開にあわせて、その支援のための法制度が時限法として作られてきた。旧テロ対策特措法(2001-2007)、旧補給支援特措法(2008-2010)、旧イラク人道復興支援特措法(2003-2009)などがそれである。

非戦闘地域での後方支援であるからという理由で、日本が攻撃対象とされていないにもかかわらず、自衛隊に一定の活動を認めてきたのである。

これを、武力紛争が起きたときに、それに対応して法律を作るのではなく、恒久法を作って対応することを自民党は提案している。

また、これまで、後方地域支援、後方地域捜索救助活動(周辺事態法)、協力支援活動(テロ特措法)、安全確保支援活動(イラク特措法)、行動関連措置(米軍行動関連措置法)など、戦闘地域と後方地域と分けられてきたものが、「現に戦闘行為を行っている現場ではない場所」での支援活動を丸ごと認めるような法律が準備されている。

そして、「周辺事態」をたとえば、「そのまま放置すれば、我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)などと改正し、周辺地域という地理的な限定を外してしまうことがもくろまれているのである。

6 軍事力に対する「論理による統制」の揺らぎ

これまで、国家の暴力である軍事力の統制のためには二つの方法が考えられてきた。

ひとつは、「論理による統制」である。自衛隊は軍隊ではないと規定され、軍隊としての正統性を剥奪されてきた。自衛隊は、「自衛のための必要最小限の実力の保持」であって、「軍隊」ではないとされてきた。このこと自体が、7月1日閣議決定で集団的自衛権の行使を認め、自衛隊に米軍と共同で行動する権限を認めることによって、あきらかに揺らぎが見られる。

このように、「論理による統制」は揺らいでいるが、大枠が動かされていないことに留意する必要がある。安倍政権は、この揺らぎを利用して、憲法改正によって大枠を外すタイミングを見計らっているのではないか。

そして、「我が国の存立」「安全保障環境の変化」「積極的平和主義」といったはっきりした意味内容を持たない、法概念として未成熟な概念を安全保障法制に取り込むことによって、自衛隊の行動に対する法による制約は著しく困難になるのではないか。

7 日本型文民統制のゆらぎ

もうひとつの統制は文民統制の仕組みによる統制であった。

憲法66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定し、これを基本に防衛省設置法で背広組の制服組に対する優越が、いわゆる文民統制(シビリアン・コントロール)と呼ばれる原則として規定されてきた。

ところが、制服組が防衛省の幹部となることもあり得るように、防衛省設置法を改正する方向が突如浮上した。自民党内の制服組出身の政治家の強い主張とされる。戦前の軍部の独走によって無謀な戦争が食い止められなかった反省から作られてきた日本型文民統制が憲法の改正もなしに、変えられようとしている。

省設置法・NSC法を「防衛省改革」によって、「戦後日本的な統制」といえる内局優位から転換し、制服組と背広組の統合運用体制(UC混合)が進展しようとしている。

最近、中谷防衛・安全保障法制担当相は、いわゆる文官統制規定が戦前の軍部が独走した反省から作られたと考えるかという質問に答えて「そういうふうに私は思いません。」と答えている。過去に目を瞑りながら文民統制の原則を改変しようとしているのではないか。

8 戦争を引き起こさないための市民の義務

安倍首相自身が戦後の歴史を総括し、日本を戦争のできる国家にしようとしていることは明らかである。安倍首相の述べる「積極的平和主義」とは、戦争こそ平和の手段であるという、克服しなければならない過去の考え方である。

安倍首相には、実際の戦争で、命を喪う民衆の悲惨な姿が見えているのか、大変疑問に思う。なぜ、安倍首相は邦人が人質になっている地域に行き、そこでイスラエルの旗の隣で、「イスラム国」と闘う勢力を支援するなどと発言したのか。憎悪と報復の連鎖の中に日本も入れば、日本の中でテロが起きることさえあり得る。

威勢の良い言葉が泥沼の戦争を招いた。1938年1月16日近衛文麿首相はトラウトマン工作に基づいた和平案提示に対し、蒋介石総統の国民政府が応じないことを理由として、交渉打ち切りの声明を発表した。近衛はこの声明の中で「蒋介石国民政府を対手とせず」と表明した。この不用意な言葉が、日中戦争の終わりのない泥沼化を招いた。安倍首相の不用意な言動にはこれと同じような深刻な危惧を感ずる。

我々には戦争政策にノーと言い続けることは勇気が必要だ。しかし、戦前と異なり、現代は表現の自由が保障されているはずである。萎縮し、自主規制しない限り、私たちは、自らの意見を述べただけでは、罰せられることはない。戦前の言論統制下とは根本的に異なるのはこの点だ。

戦争で命を喪うのはいつも若者であり、一般市民である。我々が、勇気を奮って発言を続けることこそが、平和を作る力となる。そして世界中に友人を持ち、国境を越えて、平和を求める声を響かせ合うことが今こそ必要だ。

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