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【NPJ通信・連載記事】ビーバーテール通信―カナダから考える日本と世界―

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ビーバーテール通信 第 6 回
 ちょっと待って、「アフター・コロナ」の大合唱

2020年6月5日

小笠原みどり (ジャーナリスト・社会学者)

 何千本というタンポポの綿毛が、誰もいない学校のグラウンドで風にそよぐ。先週まで、黄色い花をつけるや、早朝どこからか現れる芝刈り機にすぐさま刈り取られていたのに、1 週間もしないうちに茎をぐんぐん伸ばし、銀色の頭を全開にして太陽に向けて振っている。見上げれば、5 月になっても枯れ枝にしか見えなかった樹々は、2、3 日のうちに真新しい若葉をところ狭しと広げ、もう大人のような仕草で茂っている。姫リンゴは月曜から金曜の間に、濃いピンクの花びらを満開にしたかと思うと、地面に舞い降りて絨毯になった。

 カナダの春は、とても展開が早い。植物の生命は、太陽の短い季節をよく知っていて、爆発的に前へと進む。



無数のタンポポの綿毛が夕日に輝く=2020年 6 月、カナダ・キングストンで、溝越賢撮影

 
 私は、こんなふうに前進できないでいる。3 月17日にオンタリオ州知事が、新型コロナウィルス (COVID-19) による「緊急事態」を宣言してから、もう12週目に入った。何回延長されたかわからなくなって、調べてみたら、5 回目の延長が宣言されたところだった。私の暮らしているキングストンでは、先週くらいからダウンタウンの小売店が半分くらい開き出し、路上の「STAY HOME」 (家にいろ) の電光掲示板は、「SHOP LOCAL」に変わった (「近所で買い物しろ」ということなのか、「地元の品を買え」ということなのか、よくわからない) 。

 が、相変わらず、公園や公共施設は閉鎖され、5 人以上の集まりは 6 月末まで禁止。「ビジネス」の再開が先行する一方で、オンタリオの公立小中高校は早々と、6 月の年度末まで休校することを決めてしまった。強い不満は聞こえてこないので、カナダの親たちはずいぶん余裕があるなあと思う。だが、これから 9 月に新年度が始まるまでの計半年、子どもの教育の全責任を負うのは、困窮し孤立している親ほどきついはずだ。そして、孤立している子どもたちが電子画面を見る時間は、どこの家庭でも恐ろしいほど延びているはずだ。ウチも頭が痛い・・・・・・。

 私は少し前、初めて顔一面に発疹が出た。新しい石鹸か日焼け止めかが引き金を引いたようだが、首にも広がって腫れた。幸い 2 週間かかってひいたが、何かがおかしい。人と会わないことで、心身が変調をきたしていく。曜日や時間の感覚はとっくになくなって、ビデオ会議を二つもすっぽかしてしまった。ビデオ会議は疲労困憊するので、無意識に避けたのだろうか。一方、子どもだけでなく、私も仕事でパソコンと向かい合う時間が異常に延び、毎日が休日だか平日だか不分明――夢遊病状態で生きている感じだ。

 しかし、この永遠に延長される異常事態が始まった当初から、メディアの関心は「アフター・コロナ」に進んでいた。パンデミックのショックと隔離の異変にたじろいでいる私に、日本でもカナダでも、電子画面を通して「コロナ後の世界はどうなるのか」が盛んに語られている。中国で感染が始まった頃はそんな記事は見なかったが、欧米や日本に感染が広がると、急増する患者に医療機関が対応しきれていない段階から、「ポスト・コロナ社会」の大合唱は始まった。ビジネス・ニュースで、新聞の識者インタビューで、異口同音に語られる「パンデミックは世界を永遠に変える。私たちはもう元の日常には戻れない」という神のご託宣のようなメッセージ。どこか興奮した口ぶり。これはなんなのだろう。危機を認識するので精一杯のときに、どうしてそんなに先を急ぐのか。それにいったい、誰がもう元の生活には戻れないと決めたのか。



オンタリオ州の緊急事態宣言は続いているが、日差しに惹かれてオンタリオ湖畔に出てきた人たち。散歩中でも緊張気味だった人々の表情は、少し緩んできた=2020年 6 月、カナダ・キングストンで、溝越賢撮影

 
 経済活動の再開とともに、増えてきた表現は「New normal」 (ニュー・ノーマル) 。テレワークからオンライン授業、人と握手しないこと、会うときは 2 メートル離れることまでが「新しい普通」と呼ばれている。でも、これらは感染を防ぐための例外措置じゃなかったの ?

 新型コロナウィルスのワクチンの開発や普及に、時間がまだまだかかるのはわかる。感染を防止するために、私たちが引き続き行動に気をつけないといけないのも理解できる。けれど、期限付きの緊急事態を宣言して、個々人の行動をあらゆる面で制限しながら、同時にそれを「新しい普通」に移行させようとするのは、すり替えではないだろうか。

 例えば、カナダの全国紙グローブ・アンド・メールは「ロックダウン後の中国:過酷なニュー・ノーマルの内側」と題して、中国政府が人々を仕事や学校に戻すために、監視と規制と罰則を強化していることを告げている ( 4 月28日付) 。携帯電話を使って個人の位置情報を追跡したり、ソーシャル・メディアでの発言を監視したり、交通機関や公共施設への個人の出入りを妨げたり、近年新たな「監視国家」として注目されてきた中国でも、コロナ以前なら考えられなかったレベルの市民監視が一斉に登場した。欧米メディアは中国のこととなれば、必ず「権威主義的国家」 (Authoritarian state) と前置きして遠慮なく批判するが、この「過酷なニュー・ノーマル」が自分たちの日常にも入り込む可能性も、記事は匂わせている。「中国が始めた一斉封鎖という、最も過酷な対策が、世界中の国々で採用されたように」と。

 「権威主義的国家」ではないはずの日本が、似たようなニュー・ノーマルとしてやろうとしていることは、携帯アプリを使って感染者の接触者を追跡することだ。携帯持ち主が近距離で接触した相手の携帯番号を、アプリで暗号化して記録し、後で感染がわかった場合に、接触相手に政府が警報を送って自己隔離を促す、というシステムだ (この問題点については、朝日新聞GLOBE+の新連載で最初の 3 回にわたって書いたので、そちらをぜひ参照してほしい) 。私たち一人ひとりが誰と会って話しているかという私的な情報を、個人の同意を前提にしてるとはいえ、政府が大量に収集し利用するという政策は、パンデミック下でなければけっして導入できなかっただろう。

 この接触者追跡アプリを支持している慶応大学医学部の宮田裕章教授 (医療政策) は、やはりニュー・ノーマルを自明のように語っている。宮田氏は、厚生労働省とソーシャル・メディアの LINE がコロナ対策として共同で、ユーザーに体調や職業などについて聞き、2 千万人前後が 4 回にわたって回答したという調査にも参加している。それがどう感染対策に役立ったのか、朝日新聞のインタビュー ( 6 月 2 日付) には、「 3 密回避が難しいとみられるグループの発熱割合が、他のグループより高かった」という、私には当然としか思えない結果以上の結果は載っていない。要は、ビッグデータを利用すれば個人に最適な医療対策が実現できる、というのが氏の主張だが、それが緊急対策ではなく、「新たな日常」として提案されているところがミソだ。

 宮田氏は言う。「コロナ禍を経験し、各国は社会の仕組みを後戻りできない形で変えています。同じ日常には戻らないことを前提にして、人々を守り、その先に新しい国の形を目指していく。そんな覚悟が日本にも求められています」。が、「同じ日常には戻らないことを前提」にすると決めたのは誰か ? 覚悟を求められている「日本」とは誰を指すのか ? 政府だろうか、データを取られる私たちだろうか ? 政府が個人データを手にした途端、心を入れかえて人々を思いやる、なんてことはありえない (特に、文書とデータの改ざんを繰り返してきた政権には期待できない) 。とすれば、私たちに、政府に日常を監視される覚悟を求めているのだろうか ? 主語が明確でない予言に、疑問ばかりが募る。

 私は、自分 (たち) が新型コロナウィルスや緊急事態で苦しめられながらも、いや、苦しんでいるからこそ、今後の変化を自然の摂理のようにお告げするよりも、いまの苦しみがつくり出された原因を突きとめ、今後繰り返さないためにどうすべきなのかを選び、行動したい。一足飛びに、緊急事態下での行動制限を新しい日常にされるのはごめんだし、政府が私の生活に介入してくるのもお断りする。「アフター・コロナ」の大合唱に潜んでいるのは、「緊急事態下で進行している流れには逆らうな」という刷り込みであり、説得である。その発言の多くが I T 技術やビッグデータに絡んでいるのは、この機会に新たな政治的・経済的利益を追求しようという欲望が隠れているからだろう。厚労省と LINE の共同調査自体が、個人情報をめぐる利益の大きさを体現している。「技術が問題を解決する」というニュー・ノーマルの押し売りは、私たちに考える間を与えず、先を急がせようとする。

 もちろん、コロナ以前の日常がすべてよかったわけではない。むしろ以前から深刻だった問題が、パンデミックによって露呈し、悪化したと言っていいだろう。保健所の削減や検査の不足は、その最たるものだが、それだけではない。貧困も人種差別も女性に対する暴力も、世界で激化している。アメリカでは新型コロナでアフリカ系の人々が白人の 3 倍亡くなり、イギリスでもアジア系、カリブ系、アフリカ系の人々がより多く、死の危険にさらされている。開くばかりの人間社会の不平等を直視し、改善するのは、ビッグデータや A I ではない。政治指導者が、経済の仕組みが、変わらなくてはならない。



アメリカの警察官に殺害された黒人男性の最後の言葉「息ができない」をマスクに書いてデモに参加した女性 (カナダ・モントリオール) や、北米の外にも広がる「正義がなければ平和もない」の訴え (オランダ・アムステルダム) を伝えるカナダの全国紙グローブ・アンド・メール

 
 いまアメリカで、警察官の暴力によってアフリカ系市民ジョージ・フロイド氏が殺害されたことに怒る人々が街頭に出て、それが世界に広がっているのは、まさに制度化された暴力が是正されてこなかったからだ。緊急事態下で、これまで差別されてきた人々のいのちは守られるどころか、もっと危険に晒されている。マスクに書かれた “I can’t breathe” (息ができない) 、段ボールに書かれた “No Justice, No Peace” (正義がなければ平和もない) の波が、限界点に達した人々の苦しみを訴えている。私には、人々が、現実を無視して押し着せられようとする「ニュー・ノーマル」を拒否し、蹴散らしているようにも見える。虫けらのように扱われたくない、自分たちには意志がある、と。

 「アフター・コロナ」の大合唱には、社会がこれまで経験してきた現実と、積み上げてきた原則で応答しよう。私たちには未来と同じように過去がある。過去に貧困や不平等や不自由を経験してきたからこそ、世界中すべての人々が等しく人間として尊重されることが人権として宣言され、日本の憲法にも生存権、人格権、通信の秘密、政府の私生活への不介入が原則として書き込まれた。緊急事態だからといって、過去の苦しみの上に積み上げられてきた原則が反故 (ほご) にされる筋合いはない。人間として扱われるために、データを差し出す必要もない。もう戻れないなんて、言わせない。私たちには戻るべき原則があり、まだ実現されていない約束を実現させなくてはならないのだから。
 
 タンポポは、とてもしぶとい花だ。子どもの頃、完全な球体の綿毛を見つけると、嬉しくて、そっと摘み取った。だから、壊れやすいと信じていた。けれどカナダのタンポポは頑丈で、摘んでも吹いても綿毛は簡単に飛ばない。この花のように、摘まれても吹かれても踏みとどまって、やがて飛びたいときに飛躍し、根を増やそう。いのちの原則に従って。

〈了〉



【プロフィール】
小笠原みどり (おがさわら・みどり)
ジャーナリスト、社会学者、元朝日新聞記者。
アメリカの世界監視網を内部告発したエドワード・
スノーデンに2016年5月、日本人ジャーナリストと
して初の単独インタビュー。
18年、カナダ・クイーンズ大学大学院で監視研究
により社会学博士号を取得。
新著に『スノーデン ・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版)。

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