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闘いなくして自由は守れない

寄稿:飯室勝彦

2015年11月16日

「表現の自由の主体であるテレビ局がBPOという用心棒の陰に隠れてしまっていないか。表現の自由を守る役割までBPOに外注されては困る」―これは2015年11月13日付け「朝日新聞」朝刊(東京版)に載った青山学院大教授、大石泰彦の談話である。

「世界中のあらゆる権利=法は闘いとられたものである」「だからこそ片手に権利=法を量るための秤を持つ正義の女神は、もう一方の手で権利=法を貫くための剣を握っている」―こちらはドイツの法哲学者、イェーリング著「権利のための闘争」から借りた。

大石談話からイェーリングを連想したのは、安倍晋三に率いられる政府与党による放送への介入に対して各局が闘わないからだ。

2015年春、NHKが前年5月に「クローズアップ現代」で放送した「出家詐欺」報道に過剰演出の疑いが浮上した。NHKは外部委員らによる調査に基づき「取材、制作上の問題があった」として関係者を処分したが、調査の途中で自民党の情報通信連絡調査会はNHK幹部を呼びつけて事情調査した。

それだけではない。総務相の高市早苗は文書で「厳重注意」の行政指導をした。

放送倫理番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、2015年11月6日に発表した意見書で、番組に「重大な放送倫理違反があった」と指摘する一方、事情聴取や行政指導を「放送の自由と自律に対する圧力そのものである」と厳しく批判した。

翌日の新聞にはBPO意見に呼応する放送業界関係者の記事が大きく掲載されてもおかしくはないのに見当たらなかった。NHKは沈黙を守り、放送する側の反応は、4日後に開かれた民間放送全国大会の挨拶の中で民放連会長・井上弘が「取材・報道の自由は守られなければならない」と触れた程度だった。

BPO検証委の意見書が出る前、放送に対してさまざまな政治介入が行われた場面でもテレビ局の抵抗、抗議はなかった。大石談話は、放送局に代わってBPOが抗議したかのような図式となったことを、番組制作の外注に引っかけて皮肉ったと言えよう。

安倍は民主社会の基盤である表現・報道の自由を踏みにじることなど何とも思っていない政治家だ。

NHKの従軍慰安婦問題に関する番組について、まだ未放送の段階で圧力をかけ、結果的に改変させたことがあり、国会答弁で特定のメディアを攻撃することもまれではない。時には虚偽事実の指摘も混じる。

そのようなリーダーのもと、政府与党はやりたい放題だ。2014年暮れの総選挙前にはNHKと在京キー局幹部を呼びつけ文書で「公平、中立、公正な選挙報道」を要求した。「テーマ選び」「出演者の選定」「出演者の発言回数」「街頭インタビューのしかた」など編集権に踏み込む具体的要求だった。

気に入らない放送があると局幹部を呼んで説明させたり、抗議の文書を突きつけたりすることはしばしばである。党内には法規制の導入をちらつかせる声があるかと思えば、「マスコミを懲らしめるには広告収入をなくすのが一番。経団連に働きかけを」と公言した議員もいる。

放送に対する介入、脅しは、NHK予算案への同意不同意、放送免許の更新拒否、放送法による監督権などを背景にいろいろな形で行われている。

安倍らが介入するための金科玉条としている放送法4条は放送に政治的公正、真実性、多角的視点などを求めている。しかしこの規定は放送の自由とそれを支える放送事業者の自律のための倫理規範であり、これに依拠して放送に介入することは許されない、というのが定説だ。

それでも放送局側は抵抗しない。NHKは「行政指導の趣旨が明確ではない」と文書の受け取りを一時拒んだが結局受け取った。選挙報道への注文文書を受け取ったかどうかは明らかにしていない。

番組放送中にゲストスピーカーが「首相官邸からの圧力」を暴露したことを問題にされたテレビ朝日は、担当社員を処分した。NHKの看板番組「ニュースウォッチ9」のキャスター交代は「官邸の圧力」やNHK幹部による官邸の意向の忖度が取りざたされた。

放送事業者は総務省、自民党に呼び出されれば唯々諾々と出かけて行き、抗議も反論もしない。懇談と称して安倍との会食に出席する幹部の姿は権力への屈服、迎合を物語っているかのようだ。

政府批判の抑制、政治的にデリケートなニュースの無視、軽視、情報番組の娯楽番組化など放送の萎縮は著しい。

放送人の弱腰に乗じ、権力側が表現・報道の自由を蹂躙する現状は、放送人が足元を自分で掘り崩しているようなものである。

BPO検証委の意見は、表現・報道の自由を守る気概のない放送関係者にも向けられた忠告、叱責と言えないだろうか。

表現の自由は、それを守ろうとしない社会には存在し得ない。イェーリングは「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である」と書いているが、表現の自由を守る闘いはその社会を構成する他のメンバー、社会そのものに対する義務でもあろう。

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