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SEALDsを通じてみた社会運動の今日的特質(前編)
 ――92歳市民社会科学者の試論

寄稿:石田 雄

2015年12月13日

2015年に大きな注目を集めるようになったSEALDs。その何が重要なのか。私は戦後70年間、研究者として社会運動に関心を持ち続け、周辺の参加者として参与観察を試みてきた。さらに定年退職後は市民社会科学者(故高木仁三郎の「市民科学者」にならおうと自称したもの)として、市民と社会科学研究者の「一身にして両身」を志してきた。その立場から、SEALDsを素材として、今日の運動の持つ歴史的意味を考えてみたい。といっても、SEALDsについては活字になった本が2冊あるにすぎない。けれども国会前の現場で参与観察ができない老人にとっては、それが今日の運動の特質を知る唯一の手がかりである。SEALDsを今日の運動を代表すると見ることには無理があるかも知れないが、他に手段がない以上、この本を頼りに試論を展開することにする。

今回の論考は今までの寄稿の中では最も長文なので、前編と後編に分けて掲載する。前編では、SEALDsの運動の何が新しいのか。その歴史的特徴について、60年安保を頂点とする55年体制下の運動の歴史を振り返りながら見ていく。

■SEALDsの何が新しいのか

ひとつの回想から始めよう。1950年代の初め、私が東大法学部の助手だった頃、研究室の仲間たちとデモに参加した時のことである。まずお茶の水駅の近くに住んでいた川島武宜助教授(デモ参加者の中に川島ゼミの者が何人かいた)の部屋に立ち寄った。そして、川島夫人に身分証明書や定期券など身元が分かるものをすべて預け、交通費だけを持って出かけた。つまり、いつ逮捕されるか分からないので、万一逮捕された時には氏名などが分からないようにして、黙秘をするための準備であった。これは活動家でもない、一介の研究者としては、大変に悲壮な決意であった。これを今の国会前集会やデモなどで、参加者が自分の名前を明らかにし、自然な言葉で伸び伸びと発言している姿と比べると、今昔の感にたえない。

3・11以後、定期的に首相官邸前で行われてきた原発反対の集会は首都圏反原発連合という形をとった多くの団体のゆるい連合の呼びかけによるものであった。そこでは弁護士が見回り、警官との衝突その他の事故を起こさないようにする配慮がされていた。そのような運動で、集まった声に動かされて、民主党野田内閣の時には、首相が代表たちと面会するまでになった。それ以上に注目されるべきことは2012年8月に政府主導で、「エネルギー環境に関する選択肢」(2030年の原発依存度)をめぐる討論型世論調査という形で、熟議民主主義の実験が行われたことである。

その後、民主党政権への失望から生まれた第二次安倍内閣は特定秘密保護法を国会で可決させ、安保法制を制定しようと動き出した。それは事実上、改憲を強行することを意味し、それに反対する多くの人たちが、国会前や官邸前に集まって、3・11以後と同じように声を上げ始めた。脱原発行動の場合、小熊英二編『原発を止める人々』(文藝春秋刊)に執筆している参加者を見る限りでは、年配者のほかには自由業や自営業のように比較的自由かつ身軽に行動できる人たちが多かった。それに対して、安倍内閣の安保法制に反対する集会への参加は、2015年に入ってから、学生に代表される若者や女性、特に子ども連れの女性の参加が目立ったといわれている。

そのような新しい傾向を示すようになった今日の運動を理解するためには、運動史を特に組織論的観点から分析してきた者としては、55年体制下で特徴的であった「革新国民運動」と比較することが、その特徴を知る上で有効だと考える。しばらく歴史につきあっていただきたい。

■古い「革新国民運動」の特徴

「革新国民運動」という名称は、1970年代に高畠通敏(政治学者。2004年没)が古い型の社会運動に対して、用いたものだ。その内容については、『高畠通敏集』(岩波書店刊)第1巻に詳述してあるが、ここでは私なりの解釈で次のようにまとめておこう。

第一に企業別組合を系列化して、丸抱え勢ぞろい体制で集団的同調性を基礎とした動員を行うことである。企業別組合が組合費のチェックオフ(天引き)に依存していたように、学生の場合も、自治会費の天引きに依存して、その財政的基礎の上に自治会としての動員をかける。

第二に個人が政治を動かすというより、資本主義体制から社会主義体制への体制変革に期待していたことである。頂点の指導部は、「丹頂鶴」といわれたようにマルクス主義のイデオロギーによって武装しており、その解釈をめぐってしばしば分裂が起こる。

第三に活動の非日常的性格である。運動に参加するのは社会変革の大義に献身することだという建前から、非日常的努力が求められた。これは戦中の滅私奉公という感情の遺産としての側面もあったが、戦後社会で欲望が解放された中では、この建前は空洞化し、やがては支給される日当による動員が多くなる。他方指導者も革命の大義を主張するが、次第に多くの人を動員できる指導的な地位につけば収入も増え、最後には国会議員になるという成功もありえた。また学生の場合には、非日常的に運動に参加していたが、多くの者が卒業と同時に企業や役所など終身雇用体制の下に吸収されることになった。

革新国民運動が日当を払ってデモに人を動員するようになると、運動が儀礼化という形で日常的なものになり、社会的な効果が失われるという疑いも生まれる。それに対しては、60年安保の時の全学連やその後の急進的な政治党派(セクト)のように、暴力を含んだ非日常的戦闘性こそが有効なのだという考え方も生まれた。確かにメディアの注目を引くという点では、この戦術は有効だった。しかし、そうした効果は一過性のもので、長期的にはかえって、運動への支持を狭くする結果になった。

このような特徴を持った革新的国民運動が頂点に達したのは、安保改定阻止国民会議の主導の下に行われた60年安保闘争であった。そして同じ1960年に三井三池闘争で会社側に立つ第二組合が生まれたのを象徴的転機として、経営側と協調する第二組合が続出することになると、特に民間企業では古い型の動員は不可能になった。

■1960年以後の運動

すでに1970年代に高畠は古い型の有効性が失われたとみて、社会運動の多様化を強調し、彼自身が活動家として参加した市民運動と革新自治体における変化に期待を寄せている。古い型からの脱却の典型とみられるのは、60年安保闘争の片隅に生まれた「声なき声の会」であり、その後ベトナム反戦のために、その呼びかけに応じて作られた「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」であった。ベ平連がはじめ「市民団体連合」と称していたのを「市民連合」と団体をとったことにも示されるように、この運動は個人によるもので、「丸抱え」とは正反対のものであった。

しかし、どのような者も排除しないという原則をとっていたため、急進的なセクトも当然運動に参加してくることになる。そこで、デモでは、老人や女性、子どもを先頭で歩かせ、ジグザグデモをやりたいというような急進的なグループを最後につけた。そうすることで、デモ全体が混乱するのを防ぐための工夫をしたのである。

組織にしないことを原則にしていたベ平連にもこのような配慮は必要であったし、日米市民会議や哲学者のJ・P・サルトルを招いた講演会などの全国的なキャンペーンには企画・運営の主体が必要であった。そこで、俗に「神楽坂の内閣」といわれるものが、代表小田実を首相に、1950年代から長い運動経験を持つ事務局長吉川勇一を官房長官に見立て、運営にあたった。

学生に関しても、同じような変化が見られる。60年安保の時死者を出すまでの戦闘的な姿勢で注目された全学連も、その後内部分裂もあり、自治会を中心とした動員力を失っていった。そして60年代末の大学闘争では、ノンセクトラジカルと称される個人主体の動きが注目されるようになったが、彼らを中心とする全共闘も、内部に存在する党派間の対立に悩まされる。

全共闘の中で、個人参加の原則を貫こうとした人たちの中には、その後、有機農業など地域に根ざした活動をして、運動参加の初志を貫く人もいた。しかし、多くは大学を卒業すると、企業に就職し、体制に吸収されていった。そして、1972年の浅間山荘事件やその後の暴力的な内ゲバ襲撃事件で、党派間の対立は頂点に達し、学生運動は崩壊していくことになった。

1975年にベトナム戦争が終結し、ベ平連は解散した。その時期を境に、他の社会運動も系列化された古い統一闘争の形態は終わり、様々な差別反対やジェンダーの問題、戦争責任など個別の目標に向けた独自の組織による運動が併存する時代に入った。その後、2000年代に入ると、イラク反戦のように、様々な運動体のゆるやかな連携の上に、共同行動を追求する動きが始まっていった。

このような多様な運動経験の蓄積の上に、3・11以後の官邸前集会のように独自性を持った多くの組織がゆるやかな連合を組んで、同じ目標のために協力するという新しい形態が生み出されることになった。今回の安保法制反対運動の大きな広がりの基礎となった「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」も3つの系列の労働組合や市民団体がひとつに合流して発足、2015年5月に3万人が集まる集会を成功させたところから出発した。そして、その後、国会前行動と全国の反対運動の広がりの中で、SEALDsや「安保法制に反対する学者の会」「安保関連法に反対するママの会」をはじめとして、次々に登場する多様なグループと連携しながら、持続的な行動を支える役割を果たすようになっていった。

■SEALDsの歴史的特徴

SEALDsの組織的特質について、どう見たらよいのだろうか。今まで見てきた革新国民運動と比較しながら、考えてみよう。

第一の特徴は、個人の考えで行動するという点にある。つまり集団的同調性によるのではなく、「私はこう考え、こう主張する」と一人称単数を主語として表現していることは、古い型の運動とは明確に異なる態度である。

第二は、社会を変えるという民主主義の実現は、誰か他の人に期待することではなく、自分という個人が責任を負うべきことだと考えていることである。これは主権者としての責務の意識といってもよいし、主体的市民性(シティズンシップ)の形成といってもよいだろう。そして、そのような個人による組織の運営は、出版班やデモ班など機能別に多様な分業体制ができており、各班の責任者が集まって調整する中で、行われているという。これはベ平連のような組織否定型とも、古い上からの指示命令型とも異なる、新しい組織運営方法だと思われる。

第三には、日常性に根ざして、持続性のある運動を考えていることである。金曜日はアルバイトで塾に教えに行くから、デモには出られないとか、その日はゼミのコンパがあるからデモに行けないので、コンパの後でその仲間と一緒に国会前に駆けつけるというようなことが当たり前に行われている。個人の日常性を否定するのではなく、それを維持した上で、活動を続けているのである。

こうした特徴づけは、古い型の運動との対比に力点を置いたため、よい点を強調しすぎていると言われるかもしれない。しかし、古い型の名残に長年悩まされてきた私のような老人にとっては、いくら強調してもし過ぎることはないと感じられる。

一方で、SEALDsは2016年の参議院選挙でその運動に終止符を打つともいわれている。実際、学生の運動はどんなに日常性に根ざしていたとしても、卒業すれば、職業を持った社会人としての日常性に対処しなければならない。もちろん、メンバーの中にはその経験を生かして、市民活動を行うNPOやNGOの職業的専従者として、活動を続ける人もいるだろう。そうした選択をする人がいたとしても、多くの学生は卒業とともに、就職によって、職業人としての生活を始める。そうなると、一日の大部分を仕事のために費やすことになるが、そのことは市民としての生活ができなくなることではない。仕事をしながら、民主主義の主体としての市民であり続けるのは決して容易なことではない。しかし、その活動の程度ややり方を工夫すれば、決して不可能ではない。学生当時に日常性を尊重しながら、民主主義の担い手であることの工夫をした延長線上で、職業人としての日常性を生かしながら、市民性を維持する努力を続けることが望まれる。

その上で、SEALDsという運動をどうするかは、後輩の学生たちがそれぞれの選択として決めるべき問題である。そう考えた時に、上に述べたSEALDsの特徴は一定期間に限られた運動の特徴にすぎないのだろうか。私はそうは思わない。それが戦後70年の運動の経験の上に、プラスマイナス両方の遺産を検討した結果、成立したものである。そう考えると、SEALDsという個別の運動に限定されない、普遍性を持っているといえるだろう。(後編に続く)

 

筆者紹介 石田 雄(いしだ たけし)

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1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から旧東北帝国大学法文学部に進学、在学中に学徒出陣し、陸軍東京湾要塞重砲連隊へ入隊。復員後、東京大学法学部を経て、東京大学社会科学研究所教授・所長、千葉大学法経学部教授などを歴任。著書多数。近著に『ふたたびの〈戦前〉~軍隊体験者の反省とこれから』(青灯社 2015年3月)がある。

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