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【NPJ通信・連載記事】ホタルの宿る森からのメッセージ/西原 智昭

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ホタルの宿る森からのメッセージ第19回「内戦の背後にある資源の呪い、しかし国立公園は死守・その6(最終回)」

2014年11月5日

▼戦後処理

内戦後の処理の大きな仕事である第一弾は、隣国・中央アフリカ共和国のWWF基地に内戦中保管していたWCSプロジェクトの物品を回収しに行くことであった。ンドキのWCS基地ボマサからボートで約6時間の場所にある。無秩序な保管の仕方のため、探したい物品の見つからぬいらだたしさが募る。とくにボマサ基地の無線機が故障中なので、そのスペアがすぐにほしかったのだ。

夕闇せまる中央アフリカ共和国ザンガ・バイでのマルミミゾウ © 西原智昭

夕闇せまる中央アフリカ共和国ザンガ・バイでのマルミミゾウ © 西原智昭

物品回収が一段落したところで、午後から、さほど遠くないザンガ・バイを訪問した。20年以上にわたってアメリカ人女性が観察台からゾウの観察を行なってきた場所だ。これまでに4,000頭以上の個体識別を行ない、マルミミゾウの社会構成やその経時的変化を追跡している。一度に100頭前後のマルミミゾウが同時に見ることのできる世界で最後の場所だ。ぼくも果たしてその日、ゾウを観察できた。大雨の中の移動でからだじゅうは冷え切ったが、その強烈なマルミミゾウの印象から、「この自然の姿を、森林破壊や密猟から守っていかなければならぬ」と、コンサベーションへの道を新たに確信する。昼間のいらだたしさや雑務の疲れも一気に吹っ飛ぶ。

▼ゴリラ、密猟される!

ゴリラの腕の形をした燻製肉を村で見た、という情報が入る。村の中では、その違法行為をもみ消そうという状況らしい。しかし地道なアンケート調査を経て、ジョニイはついに真相を突き止める。ある日、村の中心的存在である初老の男が、村近くの森でダイカーなどの小動物をしとめに行くよう、あるピグミーに命じる。ところがそのピグミーは森の中で、ゴリラに遭遇、突然威嚇されたため、持っていた銃でゴリラを射殺したのであった。ことの発覚を恐れた初老の男は事件を秘密にしようとしたばかりでなく、ゴリラの肉を燻製にし、村の中で酒などと交換していたというのだ。

当のピグミーを連れてわれわれは現場検証へ向かった。頭骨以外は切断しその場で燻製にして村へ持ち帰ったという。たしかに燻製台は残っていた。しかし多少の毛と若干の胃の内容物を除いて頭骨は見つからなかった。もはや食われてしまった肉についてはどうにも戻ってこないが、頭骨は重要な証拠品だ。頭骨さえあれば、歯の特徴などからわれわれの知っているゴリラの個体であるかどうか容易に判定できるからだ。

ボマサ村周辺に出没するソリタリーのオスゴリラがいる。人々に悪さはひとつもしない。われわれの方から何をするまでもなく、自然にそのゴリラは人付けされた。疑いのない野生のゴリラである。餌付けも一切していない。ぼくのボスであるマイク・フェイはそのゴリラを「エボボ」と名付けた。エボボとは現地語名で、ゴリラを意味する。国立公園設立後、村人はむやみな狩猟をしなくなった。エボボはその象徴的存在のひとつといってもよかった。実際、エボボが現れれば村人こぞって見に行き、彼らもその振る舞いを見て楽しむ。ナショナル・ジオグラフィックのカメラマンやBBCのカメラマンもエボボの映像を収めた。

ピグミーがゴリラを撃った場所は村から数km内の場所である。エボボの行動域内だと考えても不思議ではない。エボボが突如威嚇するような行動に出るとは予想しにくいが、エボボが撃たれた可能性もゼロではあるまい。エボボといえども、見通しの悪い森の中でいきなり人間と鉢合わせ、しかも人間の持つ銃を見てゴリラが逆上したということも考えられる。われわれはこのエボボが死んだかもしれないということを考えていたのだ。頭骨はいったいどこに行ったのであろうか。

その村の中心的存在である初老の男は、WCSプロジェクトでも信頼のおける人として長年船頭として雇ってきた。ぼくも彼を信用していた。しかしその男が、ゴリラ密猟の隠蔽の筆頭であり、そのゴリラ肉流通の担い手だったのだ。非常に残念であった。しかしこれも内戦の傷跡だといえないこともない。終戦になったとはいえ、プロジェクトのお金はスムーズに現地まで送られず、支払う給料も遅くなりがちであった。また内戦の影響で、物資の流通が減少し、村では食糧などが不足する傾向があった。ゴリラを撃ったのは事故といえば事故、しかしそれを隠蔽してまで肉の流通を図ったのは、そうした困窮状態にあったという事情があるのは確かであろう。

幸い、後日、エボボは再びわれわれの目の前に元気な姿を現した。

▼象牙隠し

内戦終了後パトロールに送ったチームが、密猟者によると思われるゾウの死体を発見したのだ。象牙はすでに抜かれていたという。内戦中はパトロールが十全行なわれていなかったためなのかもしれない。しかも、チームは村へ戻るこの日も、遠く銃声を聞いたという。とにかく対密猟調査隊を派遣する必要がある。

カボ(注:ボマサ基地から30㎞南に位置する伐採会社の町)にいるジョニイと無線機でこの旨を相談する。彼は国立公園への密猟者侵入の可能性もありと判断し、パトロール隊再編成のため、早速2丁の自動小銃と二人の兵隊をボマサに送り込む段取りを進めるという。ところが、コサコサ(注:ジョニイの補佐をやっている森林省スタッフ)がぼくの事務所に駆け込んできた。「ゾウは密猟で殺されたわけではない。ただ自然死していただけだ。死体から抜き取った象牙はチームのリーダーが村に持ち帰った。もう兵隊を呼ぶ必要はない」と。まず、チームメンバー4人を村から基地に呼んで事情聴取を開始し、その通りであったことを確認する。チームリーダーの男に狂言をするよう言いくるめられたという。次に呼び出されたチームリーダーの男は、混乱と混沌の中、わめき叫ぶ。われわれにうそをついたことは確かで、しかも象牙を隠していたのは事実であった。他の村人が、その男の家のベッドの下から一対の象牙を見つけてくる。無線機で、その事情をジョニイに伝える。「とにかく兵隊は送る。いずれにせよゾウの死体の確認の必要性があるから」とぼくに告げる。

密猟されたマルミミゾウの古い死体の一例;すでに象牙は抜かれている © 西原智昭

密猟されたマルミミゾウの古い死体の一例;すでに象牙は抜かれている © 西原智昭

その後「奴(チームリーダーの男)がひもで何かやっている」と事務所にいるスタッフの一人がぼくに告げる。「どこにいるんだ、奴は?」といいつつ、ぼくとからだの大きい別のスタッフは彼を、事務所の外すぐ近くに見つける。無線機のある部屋のすぐ横のシロアリ塚の上にいて、ある木の枝に紐をくくりつけて、「首吊り」をしようとしていたのだ。体の大きいそのスタッフは、渾身の力を込めて紐をはずそうと試み、同時に男をつかむ。ぼくは、瞬時に他のスタッフに山刀を持ってこさせる。ひもを切るためだ。しかし、男はもう一度、すぐ近くの場所で首吊りを試みる。体躯の大きなスタッフにこれも食い止めてもらう。やがて男の家族など大勢の人がこの事態を見に来た。落ち着かせるため男の食事も持ってきた。泣きわめいていた男はだいぶ落ち着いてきたようだ。事の真相が暴露され、チームリーダーの男は良心の呵責を受け止めたのか。そして、自分のそうした嘘つきと象牙を隠し持っていたことで、まもなくボマサに到着する兵隊にひどい目にあうのではないかと恐れていたのだろう。それを瞬時に判断し、突発的に自殺を図ろうとしたのだろう。

しかしこうした事件が起きる背景も、ゴリラ肉の件と状況は似通っている。このときの象牙は長さ50cmもない小さなもので、仮に売却してもたいした金額にならない。しかしそこにあったのは、内戦の傷跡、一時的な困窮生活だった。少しでもお金が欲しかったのだ。

▼マイクのもとでコンサベーションの道へ

内戦後、首都のWCS事務所は完膚なきまでに略奪され、残していったぼくの荷物は跡形もなくなったことが判明した。置いていった手書きのオリジナルデータ・シートも失ってしまったのだ。もちろんそんな重要なものを戦時下の町に置いていったのは明らかにぼくの失敗であった。しかし、緊急脱出時にそれは持てなかったのだ。痛手は大きかった。長年こつこつ集めてきた森の果実の生産量変化に関するデータが一部完全に消えてしまったわけである。さらに内戦のあおりで、首都に住んでいたぼくのコンゴ人学生の消息もこのときを機にわからなくなってしまったのだ。こうしたことが重なって、純粋に研究を続けていく意欲、学生たちのトレーニングを継続していくパワーが実際なえていってしまったことは否めない。

「保全」の上で、何よりもぼくには取り組むべきことがあった。熱帯林という現場でのマルミミゾウの密猟の実態を目の当たりにしていくにつれ、ぼくの中には次第に「怒り」のようなものが湧きあがってきた。世界中のゾウの生息数をここ何十年間の間に激減させてきたのは、とりもなおさず象牙の需要が世界No.1(1997年当時)の日本人だったという事実である。熱帯林に関わっている日本人として、それをこれまで知っていなかったということが恥ずかしかった。と同時に、同じ日本人としてこの日本人の行為に罪悪感のようなものを覚えた。だからこそ自分で何とかしたいという気持ちが湧き上がる。実際長期間アフリカ熱帯林に滞在してコンサベーションに携わっている日本人はぼくのほかにいないし、ぼくこそがマルミミゾウの現況を日本語で伝えられる唯一の存在であることも確かだった。

そして内戦中からの話の通り、マイクはぼくに約束を果たしてくれた。つまりWCSプロジェクトに雇いあげてくれたのだ。内戦中の基地マネージメントの仕事を評価してくれてのことか、ぼくはマイクにこのまま基地のマネージメントの仕事を続けてほしいと頼まれた。これで初めて正式に「コンサベーション」の仕事に就けるのだと。タイミングもちょうどよかった。まだ籍のあった大学で享受していた特別奨学金もそろそろ切れるころだった。それが切れてしまえば、学費を払って京大に籍を置きつづけるかどうかの決断をしなければならなかった。

もちろん大学の教官からは大学に就職することを勧められていたし、実際いくつかの候補はあった。書類を出せばまず通りそうなポストもあったようだ。でもぼくはいつも留保していた。WCSに正式に雇われる可能性を考えていないわけでもなかった。無論、NGOへの就職など安定性がないのは百も承知であった。しかし同時に、大学や日本のアカデミック業界に数年前から失望していたのも事実だった。第一に大学に就職してしまえば、講義や会議、膨大な雑用にふりまされてしまう。安定した給与のある生活は保証されるにしても、そんなことでたった一度の「生」を送ってよいものかどうか疑念はつねに去らなかった。それにいったん就職してしまえば長期にフィールドに戻るチャンスはほとんどなくなってしまう。せいぜい短期間の調査に参加するのが関の山である。アフリカでの長期滞在は不可能になるし、事実上現場での「コンサベーション」に貢献できなくなることは明らかだった。失望した第二の理由は、大学院そのものへの失望であった(注:この件は別稿に譲りたい)。

マイクがなぜぼくを内戦中の基地責任者に選んだかは今でも本当の理由はわからない。しかも、ぼくはWCSの協力者ではあっても、給与のあるスタッフではなかったのだ。それでも、現地語が巧みであり、兵隊ともうまく交渉できるだろうという点は考慮されたのかもしれない。確かにぼくが現地語をすらすらしゃべるとまずはみんな何はともあれ驚き、どんな場面でも雰囲気が一気に和やかなになることは経験的に知っている。兵士コブラの訪問時に、ぼくのリンガラ語が場の雰囲気を和らげたのに役立ったことはすでに記した。ことばは、ときによっては銃にもまさる武器かもしれない。

あるいは内戦前に偶然ンドキの森を撮影で訪れた日本のテレビ隊をスムーズに現地コーディネートした力量を買われたのかもしれない。もう一つ考えられるのはWCSプロジェクトの内部事情だ。内戦前のころ、白人二人の間で、ある問題の方針上で対立があった。ともに「女性」と一緒に現地で仕事をしていたのだが、その女性同士までがいがみあうようになったのだ。だからマイクは内戦の危機を利用してこの二つのカップル同志をしばらく帰国させ、双方とも頭を冷やさせたかったのかもしれない。その点、ぼくは問題のかやの外だったし中立的な立場であった。

さらにもう一点はもっと政治的な理由かもしれない。内戦中に優位に立っていたのは元共産主義勢力であった。もちろんこのためアメリカは支持するはずがないし、逆に兵隊たちもアメリカの組織となれば目くじらを立てかねない。そこでWCSスタッフのアメリカ人などは出国させ、日本人であるぼくを残したとも考えられる。実際、この内戦の経験を書きとめておきたかったのも、内戦の背後に「資源の呪い」があったことである。旧宗主国であるフランスは、コンゴ共和国独立後もその特権を利用して、自然資源、特に石油の利権に奔走してきた。そこへ、同じく石油を探すアメリカがやってくる。その対立は、内戦の原因となったコンゴ政府内の対立(民主派と元共産主義勢力の対立)と一致していたのだ。アフリカの内戦は多く部族の対立と片づけられるが、そればかりではない。その背後には先進国による資源をめぐる政治的争いが存在していることがあることをわれわれ日本人も認識しなくてはならない。われわれと無関係ではないのである。

内戦中、なぜそこまで、危険なものを前に、居残ったのか、しかも、就職もしてないWCSから依頼されただけで、なぜそんなことを引き受けたのか、と人は問う。しかしその経験はぼくにとって重大な転機となった。そして、純粋な研究者としての道を捨て、ぼくは「コンサベーション」に携わる道へと一歩を踏み出すことになったのである。

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