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【NPJ通信・連載記事】音楽・女性・ジェンダー ─クラシック音楽界は超男性世界!?/小林 緑

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第73回 : 2020年を振り返って

2021年2月4日


 2020年、無事に生活を続けられている幸運を噛みしめながらの毎日でした・・・
 読者の皆様、事務局の皆様、お変わりなくいらっしゃること、心より祈念しております。
 2021年も早や 2 月になってしまいましたが、どうぞこれからも、よろしくお付き合いくださいますよう、心よりお願いいたします。

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 「アベなきアベガースー政権」の悪業に呻くこの国、対して史上初、黒人アジア系女性副大統領を生んだ米国――共に重要な “同盟国” を標榜しながら、天と地ほどの違いが露呈した。ただし、ハリスさんが強力なイスラエル・シンパと知り、パレスチナの里親運動にもちょっぴりかかわっている身として愕然としたが、まさか ! パレスチナを見限ったりすれば、世界が許さないであろう、と希望にすがるほかない。すべてよし ! などはあり得ないと自覚しよう。

 逆順になったが、ともかく前回10月 9 日に更新した記事で書き終えていなかったイヴェントについて、報告させていただきたい。

1.「性差―― “ジェンダー” の日本史」展 (2020/10/6~12/6)。
 初めて「ジェンダー」視点を取り込んだということで、全国的な話題となった国立歴史民俗博物館の大型プロジェクト。想定をはるかに超えた大盛況だった。サスガ! 国立の機関だからねぇ、と驚かされた分厚で総カラーのずっしり重い図版カタログ (本体2,273円) は、すでに 5 刷を重ね、さらに簡略版ガイドブックの出版が予定されているという。
 私としては、クラシック音楽愛好者でプロジェクト代表の横山百合子さんにお声がかりいただいて、展示の趣旨に添うレクチャー・コンサート「音楽と女性たち――『石井筆子と天使のピアノとともに』」を滝乃川学園で無事録画撮影できて、本当にラッキーだった。その動画は歴博公式チャンネルのYOUTUBEで今なお放映中、2021年いっぱいまでアクセス可能、とのこと (歴博HP参照) 。私の話はあちこち欠けたり、言い間違えたりでお恥ずかしい限りだが、何より、石井筆子の驚くべき先見性と不屈の闘志こそはノーブレス・オブリージュの鑑、世界に誇るべきこの女性の存在を多くの人々に伝えることができた――この 1 点に絞っても、私にとっては十分報われた想いである。もっとも、このレクチャー・コンサートは展示外の扱いなので、大評判のカタログにも記録されていないことは、ご承知おきいただきたい。
 他方、その動画から、か細いながらしっかりした糸で筆子とつながっていた北欧女性作曲家たちの充実した作品を視聴するその度ごとに、クラシック界が相変わらず彼女たちをなかったことにしている「歴史修正主義」の根深さを思い知らされる。倫理も知性も丸ごと捨て去ったこの国の姿を二重写しにしているよう、あまりに情ない・・・

 さて、この展示を見た知人たちから、お褒めの便りとともに、批判的な感想もいくつかいただいた。後者から、心底同感した 2 例のみ、ご紹介したい。

 まず、一票で変える女たちの会の機関誌「かわらばん」 (2020/12/15,第35号) から。
 長らく「慰安婦」をはじめとする女性問題に積極的に活動・発言を積み重ねられてきたKさんが、致命的な不備を衝かれていた (「この「かわらばん」には、電子版でアクセスできます: HP: https://1pyo-de-kaeru.com ) 。「性の売買と社会」のコーナーが貴重な資料を多く紹介し、買う男の分析なども交え出色の展示であったのに、内容は敗戦から一気に戦後へ飛び、戦時中の「慰安婦」問題には全く言及がなかった事実に対してである。しかも慰安婦のみならず、戦時中の問題はことごとく無視されていた。「もしも国立博物館では “慰安婦” は取り扱えないという “暗黙の了解” のもとに企画されたのだとしたら、この意欲的な展覧会は画竜天晴を欠くという以上の欠陥があると思えてならない」・・・この結語はどこまでも重い。

 ところで、この「かわらばん」に私自身もレクチャー内容に若干手を加えた報告文を載せていただいている。ところが脱稿後、2016年に大空社が出版した『鳩が飛び立つ日「石井筆子」読本』 (大空社) なる書物の存在を知り、周章狼狽・・・著者は筆子復権の立役者のお一人、津曲裕次さんであるから内容は信頼できるものの、副題に「男女共同参画と特別支援教育・福祉の母」とある通り、筆子か生涯を通じて献身した女性の自立や女子教育の側面にはほとんど触れていない。杉並の女性たちに問い合わせて知ったのだが、そもそも本書は「道徳」教科の副読本として発案されたもの――筆子の障害者に対する献身や無私の母性愛を、どうあっても強調したいのであろう。であれば、この欠落も当然か・・・だが筆子本人がこれを知ったら、どう思うだろうか ?

 次いで、天皇制と戦争責任を問い続ける歌人、Uさんのブログより。
 『天皇の短歌は何を語るのか』 (お茶の水書房、2013) の著者であり、かつNHK問題にも途切れずご夫妻で活動中のUさん。通史としても、Kさんが指摘された戦中・戦後史としても、未解決のままの諸相をもれなく指摘されている。簡潔でわかりやすい文体もさすが ! 歴博が立地するご当地佐倉にお住まいながら、なんとなく距離を置いていらしたとか。けれど、中軸として活躍なさっている「さくら・志津 憲法 9 条をまもりたい会」に、私もかつてお声掛けいただいて、NHK経営委員会の実態をぶちまけてしまったご縁もあり、今回、展示にお誘いしたのだった。谷戸との協働による女性作曲家コンサートに何度もお運びいただいた関係もある。ブログの最後の部分を以下に再掲すること、お許し願いたい。私が言いそびれてきたポイントを、まさにズバリ――なんともおこがましいが――代弁して下さっているようにも思われるからである。 
 「天皇制の問題にしても、慰安婦問題にしても、さらには性的少数者への言及がない展示について思うのは、学問の自由、研究の自由、そしてそれを発信する自由を、自ら委縮させることにはならないでほしい、と切なる願いであった・・・ (中略) ・・・
 今回は文芸における “性差” がまったく扱われることはなかった。文学、美術、音楽、演劇、教育あるいは科学技術、医療、福祉分野などでの “性差” について、研究所や論文は数多くあり、さまざまな研究会やシンポジウムなども開かれている。美術館や文学館、演劇や音楽の舞台でも、問題提起がなされてきた。歴博においても、 “歴史民俗博物館” として、一つの分野での “性差” の日本史の試みを、シリーズで開催できないものか、期待したい。」
 なお、Uさんがまさに天皇誕生日の 2 月23日、『「歌会始」が強化する天皇制』と題してお話されるWAMセミナーは、後日、録画映像がオンライン配信される予定とのこと。私は万難を排して当日会場に参加するが、「序列化される文芸・文化」の副題からして興味尽きない。NPJ読者の皆さんも、どうかお見逃しなきように!
 
2. 日本科学者会議・総合学術研究総会でのレクチャー『平和とジェンダー』
 歴博展終了の前日に当たる2020年12月 5 日、ZOOMによる講演を、実施できた。ただし、IT 音痴の私は科学者会議事務室にうかがってマイクを前にお話しただけ。事前にお渡ししてあった音源と動画・図像や楽譜表紙などを挿入してしっかり形に仕上げ、参加者にお届けくださった科学者会議スタッフの皆さんに、再度深く御礼申し上げたい。

 歴博での内容も再利用したが、今回の目玉は初めてスウェーデンのアマンダ・マイエル=レントゲン Amanda Mayer-Röntgen (1853-1894) を取り上げたこと。レントゲンという結婚後の姓は、あのレントゲン写真発明者の姻戚筋に当たる・・・なんともミーハー的興味をそそられた。彼女と、同じく優れた作曲家=鍵盤奏者の夫ユリウスを取り上げたCDもすでに数点あるうえ、今やYOUTUBEでもヴァイオリン協奏曲やソナタなど、ヴァイオリニストでもあったアマンダ愛用の楽器を使った動画もいろいろ放映中である。アマンダへの尊敬と愛に満ち溢れた英独対訳の解説文 (Erik Nillson 執筆) に拠れば、夫ユリウスは当時としては誠に珍しい 2 歳年下、おまけにアマンダ13歳当時の男装姿の写真も挿入されており、アマンダがまごうことなくフェミニスト気質を備えていたことが伝わってくる !

 ZOOM終了後の質問コーナーでは、作曲家に女性がいたことは確認できたが、指揮者はどうか ? とお尋ねがあった。もちろん多数活躍中ですよ、と即答。その時は触れなかったが、最重要視されているイギリスの音楽雑誌 “グラモフォン” が2020年度オーケストラの最優秀指揮者に選んだのが若いウクライナ女性だった事実も併せ、「指揮と女性とジェンダー」と題して、近いうちに梨の木舎「小林緑の音楽カフェ」でお話する予定である。

 最後に、科学者会議のニュースレターに載った匿名の会員の感想文をご紹介したい。
 「講師が眩しいくらいに楽しそうだった・・・自分も楽しんで研究や教育をしているか ?」と自問されたこの商品経済の専門家らしき方は、ブランド・アディクション (音楽界からいえばクラシック妄信 ? ) の危険を学生に伝えながらも、そのブランド中毒には良くも悪くも二面性があるから、結局は徹底的に楽しめる者がブレイクスルーを起こせるのだ、と気付けて良かった、と記してくださった。私も大作曲家やオーケストラというブランドとの闘いに疲れ果てているのだが、同時にそこから、これ以上に楽しくファイトを掻き立ててくれるテーマもない、と感謝の念に包まれているのが実情である。

 長々とまとまりなく書き連ねてしまい、申し訳ありません。せめて一刻も早くオリ・パラ中止の朗報が届きますように。皆様、くれぐれもご自愛ください !

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