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沖縄・・・三つの言葉で考える

寄稿:飯室勝彦

2015年11月2日

沖縄の米軍普天間飛行場に替えて名護市辺野古沖に新しい基地を建設する動きが急ピッチだ。9条の解釈改憲、安保法制定を強引に押し切り、自衛隊と米軍をより緊密化しようと暴走する安倍政権の目には憲法も民主主義も映らない。

安倍晋三率いる政権は2015年10月、辺野古の新基地建設を容認している地元の三つの「区」に対し、県や名護市を通さず振興費を直接交付する事を決めた。他方で、歴代政権が見送ってきた海面埋め立ての本体工事に着手するなど、建設を強権的に本格化した。

振興費の直接交付を受けるのは、「区」といっても自治体ではなく、町内会のような組織である。区長が選挙で選ばれるわけでも議会があるわけでもない。資金の利用など業務の執行が民主的、透明に行われる保障もなく、監視とチェックもおよばないそんな組織に、しかも政府の意に沿う地域だけに、巨額の公金を支出するのは法的に疑義がある。

制度的な問題だけではない。札束で頬をたたいて地域の分断を図り、政府に従わせようとする対応は差別であり、沖縄県民に対する侮辱であろう。

差別は沖縄県内だけでない。多くの県民は沖縄自体が差別されていると感じている。米軍基地が沖縄に集中していることはその象徴だが、新たな差別も加わった。同じ時期、普天間に配備されている米海兵隊の垂直離着陸機オスプレイの佐賀空港への訓練移転を、政府が見送ったことだ。

地元の反発が強いからだが、同じ政府がオスプレイの普天間配備に対する沖縄住民の不安には耳を貸そうともしない。

「政府の対応に大きな違いがある。他の都道府県で普通に行われていることが沖縄では普通に行われない」と翁長雄志知事が怒りを露わにするのは当然だ。

「沖縄差別」はいまも厳然としている。「安倍政権にとって沖縄の人々は本当に同胞なのだろうか」と言いたいところだろう。

新基地建設に関する安倍政権の強硬姿勢を明治初年の「琉球処分」になぞらえる地元メディア関係者もいる。

明治政府は1872年、琉球王国を廃して琉球藩として日本に組み込み、ついで79年に沖縄県とした。士族層を中心とする反対の動きは軍隊と警官隊を派遣して押さえつけた。貿易と巧みな外交で中国などと親交を結び500年続いた平和国家琉球は、無理やり消滅させられたのである。

辺野古で抗議活動を続ける人たちは警官の実力規制を受け、時には逮捕される。基地内では米兵が睨みをきかせ、抗議活動を続ける住民が勢い余って一歩でも立ち入れば外国の兵に拘束される。警視庁からも機動隊の精鋭千数百人が送り込まれる予定だ。

権力を持つ者が力で相手をねじ伏せようとする構図はまさに「新琉球処分」と言える。

県民の中には「沖縄戦」を思い浮かべる人がいるかもしれない。

第二次世界大戦の末期、沖縄は本土防衛の盾とされ、時間稼ぎの持久戦のために少年少女まで動員された。住民は本土の人々が経験しなかった地上戦に巻き込まれ、県民だけでも10万人を超える犠牲者が出た。沖縄戦だ。

この戦いで、日本兵は住民を守ってくれなかった。それどころか、住民は兵たちに食料を奪われ、避難していた壕から追い出され、スパイと疑われて非道な扱いを受けた。

いま米軍基地建設のために住民は日本政府に追い詰められようとしている。

安倍政権が埋め立て工事を急ぐ一因は、米国のオバマ大統領に計画推進を迫られたことだという。もちろん米国の圧力だけによるのではない。安倍の政治姿勢、軍事優先の思考などと切り離しては考えられないが、いずれにしろ沖縄県民は「平和憲法のもとへ」の旗印を掲げて復帰を熱望したのに、その祖国が盾になってくれない現実を「沖縄戦」に重ね合わせているに違いない。

そこで生まれるのは「日本政府は米軍と日本国民のどちらを向いているのか」「これで独立国なのか」という深い失望だ。

沖縄差別、琉球処分、沖縄戦――この三つはそれぞれ別個独立のものではなく根っこは一つ、差別である。

沖縄という地域、そこで暮らす人々を異質とみることは差別に結びつきやすいことを肝に銘じたい。長い間、米軍の軍政下で人権を制限されて苦しみ、いまだに本土の盾となって基地を引き受けさせられている沖縄の同胞に対する共感は、平和による繁栄を享受してきた本土の人々に求められる倫理である。

政府は翁長知事を特異な政治家として孤立させることを狙っている。しかし、「安倍政権×翁長知事」という対立図式で問題をとらえるのは間違っている。沖縄における直近の選挙では、衆議院、名護市長、市議、知事のいずれも基地新設に反対する候補が勝った。世論調査でも反対が常に大多数だ。

対立図式の正しい理解は「安倍流の政治×憲法・立憲主義・民主主義」である。辺野古問題は有権者・国民の意思を無視する安倍政治の象徴とも言えよう。

 

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