【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信
震災被害者を「ダシに使う」安倍内閣
熊本地震で大変な被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。被害は現在も進行中で、不自由な避難生活の中で二次被害が発生している報道に接するにつけ、これまでも神戸震災、東日本震災を経験したにもかかわらず、迅速で的確な被災者救援がなされないことに憤りを感じています。
私が許すことができないと感じていることは、熊本地震を利用して自衛隊と米軍が実戦的な軍事訓練の機会にしていることです。
米海兵隊普天間基地所属のオスプレイ2機が救援物資を輸送しています。政府は米軍から提案があったと説明していますが、肝心の米軍は日本政府から要請であったと述べています。米軍の説明の方が真相でしょう。陸上自衛隊にはツーローターの大型ヘリ(CH47チヌーク)がそれぞれの方面総監部に配備されており、米軍のオスプレイを利用しなくても、輸送能力は十分です。国民の間には事故のリスクの高いオスプレイに対する拒否感が根強くあるため、この際にオスプレイが役に立つことをデモンストレーションして、自衛隊が導入する予定のオスプレイを国民に慣らさせるといういわば「ゲスの魂胆」が見え見えです。
オスプレイの利用はそれだけではありません。不知火湾沖に停泊した大型護衛艦「ひゅうが」をオスプレイの給油ポイントとして使う計画があります。「ひゅうが」は空母型の全通甲板とアイランド型の艦橋を備え、同時に4機の対潜ヘリを運用できるヘリ空母です。「ひゅうが」は2015年8月から9月にかけて米国で行われた軍事演習ドーンブリッツへ参加して、オスプレイが離着艦したことがあります。
このことを18日の参議院で共産党仁比参議院が追及した記事が19日の「しんぶん赤旗」に出ていました。私はこれを読んですぐに、安保法制の運用を試すための訓練だと感じました。重要影響事態法と国際平和支援法には、自衛隊が米軍等の他国軍隊の後方支援を行う規定があり、支援内容として、発進準備中の航空機への給油と整備ができるとしています。改正前の周辺事態法では、他国軍隊の武力行使と一体化するので憲法第9条に違反するとしてできなかったことです。熊本震災では救援物資を積みますが、実際の武力紛争では武器弾薬、車両、兵員と積荷が違うだけで、「ひゅうが」の役割は変わりません。
時事通信電子版4月20日付は、
「日米両政府は16日の本震後、直ちに「同盟調整メカニズム」に基づいて協力内容に関する協議を開始。自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長と在日米軍のドーラン司令官も電話会談した。その結果、18日には熊本市に設けられた陸海空3自衛隊による統合任務部隊司令部内に、「日米共同調整所」を設置。同所では自衛隊と在日米軍の代表者が、現場のニーズを踏まえて具体的な支援内容を検討している。」と報道しています。
熊本震災を利用して新ガイドラインで合意された内容が実行されているのです。このように自衛隊は大規模地震災害救援活動を貴重な実戦訓練の機会として利用しています。そのことを示す証拠はほかにもあります。
2011年3月11日に発生した東日本震災では、自衛隊は陸自を中心に最大で12万人の部隊を救援活動へ投入しました。自衛隊にとって最大規模の動員でした。自衛隊は統合任務部隊を編成し、陸自東北方面総監部(仙台)に司令部を設置して、陸自東北方面総監が司令官となって統合任務部隊の指揮を執りました。
米軍は「トモダチ作戦」と称して、沖縄の海兵隊部隊や空母ドナルドレーガン部隊を投入しました。自衛隊と米軍の救援活動は「共同運用調整所」で作戦調整されました。「共同運用調整所」とは、97年ガイドラインで設置が合意された日米共同司令部です。
97年ガイドラインでは、周辺事態や日本への武力攻撃の際に立ち上げることにしていましたが、2015年4月に合意された新ガイドラインでは、平素から立ち上げることになりました。新ガイドラインで最も重要な合意事項です。2015年11月3日に日米防衛首脳会談で「共同運用調整所」が立ち上がったことを確認しました。今年2月6日この連載コーナーにアップされた「新ガイドラインと安保法制で米軍、米軍事戦略と一体化を深める日本」で言及していますのでお読み下さい。
「共同運用調整所」は現在防衛省本省と、米軍横田基地へ設置されています。97年ガイドラインで設置が合意されましたが、実際に運用されたのは、東日本大震災が初めてのことでした。この時には、防衛省本省と横田基地以外にも東北方面総監部へ設置されています。東北方面総監部が現地の日米共同作戦の合同司令部という位置づけだったのでしょう。
東日本大震災発生から3か月後の2011年6月21日、安保条約締結50周年を記念した日米安全保障協議委員会(2プラス2)が開催され、4つの共同発表文が作成され、その中の一つ「東日本大震災への対応における協力」において、東日本大震災で3カ所へ設置された「共同運用調整所」が有効に機能したことを高く評価し、「この経験は、将来のあらゆる事態への対応のモデルとなる。」と述べました。「将来のあらゆる事態への対応のモデル」とは、集団的自衛権行使、重要影響事態での後方支援を含むものであることは当然です。言い換えれば、東日本大震災の経験を積んだ日米同盟は、実際の武力紛争でも有効に機能するということです。
2012年8月にいわゆる第3次アーミテージレポートが発表されました。集団的自衛権行使を推奨するもので、ペルシャ湾での機雷掃海や南シナ海での共同の警戒監視活動を提言するなど、その後の新ガイドラインと安保法制を示唆する内容であることはつとに指摘されています。
このレポートは「集団的自衛権行使の禁止」との項目の中で、その記述のほとんどを東日本大震災の時の「トモダチ作戦」に費やしています。非常に持って回った言い方ですが、3・11の危機に際して、自衛隊と米軍は集団的自衛権行使が出来ることを示したが、それは自然災害であるから憲法第9条を気にしないで出来た、日本の国益がかかっている事態では出来ないとの皮肉な現実を示しているというものです。要は、3・11では自衛隊と米軍は集団的自衛権行使が出来る能力を示したのだから、憲法9条解釈を変えればいつでも出来るではないかと言いたいのです。
東日本大震災の際に、救援に出動した陸自部隊が、わざわざ米軍のドック型揚陸艦へ乗り込んで現場へ入りました。そんなことをせず民間フェリーを活用すれば、1日前後で救援活動につけたにもかかわらず9日間を要しています(正確には苫小牧港から揚陸艦に乗り込むのが15日ですから、16日には宿営地へ到着できたと言うことでしょう)。
陸自初の米海軍揚陸艦による部隊移動です。参加したのは陸自第5旅団第5戦車隊(帯広市鹿追駐屯地所属)で、佐世保を母港とする米海軍ドック型揚陸艦トーチュガが輸送しました。
3月15日に部隊が苫小牧港からトーチュガに乗り込みますが、大型車両は港から数キロ沖合に停泊したトーチュガへ上陸用舟艇で搬入し、海自大湊基地の沖合数キロへ停泊したトーチュガから米軍と海自の揚陸艇が車両を陸揚げするという、敵前上陸作戦のようなやり方をとったとのことです。陸自部隊が宿営地の大和総合運動公園に到着したのは20日午後のことでした(以上は4月13日「しんぶん赤旗」の記事から)。
私は、自衛隊員が震災現場で献身的に被災者救援活動を行っていることを否定的に見ているのではありません。災害現場の自衛隊員は、危険と隣り合わせの中で文字通り泥まみれになりながら被災者の救護活動や、自衛隊が保有する資機材を活用して、被災者へ水、食料、医療等を供給しました。災害救助活動を将来の日米共同軍事行動に役立てるなどは、現場の自衛隊員のこの様な活動の意義を卑しめるものではないでしょうか。
しかし自衛隊はやはり軍事組織ですから、組織全体として見ると、自衛隊は災害救助活動を実戦訓練の貴重な機会として位置づけていることを見落とすことは出来ません。アーミテージレポートがいみじくも述べているように、災害救助活動であれば、憲法9条の制約を気にすることなく、集団的自衛権行使につながる訓練の場として活用するのです。
安保法制も実際の武力紛争で使うことはそんなにないかも知れませんが、自然災害での自衛隊の出番はこれからもたくさんあり、その際に安保法制を使う訓練として利用することはあり得ることです。どのような使われ方をするかを私たちは監視して行く必要があると思います。
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