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息苦しい社会と安倍独裁

寄稿:飯室勝彦

2015年10月24日

言論・表現・学問の自由は、それを保障される「場」がなければ画に描いた餅に過ぎない。大学にはさまざまな“知”が集まり散じてゆくハブのような役割が期待される。大学人がそうした自覚と、自由を守り抜く覚悟を持ち続けなければ政治は独裁になりやすい。我々は暗い社会の入り口に立っている。

2015年7月に出された放送大学の単位認定問題を試験後に学内サイトで公開する際、大学当局が「現政権に対する批判が書かれている」として該当部分を削除した。その部分の文章は設問と直接は関係なかったが、大学側は「放送大学は放送法が適用されるから」と削除理由を説明したという。

放送法第4条は放送内容が「政治的に公正であること」「多角的角度から論点を明らかにすること」を求めており、安倍晋三が率いる内閣と与党は、この規定を盾にしばしば放送局を威嚇し牽制する。

しかし、同条は権力側を公正、平等に扱うことを求めるというより少数意見、被統治者などを無視せず公正、平等に扱うことを求める意味合いの方が強い。大学側の措置は「めんどうを恐れて先手を打った」、つまり萎縮による自己規制ではないかと批判されている。

立教大学では、安全保障関連法に反対する学者などの団体がシンポジウム開催のために講堂使用の許可申請をしたところ、10月上旬、不許可になった。報道によると、「学外団体には施設を貸さないのが原則で、学術、芸術など大学が適当と認めた会合に限り許可する」と言う大学側、「政治的意味も持ちうる集会だからとも説明された」と言う主催側、双方の言い分は微妙に食い違うが、政治性を一切排除しようとするルールそのものが萎縮の表れとも言えよう。

とりわけ深刻なのは、放送大学の問題文削除は一学生からの告発のようなメールがきっかけだったことだ。どこに監視の目が光っているか分からず疑心暗鬼になる、息苦しい雰囲気を感じ取った人も少なくはあるまい。

大学は教育、研究の場であるだけでなく、いろいろな知識、理論などが集まり交流し、広がってゆく拠点、いってみれば砂漠のオアシスのような存在である。言論・表現の自由が完全に保障されなければならない。

学術は政治とまったく無縁ではありえない。まして憲法に関する学問自体が優れて政治的でさえあり、政治、政治性こそが研究対象であったりする。

集会の政治的色彩を理由に、自由を守り、保障する役割を放棄するのは、大学として自殺行為ではないだろうか。結果として安倍内閣の反憲法的政治を容認し、暴走を後押ししている、との批判を招いても仕方ないだろう。

既に地方自治体の萎縮が著しく、政権の意を忖度して、市民団体などによる催しの後援、会場使用を拒否する事態が続出している。これも憂慮すべき現象だが、大学は「自由の砦」として一層開かれた存在でありたい。

萎縮現象は安倍が支配する自民党内ではピークに達している。内心では異論があっても、行動に出ることはおろか、ものも言えない。安倍が無投票で決まった、先の自民党総裁選に野田聖子が立候補できなかったのは、立候補に賛同しながら安倍陣営の睨みを恐れて推薦人になることを尻込みする議員が続出したからだった。

新聞を読むと、内閣や党の方針を伝える記事の中に「党内の異論」なるものがしばしば紹介されているが、それらが具体的動きとして浮上することはない。公の場で強く主張されることもほとんどない。

選挙における公認権、巨額な政党交付金を中心とした政治資金、ポスト配分権…全てを安倍とその取り巻きに握られ、議員は安倍官邸の下請けとして働くしかないのが現状だ。

言うべきことも言わず、長いものには巻かれろといった調子で目先の利益だけを追い、保身に走る政治家だらけになった結果、安倍による事実上の独裁政治が始まっている。

野党の非力に乗じて憲法解釈を捻じ曲げ、日本を「戦争ができる国」に変え、憲法第53条を無視して臨時国会の召集要求を拒否するなど、反憲法的体質を隠そうともしない。

派遣労働の事実上の完全自由化、武器輸出の解禁など資本の利潤を最大化する政治を推し進めてもいる。地元の強い反対にもかかわらず、沖縄県名護市の沖合に新しい米軍基地を建設して提供しようとするなど、米軍へのサービスを惜しまない。

独裁ゆえの自然の成り行きだが、自らの意思を貫徹するための指示乱発も目立つ。担当閣僚に任せておけばいいような些事にも口を出し「指示」する。周囲は「どうせ最後は官邸が決める」と様子をうかがっている。安倍に迎合して「首相指示」を演出しているように見える場面さえある。

言論の自由がない民主主義はあり得ない。言論の自由はそれを守り抜く不断の努力が行われない社会には根付かない。

「官邸が決める」のではなく、国民・有権者が決めなければならない。そのために言論・表現の自由をあくまで守り抜き、活発な言論戦を通じて主権者として主体的な選択と決断をしなければならない。

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