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墓穴を掘ってはならない――外側から見る日本の総選挙

寄稿:ジャーナリスト 小笠原 みどり

2017年10月19日

 投開票日が近づいてくるにつれ、繰り返し夢に出てくるようになったイメージがある。第二次世界大戦中のポーランド・ワルシャワ。ナチス・ドイツが占領する街で、ユダヤ人たちはゲットーと呼ばれる狭くて劣悪な一角に押し込められ、自分たちを閉じ込める壁を建設するように命令される。自らを監禁するための壁をつくりたい人間などいないが、脅されて仕方なく建設し、しかも建設にかかった多額の費用をナチスから請求される。銃口を突きつけられ、受け入れても地獄、拒んでも地獄。ゲットーのユダヤ人たちはやがて、勝算は絶望的でも、自分たちの尊厳をかけた闘いのために蜂起する。
 あるいはスペイン内戦時の風景。フランコ・ファシスト軍に抵抗して山に隠れていた村人たちが発見され、村に連行されて、穴を掘るように兵士から命じられる。自分たちが埋められる墓穴だ。穴を掘り終わると、抵抗者たちは一斉に銃撃されて、流血とともに穴へ突き落とされていく。これと同じような処刑を、日中戦争中の日本軍もしていたことが記録されている。
 虐殺だけでも残酷なのに、殺される者に殺されるための「仕事」を追わせ、殺すことの「手間」を省こうとする冷酷さ。人間はどこまで残虐になれるのか。銃の引き金を引く以前の、人間の傲慢さと残忍さに凍りつく。
 墓穴掘りへと追い詰められた側は、自分がじきに殺害されることを知っていても、いまを生きたいがために命令に従う。戦争は、にっちもさっちも身動き取れない極限状態を簡単につくりだす。もう逃れるすべはない。ワルシャワ蜂起は、その極限状態で人々が抵抗に踏み切った希有な勇気の証しといえるかもしれない。
 いまの日本に、もちろんこんな極限状態は存在しない。自分の考えるままに投票できる日本は、まだ平和に見える。人々は政治に対し、意思表示することができる。選挙の争点は、ミサイル危機、経済政策、消費増税、安保法制、そして森友・加計学園問題と報道されている。なのにどうして、殺すものが殺される者を利用し尽くす、極限状態が繰り返し夢に浮かんでくるのだろう。
 大学院に通うために4年前にカナダへ来た私は、けっして日本の政治に明るくない。それどころか、およそ世の中の「情勢」と呼ばれるものは、ますます流動化して展開が加速している。盛夏には疑獄事件へと追い詰められていた政権が、初秋には勝ちを見込んで衆議院を解散し、改憲への「信任を得た」と宣言するための選挙を仕掛けている。こんな計算づくの情勢にはついていけない。一方で、メディアは選挙期間中も過労死やいじめや待機児童問題を伝え、インターネットは今日もあふれんばかりの商品・イベント情報をまき散らしている。弱い者があいもかわらず最大限の我慢を強いられる傍らで、明るい広告がネットの画面をおおう。国政選挙があることすら知らず、知っていても何が問われているのか、私だけでなく分からない人は多いかもしれない。
 それに私の日常は小さなことで組み立てられている。アパートの机で朝から論文や原稿を書き、締め切りが近づくと胃の裏やら腰やらが痛み、大学で英語が通じないと消耗し、子どもが学校から帰ってくる時分には今晩なにを食べるか悩み始める。高い学費と切れ目のない仕事に追われ、子どもからビデオ・ゲームを取り上げるたたかいにも疲れている。日本の政治がうちの食卓に直接響くことはないし、そもそも私は投票できない。いや、私にも選挙権はあるのだが、在外投票の手続きは極端にフクザツで、海外にいる有権者のほとんどは投票を阻まれている。
 要するに私は、選挙からとても遠いところにいる。それなのに……なぜか、今度の選挙にはただならぬ悪寒がして、悪夢を繰り返し見る。今度の選挙の結果次第で、極限状態が駆け足でやって来る予感がして、落ち着かない。明後日の会議のスライド資料をつくらなくてはいけないのに、差し迫った予感をいま書かずにはいられない。
 これはむしろ、距離があるからかもしれない。投票から閉め出され、一票が欲しくても手に入らないからか。日本の内側で見える選挙の詳細は、ものごとをいろいろなレベルで説明してくれるが、外側からは目立った動きしかつかめない。が、外側だからこそ、内側のフィルターにかからずに見えることもある。距離によって細部が削ぎ落とされたとき、主要な輪郭が浮かび上がってくることがある。
 私はカナダで、インターネットなどの情報通信技術を監視という視点から研究している。私の危機感の底辺にはそれがある。世界中の電子通信網に米国が監視装置を仕掛けていたことを内部告発したエドワード・スノーデン氏を昨年インタビューしてからは、日本の現政権が恐るべき速さで国民監視制度をつくっていることを指摘してきた。どうして政府はそんなに国民を監視したいのか。その主な動機に米国への戦争協力があることが、この春公開された米機密文書でも明らかになった。要するに、戦争のためにすでに急ピッチで監視体制がつくられている。秘密保護法、盗聴法、共謀罪、そしてマイナンバー制度は、国家が個人を監視し、言いたいことを言わせないために、すさまじい威力を発揮できる。先を急ぐので詳しく書けないが、デジタル時代を生きる私たちは一刻一刻、データを生み出している。そのデータを国は監視に利用している。監視という視点から政府の動向を見た結果、戦争という行き先、そして個人の自由を奪っていくプロセスが、否応なく見えてきた。
 これはデジタル技術の性質のみから発生したことではなくて、日本にはたった72年前まで、強力な監視社会があった。戦争に反対するグループ、政府を批判する人々から逮捕され、拷問され、または殺害されたが、最後は少数派も多数派も、右も左もなかった。戦争はすべての人々を巻き込みながら、ありとあらゆる人々のいのちを使い尽くした。いま政権の側についている人々、自分は政府に反抗する気はないから大丈夫と思っている人は、歴史を注意して見た方がいい。いったん監視制度ができれば、制度のために働く者たちは監視対象をつくることが任務になる。戦時中の特高警察は、自分たちの手柄を立てるために監視、逮捕、拷問を繰り返した。監視される側ではなく、監視する側の事情で、疑いの理由はいくらでも後づけされた。これは戦時中の日本だけではない。その後も戦争を続けてきた米国やロシアや中国でも、同じように監視機関の都合で、監視は対象者の特性から離れて広がってきた。
 デジタル監視の急速な発達の目的に戦争があることがわかると、過去だったはずの歴史は一気に、一年先、半年先、いや明日の自分たちの姿にみえてくる。人々に気づかれないように、けれど熱心に監視制度をつくってきた現政権が今度の選挙で「国民に信任された」となれば、この監視制度を大手を振って使い、憲法を速攻で改定して、戦争へとなだれこんでいくことは必然だ。時代のスピードは72年前よりずっと速くなり、政治は不安定化している。多くの人が「まだ大丈夫」と思っているうちに、監視も徴兵も軒先にやって来るだろう。
 私のいる博士課程にはここ数年毎年、トルコから学生が来ている。トルコは4年前まで民主化運動にソーシャルメディアが駆使され、政治への希望にあふれていた。しかし、民主化運動の挑戦を受けたエルドアン政権はその後、あれよあれよという間に独裁化を強め、いまでは政権に都合の悪い事実を伝えるジャーナリストを投獄し、平和を求める請願にサインした大学関係者の職を奪い、パスポートを無効にして逃げ道をふさいでいる。ナチスのように、独裁化に選挙をうまく使って、「国民の信任」の名の下に強権を振るっている。カナダにはシリア内戦で家族や暮らしを根こそぎ奪われた人々も逃げてくるが、トルコから来た同僚たちは難民ではなくても、抑圧の波に追われてここへ来た。誰もこんな速い展開を予測していなかった。急速な反動の渦をどうやったら巻き戻すことができるのか、彼女たちは途方にくれ、絶望している。
 私には彼女たちの苦境が他人事に思えない。私も、トルコの友人たちの後を追っているように思える。やがて日本に戻れなくなるかもしれない。北米で暮らす日本人たちも、日本の家族と自由に行き来できなくなるかもしれない。安倍政権の動きはエルドアン政権ととてもよく似ている。米国のトランプ政権とも、ロシアのプーチン政権とも、中国の習近平政権とも。「敵」をつくりだし、「愛国心」を煽り立て、国内の切羽詰まった問題から国民の不満をそらす手法が、世界中で台頭している。米国、ロシア、中国、イランから来た同僚たちと話すたびに、お互いの状況があまりに似ていることに驚く。露骨な統制と暴力を強める政治に、世界中で人々が生活の基盤を奪われ、しかし抵抗しようとしていることが、ここではよく見える。
 だから今度の選挙は、もしかしたら日本で自由に投票できる最後の機会になるかもしれない、と外側から歯がゆく思う。政治を変える手段は投票だけではないが、投票は最も使いやすい手段だ。このまま日本の政治が進めば、私たちの小さな努力と苦労に満ちた日常はあっという間に極限状態の渦へと、容赦なく吸い込まれていくだろう。墓穴に行き着く前に、政治の行き先を変えなければならない。いま。
 私たちは誰も、自分の墓穴を掘ってはならない。私たちの子どもたちにも、墓穴を掘らせてはならない。私たちに墓穴を掘らせようとする政治家たちを、知らないうちに、無関心から、「信任」してはならない。そのために、誰もがこの選択に重大な責任を負っていることを、日常から踏み出して知り、周囲と語り合あってほしい。その勇気をいま出し惜しめば、守りたかった日常の平穏も家族の未来も、あっけなく戦争に使い尽くされるから。
 そして私たちは、他人の墓穴も掘ってはならない。誰かを「ファースト」にすることは、切り捨てた他の誰かの墓穴を掘ることにつながる。私たちは、この選挙で、誰の墓穴も、掘ってはならない。

                                        (了)

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