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「表現の不自由展の再開を求めて」②

寄稿:弁護士 北村 栄

2019年9月26日

恐ろしい世の中になる予兆
~あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止事件が意味するもの~

 今年で4回目、愛知県で行われる3年に1度の国内最大規模の国際芸術祭の「あいちトリエンナーレ」(愛知県主催)の企画の一部である「表現の不自由展」が開始3日で中止となりました。
 この問題は、憲法問題だけでなく、今後の世の中の方向性を左右する大きな問題をはらんでいます。
 そこで、今回は、この問題の重要性についてみなさんに知って頂きたいと思います。

Q:この問題について、私は地方にいてあまり知らないのですが。
A:愛知県では大問題になり、全国的なニュースにもなっていますが、これまで、「慰安婦」問題・天皇制と戦争・植民地支配・憲法9条・政権批判等を理由として日本の公立美術館などで展示不許可になったとされる作品を、今回愛知県が主催し「表現の不自由展・その後」として展示をしたところ、大きなバッシングを受けて、75日の期間の開始3日目で中止を余儀なくされたという事件です。

Q:どんな展示物があったのでしょうか。
A:元慰安婦を象徴する「平和の少女像」が一番の批判の対象だったのですが、昭和天皇の写真を含めた作品が燃える動画や九条を詠んだ俳句などがありました。

Q:どうして、中止になったのでしょうか。
A:開催直後から,展示が偏っている、日本国民の感情を逆撫でするなどとのネットや電話での批判が殺到するだけでなく、事務局の県職員を恫喝・脅迫する者、職員の名前を聞き出してネットで誹謗中傷する者や「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」とのFAXが届くなどしたためです。

Q:たしかに、いろいろな感想はあるでしょうが、私の感覚としては力づくで表現をさせなくすることはどうかと思いますね。
A:その通りです。憲法でも21条で表現の自由は重要な権利として認められています。

Q:ただ、中立であるべき公共団体が、一方的な政治的な意見を載せるのも、どうかという気持がしますが。ただ、今回、愛知県が主催で名古屋市もかなりのお金を出していたのですね。貴重な血税を、反日的な、そこまでいわなくても一方的な政治的表明に使うべきでないという意見にも頷けるのですが。
A:そのような意見がネットや巷では溢れていますね。一見尤もなようですが、よく考えてみて下さい。今回の表現は国の意向に沿うものか,反するものか、どうでしょうか。

Q:いわゆる国の施策とか意向には反するものですね。
A:国が、自分の意向に反するものを全て拒否する、国にとって都合のよい情報や表現だけを発信すると,どうなるでしょうか。国は大きな権力を持っているわけですから権力者と言いかえてもよいですが。

Q:なるほど。権力者の言いなりになりますね。戦前を思い出します。
A:そうなんです。今回の表現がどんなものなのか、権力者との関係をよく見る必要があると思います。ですから、中立であるべきだから載せるな、ということは、今の権力の意向に沿わないものを排除すべき、ということと同じことになるのですね。

Q:わかりました。ただ、一方的な政治表明とされるものに、国民(市民)の貴重な税金を使うべきでないというのもわかるのですが。
A:批判をする側が,自分らの血税をどうしてこんなものに使うのだと批判するわけですが、この展示を求める人も国民の一人として税金を払っているのですね。要は、国や公共団体が何に税金を使うべきか、税金の使い方の問題ですね。

Q:でも、このように騒ぎが大きくなるような異論のある表現について使うのはどうでしょうか。
A:これは、表現や情報の重要性からお話ししたいと思います。いくつもの様々な表現や情報があって私達はより良い生活がおくることが出来ます。表現や情報が制限されている国もありますが、十分な人権保障がされているとは言えません。様々な表現や情報に接することが出来て私達は、選挙権を行使出来たり、自分の考えを形作ったり出来るのです。憲法が表現の自由や知る権利を重要な権利として認めていることはこの点にあるのです。ですから、国民に奉仕すべき国や公共団体こそ、様々な表現や情報を国民に提示する義務があるとも言えます。

Q:そのように言われればわかります。とすると、河村名古屋市長の「日本国民の心を踏みにじる行為であり,すぐに中止すべき」「税金を使った場で展示すべきではない」との発言は、憲法に反する発言だということも理解出来ます。
A:そうですね。公務員である市長は、憲法九九条で「憲法尊重擁護義務」があるのですから、本来ならば、今回の展示(表現の自由)を守らねばならない立場にあるのですね。大村愛知県知事の「税金でやるからこそ、公権力でやるからこそ、表現の自由は保障されなければならない。河村さんの一連の発言は、憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか」との発言はその通りだと思います。

Q:だんだん、わかってきました。
A:そうすると、菅官房長官が「事実関係を精査した上で適切に対応したい」と補助金の交付の差し止めを示唆したことの問題性もわかりますね。

Q:はい、権力を持っている国が、どんな内容の表現をされるかどうかで税金の支出を差別するということになるわけですね。
A:そうなんです。まさに、「国が国民の表現の自由を検閲する」という事態にもなりかねません。私たち法律家が、今回の問題を深刻に捉え、今後の日本を危惧するのはこの点にあります。国の意向に沿う表現や情報ばかりが流され、そうでない表現や情報はシャットアウトされる、まさに暗黒時代になる危険性を大いにはらんでいるからです。

Q:わかります。戦前のようなことにはなりたくないですね。
 ところで、今でも,戦争反対とか、九条を守ろうというと政治的だと言われ、公共の施設を貸してくれないということも聞きました。
A:まさに、現状でさえそのようなので、今回の問題をそのままにしておくと、憲法擁護も戦争反対も発言できない方向に,どんどんなっていきます。今回の暴力的な抗議活動で表現の自由が押し込められると、その勢力はさらに勢いづき、今後もあらゆる場面でこのようなことが起こることが容易に想像できます。本当に危険な風潮です。

Q:しかし、マスコミ、特にテレビは有名人やコメンテーターが、公共団体が一方的な政治的な意見を載せるべきでないとか、少なくとも両論併記しないと公共性が保てない、バランスが大事だなどと述べて、今回の中止となった事態を擁護していますね。
A:こうして、国民が、世の中が、流されていくのですね。ですから、知った者の責任として、今回の事件の問題点をしっかり周りに伝える責任が、私達にはあると思います。

Q:わかりました。私も知った者として、家族や友達から伝えていきます。
A:そうですね。最後にお伝えしたいことは、この問題の発端となった慰安婦問題は、曲がりなりにも過去に日本政府が河野談話で謝罪している件であり、何も一方的な意見ではないのですね。加えて、展示されていた少女像は全く過激な像でも何でもありません。このこともちゃんと理解しておきたいと思います。
 そして、今回のこの「表現の不自由展」こそ、民主主義の土台である表現の自由が侵害されている事実を発信して、これでよいかを世に問うた、まさに勇気がある賞賛されるべきものであったことを忘れてはなりません。表現の自由の保障は,人を傷つける表現を想定してこれを許容している。むしろ、誰をも傷つけることのない表現は、その自由を保障する意味がない、とも言えるのです。
 この問題は、私たち日本人の民主主義の成熟度が試されている問題だとも言えます。 一歩前進したと思ったら一歩後退で、大変なことも待ち受けていると思いますが、希望を持って進んでいきましょう。
                                        以上

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