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書評「サリン それぞれの証」 木村晋介著(本の雑誌社 2015年3月刊)

寄稿:梓澤和幸(弁護士、NPJ代表)

2015年3月18日

いまも被害者の支援を継続する弁護士が書いた。

松本サリン事件(1994年6月27日発生)から間もない同年7月9日、15日に山梨県上九一色村(当時)で異様な毒ガス事件がおこった。同年11月警察庁科学警察研究所により同村からサリン副生成物が確認された。しかし地下鉄サリン事件後までオウム真理教団施設に強制捜査は入らなかった。なぜなのか。

そのチャンスは確かにあった。長野県警と神奈川県警によりサリン生成に必要な材料の購入ルートの捜査がなされていた。それは教団が本拠をおく上九一色村に到達した。その結果は警察庁に報告された。

しかし捜査の手は教団に伸びなかった。1995年1月1日の読売新聞は上九一色村にサリン副生成物発見のスクープを放つ。耳目がにわかに教団にむかったが、阪神淡路大震災がおこり、目が被災地に転ずるうちに地下鉄サリン事件が起こってしまったと一般的にはまとめられる。

しかし評者は災害が捜査のゆく手を阻んだという見方にはくみしない。松本サリンはやっぱり河野だよ、という思い込みが目を曇らせたのではないか。本書もその結論をとる。「悔やんでも悔やみきれない」(本書205ページ)という言葉で。これはサリン事件被害者と家族の言葉になり替わった言であろう。管見では警察白書でもマスメディアの検証記事にもこの感情と総括を明示的に指摘した文章を見ない。

評者は拙著「報道被害」(岩波新書)執筆の過程で、冤罪捜査の対象となった河野義行さんの弁護を担当した永田恒治弁護士に確認した。1994年内、いや年あけて地下鉄サリン事件発生後も警察の河野さん追及の手は緩んでいない。

坂本堤弁護士と家族の事件もそうだ。一家が姿を消したアパートでは警察の実況見分は本格的にやられたのか。信徒のつけるバッジと血痕20数箇所指紋10数個は見落とされた(本書13ページ)。「堤たちのことがきちんと捜査されていたら松本サリンも地下鉄サリンも防げたのでは。」という坂本堤弁護士の母さちよさんの無念の言葉。孫や息子と同じ世代の人をみると寂しさがあふれるという、さちよさんの現在(本書191ページ)が読む者の胸をうつ。

本書では、被害者への聞き書きも柱をなす。聞き手は事件という歴史上の点に起った被害に焦点をおいていない。いまも日々が続く被害者の人生を描く。

かくしてサリンは、今を生きる私たちの課題として再登場する。

読むべき人に読んでほしい本だ。捜査関係者、ジャーナリスト、弱き者に共感して生きるという坂本弁護士と同じ志をもつ若い法律家やそれを志す人たちに。

サリン-木村晋介写真

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