【NPJ通信・連載記事】読切記事
起立拍手に表れた政権の本質
衆院本会議での首相演説中に自民党議員らが立ち上がって拍手した問題は、議論が深まらないで沈静化してしまった。「起立拍手」は一見些細に見えるが、実は政権の本質が表れた重要な政治現象だったと思う。もっと真剣に議論すべき問題だった。
それは9月26日、衆院本会議における安倍晋三首相の所信表明演説の最中に起きた。
首相が領土、領海、領空の警備に当たる海上保安庁、警察、自衛隊の活動をたたえ、「いまこの場所から心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけたのである。
これに応じた自民党議員たちが一斉に立ち上がって手を叩き続け、首相自身も壇上で拍手しながら満足げに議場を見渡していた。大島理森議長が議員に拍手をやめて着席するよう注意する有様だった。
野党からの批判、抗議を受けて直後の自民党の佐藤勉衆院議院運営委員長が「自然発生的に起こった。申し合わせてやったことではない」(9月28日東京新聞朝刊)と釈明したが、内閣官房副長官の萩生田光一氏から党の国会対策関係者に対して「この部分で演説をもり立てて欲しい」と事前に依頼があったことが明らかになった。依頼が指示として若手議員を中心に一斉に伝えられて起立、拍手となったことが分かった。
この経過が判明すると高村正彦・党副総裁は「スタンディングオベーションを叱られるのはグローバルスタンダードに合っているのか」と異議を唱えて抵抗する始末だった。
安保法制の制定にあたり、強引な判例解釈をして集団的自衛権の行使容認論を導き出すなど、政権の下僕役を果たしているかのような観のある政治家らしい発言だが、自民党はふだん「日本は固有の歴史を持つ国」と主張している。都合次第で「固有の国柄」論とグローバルスタンダード論を使い分けるご都合主義と言えよう。
リーダーが壇上で手を振り上げたり拳を突き出したりの身体表現で扇動し、政治家や大衆が歓声、拍手、足踏みなどのやはり身体表現で応えるのは全体主義国家の政治手法である。典型がヒトラーでありナチスだ。
かつてそのナチスと連携した侵略戦争で、自国民はもとより太平洋地域などの諸国民に甚大な被害を与えた、負の歴史を背負う日本である。理性ある政治家なら忌まわしい過去への逆行を連想させる言動など出来ないはずだ。
悪夢の再現を危惧する人々が、政治家、とくに政権を握り、支える政治家の言動に神経質になるのは当然である。まして沢山の施策が盛り込まれた所信表明の中で、ことさら「盛り上げる」部分としてこの箇所が選ばれたことに、安倍政権の特別の“意思”が込められているとみるのは自然だ。決して勘ぐりなどではない。
安倍首相は衆院予算委で「この国の国会ではないとの錯覚を覚えた」と批判されると、「侮辱だ」といきり立った。図星を突かれるといきり立つのはいつものことだが、歴史の反省・教訓を学び、歴史を生かす政治姿勢がないことが安倍政治の著しい特徴だ。
そもそも海上保安庁も自衛隊も本来の任務を果たしているのである。厳しい状況下で任務を遂行する海上保安官、自衛隊員に敬意を表するのはやぶさかではないが、わざわざその活動を褒め称えて議員に同調を促すことが、議員や国民に重要な政治方針を語る所信表面演説の内容としてふさわしいものだろうか。
壇上の最高責任者が獅子吼し、居並ぶ面々がそれに媚びへつらうシーンには既視感がある。軍部に政治が屈服した戦前、戦中を振り返れば、「制服」との間に保つべき距離は明らかだ。
安倍首相は「制服好き」としばしば評される。軍部暴走の苦い経験から生まれた「シビリアンコントロール」原則を担保する防衛省の「内局優位」は、安倍政権では覆されたに等しい。防衛省はもちろん、国会、首相官邸など政治の舞台でも制服組の存在感が高まっている。
防衛相にはかつて核戦力保持を主張した秘蔵っ子の稲田朋美氏を据えた。尖閣諸島問題、北朝鮮の軍備増強など安全保障体制の厳しさが増しているとはいえ、政権は防衛費を気前よく増やしてきた。福祉予算の自然増に大騒ぎする一方で新型艦、戦闘機、オスプレイなど軍備充実には財政難の中でもカネを惜しまない。2017年度の防衛費の概算要求はついに5兆円を超える。
こうした状況下で行われた、実力組織を賛美する演説とスタンディングオベーションに平和を愛する人々が不安を抱くのは極めてまっとうな反応だ。背広組が制服組に媚びるかのような社会は危うい。
それはそれとして国会対策の指示に無批判に従った議員たちは選良の名に値しない。当たり前の任務を果たしている組織を過度に賞賛する演説を盛り上げよという指示に、彼らは疑問を抱かなかったのだろうか。
代議士の代名詞である「選良」の意味は「選び出された優れた人」である。一人ひとりが国民の代表として独立した精神を維持し、研鑽によって人格を磨き、独立した判断をすることが求められている。
自ら思考、判断することなく先輩に媚び、党の決定なるものにただ追随するような人物は政治家と呼ぶに値しないが、そのような人たちが日本の政治を動かしているのが現実だ。
小選挙区制選挙では人格、識見よりも党の公認の有無が、当選するかしないかを決定的に左右するので、自らを磨くのではなく党幹部に媚びることで議席を獲得した議員たちが多い。歴史に学び、小さなことでも深く掘り下げて考えることが出来る政治家は残念ながら少ない。
歴史に対する無知、無理解、人類が長い間積み上げてきた知的営みに対する敬意の欠如……安倍政権に対して定着した評価は、政権を取り巻く自民党議員たちにも当てはまる。
「単なるスタンディングオベーション」と単純に受け止め油断していると危険だ。
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