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愚弄された民主主義

寄稿:飯室勝彦

2015年11月9日

哲人政治家といわれた大平正芳は1978年、内閣総理大臣に就任したとき、当時の政治が抱える課題の一つとして「社会の深部にまで民主主義を浸透させる」事を考えた。それは「ヒットラーのような人物がポピュリズムに乗って支持を集め、権力を恣ままにする事がない状態を作ること」だった(辻井喬「茜色の空」文春文庫)。

大平が課題を解決できずに急逝してざっと30年、安倍晋三が登場した。懸念されたとおり独裁者のように振る舞い、歴史の歯車を逆に回そうとしている。

内閣における“憲法の番人”といわれる内閣法制局長官を事実上更迭して、憲法第9条の政府解釈を逆転し(2014年7月)、集団的自衛権の行使を違憲ではないとした。そのうえで安全保障関連法案を強引に国会通過させ(2015年9月)、自衛隊が世界各地で武力を行使できる道を開いた。世論、圧倒的多数の研究者、元最高裁長官など幅広い層の「憲法違反」との声を全く無視した。

武力を行使しない、できない平和国家として国際的信頼を築いてきた日本は、戦争ができる国に変貌したのである。

安保法の成立とともに国会が会期切れになるのを待つように、政権は沖縄県名護市沖合に新設する米軍ヘリコプター基地の本体工事に着手した。沖縄の基地負担を軽減するための普天間飛行場の「移設」と称されるが、空母も横付けできる新基地は負担軽減に結びつかないのに「負担軽減策」と詐称している。

当然、激しくなった反対運動に対する警察機動隊による規制も厳しくなった。地元沖縄県警だけでなく、警視庁機動隊の精鋭も派遣され、反対住民の排除にあたっている。警官隊は時に米軍キャンプ・シュワブ内に待機して、そこから住民排除に出動する。

地元の人たちの目に、警官隊は米軍を守る番犬であり、自分たちを弾圧する敵と映るのは当然だろう。

安倍政権、与党は、安保法案を強行採決で“食い逃げ”すると、恒例となっている秋の臨時国会を開かなかった。安倍自身が「国民の理解を得られるよう丁寧な説明を続ける」と言っていた安保法問題、辺野古問題、スキャンダラスな下着泥棒の疑いがかかる新閣僚の疑惑など、議論すべきことは山積なのに、安倍は外交日程を口実に逃げ回った。

「衆参どちらかの4分の1以上の議員の要求があれば、内閣は召集を決定しなければならない」という憲法第53条に基づく野党5党の統一要求も無視した。9条解釈の変更で見せた安倍の反立憲主義はここでも露わになった。

国会は「国権の最高機関」(憲法第41条)であり、チェック・アンド・バランスを基本とする民主制の要である。国会召集の拒否は民主主義を愚弄する態度であり、大平の政治思想とは正反対だ。

安倍の思考には「敵か味方か」という図式しかない。議会は利用すべきもの、自分に反対するものは全て敵、野党は自分の進路に立ちはだかる障害としか考えていない。議論を通じて正義や真理を発見する民主主義国家の指導者としての適格性を欠くのである。

 安全保障問題だけではない。教育基本法の改悪と道徳教育の正式教科への格上げで子どもたちに愛国心を押し付ける一方、雇用の規制緩和で企業に安い労働力を提供し、しかも雇用調整を安易にできる環境を作り上げた。厚生労働省による2014年10月の調査では労働者のうちの非正社員は4割に達した。

「愛国心あるワーキングプアの養成」とでもいうべき安倍政治が、個人の自律、弱者の保護を基本とする日本国憲法の精神に反することは言うまでもない。

それでも与党内にあると言われる異論は大きな声にならず、安倍は指示、方針を乱発して突っ走る。重鎮と言われる先輩政治家も唯々諾々として安倍に追随するさまはまさに独裁政治であり、ファシズムの足音が聞こえるかのようだ。

 ただし、ここで考えたいのは、ファシズムは「独裁的な権力者による強圧的な政治」だけで完結するのではないことだ。「強圧的な権力者に魅力を感じて呼応する民衆」がいてこそ実現する。ナチズムの足跡や、あの戦争の時代の日本社会を振り返ってみれば「権力に対する民衆の呼応」が顕著である。

敗戦から70年、そうした過去を反省し精算したはずの日本社会だが、形は変わっても呼応関係の残滓が残っているのではないか。

「戦後レジームからの脱却」を叫んで登場した政治家・安倍を大歓迎した有権者の情緒的反応、一部とは言え民族差別を公然と叫ぶ勢力の存在……ファシズムを育みかねない土壌を警戒しなければならない。

歴史を振り返って「あの時が転換点だった」と気づくことはいくつもある。日中戦争の発端となった盧溝橋事件のときも、太平洋地域への軍事進出のときも、民衆の生活はふだんとさして変わらなかったのではないか。

そしていま……。政府による憲法解釈の逆転、安保法の成立で、日本国民は「歴史の曲がり角」に立たされている。

日本の民主主義を死滅させないために、平和国家の誇りを守り抜くために、一人ひとりが「歴史の転換点」に立ち会っていることを自覚し、歴史を担う一員としての責任を果たす行動をしたい。

 

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