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【NPJ通信・連載記事】憲法9条と日本の安全を考える/井上 正信

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冷戦時代に先祖帰りしたロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」と米国の2018年版「核態勢の見直し (NPR) 」の狂気
―核兵器の警報下発射態勢と「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」 下

2020年8月2日


(前回に続く) トランプ政権の核態勢見直しに対抗するロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」についての、「軍事研究誌」2020年 8 月号所収小泉論文について紹介します。

 ロシアの核戦力が対抗すべきものとして、
① ロシアとその同盟国の周辺において、核運搬手段をその構成要素に含む仮想敵の通常戦力グループが増強されること、
② 仮想敵国がミサイル防衛システム、短・中距離巡航ミサイル、弾道ミサイル等の配備、
③ 諸外国がロシアやその同盟国に対して核兵器、大量破壊兵器を使用すること、
④ 核兵器と運搬手段の拡散、
⑤ 非核兵器国へ核兵器と運搬手段が配備されること
 などを挙げています。

 とても広範囲な状況、例えば INF条約が失効しており、米国が日本の領土内へ中距離弾道、巡航ミサイルを配備した場合も含まれます (上記 ② ) 。日米同盟の下でいずれ近い将来そのような状況に私たちが立たされる危険性があるということです。② はミサイルの弾頭が核・非核を区別していませんので、それが仮に通常弾頭であっても事態は変わりません。

 これにより、ロシアは通常兵器による攻撃の場合でも核兵器使用の権利を留保するものです。このことは2000年以降のロシアの軍事ドクトリンとも似通っていたと小泉氏は述べています。

10 ではロシアがどのような状況で核兵器を使用しようとしているのでしょうか。これについては次の 4 つを挙げています。
① ロシア、その同盟国を攻撃する弾道ミサイル発射がされたとの信頼のおける情報を得たとき、
② ロシア、その同盟国に対して核兵器または大量破壊兵器を使用したとき、
③ 機能不全に陥ると核戦力の報復活動に障害をもたらす死活的に重要なロシアの政府施設又は軍事施設に対して敵が干渉を行ったとき、
④ 通常兵器を用いたロシアへの侵略により国家の存立が危機に瀕したとき
 
 ① について、小泉氏はロシアが核兵器の警報下発射態勢 (敵国の核ミサイル発射を探知すれば、着弾前にわが方の核ミサイルを敵国へ発射するという態勢、これにより核抑止態勢が極めて不安定となる) を採用していると述べ、これに関する他の論者の説明を引用しながら、ロシアがこのような危険なドクトリンを盛り込んだ事情を述べています。

 その事情とは、ロシアが武装解除打撃 (報復核戦力を含む核戦力に対する壊滅的な打撃を与える攻撃) に対する懸念を深めていることを表しており、INF条約を脱退した米国がロシアの近隣へ中距離ミサイルを配備する、MD能力を高める、戦略原潜に低威力核弾頭を搭載する、ドイツへ配備されている戦術核兵器をポーランドへ移すなどの動きの反映であろうと述べています。

 小泉氏によると、ロシアが冷戦時代に開発したペリメールシステム (政治指導部の全滅後も自動的に報復命令を下せるシステム) を現在でも維持しているとのことです。

11 ロシアの軍事ドクトリンに「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」が含まれるのか、西側諸国で20年間議論されてきたこの抑止概念について小泉論文が言及しています。

 「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」とは、核使用によりそれ以上の軍事的行動を敵に断念させることを念頭に置き、その特徴は、敵の損害の最大化を狙うのではなく、軍事行動の継続によるデメリットが停止によるメリットを上回ると判断する程度の「加減された損害」を与えるように意図する点にあると述べています。

 これは冷戦時代の限定核戦争論を想起させるものです。限定核戦争論は、米ソが全面核戦争に陥るリスクを避けながら、核戦争をコントロールできるという考えが基礎となっていました。

 ロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」が述べている、核兵器を使用する4つの条件には「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」は含まれていないが、核兵器使用はこれに限定されるとは限らないとして、小泉氏はこれに関するいくつかの言及を挙げながら、「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」の存在は曖昧であるとしながら、ロシアにとっては曖昧にすることにより抑止戦略として利益があると論じています。

 私には「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」の存在につき断定することは出来ませんが、少なくともトランプ政権のNPRはこれに対抗することを目的にしていることだけは確かです。

12 いくら戦術核兵器を使用したとしても、それが相手によるそれ以上の攻撃を抑止するなどは考えられません。現にトランプ政権のNPRは、「彼らは非核攻撃または限定的エスカレーションからは何も得られないことを理解しなければならない。」、「このロシアの誤った認識を正すことは戦略的に肝要である。」と述べているのです。

 では米国が戦術核兵器を使用したとすれば、ロシアもエスカレーションを抑止されるかといえば、そうはならないでしょう。なぜなら米国自身が抑止されないと述べている以上、ロシアもそれに対抗して抑止されないからです。結局「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」は、これにより仮想敵が抑止されるという都合の良い想定の上に作られた幻想にすぎないのかもしれません。

 核兵器の警報下発射態勢にしても「エスカレーション抑止のためのエスカレーション」にしても、冷戦時代の核態勢の先祖帰りのような内容です。このことを私たちは真剣に考えなければならないと思います。

13 私たちにとってロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」は今後どのようなかかわりを持つのでしょうか。ロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」は、米国による INF条約らの脱退と条約の失効が重要な背景にあることは間違いありません。

 INF条約の失効が日本の平和と安全にどのような含意を持っているのかについては、2019年11月にこの連載コーナーへアップした「INF条約失効後の日本を取り巻く核兵器の状況―日本政府へ核兵器禁止条約批准を求め、北東アジア非核地帯を実現させよう ① ② ③ 」をお読みください。

 米国は中国とロシアを想定した中距離弾道ミサイル、巡航ミサイルを、日本領域へ配備することを狙っています。安倍内閣は日本自らも敵基地攻撃能力を保有するため議論を進めています。イージスアショアに代わるMD能力の強化も狙っています。

 これらの動きをロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」から見れば、核抑止力で対抗すべき動きとなります。さらに、日本へ配備された米国の中距離ミサイルがロシアへ向けて発射されれば、ロシアは警報下発射態勢により直ちに報復核攻撃を日本に加えるでしょう。

14 冷戦時代、全地球上の人類は「ダモクレスの剣」の下で生きていたといわれます。「ダモクレスの剣」とは、王座の上に髪の毛 1 本でつるされた剣のことで、常に一触即発の危険にさらされている状態を比喩するものです。

 冷戦時代、最大で 7 万発を超える核兵器により、「相互確証破壊」と称される核抑止政策の下にありました。「相互確証破壊」とは、米ソどちらが先に核攻撃を行っても、第一撃によっても残された報復核戦力により、先制攻撃を行った国も同じように壊滅的な打撃を確実に受けるから、互いに先制核攻撃を控えるという核抑止の議論です。

 その頭文字をとって「MAD」とも称され、狂気の戦略だとも評価されていました。然し核戦略の現場では、多弾頭ミサイルの配備と命中精度の向上から、敵の核戦力を標的にした (カウンターフォース) 武装解除攻撃が可能となり、核戦争で不可欠な核兵器と発射システム、核戦争司令部などの標的が先制攻撃により確実に破壊される恐れが出てきたため、米ソは互いの核兵器を警報下発射態勢に置きました。これは誤った警報や誤発射によっても全面核戦争に至る恐れがある狂気の態勢です。この状態を「ダモクレスの剣」と比喩されていたと理解しています。

 その結果、米ソ双方は戦争指導部を含めて互いに壊滅的な被害を受けます。冷戦時代のソ連がペリメールシステムを開発したのも、このような事態でも全面核戦争を遂行できるようにしようとしたのでしょう。そのシステムを今でもロシアが運用しているというのです。

 ロシアの核ドクトリン「核抑止政策の基礎」とトランプ政権の核政策は、再び世界を「ダモクレスの剣」の下に置きかねません。特に我が国は米ロ、米中との軍事的対決の最前線に置かれています。安保法制により、いざというときには日本は米国と一緒になって戦うことになります。30防衛大綱の下で、自衛隊と米軍とが一体となって共同作戦行動をとれる仕組みや能力が作られつつあります。日米同盟は否応なく私たちの存在を脅かしかねないものとなってきています。

 私たちは今真剣に日本の平和と安全、私たちの平穏な日常生活を守るために何をすべきか考えるべき時に来ていると思います。

15 憲法 9 条の下での専守防衛政策を無にする敵基地攻撃論のみならず、憲法 9 条改正につき進むのか、憲法 9 条の改悪を許さないだけではなく、憲法 9 条を生かし、平和と安全を守るための政策を作り上げるのか、私たちの覚悟と知恵が問われています。

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