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“松明”を引き継ぐ責任

寄稿:飯室勝彦

2015年9月18日

2014年3月、台湾の立法院(議会)が学生たちに占拠された。大陸中国との間で市場開放を定めた「中台サービス貿易協定」に反対する行動だ。学生たちは秩序を守りながら反対を訴え続けたが、占拠が長引き、紆余曲折を経て撤退やむなしの空気が濃くなった。そのとき一人の学生が壇上に立って「幹部だけで決めるのは納得できない」と叫んだ。

それを聞いたリーダーはまる一日かけて学生たちの意見を個別に聞いて回った。結論は撤退となったが、異議を唱えた学生は「個人的には受け入れがたいが僕の意見を聞いてくれたことを感謝したい。ありがとう」とリーダーに従った。

作家の高橋源一郎はこのエピソードから「民主主義の神髄」をつかみ取った。彼は学生たちから「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が『それでも、ありがとう』といえるシステムだ」と学んだのである(「ぼくらの民主主義なんだぜ」朝日新聞出版)。これまで抱いていた「民主主義とは、結局のところ『多数派』が全て決定し、『少数派』は従うしかないのだろうか」という疑念は氷解したという。

内閣総理大臣、安倍晋三とその取り巻きは台湾の学生リーダーと対極だ。自分と異なる意見には耳を貸そうとせず安全保障関連法案を参議院でも強引に可決、成立させた。

世論調査で、憲法第9条の解釈変更、安全保障関連法案に対する反対、疑問の声が多数を占め、政権支持率を不支持率が上回っても、安倍も自民党副総裁の高村正彦も「国民の理解を得られなくても法案は成立させなければならない」と開き直った。

自らの意思を憲法より上位におく安倍政治は明らかに立憲主義に反するが、立憲政治を求める「民意」は無視されたのである。 民意蔑視の彼らには「知」に対する敬意のかけらもない。圧倒的多数の憲法研究者が法案の違憲性を指摘しても「憲法判断は最終的には最高裁が決める」と言い逃れ、それではと元最高裁長官が違憲と述べても防衛大臣の中谷元も安倍も「現役を引退した一私人の発言」としてまともに受け止めなかった。

一口に「安全保障環境」と言っても国際社会ではさまざまな問題が複雑に絡み合っている。あたかも難解な連立方程式のようなものだが、それを解きほぐす知力のない安倍政権は、「敵か味方か」といった単純な二項対立式の課題設定で国民の不安を煽る。

多くの国民やジャーナリズムがその欺瞞性を見破り、報道、街頭行動などを通じて安保法案の撤回を主張しても馬耳東風だ。  いまや政権は国民の間では少数派だが、国会という限られた世界における「多数」を武器に世論を蹴散らした。その「多数」は解釈改憲や安保法案の具体像を示していない選挙で獲得した、現段階では民意を反映していない“似非多数”であるにも関わらず、国と国民に重大な影響を与える決定に踏み切った。

安倍政権は異論に耳を傾けないばかりか、異論を封じることすらしばしばである。答弁席からのヤジはその一例だが、自民党総裁選におけるライバルの立候補妨害は典型だ。報道によれば、元総務相・野田聖子の推薦人にならないよう、派閥、業界団体などを通じて議員に圧力をかけたという。

総裁選は自民党内にもいろいろな意見があることを知らせる絶好の機会であり、国民にはそれを知る権利がある。候補者はライバルの政策などを知ることで自説を検証し、あるいは鍛えることができる。

ところが派閥のボスたちは、選挙戦が始まる前からまるでごますり競争のように安倍支持を相次いで表明し、野田以外の議員たちからこれに抗する声が出ることもなかった。

野田は立候補して安倍に対する異論を述べる機会さえ奪われ、民主主義とは縁遠い「沈黙の全会一致」となった。この情況は、戦争目的遂行のために国民を統制したかつての日本の翼賛政治や、大臣、ナチス党員たちがヒトラーに対し競うように忠誠を誓ったドイツの過去を思い起こさせないか。

かくして日本は「戦争をする国」に大転換を遂げようとしている。

政治の舞台では世代交代が進み、戦争やファシズムへのリアリティーもなく、空腹を抱えながら戦後民主主義をゼロから築いてきた先人の苦労も知らない人が多くなっている。あの時代のように長い時間をかけなくても、あれよあれよという間にファシズム再現となるのではないか、と懸念される。

それだけに安倍政治との闘いはまだまだ続く。法案成立後も持続性ある闘いを展開しなければならない。ド・ゴール率いる自由フランス軍に参加、強制収容所の経験もあるフランスの元外交官・作家、ステファン・エセルは全世界で450万部以上が売れた「怒れ!憤れ!」(村井章子訳・日経BP)のなかで言っている。  「おぞましい現在の世界も長い歴史の中では一瞬でしかない」「自分の手には負えないというような姿勢でいたら、人間を人間たらしめている大切なものを失う」

「若者たちよ、松明を受け取れ」「パン種が用意されればパンは膨らむのである」

パン種はSEALDs などによって既に用意され、パンは膨らんでいる。これをしぼませてはならない。もっと膨らませるため、さらに広範な人々の参加で平和の松明を守りたい。平和の時代を生きてきた者にはこの松明を次世代に引き継ぐ責任がある。

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