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「戦争権限法案」を許すな

寄稿:飯室勝彦

2015年5月16日

「平和安全法制」というまやかしの呼称にごまかされてはならない。「戦争権限法案」という実態を見抜いて葬り去るのは日本国憲法の下で暮らす人々の義務だ。

集団的自衛権行使を可能にした憲法解釈転回の閣議決定に続き、重要影響事態法案、米軍行動円滑化法案、武力攻撃事態法改正案など平和憲法の根幹を脅かす法案の数々が正式に国会に提出された。一部では内閣総理大臣・安倍晋三の夢想に過ぎないと思われていた「戦後レジームからの脱却」が、これで現実味を帯びてきた。

「われらとわれらの子孫のために……政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意した」(日本国憲法前文)先人の知恵と努力が踏みにじられようとしている。

国会提出された諸法案と日米防衛協力ガイドラインの改定は「憲法と日米安全保障条約を超えて」と厳しく批判されているが、安倍は「祖父も大叔父も超えた」とご満悦なのではないか。

祖父とは言うまでもなく安倍が尊敬する岸信介。A級戦犯として捕われたが、東西冷戦の開幕や、米国の対日政策変更で裁判を免れて政界へ復帰し、後に総理大臣となった国粋主義者だ。1960年の安保条約改定をめぐる大混乱では安保反対のデモ隊を自衛隊で蹴散らそうとさえした。大叔父の佐藤栄作は岸の実弟で、二代後の総理として沖縄の日本復帰を実現した。

どちらも強引な政治手法や外交上の秘密主義が批判の的になったが、安倍とは違い、憲法や日米安保を恣意的に解釈しない「知性」は備えていた。

旧安保条約では、日本に米軍への基地提供義務を課しながら米軍には日本防衛義務を課していなかったが、改定安保では米軍が日本防衛義務を負うことになった。岸はこの転換を自分の功績と強調するだけで、日米軍事同盟の恒久化や日本国内に多数の米軍基地が残ったことには何ら反省を示さなかった。

他方で岸は相互防衛条約にできなかったことをしきりに悔いた。そしてそれは憲法上の制約があったからだと認めていた。たとえば原彬久編『岸信介証言録』(2003年、毎日新聞社刊)のなかでこう語っている。

「もし憲法の制約がなければ、完全に双務的な条約になっただろうと思うんです。日本が侵略された場合にはアメリカが、そしてアメリカが侵略された場合には日本がそれを助けるという、いわば日米一体の完全な双務条約になったでしょう。しかし、いまの憲法はそれを許さないからね。」「日本の憲法によれば、日本はアメリカの日本防衛に相応する義務をアメリカに負えないわけだからね。」

傀儡国家・満州国で活躍、日米開戦の詔書に閣僚として署名するなど、侵略戦争で重要な役割を果たしたことの清算をすませないまま政治の舞台に復帰し、戦前回帰願望の強かった岸でさえ、新しい日本の憲法は集団的自衛権行使を認めていないと考えていたのである。安倍にとっては、祖父ができなかったジャンプを無理にでもしてみせることが祖父に対する尊敬の証のつもりだろうか。

佐藤は「沖縄が返らない限り日本の戦後は終わらない」と言い続けた。1972年にやっと返ったが米軍基地の重圧に依然として苦しむ沖縄の戦後はまだ終わっていない。核再持ち込み、軍用地復元補償費の日本側負担など密約疑惑も浮上している。

最近になって佐藤の秘書官だった楠田実が残した大量の秘密文書も明らかになり、佐藤が「有事には米軍は日本本土の基地も使えばいい」「米軍の戦争に日本が巻き込まれても仕方ない」と明言していたことがわかった。軍事面での日米一体化はそのころから自民党政権内部の既定方針だったのだ。

しかし、その佐藤でさえ、想定していたのは朝鮮半島など極東の有事である。安倍のように世界のどこででも米軍を自衛隊が支援するなどという事態ではない。この点では安倍は大叔父も超えた。

国会に提出された法案では、「我が国と密接な他国に対する武力攻撃が発生し」「我が国の存立が脅かされ」「国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」などレトリックを駆使して武力行使を正当化しているが、要するに政府に戦争参加権限を与える法案である。

敵の味方は敵、たとえ米軍の後方支援でも米軍と戦う相手にとって自衛隊は「敵としての参戦」になる。

政権が真っ先に例示するのは、ペルシャ湾ホルムズ海峡におけるタンカーの安全確保だが、武力行使を経済権益確保と結びつける考え方は、第二次世界大戦における日本と日本軍の振る舞いを想起させる。

ここに至って大きな疑念を抱かせるのは副総理の麻生太郎が漏らした「ナチスのようなやり方もある」という言葉である。ナチスは革命でもクーデタでもなく、安倍と同じく選挙に勝つことで圧倒的な力を得た。その力を利用して当時としては進歩的な憲法を否定し暴虐の限りを尽くしたのである。

麻生発言は単純な独白ではなく、日本国憲法に対する宣戦布告だったのではないか。

ナチス流の再現を絶対許さない――それは平和憲法に守られて生きた者の責任である。

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