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軍靴の響きが聞こえてくる

寄稿:飯室勝彦

2015年6月27日

これが日本国憲法のもとで「国民の代表」「選良」と言われる人たちなのか。驚き、あきれ、そして戦慄した。百年も前の古いニュース映画を見ているかのような錯覚にとらわれた。

6月25日、内閣総理大臣、安倍晋三に近い自民党若手議員の勉強会で、出席者が「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番、経団連に働きかけて欲しい。」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい。」などと発言していた。

強引な解釈改憲を基盤とする違憲の新安保法制案に、マスコミの多くが批判的なことに苛立ってのことである。

講師として招かれた作家、百田尚樹は反戦平和を特に重視して安倍政権に厳しい沖縄タイムズ、琉球新報を念頭に「沖縄の二つの新聞は潰さなければいけない。」とまで述べたという。百田はさらに「米兵のレイプ犯罪より沖縄人のそれの方が多い。」「普天間基地の周りは田んぼだったのに、商売になるからと人が住み出した。」など虚偽の事実をあげ沖縄県民を侮辱した。

権力を監視、チェック、批判し、国民に考え、選択する材料を提供する。これはマスメディアに課された基本的責務である。「民主主義」だの、「表現・報道の自由」だのを持ち出すまでもない。

これに対して反論でも批判でもなく「懲らしめる」とは時代錯誤もはなはだしい。すぐに思い出すのはジャーナリストの大先輩、桐生悠々だ。

信濃毎日新聞の主筆だった桐生は、1933年8月11日に関東一帯で行われた防空演習を批判して社説「関東防空大演習を嗤ふ」を書く。木造家屋が多い東京は空襲されれば焦土化すること、灯火管制の無意味なことを指摘して敵の航空機を迎え撃つという軍の方針を誤りだと指摘した。

この論説が軍の怒りを買い、在郷軍人組織などが信濃毎日の不買運動を展開した。同社はこれに抗しきれず桐生は退社を余儀なくされた。軍が発言力を強め、あの長い戦争に突入、継続し、悲劇の結末を迎えた日本の歴史を振り返ると、信濃毎日への圧力は一つのターニングポイントだった。

安倍は国会で「発言が事実とすれば遺憾。」「報道の自由は民主主義の根幹。当然尊重すべきものだ。」と述べたが本音だろうか。彼の政権とそれを支える自民党の内部には、異論を押さえ込み自説の正しさだけを声高に主張する空気がある。

テレビ各局に文書で報道内容に関する要求を突きつけたり、テレビ局幹部を呼びつけて事情聴取したりしている。問題の会合と同じ日に予定された、法案に疑義を抱くリベラル系の勉強会は党幹部の圧力で延期された。古くは安倍本人が従軍慰安婦問題でNHKの番組編集過程に介入したこともある。

報道機関を恫喝し、言論を統制して政権批判を封じようとするのは、安倍政権を担い、支える人たちの体質だろう。“安倍親衛隊”の暴走と片付けるわけにはいかない。

あの戦争の時代も、突っ走る軍や政権指導者の後ろには、迎合し、はやし立て、あるいは扇動する政治家や民衆がいた。現情勢を冷静に分析すれば、軍靴の響きが近づきつつあるように聞こえる。これは杞憂だろうか。

それにしても勉強会と称する会合に参加した若手議員たちの低級さ、知的レベルの低さにはあきれる。言論弾圧の提案に反対する声はなく、百田の暴言をいさめるどころか喝采まで送ったという。民主主義のイロハのイさえ理解できていないのである。

こんな人間に、国民の生死、日本と世界の将来にかかわる重大な法案の可否決定が託されているのだから背筋の凍る思いがする。

いったい彼らは百田を招いて何を学ぼうとしたのか。百田は、暴言、虚言、極端に偏った主張などでこれまでもしばしば議論を巻き起こしてきた。酔客が集まる放談会とは違い、いやしくも国政担当者が党本部で開く勉強会には、それにもっとふさわしい講師とテーマがあったはずだ。

安易な講師選定からは、集まった議員たちにはまじめに勉強する意思などなかったことが推定できる。「勉強会」とは名ばかり、権力の親衛隊が気勢をあげ、異論の主を牽制することが真の目的だったと受け止められても仕方あるまい。

なによりも国会議員がいまなすことは、憲法と安全保障について、沖縄の米軍基地の問題、とくに普天間飛行場の辺野古移設について、与えられたテキストを鵜呑みするのではなく、主体的に調査研究することのはずだ。戦後最大の転回点に立つ緊張感をもち、自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の言葉で語ることだ。

国民は彼らに高い歳費や諸費用を与えて「酒場の放談」を期待しているのではない。

さらに言えば、かつての軍の暴走も民衆の容認、後押しがあったからこそ可能だった。

その意味では、自らが拠って立つ民主主義の足下を掘り崩すような人たちを国会に送り込んだ有権者の責任も無視できない。

選挙に臨む候補者個々人の姿勢や当選後の政治活動、有権者の意識・投票判断、選挙制度など政治総体を検証し、国会が真にふさわしい人物で構成されるようにしたい。

かつてメディア弾圧により国民は目と耳をふさがれ、長く苦しい戦争に引きずり込まれていった。今回も攻撃の矢はメディアに向けられたが、マスコミが沈黙させられることで被害を受けるのは広範な国民である。決して他人事、「マスコミの問題」ではない。

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